カヤノキダナ沢の頭から鍋割山北稜
鍋割峠・雨山峠・オガラ沢乗越?・鉄砲沢乗越?
● まずは帰宅後の机上考察から ●
| 『分県登山ガイド神奈川県の山』(2005年版・山と渓谷社)の 「ユーシン渓谷A塔ノ岳・鍋割山」のページで鍋割山北稜コースを紹介している。 その中で玄倉渓谷と寄村とを結んでいた峠について以下の記述がなされている。 |
| 「昭和22年に玄倉からの林道ができるまで、険しい玄倉渓谷は玄倉村からの障害となり、 鍋割山を越えた寄村との関係が深かった。 鍋割峠、雨山峠、鉄砲沢乗越、オガラ沢乗越の4本の峠道がユーシン側の木材や山の幸を運ぶ 大切な道であった。」 |
| この4本の峠道のうち、鍋割峠、雨山峠は現行の登山地図等に記載されその位置と経路は判るが、 鉄砲沢乗越、オガラ沢乗越とはどこのことを指し、どのような道筋であったかは、 昔の丹沢を知らない世代としては理解に苦しむところである。 今回の山あるき、峠あるきは鍋割峠と雨山峠を歩きつつ、 |
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| 『丹沢だより296』(1994.07.20・丹沢自然保護協会)の 「ユウシン地名考あれこれ(2)」(小木満 著)には次のような記述がある。 |
| 「寄村から玄倉川上流に通じる峠径は、鍋割峠と雨山峠の間にオガラ沢乗越と鉄砲沢乗越があって計4つ。 それぞれの峠径の先に製板所や休泊所があって、これらの峠径がひらかれた所以を物語っている。 つまりこれらの峠径は生産点と生活点を結ぶ径路であった。 雨山峠は諸士平休泊所への物資輸送路として拓かれた。 休泊所は以前はオガラ沢出合附近にあったものが水害を蒙って諸士平に移ったという。 そしてこれら4つの峠径は、すべて寄村から見て山向こうの沢の名をつけられて、それぞれの沢への 乗越しができることを示している。」 |
| これによると、両乗越は雨山峠と鍋割峠とを結ぶ短い山稜(カヤノキダナ山稜)の間に位置していることになり、 それぞれ冠された沢(雨山沢、鍋割沢、オガラ沢、鉄砲沢)へ乗越し、玄倉渓谷側へと下降していることになる。 同資料には峠道、乗越道の様子についても次のように記されている。 |
| 「熊木は玄倉村に在りながら玄倉よりも隣村の寄村との交流が深く、 毎日薪炭を運ぶ定期便のキャラバンが通っていた。 その道すじは古くからの鍋割峠道ではなく、1105の数字のある隆起(今はカヤノ木ダナの頭と呼ぶ)の 西側を通るオガラ沢乗越径路であった。」 「オガラ沢乗越径路は地図には一度も載ったことがないが、・・・ |
| これによると、オガラ沢乗越は鍋割峠や雨山峠よりも頻繁に利用され、道の状態も良かったことが窺がえる。 「1105の数字のある隆起」とは現行地形図のp1108であり、 その西側をオガラ沢乗越径路が越えていたことを示唆している。 ただし頻繁に利用され、良い道であったはずのオガラ沢乗越径路は地図に載ったことは無いとしている。 |
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| 『山と渓谷28号』(山と渓谷社)の「丹澤玄倉川と周囲の山々」(坂本光雄 著)にも次の記述がある。 |
| 「鍋割山から、北微東へ延びる枝尾根は鍋割沢へ終わり、西ヘ派する尾根は複雑で二岐せられ、 一は北微西へ降り鍋割峠から鍋割沢へ降る点線路を越えて、1100mの等高線の突起がオガラ沢頭、 更に尾根は二岐して、散れ散れになってしまう、 一は鍋割山から西へ村界尾根を降った窪地が、鍋割峠突起を一つ起して、 1100mの等高線の頭が鉄砲沢頭、次の突起が名無沢頭、西ヘ降った窪がヤドリギ沢の詰から、 オガラ沢沿いに箒杉沢に至る乗越し、此の径路は地図上に当然記入されべきもので、 旧図に有るものを不当に抹消されたのは甚だ遺憾である。 むしろ雨山峠を越す径より明瞭だ。 更に村界尾根を南へ屈曲して降った鞍部が、雨山峠970m、玄倉川の諸子平(諸士平)の部落では 物資の供給を松田町へ受けた為に此の峠を寄村へ越した。」 |
