藤野町南端の忘れられた峠みち
綱子天神峠・<仮称>菅井天神の峠・<仮称>ヌタノハラの峠・大川原天神峠
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| 自動車の走り抜ける林道や県道が整備されておらず、 山のあちら側とこちら側とを容易に結びつける隧道が無かった時代、 綱子集落と道志谷の集落とをつなぐ何本かの山越えの道が発達していました。 綱子と大川原を結ぶ「大川原天神峠」、綱子と長又を結ぶ「ヌタノハラの峠(仮称)」、 今回は綱子を起点に、一部残されている旧峠道を辿り「綱子天神峠」に登った後、 菅井と長又を結ぶ菅井天神の峠道は、天神隧道の開鑿、県道青根藤野線の開通によって、 |
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綱子集落から綱子天神峠・(仮称)菅井天神の峠へ |
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| 綱子集落から綱子天神峠に向かう旧峠道は、 完全舗装された綱子林道がその一部をなぞっているらしく下部には痕跡が見られません。 林道の途中から擁壁の階段を登り分岐する山道が、かつての峠道の残りだと思われます。 この道は送電線巡視路を兼ねているらしく「佐久間東幹線360→」の標識が設置されています。 |
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| 落ち葉の敷かれた道の上には、熟したアケビの実や山栗のイガイガがたくさん落ちています。 遅れをとった蝉がジージーとまだ鳴いているのに、山はすっかり秋モードになっています。 鉄塔直下の見晴らしの良い草地を通過すると、峰山と綱子天神峠をつなぐ尾根道に合流します。 合流部には「←峰山・菅井→」と標示された赤いプレートの公的標識が設置され、 |
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| 尾根合流部から平坦な尾根道をわずかばかり南下すれば綱子天神峠で、 顔馴染となった文政期の馬頭観音と寛政期の百番供養塔が置かれた十字路となります。 昔、道志谷側の集落からは、絹織物や繭が人馬の背によってこの峠を越え、 |
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| 峠に設置されている東海自然歩道の公的登山標識には峠名の記載が無いので、 こっそりと立木に「綱子天神峠」の名を記した手製標識を括りつけます。 公的登山標識の青根を示す腕木には「←天神峠」というマジックの書き込みが見られますが、 これはここより西に位置する大川原天神峠を指し示したものなのでしょう。 石造物背後のコンモリとした丘状部は『ふじ乃町の地名』によると、 |
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| 峠の石造物の前を通り、東にのびる細道を辿ってp508の山頂まで行ってみましたが、 石祠があるわけでもなく、藪っぽい植林地の小峰に藤野町の基準点が埋設されているだけでした。 ここで踵を返し、次に綱子天神峠から尾根を西へと向かい、綱子隧道の真上を通過する手前で、 |
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| 東海自然歩道を離脱した道は、南東尾根の真上ではなく、その脇を通って緩やかに下降しています。 途中、隧道入口へ下降できそうな踏み跡を見送ると、尾根上を踏むようになり、 天神隧道真上の小鞍部に達します。 天神隧道真上には越える道も無ければ石造物などもありません。 |
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(仮称)菅井天神の峠から長又集落へ |
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| 小峰から立木に掴まりながら足場の悪い急斜面を下降すると、菅井天神の峠となります。 『ふじ乃町の地名』には、この小鞍部に「菅井天神」の名が付されています。 かつては天神社があったのでしょうか、その台座とも思える平たい石が置かれています。 旧版地形図を見ると、菅井と長又とを結ぶ確かな道が描かれていますが、 |
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| 峠の凹部には「大正拾四年 馬頭観世音 施主高崎家」と刻まれた馬頭尊が安置されています。 高崎という姓は菅井地区に多く見られる名前なので、菅井の住人が祀っているものなのでしょう。 現在の県道及び天神隧道が出来る以前は、菅井と道志谷の長又をつなぐ道として 人馬の往来が頻繁にあったに違いありません。 蜘蛛の巣が邪魔をするものの長又へと下る道は明瞭です。 |
