駅裏の峠 / 藤野坂ノ峠・小渕峠・旧小渕峠

 


旧小渕峠

日々の生活に疲れたら、駅裏の小さな峠に行こう。
少しばかり息を乱し、わずかばかり汗をかき、登りつめた峠に心の平静を求めよう。
「駅前留学」の廃りを横目に「駅裏遊学」と決め込もう。

JR中央線藤野駅の裏手、鷹取山から岩戸山へとのびる起伏には小さな可愛い峠があります。
この
以前訪れたことのある峠たちに再び会いたくなって改札口を出たのです。

どうして、突然に?
こんな文章(↓)を読んでしまったら、ふと足を運んでみたくなったのです。
峠からの眺望はやや誇張気味だけど、峠に至る道すがらの眺望と考えればまんざらでもないのかも。
文中の「暖かな体臭」という言葉に妙に惹きつけられてしまいました。


小淵峠は標高400米に20米足りないささやかな峠であるが、私の最も愛する所である。
行先には陣場山荘を頭の上にポツンと載せた陣場山がその全容を見せているし、
背後は桂川の渓や上野原の町並を手に取るように眼下に望み、
重畳たる道志の山波----峯山や天神峠・高柄山・大地峠を眺められる。
桂川の渓の彼方には九鬼山や瀧子山等があり、わけても扇山の側面から望む容姿は素晴らしい。
第一此処の良さは独り此の展望のみで無く、真の峠らしさのみならざる峠として私はこよなく愛する。
それは浪漫的の美しさではない。
勿論山嶽的魅力でも無い、昔から幾百年と云う長い間、人間と交わったその暖かな体臭である。
まあこんな小さな峠と軽蔑しないで、是非一度行ってごらんとお薦めしたい。

                 (『山と高原』34号 「栃谷尾根と鶏冠尾根」 神山 弘 昭和17年.2月)  

補注:小淵峠=小渕峠、ここに書かれた峠は『かながわの峠』でいうところの「旧小渕峠」と推定される


行ってみるがよい そのささやかな峠へ
そこは里と里とを結ぶ ちいさな峠
そこは人と人とをつなぐ やさしい峠

昔あった通行も 今は途絶えてしまったが
その可愛い峠は健在だ
その可愛い峠に行ってみようじゃないか

そこは山を越えるというより
ささやかな丘陵を越える ホントにちいさな峠
だからといって 軽蔑などしやしない

古い地図にしるされている径路は 今も残っているだろうか
駅裏の ささやかな丘陵地帯を横切る ささやかな峠
その峠の道の消息を尋ねてみよう
「暖かな体臭」は今も残っているだろうか


沢井隧道


藤野坂ノ峠

電車待ちの高尾駅のホームで食べたコロッケソバがまだ消化しきれぬ間に藤野駅に到着です。
小さな駅のホームから眺める背後のささやかな尾根に、幾本かの尾根越しの道が通っているのです。
これら藤野駅背稜の峠の存在を初めて知ったのは『かながわの峠』という書物によってです。
峠の名前とその位置は同書の記載に従うこととしますが、地元住民が果たしてそのように
呼んでいるのかはわかりませんし、峠道の存在をどれほどの方が知っているかもわかりません。
尾根の横腹に穴が開き車が行き交うこの時代に、たとえ峠道の存在を知っていたとしても、
わざわざ足で越える人も少なかろうと思います。

沢井隧道手前を見落しそうな小さな標識に従って右手に折れ、中央高速道をくぐります。
まずは沢井隧道の開通で役目を終えた藤野坂と呼ばれる峠を訪れます。
以前訪れた時、雪の積もっていた峠は、降り止まない落ち葉に埋め尽くされていました。


藤野坂ノ峠

沢井と藤野を結ぶ切通し状の峠は控えめな姿で訪れる人を待っています。
尾根道を辿り鷹取山へと続く「藤野パノラマコース」の起点である藤野神社はすぐ隣りですが、
この小さな峠を気にかけてくれるハイカーがどれほどいるのでしょうか。

峠には素晴らしい眺望があるわけではありません。
心和む美しい花々が咲き乱れているわけでもありません。
語りかける路傍の石仏が待つでもなし、伝説に彩られているわけでもなし、
偉大なる戦国武将が越えたという華々しい歴史を持った峠でもありません。
土地の人々が生活のために越えたささやかな峠なのです。
派手さはありません、でも、どこか心落ち着く峠なのです。


沢井川沿いの集落を見下ろす

「藤野パノラマコース」は歩きやすい整備された家族向けのハイキングコースです。
中央高速道の騒音と送電鉄塔が無ければ花丸をもらえる優等生です。
期待を裏切らない藤野、道志、丹沢、高尾の山々を一望できるまさに「パノラマ」が展開しています。