| これによると、鍋割北稜の「←キケン/ユーシン→」と赤ペンキで書かれた小突起(後述レポ参照)が 「オガラ沢頭」であること、 鍋割峠から西の1100m(現行地形図p1108)が「鉄砲沢頭」であること、(カヤノキダナ沢の頭とも呼ばれる) 「名無沢頭」の西の鞍部に寄沢を詰めて、村界尾根を乗越す道筋があったこと、 その道筋は雨山峠道よりも明瞭で地図に当然記載されるべきほどの道であり、 オガラ沢沿いに箒杉沢出合へと続いていたこと等を知ることができる。 地図に載っていたものが消されたということは、 「1105の数字のある隆起(今はカヤノ木ダナの頭と呼ぶ)の西側を通るオガラ沢乗越径路であった。」 雨山峠---鉄砲沢乗越---名無沢ノ頭---オガラ沢乗越---カヤノキダナ沢ノ頭(鉄砲沢ノ頭)---鍋割峠 ということになる。(しかし、これは後で同一経路説として否定する) |
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次に地形図の変遷を見てみることにする
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| この地図は関東大震災や大規模な集中豪雨被害前のものである。 鍋割峠の道筋は見られるが、それ以外の雨山峠、オガラ沢乗越、鉄砲沢乗越の道筋を見ることはできない。 記載されている鍋割峠道の寄側の経路は現状とは大きく異なり、 「寄コシバ沢」のはるか左岸の高みを通過している。 現在この道筋がどうなっているのか興味あるところだが、崩壊が激しい場所であり 「地獄ザリ」と呼ばれる大崩落斜面があるので容易に接近することはできないと思われる。 鍋割峠道の玄倉渓谷側の道は「(鍋割)コシバ沢」を下降するのではなく、 |
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| この地図では鍋割峠の他に雨山峠の道筋も記載されている。 しかし、やはりそれ以外のオガラ沢乗越、鉄砲沢乗越の道筋は記載されていない。 鍋割峠の寄側の道筋も現在のルートとほぼ同じであり、左岸の高みを通過していた道筋は消えている。 大規模な崩壊地(地獄崩)が発生したためと思われる。 鍋割峠道の玄倉渓谷側の道は、尾根筋を辿るコースではなく、 「(鍋割)コシバ沢」を下降し、鍋割沢出合(尊仏ノ土平)に達する道筋になっている。 これよりも古い地図に鍋割峠道があり雨山峠道の記載が無いという状況から察すると、 『丹沢・山ものがたり』(とよた時 著・山と渓谷社)に |
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| 現行の地形図では鍋割峠道は寄側も玄倉渓谷側も抹消されている。 雨山峠道の現状は鍋割峠道同様荒れ果ててはいるものの現行地形図には残されている。 国土地理院の地形図への山道記載基準などあれば知りたいところでもある。 もちろん現行図にオガラ沢乗越径路、鉄砲沢乗越径路の記載などあるはずもない。 鍋割峠道の玄倉渓谷側の道、「(鍋割)コシバ沢」へ下降する道、「コシバ沢左岸尾根」を辿る道は |
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地形図を見ても、オガラ沢乗越、鉄砲沢乗越の位置と道筋に関する解答を得ることはできない。
やはり登山関係の文献資料に頼るほかないようだ。
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| 上図左では名無沢頭の西で山稜を越える乗越を確認することができる。 これが鉄砲沢乗越であると推定される。 上図右は『丹沢だより』で紹介されていた鉄砲沢乗越径路を見ることの出来る地形図であり、 雨山峠へ向かう途中から分岐し山稜を越えるこの乗越道は 【注意】 『奥野幸道丹沢資料コレクション』(丹沢自然保護協会)の「カヤノキダナ山稜周辺詳細図」でも 沢名の齟齬が反映されてか、1995年版の『山と高原地図』にはp1108の西側の小突起(名無沢ノ頭)に このカヤノキダナ沢ノ頭の迷走については、『丹沢だより296』の中でも触れられていて、 |
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話は逸れてしまったが、鉄砲沢乗越については地形図に載っていた時期もあり、
雨山峠と名無沢ノ頭の間にあることが概ね判明した。
それではオガラ沢乗越とはどの場所を指し、どのような径路であったのだろうか?