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| 道は沢の流れに近い場所では小規模な崩壊が見られますが、全体を通して概ね良好です。 字名「大洞」と呼ばれる谷筋に入り、「センノサワ」を左岸から右岸へと伝い下降します。 蜘蛛の巣が顔面にまつわりついたり、小さな小さなダニの一団がズボンに取り付いたりするのを 気にしなければ快適に歩行することができます。 ゴミの無さや路面状況から察してイノシシより多くの人が歩いている様子は感じられませんが、 |
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| 降り立った沢の流れはチョロチョロとしたもので、飛び石で簡単に渡ることができます。 対岸へ渡る橋は大水で流されたのか、それとも朽ち果てたのか、その姿はありません。 橋脚と思しきコンクリートの塊だけが残されているだけです。 採石場近くに特有な白っぽい砂が川原の石に付着しているのを見ます。 しかし、よくよく探すと、ほんの少し下流側の崖を斜上する踏み跡が見つかります。 |
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| 危険箇所を通過すれば前方が明るくなり、コンクリ舗装の道へ突然飛び出します。 そこは「管井131 007 12 酒井」のプレートのある電柱の脇で、 「藤野キャンプ場サイレントリバー」の誘導路の坂道の途中に飛び出したのです。 こんな所に出るのかと、いままで県道を通過していても峠道の入口に気付かなかったわけです。 これで菅井天神の峠から長又への道を歩くことができたことになります。 「菅井地区から長又地区に行く道路は、尾根又は沢底の急峻なものばかりであったが、 菅井天神の峠道が、これに記されている「沢底、谷越えの道」だったのでしょう。 |
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長又集落からヌタノハラの峠へ |
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| ヌタノハラの峠は長又と綱子とを結んでいる山越えの道ですが、 峠から東へ、東海自然歩道の尾根道を辿れば最前の綱子天神峠とも結ばれているので、 菅井との連絡路でもあったのです。 今歩いて来たばかりの菅井天神の峠と同様に、長又と菅井とを結び付けていたともいえます。 両者は下ってから登るか、登ってから下るかの違いであったのでしょう。 いずれにしても不便であったことに違いはありませんが。 長又からヌタノハラ(奴田ノ原)への道は、現行版地形図にはその一部が破線表記されています。 県道から植林地の斜面を登ると、長又集落からの明瞭な道にぶつかります。 |
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| 小尾根を乗っ越すと植林地内を行く水平歩道となり、足下にはダンプが行き交う県道が見え、 樹間からはガンガンガリガリと山を崩す採石場の重機が動き回っているのが見えます。 道の状態は極めて良好で、道を支える古い石積みも見られます。 「テラゾーリ」と呼ばれる最初の沢筋を回り込む辺りから若干道が細くなり頼りなくもなりますが、 すぐに安定した道に戻るので心配はいりません。 沢筋では獣臭もしましたが、こう近くでガンガンと岩を削る騒音がしていれば、 「工事中のためご迷惑をおかけしますが迂回路を設置しましたので と書かれた看板の指示に従順に従い、山側に新造された迂回路のジグザグを登ります。 |
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| 「ヌタノサワ」の沢筋は採石場の土砂に完全に埋まり、 峠に続いていたであろう本来の道は採石場内に飲み込まれています。 迂回路は迂回というだけあって、採石場の外縁を回り道させられます。 |
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| 採石場を抜けてからの峠側の道はわずかしか残されていません。 つまり採石場は東海自然歩道の通う稜線部に肉迫しているのです。 東海自然歩道の「自然」とは何なのかと毒づきたくもなりますが、無惨に削られてゆく山肌を 見せつけることで、自然の大切さを教えようとする反面教師的な計算された教育的配慮なのかも しれないと解釈するほかないようです。 ヌタノハラの鞍部で尾根を越えるこの場所を便宜上「ヌタノハラの峠」としますが、 |
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(仮称)ヌタノハラの峠から綱子集落へ下り、大川原天神峠へ |
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| ヌタノハラ(奴田ノ原)は昔、農地であったとのことですが、現在は植林地の中にあります。 「枯木倒木注意」の看板があり、東海自然歩道の標識が菅井と青根を指し示しています。 尾根を越える綱子、長又を指し示す標識はないので、ハイカーが尾根を越えることは 想定していないのかもしれません。 綱子へと下る道は現行版地形図から消去されていますが、 「神奈川県森林公社分収造林地」の看板の前に、加藤家の墓地を見ると、 |