肩を寄せ合う沢井川沿いの集落の背後には奈良子尾根、栃谷尾根、一ノ尾ノ尾根など
陣馬山界隈ののびやかな尾根の姿が望めます。


道が横切る小さな鞍部


柚畑の向こうに岩戸山

パノラマコース上には尾根を横切る仕事道、送電鉄塔巡視道が多くあります。
どこへ続く道なのだろうか興味を覚えますが、本日の目的は(旧)小渕峠です。

明るい南斜面に植えられた藤野町の観光特産品である柚畑の向こうに岩戸山が顔を出します。
短い登りを終えると、こじんまりとした岩戸山の山頂です。


岩戸山 △377


関野へは左手、鷹取山方向は右手に折れて急降下

以前訪れたときには無かった「藤野町十五名山」なる標柱が立っています。
「〇〇県百名山」流行りの中、藤野町オマエもか!という気がしますが、
それにしても「十五」とはなんとも半端な数ではないでしょうか?

山頂の少し先に関野へ下る道が分岐していますが、ここは鷹取山方向を示す標識に従って
右手に折れ、ロープの張られた植林地内の急斜面を下降します。
急斜面といっても登りが短ければ下りも短いのは必然、あっという間に終わります。
笹道が姿を現すと小渕峠はもうすぐそこです。


『かながわの峠』でいう小渕峠

尾根を乗り越える明瞭な道が横切る小さな峠。
ここを『かながわの峠』、『藤野町の山と峠』では「小渕峠」としています。
冒頭で紹介した古い山雑誌の一文に見る「小渕峠」は『かながわの峠』でいうところの
「旧小渕峠」にあたります。

かといって、「旧」に対してこちらが「新」かというと、そうでもなく、古い地形図にも見られるように
両小渕峠とも古くからある道のようです。
どちらがメインだったかというと、古地図に記された道の太さから察するに
「旧小渕峠」の方だったに思われます。
当時栄えていた上野原に近い峠路の方が利用度が高かったのでしょう。
そもそもこの辺りの山を越えて小渕に至る道はどこも「小渕峠」と呼ばれていたとも考えられます。

こちらの小渕峠は関野と中里、日野とを結ぶ道です。
旧小渕峠を上小渕に下った後で、関野側から再び足を運んでみましょう。


屋根だけ残された石祠


小渕山手前の関野分岐

小渕峠にひとまず別れを告げて、前方に続く尾根道を辿ります。
足元の滑る植林斜面を登り、岩の固まりを攀じると、そこにはポツンと石祠が祀られています。
前回訪れたときは普通の状態の石祠だったと記憶していますが、
今では地震で潰れた家屋のように屋根の部分しか残されていません。
以前あった賽銭も皆無です。何があったのでしょうか?
これまでのお賽銭の積立金で修復されることはあるのでしょうか。

しばらく行くとまた小さな鞍部があり、関野側から登って来る道を合わせます。
この道も明瞭な道で、小渕山へはこの道を少し歩いてから斜面へと取り付きます。
小渕山に興味も無く、登り道は嫌いという方は取り付き点の指示を無視して、
この道を拾って行けば小渕山を右手から回り込んで再びコースに復帰します。


小渕山


標高が手直しされた山名標識

岩戸山同様に、こじんまりとした山頂の小淵山ですが、植林に遮られ眺望はありません。
山頂からも関野へ下る道が分岐しています。
ここにも「藤野町15名山」の標柱が立てられていますが、標高が地形図とは異なっているようで、
我慢ならなかった誰かが手直しをしています。
そもそも小渕山とはどこか特定のピークを指すものなのか少々疑問にも思いますが・・・・。


地形図350m圏の分岐路


後半の尾根道は自然林の中にアセビが目立つ

山頂を下ると先ほどの関野側から上がってきて小渕山を回り込んできた道と合わさります。
この先しばし道幅が広がり自然林の中の心地好い道となります。

正面の小高いピークを左手側から水平道でトラバース的に進むと、
現行地形図の350m圏の破線道分岐点あたりに出ます。
ここも峠状をなしており、文字の消えかけた標識によると越え行く道は
沢井住宅前バス停につながる道のようです。

この先、尾根道にはアセビが目立ち始めます。
いくつかの分岐道を横目に、小さな鞍部からちょっときつい斜面を登りあげると、
「藤野町基準点7」の標石を見ます。

もうここまでくれば目指す旧小渕峠は目と鼻の先です。


小渕峠 (『かながわの峠』でいう旧小渕峠)