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| 雨山峠と鍋割峠との間の山稜を一般にはカヤノキダナ山稜と呼ぶが、昭和初期の資料を見ても そこにはオガラ沢乗越らしき表記を見出すことはできなかった。 『丹沢山塊』(ハイキングペンクラブ・登山とスキー社・昭和17)の「雨山峠越え」の項で 「鉄砲沢ノ頭に喰込む枝沢に入って行ってから、本沢との間に半島の様に突出た山脚を乗越して オガラ沢乗越への道も鉄砲沢乗越への道と同様に雨山峠へ向かう途中から分岐するかの記述である。 オガラ沢乗越と鉄砲沢乗越は同一径路と考えるとスッキリするのだがいかがなものだろうか。 先に示した「玄倉川及中川水源概念図」(作図:漆原俊、踏査:秦野山岳会)に記載されている 果たしてこの解釈でOKなのか、 ちなみに、『分県登山ガイド神奈川県の山』ではオガラ沢ノ頭と思われる写真に、 |
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● 実地の山あるき、峠あるき ●
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| お山の天気は上々、気分も上々。 数日前に「後沢-鍋割山-鍋割峠-寄」と歩いたばかりの見慣れた寄沢本流沿いの道を辿ります。 こんな河原のゴロ石の道や、鎖の設置されたザレた斜面の道を、昔は玄倉渓谷と寄村とを結ぶ 物資輸送のキャラバン隊が本当に通過していたのかという疑問も湧いてきます。 それとも今の道の様子は荒廃の成れの果てということなのでしょうか。 鍋割峠への分岐を見送り、植林地内へと続く雨山峠道に入ります。 現行の地形図に道は描かれていませんが、丹沢マイナー尾根マニアのM-Kさんが歩かれており、 |
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| カヤノキダナ沢ノ頭南尾根取り付き点は、左上画像の注意看板が目印となります。 また、地形図と照らして地形上からもすぐそれと判ることでしょう。 南尾根に明確な人の踏み跡はありませんが、鹿が利用しているようで獣道を拾えば問題はありません。 |
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| 勾配が緩むと中間部の平坦地となり、雨山とオツボ沢ノ頭との鞍部である雨山峠の凹を望むことがてきます。 さらに視線を東に振ると鉄砲沢乗越の鞍部と思しき凹も確認することができます。 この南尾根を辿ることにしたのは、もしかしたら鉄砲沢乗越へと続く尾根を横切る古道でも あるのではないかという淡い期待があったからでもあります。 しかし、それらしき道は見当たりませんでした。 |
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| 平坦地が終わると再びの急登ですが、前半部の低木ブッシュとは異なり、 疎林の中木の中を進むようになります。 迷うようなところはなく、ただ一点、高みを目指すばかりの道であります。 これは何の修行なのかとボヤキが出る頃、ヒョイと山頂に飛び出すことになります。 山頂には白い杭と境界見出標が埋まっているだけで山名標識はありませんでした。 『山と高原地図』ではこのピークをカヤノキダナ沢ノ頭と認めていないので、標識を取り付ける人が いないのかもしれません。 葉の落ちたブナの林は明るく、北側には玄倉川流域の山々を望むことができます。 |
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| 先が長いのですぐに東へ向けてカヤノキダナ山稜を進みます。 数日前に訪れた鍋割峠はやさしい陽だまりに包まれていました。 セクシー石仏も御変わりなく鎮座していますが、 中身の少ない軽いペットボトルの賽銭入れが風で飛ばされていたので石仏の傍らに戻してあげました。 賽銭が溜まったら赤い前掛けでも買うのだろうか?それとも峠道の道普請に使われるのだろうか? 溜まっている金額では工事に使う木製階段の一本も買えはしないだろう。 |
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| 鍋割峠から未知の道である玄倉川側への峠道を進んでみます。 しかし、十メートル程進んであっけなく消滅。 それも斜面崩壊による完全消滅なので先へ進むことができません。 無理して先へ進むと(先は無いのですが)、落石の餌食になること間違いありません。 鍋割山頂と鍋割峠とを結ぶ登山道途中にある大崩壊地が峠道を完全に飲み込んでしまっていたのでした。 |
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| 昭和37年発行のガイドブックには「此の間一般ハイカー危険」とあるものの、 危険でも通れたことを示しているので、大崩壊はそれ以後のことだと思われます。 おそらく昭和47年に丹沢を襲った集中豪雨の残した傷跡が峠道を崩壊に至らしめたと推定されます。 (昭和46年発行のアルパインガイドにすでに「廃道で、すぐ先で崩れ落ちている」とあるので 豪雨被害を受ける以前より崩壊が進んでいたのかもしれません。) |