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| 降り立った林道の対面には「山のブルーベリー・もぎとりえん」の看板が見られます。 また分岐には送電線巡視路を示す黄色の標識もあるのですぐに取り付き点はわかるでしょう。 なぜこんな状態の良い道が現行版の地形図では消去されているのか謎ですが、 私有地内を通っているとか、遭難事故があったとか、なんらかの事情があるのかもしれません。 次なる探索対象の綱子から大川原天神峠に至る旧道も現行版地形図からは消えています。 そうとも知らずに大平橋の脇にあるコンクリートの堰から川床に降り、綱子川の対岸に渡って |
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| しかし、いくら探してもハッキリした道の痕跡は見出せず、植林整備の作業道らしき踏み跡が 錯綜するばかりで、それを辿ってみても途中で消滅してしまうという有様です。 もうこうなればとりあえず道無き斜面を登り上げ、ひとまず大川原天神峠に辿り着いてから、 峠から逆に旧峠道を探ろうと予定を変更します。 植林斜面を汗して登ることしばらくして、「ああ、こんなところにあったのか!」と、 |
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| 大川原天神峠はいつ訪れてもひっそりとしていて、 舗装された林道が越えてはいるものの、峠道を往来する交通は滅多にありません。 汚いスプレー落書きがあるところを見ると、夜は賑やかなことがあるのかもしれませんが、 こんな山奥に暴走族が出没するとも思えません。 この峠道も昔は、道志谷の大川原や青根方面から上野原へ向けて絹織物や繭が越えた峠で、 |
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大川原天神峠旧道から綱子集落へ |
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| 峠から綱子へ下る旧道は、p486(マルヅカ)を迂回する林道が出来て以来、通行が激減したに 違いありませんが、依然として明瞭な道が残されています。 旧峠道は手入れの行き届いた植林地内を緩やかに下降し、若干薄暗いものの、 通行を妨害する藪も無ければ、足を踏み外し大惨事を招く危険箇所などもありません。 こんな不安要素の無い道を地形図から消す必要がどこにあるのだろうかと、 |
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| 一体どこに降り着くのだろうかと不思議に思いながら足を進めると、 見えてきた下降地点に見覚えがあります。 そこはなんとヌタノハラの峠道入口から40歩と離れていない場所で、林道を歩いているときに 「あそこに踏み跡があるなぁ〜」と目に留まった場所でした。 昭和22年発行地形図の取り付き点はあきらかに現状とは異なり、 |
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| ヌタノハラ南面の採石場や綱子隧道が出現する前の昭和47年発行の旧版地形図には、 ヌタノハラの峠と大川原天神峠の綱子側の峠道が描かれています。 これらの道は地形図より消し去る必要性は無く、しっかり現存しているし、描かれた破線道は正確です。 なのになぜか現行版地形図からは抹殺されてしまっているのです。 歩く人が減ったり、利用価値が減衰した道は地形図から消される運命なのでしょうか? |
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| 綱子川に沿った道を綱子の中心地に向けて進みます。 中心地といってもわずか数戸の集落ですが、なぜか訪れる度に仄々とした雰囲気を感じます。 実際にこの地で生活するとなると大変でしょうが、訪れる度に心がホッとするのです。 人間の暮らしには都会の便利さや華やかさばかりでなく、不便であろうと、地味であろうと、 心落ち着く静けさも必要なのでしょう。 綱子から峰山に登る「ナナンマガリ」の山道を確認しつつ、 |
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(峠行:2009.09.19) |
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| 【参考文献】 『かながわの峠』 植木知司著 かもめ文庫 1999年 【備考】 田部重治著の『峠と高原』の中に「丹沢山脈縦走記」という紀行があります。 「山里の桜や李は今を盛りと咲き乱れ、鶯は鳴き、道ばたの木瓜は赤く、岩躑躅はところどころに咲いていた。 「小舟村から道志川に越す尾根の上を歩いた」とは、きっと現在の綱子隧道真上辺りの尾根道をヌタノハラへと |
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| ● 大川原天神峠・綱子天神峠・ヌタノハラの峠を初めて訪れた時のレポートを見る ● 前回、大川原天神峠・綱子天神峠・ヌタノハラの峠を訪れた時のレポートを見る |
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