峠に降り立って鼻をクンクンしてみます。
なるほど自分の汗のニオイのほかに、「暖かな体臭」がニオッテキマシタ!
幾年も前に峠の土道を踏み固めて越えて行き交った人々の体臭が。
峠からは目を奪う眺望はありません。馬頭観音やお地蔵様の心憎い演出もありません。
しかし、この峠に漂う「深み」はなんでしょう。
小さな峠だと「軽蔑」なんぞするはずもない、逆に「礼賛」に値する峠です。

『ふじ乃町の地名』によると、この場所に「オブチトウゲ」の名前が記されています。
先の小渕山手前の峠については特に名前が記されていません。
地元では「小渕峠」というと、『かながわの峠』でいうところのこの「旧小渕峠」を指すようであります。

『かながわの峠』でいうところの小渕峠は山間集落から甲州街道筋関野宿本陣へ出る道として、
旧小渕峠は山間集落から上野原の町へ出る道としての使い分けがあったのかもしれません。


峠に立てられた手製の「小渕山(峠)」の標柱


峠から上小渕側へ下る道
「藤野台団地→」の標識がある

峠には以前は無かった手製の標杭が立てられています。
「小渕山(峠)」と書かれ、消えかけた文字で「昭和28年頃までは盛んに利用された懐古の道である」
といったような内容が書き添えられています。
山麓に住む古老が立てたものなのでしょうか?「暖かな体臭」を感じます。

峠道は山峡の集落上沢井と上野原方面とを結んでいます。
かつては人の背で絹織物や炭などの林産物が上野原へと運ばれていったことでしょう。
鷹取山の北に車の通行できる野沢峠道が整備されてから人通りは途絶えたといいます。
体臭から排ガスの臭う峠へと、どこの峠でも消長はつきものです。

沢井側に下る道も気になるところですが、ここは上小渕側に向けて
微かに残る体臭をクンクンと嗅ぎ拾いながら下ってみましょう。


峠からわずか下った場所にある鷹取山近道分岐


目立つ標識が設置されている

峠からわずかばかり下ると、「鷹取山近道」と書かれた標識のある分岐です。
「藤野台団地 20分」との標識も立ち木に打ち付けられています。

峠道は頗る良好で、倒木に気をつければMTBで滑降できる路面状態を保持しています。
この峠道を沢井集落の人々は炭や繭や絹織物を担いで通ったのでしょう。
実になだらかな勾配で、歩きやすく設計されています。


歩きやすい峠道が続く
この右手の高みを回り込むと古い道の分岐がある


藤野台団地分岐
「←藤野台団地」「上小渕・藤野台団地→」の標識があるが
左の道を選択する

昭和初期の古い地形図を見ると、進行右手の高み(秋葉山?)を回り込んだ先に、
谷を回り込みつつ下降する道が描かれています。
実際現地にもその明瞭な道型が残されてはいるのですが、その分岐点に標識は無く、
進入を阻むかの様に倒木が行く手を塞いでいます。

おや?藤野台団地へはここを曲がるのではないかとの疑念が生じますが、
そのまま支尾根上の道を進むと、標識の設置された藤野台団地分岐が現われます。
しかし、標識の指し示す左右どちらも「藤野台団地」を案内しており、ちょっと戸惑います。


金比羅神社の脇に出る


中央高速道の擁壁上フェンスに行き当たる

藤野台団地分岐を左に折れて「八-上99」の送電鉄塔脇を通り過ぎると、金比羅神社に飛び出します。
さらにわずか進めば無縁仏の集結した「桂川線11」の鉄塔台地です。
ここからは上野原方向の眺めがよく、きっとこの辺りで沢井から峠を越えた昔の人々も
上野原の町並を眺め、ホッとひと息をついたに違いないと思うのです。

墓地の横を通り過ぎると、峠道は中央高速道のフェンスに断ち切られあっけなく終了を迎えます。
左「小渕」の標識に従い階段を下ります。
高速道を跨ぐ西畑橋は渡らずに、高速道北側の側道を辿り、
『かながわの峠』でいうところの小渕峠の登り口である関野集落へと向かいます。


増珠寺の脇を通り中央道をくぐる小渕峠入口


中央道橋脚脇に「小渕山・鷹取山方面」の案内板があるが
小渕峠は矢印とは違う方向の道を進む

曹洞宗増珠寺の脇道が小渕峠への入口です。
高速道路橋脚のフェンスに「小渕山・鷹取山方面→」の標識が掛けられていますが、
それとは逆に峠への道は二又の右手の道を進みます。