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| 峠道の崩壊で鍋割山北稜へのショートカットができないので、 鍋割山に向けて崩壊地の縁を木製階段で登ります。 ひとしきり登ると北稜への踏み跡があり、 それを辿ると「ユーシンへの道 通行厳重注意」と書かれた立看板の背後からのびる道と合流します。 |
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| 鍋割山北稜は見事なブナ林の道で冬枯れのこの時期に訪れたのはちょっと失敗だったかも知れません。 新緑か紅葉の時期に訪れるのが正解だと思われます。 加えてこの季節の乾燥した急傾斜の下降はザレて滑りやすくヒヤヒヤさせられる羽目に。 マーキングは豊富でそれを忠実に拾えば迷うことはないでしょう。 |
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| ひとしきり下降を終えると小さな十字路に到達します。 ここが鍋割峠から峠道が合流する地点ですが、先述の通り峠に至る道は大崩壊で消失しています。 (鍋割)コシバ沢へ下降する道は道形が残っていますがどこまで続いているかは不明であります。 このコシバ沢沿いの道へ踏み出すことも考えましたが北側斜面の沢沿いの道は厳冬期には凍結の 心配もあるのでやめることにしました。 『丹澤記』(吉田喜久治・岳書房・1983年)によると、 小さな十字路からひと登りした小さなピークが「オガラ沢ノ頭」です。 |
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| コシバ沢左岸の尾根は踏み跡もマーキングも明瞭で、ヤブや危険な箇所はありません。 途中、視界が開け「尊仏ノ土平」方面の平地を望むことができます。 自然林から植林地に変わり、p942の手前で左手に折れると涸れ沢に降り立つことになり、 金網式堰堤を越え、沢に沿って進むと玄倉林道へと導かれます。 箒杉沢から建設重機の音が響いていたので堰堤工事の車両が入っているようですが、 |
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| 熊木ダム横の素掘りのトンネル内に垂れ下がった氷柱をへし折って、 ペロペロとナメながら単調な林道歩きは続きます。 一本終わると、また一本と林道脇の岩壁から垂れ下がった氷柱を口にしながら進みます。 熊木ダム下流域の水の流れのない広河原でも数台の建設重機が盛んに動き回っていました。 ユーシンロッジ分岐の先に「道路工事に伴う玄倉林道通行止」のお知らせが張り出されていましたが、 ここで特筆すべきは警告板に「歩行者自転車も通行止」とある点です。 |
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| クラシックルート雨山峠道に入ります。 現地案内板によると、玄倉側の入口の標高が700m、雨山峠の標高が950m、寄側の入口が480mとあります。 ここからは登高250mで峠に達することができます。 峠道は歩き始めからボロボロで数々の桟道によって補強整備されています。 「西丹沢の根拠地であるユーシンに入るには、神縄から玄倉経由で山神峠を越えるか、 現在、眠い目をこすりながら月明かりを頼りに峠道を歩くとなれば命がいくつあっても足りないだろう。 |
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| 雨山峠は小さな凹地形で、カヤノキダナ山稜と雨山・檜岳とを結ぶ尾根道がクロスしています。 古ぼけたテーブルと登山指導標が建つ狭く小さな峠ですが、玄倉側の展望は、暗い谷底のような峠道を 辿ってきた峠の旅人にとっては実際以上に開豁に感じられたことでしょう。 |
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| 峠から寄へ向けての下降は白ザレの崩壊が進む道となります。 水の流れがないだけで沢の中を歩いているようなものです。 しばらく降ると切り立った白ザレの回廊といえる場所になります。 日が傾き始める中、単独の日蔭の沢歩きは心細いものがありますので、 『丹澤記』(吉田喜久治著・岳書房・1983年)にオガラ沢打越(乗越ではなく打越と表現)について、 「オガラ沢打越は比較的新しいもので、1940年前後刊のガイドブックには紹介されていたし、 「オガラ沢打越は、昭和16年頃は寄の炭焼きが繁く通っていたのでみちが立っていた。 「オガラ沢打越---おきすてられて顧みる者もいない。 雨裂と荒廃の山丹沢にふさわしいクドレのブッコシ」 どんなところだろうか? 帰宅してからさらに一層、興味が深まってしまった。 |
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(峠行:2007.01.13) |
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ヤッター!年代もののピッケル発見かと思いきや… カヤノキダナ沢ノ頭南尾根の取り付き点で ラッキー、ラッキー! 崩壊の進む雨山峠道を修復するのに使われたものなのでしょうか? |
寄大橋10:00-鍋割峠12:00-北稜下降開始12:30-:林道13:30-雨山峠入口14:20-雨山峠15:00-寄大橋16:30