ニシタンの峠

犬越路峠・破風口(孫六峠)・馬場峠(ザレ峠)・白石峠(オ茶煮ノコシッパ)

 丹沢の西部地域を「西丹沢」、略して「ニシタン」と呼ぶ。
高校時代に山登りを始めて、表丹沢や東丹沢を歩いていた頃、西丹沢は未知の世界であり、
ベテランの山屋さんが「ニシタン」などと話しているのを聞くと「行ってみたいなぁ〜」などと思ったものだ。
「ニシタン」という言葉の響きに強い憧れを持ったものである。

* ちなみに東丹沢を「ヒガタン」とか「ガシタン」とか呼ぶのを耳にしたことは無い。

その「ニシタン」に初めて足を踏み入れたのが自転車での犬越路林道走破であった。
当時は全線ダートでワイルドな道であった。
その後、自転車やバイクで幾度も林道走行に訪れたものだが、
ハードな路面により自転車ではよくパンクさせられた記憶がある。
いつしか林道はゲートで閉ざされ、中川側はキャンプ場の開発なども進み山深い趣を失ってしまった。

山道の犬越路峠は檜洞丸・蛭ヶ岳縦走時や大室山・加入道山周遊時に訪れたことがある。
なかなか展望も良く、峠に至る用木沢沿いの道も清々しいので、
今回、久し振りにニシタンの峠をまた訪れてみることにした。


犬越路峠

用木沢出合まで車で入り、
歩き始めた時間は正午をとっくに過ぎていた。
ちょっと焦りはしたが、このコースは地図上のコースタイムより
かなり早く歩けるので大丈夫だ。
昼食の用意をザックに入れないで済むので、
午後からの山歩きは荷も軽く、心も軽い。

用木沢沿いの心地好い道を進み、
ジグザグを登り詰め、笹を分ければ峠に飛び出す。 
峠道は東海自然歩道なので、
標識もあり整備も行き届いている。

峠は明るい峠で、
大室山と檜洞丸を結ぶ尾根道を越えている。
南面の眺望は林道の傷跡が痛々しいものの、頗る良好。
遠くには足柄山、金時山も望める。

「小犬越路峠」なるものを求めて北面を探ってみたが、
どこのことだかはっきりと分からなかった。


峠から南の展望

頼朝が子犬を連れて越えたとか、
信玄が小田原に攻め入る際に愛犬を先導させて越えたとか、
あるいはどこからともなく山犬が現れて、
道に迷った軍勢を麓まで導いたなど、
「犬」にまつわる言い伝えが多い。

さらには中川に住むオス犬が道志側のメス犬に会いに通った
などという、映画にでもなりそうな話まである。

実際には「犬」とは関係なく、
荷物を背負って行かなければならない急な道だから、
「背ヌ(オイヌ)越路」「負ヌ(オイヌ)越路」になったという説や
「険しい道」を表す地形語の「イノ」が転化して「イヌ」に
なったという説が有力である。


ブナに取付いたサルノコシカケ

畦ヶ丸近くにある「犬峠」(忘路峠)の「犬」も険しい道を
意味したものだろうか。
丹沢湖の南にある「イヌクビリ峠」の「イヌ」や、
丹波一之瀬の「犬切峠」の「犬」など調べると面白そうだ。

甲州では山の中腹の岩道などの正路ではない険阻な道を
「オヒ」と称している。 (『甲斐国誌』)

「オヒヌ越路」が「オイヌ越路」になり、さらに「大犬越路」となり、
「大」があるならと「小犬越路」という地名も生まれたようだ。
各地にある「笈ノ峠」「老ノ越路」なども同類語源だという。


