ニシタンの峠
犬越路峠・破風口(孫六峠)・馬場峠(ザレ峠)・白石峠(オ茶煮ノコシッパ)
| 丹沢の西部地域を「西丹沢」、略して「ニシタン」と呼ぶ。 高校時代に山登りを始めて、表丹沢や東丹沢を歩いていた頃、西丹沢は未知の世界であり、 ベテランの山屋さんが「ニシタン」などと話しているのを聞くと「行ってみたいなぁ〜」などと思ったものだ。 「ニシタン」という言葉の響きに強い憧れを持ったものである。 * ちなみに東丹沢を「ヒガタン」とか「ガシタン」とか呼ぶのを耳にしたことは無い。 その「ニシタン」に初めて足を踏み入れたのが自転車での犬越路林道走破であった。 山道の犬越路峠は檜洞丸・蛭ヶ岳縦走時や大室山・加入道山周遊時に訪れたことがある。 |
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用木沢出合まで車で入り、 歩き始めた時間は正午をとっくに過ぎていた。 ちょっと焦りはしたが、このコースは地図上のコースタイムより かなり早く歩けるので大丈夫だ。 昼食の用意をザックに入れないで済むので、 午後からの山歩きは荷も軽く、心も軽い。 用木沢沿いの心地好い道を進み、 峠は明るい峠で、 「小犬越路峠」なるものを求めて北面を探ってみたが、 |
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頼朝が子犬を連れて越えたとか、 信玄が小田原に攻め入る際に愛犬を先導させて越えたとか、 あるいはどこからともなく山犬が現れて、 道に迷った軍勢を麓まで導いたなど、 「犬」にまつわる言い伝えが多い。 さらには中川に住むオス犬が道志側のメス犬に会いに通った 実際には「犬」とは関係なく、 |
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畦ヶ丸近くにある「犬峠」(忘路峠)の「犬」も険しい道を 意味したものだろうか。 丹沢湖の南にある「イヌクビリ峠」の「イヌ」や、 丹波一之瀬の「犬切峠」の「犬」など調べると面白そうだ。 甲州では山の中腹の岩道などの正路ではない険阻な道を 「オヒヌ越路」が「オイヌ越路」になり、さらに「大犬越路」となり、 |
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大室山は大群山とも記す。 所謂、ムレ系、ムロ系山名である。 「ムレ」は古代朝鮮語で「山」の意味。 この付近から甲斐郡内地方はムレ・ムロ系山名の宝庫である。 大室山頂は樹木に隠され展望はすぐれないが、 ずっとずっと歩いて行きたくなる天空の回廊のように思える。 |
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加入道山手前の鞍部が破風口(孫六峠)と呼ばれる所だ。 両側とも傾斜が強く落ち込んでいるので、乗っ越す道はない。 峠の範疇ではない。 獣も容易には越えられないだろう。 破風口を過ぎ、ひと登りすれば馬場峠に至る。 標高1380mで中川の箒沢集落と道志の馬場集落を結ぶ。 |
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奥州平泉の藤原秀衡の家臣鰐口伊賀の守が、 藤原氏の没落後、安住の地を求めて、 甲州路より馬場峠を越えて箒沢に入り、 この地で身を寄せ隠れ住んだといわれている。 道志側に下る道はあるが中川に下る道は消滅したようだ。 |
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時間が遅いせいもあるが、 大室山、加入道山の両山頂ともひっそりとしていた。 加入道山のベンチに心地好い木漏れ日を受け腰掛けると、 「かにゅうどう」とは面白い名前だが、 加入道山には避難小屋がある。 |
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加入道山を少し下ったところに「道志の湯」方面へ下る道があり、 それを過ぎれば、わずかな距離で白石峠に到着する。 「白石」とは、この付近で見られる大理石のことを指すようだ。 信玄の犬越路の愛犬先導説と同じく眉唾物である。 |
| 手持ちの昭文社『山と高原地図』では白石峠から道志側に下る破線道が付けられているが、 現地で道志側を覗いてみても道らしきものは見受けられない。 道志ではこの峠を「上峠」と呼ぶらしい。 峠で山の端に沈みかけた太陽に別れを告げて、急ぎ足で白石沢へのジグザグを小刻みに下る。 決して楽ではない峠の道を、花嫁は着物の裾を踏むことなく越えることができたのだろうかなどと、 |
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【参考文献】 『かながわの峠』 植木知司 かもめ文庫 |
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