左手の窪地に、たわわに実った柿の木を数本見て、爪先上がりの道を進みます。
立ち木に「この辺に猪の罠を仕掛けています」の注意看板があり、ちょっと緊張しますが
畑を過ぎ、植林に囲まれた道を登りつめれば難なく小渕峠に到着するのです。


小渕峠への道


小渕峠から日野側へ下る道
良好な道はすぐにササヤブに埋没してしまう

さて、このまま日野へ向けて峠道を下ろうと、わずかばかり進みますが、
行く手には笹の密生が現われ進入を拒みます。

やや!これはどうしよう、今日はジーパン姿だし、
買ったばかりのフリースの上着を笹ヤブでボロボロにするのも惜しい。
もう一本ある支尾根沿いに下降するらしい道も少し行くと笹ヤブが蔓延っています。
峠からの歩き始めの道の状況からして、この先も期待できると一瞬は思われましたが、
道の手入れは放棄され、荒れるに任せているのでした。

この関野と中里、日野とを結ぶ峠道は「あま通り」と呼ばれ、
小猿橋(吉野宿から藤野へ向かう途中の橋)架け替えのときに使われた甲州道中枝分かれ道で、
歩くのには良い道だったといいます。

この道には「あまいぬ」という化け物の伝説があり、日野から関野へ向かっていた花嫁行列を襲い、
花嫁を奪って山中に消えた犬の怪物が出没したと伝えられています。
それ以降、婚礼時にこの道を通行することはなくなったといいます。

ササヤブに降伏し、峠までUターンして小渕山手前の関野分岐から関野へと戻ることにします。
こちらの道も峠道同様に良い道で、先ほどの高速道橋脚のフェンスに付けられた
標識地点に出るのです。
あとは「あまいぬ」より怖い大型トラックが頻繁に行き交う国道20号線を歩いて藤野駅に戻り、
ささやかな丘陵に点在する、ささやかな峠を巡るひとときは終わりを迎えるのです。

都会の駅裏の小さな路地の赤提灯ばかりが心を癒すでもなし、
日々の生活に疲れたら、駅裏の小さな峠に行こう。

【参考資料・参考地図】

『かながわの峠』 植木知司 かもめ文庫・・・「旧小渕峠」「小渕峠」「藤野坂ノ峠」の名称及び位置はこの本より採用した。
『ふじ乃町の文化財』 藤野町教育委員会・・・藤野坂ノ峠の弘法大師にまつわる伝説、あまいぬの伝説などが書かれている。
『ふじ乃の地名』 藤野町教育委員会・・・旧小渕峠の場所に「オブチトウゲ」の地名を見る。山中の地名など詳しく書かれている。
『ふじ乃町の古道』 藤野町教育委員会・・・旧小渕峠の当時の利用について、「あまいぬ」の伝説について書かれている。
『藤野の山と峠』 植木知司編集・NPO法人北丹沢山岳センター・・・藤野パノラマコースを紹介している。
観光パンフレット『ゆずの里藤野』 藤野町商工会・・・あま通りについて記述がある。


明治21年測量25年製版 明治41年中央線補測43年改版 大日本帝国陸地測量部

旧小渕峠も小渕峠も描かれています
旧小渕峠の方が幅広の道で描かれています


昭和4年測図24年資料修正 地理調査所

旧小渕峠も小渕峠も描かれています
旧小渕峠に上小渕に向かう尾根から外れて谷を回り込む道筋が加わった


昭和4年測量28年修正測量29年資料修正

旧小渕峠も小渕峠も描かれています
小淵山から関野へ下る道、基準点7のある峰から下小渕に下る道などが加わった


昭和4年測量44年改測63年修正測量 国土地理院
赤の実線が今回歩いた道
気になる枝道は多数ある


『山小屋』3号 「武相国境(ニ)」 岩科小一郎 より

小渕峠の位置に「牛坂峠」の名前がある。
『ふじ乃町の古道』によると、峠から上小渕へ向う坂を「牛坂」と呼んだとある。

小渕山は現在の藤野町基準点7の標杭があるピークなのか?
現在小渕山のある場所は「荻原山」となっている。
岩戸山も「岩登山」と表記されている。
もともとこの辺は小渕と沢井との間で入会地をめぐる争い、山論が展開された場所でもある。
また、『相模の低山』(守屋龍男・けやき出版)にも本コースは紹介されているが岩戸山を小淵山と表記している。

【後記】


『藤野町全図』 藤野町 1962年

「小日野峠」の名前が見られる。関野と日野を結ぶ「小渕峠」とは別物だろうか?
一方、「旧小渕峠」は「小渕峠」と表記されている。