ニシタン甲相国境稜線

大室山は大群山とも記す。
所謂、ムレ系、ムロ系山名である。
「ムレ」は古代朝鮮語で「山」の意味。
この付近から甲斐郡内地方はムレ・ムロ系山名の宝庫である。

大室山頂は樹木に隠され展望はすぐれないが、
加入道山に向かうブナに囲まれた尾根道の樹間からは、
富士に向かってのびる甲相国境の山並みが美しい。

ずっとずっと歩いて行きたくなる天空の回廊のように思える。


破風口 (孫六峠)

加入道山手前の鞍部が破風口(孫六峠)と呼ばれる所だ。
両側とも傾斜が強く落ち込んでいるので、乗っ越す道はない。
峠の範疇ではない。 獣も容易には越えられないだろう。

破風口を過ぎ、ひと登りすれば馬場峠に至る。
馬場峠は神奈川県内では最も標高の高い峠である。

標高1380mで中川の箒沢集落と道志の馬場集落を結ぶ。
馬場の集落からは白石沢のザレ沢に越えたので
ザレ峠とも呼ばれた。


馬場峠(ザレ峠)

奥州平泉の藤原秀衡の家臣鰐口伊賀の守が、
藤原氏の没落後、安住の地を求めて、
甲州路より馬場峠を越えて箒沢に入り、
この地で身を寄せ隠れ住んだといわれている。

道志側に下る道はあるが中川に下る道は消滅したようだ。
分岐の標識には、道志に下る方向にマジックで「悪路」と
落書きされていた。


加入道山

時間が遅いせいもあるが、
大室山、加入道山の両山頂ともひっそりとしていた。

加入道山のベンチに心地好い木漏れ日を受け腰掛けると、
道志の谷間から、そよとした風が渡ってきた。

「かにゅうどう」とは面白い名前だが、
土地の言葉で屋根を葺くカヤ(茅)や
牛馬の餌を刈る場所のことを言うらしい。
しかし、「鹿入道」との説や「大入道」が住んでいたという説もある。

加入道山には避難小屋がある。
犬越路や菰釣山にあるものと造りは同一である。
ペラペラと小屋の日誌をめくっていると「山ケイJOY」編集部の
女性記者の名前があった。
取材で訪れたのだろうか? なんといい仕事だろうか!!


白石峠 (オ茶煮ノコシッパ)

加入道山を少し下ったところに「道志の湯」方面へ下る道があり、
それを過ぎれば、わずかな距離で白石峠に到着する。

「白石」とは、この付近で見られる大理石のことを指すようだ。
信玄が陣を張った折に、米の研ぎ汁で白く沢が濁ったので、
白石沢になったいう話は面白いが信じ難い。

信玄の犬越路の愛犬先導説と同じく眉唾物である。
そもそも信玄がニシタンを越えた公式な記録は無く、
別働隊もさらに西の城ヶ尾峠を越えたようである。

手持ちの昭文社『山と高原地図』では白石峠から道志側に下る破線道が付けられているが、
現地で道志側を覗いてみても道らしきものは見受けられない。

道志ではこの峠を「上峠」と呼ぶらしい。
道志側から峠に向かう途中、室久保林道から左の小尾根を越える所を「下峠」と呼ぶらしく、
その上の峠だから「上峠」と呼ばれたという。

峠で山の端に沈みかけた太陽に別れを告げて、急ぎ足で白石沢へのジグザグを小刻みに下る。
ニシタンの甲相国境に点在する峠は、交易路として多くの物資が行き来した。
さらには人的交流も頻繁になされ、峠を花嫁が越えたという。

決して楽ではない峠の道を、花嫁は着物の裾を踏むことなく越えることができたのだろうかなどと、
ジグザグ道の急下降を歩きながら、いろいろ想像してしまった。
新しい生活を夢見て峠を越えた花嫁の目に、新天地の眺めはどう見えただろうか。
そして、峠で振り返り眺めた生まれ育った村はどう見えただろうか。

【参考文献】

『かながわの峠』 植木知司 かもめ文庫
『山』 第1巻第4号 武田久吉
『山と渓谷』丹沢山隗地名考 坂本光雄