★ 井川雨畑林道を越えて

山伏峠(大笹峠)

のりピーを探しに(?)身延に行ったついでに、久し振りに井川雨畑林道を越えてみました。
初めてこの林道を走り抜け、山伏峠(大笹峠)を越えたのは1990年のこと。
当時は、ほぼ全線が未舗装のワイルドな道で、オフロードバイクでやっとのこと駆け抜けました。
その後、1998年にもバイクで越えましたが、その頃には静岡県側の舗装化が進んでいたと記憶しています。

近年、あのハードだった井川雨畑林道がほぼ全線舗装されたとの噂を聞き、確認のため訪れてみました。
万一、マイカーがボロボロになってはいけないと、友人の軽自動車で訪れてみることにしました。
『景色の良い山岳スカイラインがあるんだよ』との誘い文句を口にして・・・。
『峠を越えると温泉もあるよ』と、温泉好きの友人をそそのかして・・・。

なんてヒドイ、悪魔のようなことをしてしまったのでしょうか。
舗装されたとはいえ、あの長く険しい山岳ロードが容易に越えられるはずはありません。
友人は信州ビーナスラインのようなキレイに整備された観光高原ロードをイメージしてしまったようです。
当然そのギャップに怒りと命の危険を感じたことでしょう。

ところが友人は緊張を強いられる運転を終始続けたせいで疲れ果て、
その甚だしいギャップに怒り出すことすら忘れています。
落石を喰らわずに、谷底に転落せずに、無事に通過することだけに集中しているようです。
まんまと悪魔の罠にはまったのです。


行田山登山口


井川雨畑林道は谷深く、高度感もある

山梨側の道は数百メートルの未舗装区間を残し、ほぼ舗装工事が完了しています。
そのわずかに残された未舗装区間もすでに均されて舗装待ちの状態です。
確かに林道全般においては、以前に比べ格段に走り易くはなりましたが、
狭隘な道が拡幅されたわけでもなく、クネクネした道が直線化されたわけでもありません。
切れ落ちた谷側にガードレールが無い場所や落石が路面に穴を開けている場所も多々あります。
過激な山道が嫌いな友人は、終始『ダマされた・・・、オマエにダマされた・・・』と言い続けていますが、
雨畑川上流の奥深い山峡に入ってしまえば、もはや引き返すことも苦痛になってしまいます。
その上、『峠を越えて静岡県に入れば道は良くなるから』と、悪魔はまた囁くのです。

峠に向う途中、以前訪れたときには無かった「行田山登山口」の看板を見ます。
「行田山」は標高2000メートルの山として、新世紀プレミアム登山と銘打ち地元早川町が宣伝した山です。
当時は大勢の登山客で賑わったようですが、2009年の現在、この山だけを目当てに訪れる登山者は
きっと少ないことでしょう。
もしかしたら林道舗装化の背景には、この観光キャンペーンがあったのかもしれません。
「行田山」は登山地図には「大谷嶺」とあり、「1999.7」と標高が記されています。
小数点以下は四捨五入して2000年にこじつけたのでしょうか?
来たる2013年は、きっと「山伏(標高2013m)」が観光客増加に一役買うことでしょう。


山伏峠(大笹峠)

ガスに包まれた峠に達すると、友人は車を止め安堵の一服です。
『ごめんね、こんなヒドイ道だったかなぁ〜』と軽くトボケて、
『車、大丈夫?傷付いてないよね?』と形だけのやさしさと、ささやかな労わりを口にしたりします。
『静岡県側に入れば道はきっと良くなるよ』と、根拠のない言葉で励ましたりもします。

山伏峠は山梨と静岡の県境で、標高は1845m、切り通し状を呈しています。
「静岡県静岡市」の看板背後から「山伏」への登路が踏まれていますが、結構な急斜面です。
峠の名は初訪のときより「山伏峠」と呼んでいますが、登山地図等では「大笹峠」の名も見られます。
「山伏」は「ヤンブシ」と発音し、本来は特定のピークの名ではなく、周辺一帯の総称であったようです。

  「大井川の小河内川から雨畑川へ越える峠を山伏峠と云い、
  土地の人はこの辺一帯を総称してヤンブシと呼んでいる。」
        (マウンテンガイドブックシリーズ23『安倍川流域の山と谷』 石間信夫著 朋文堂 1959年)

林道開設以前の登山地図を見ると、峠を越える道が破線で表記されていますが、
現在、この旧峠道はどうなっているのでしょうか?
興味はありますが、谷が深く、あまりにワイルドなので歩いてみようとは思いません。
しかし、踏査記録があるならば見てみたいものです。
いざ山伏峠を足で越えるとなると、早朝から夕方までの一日がかりの大仕事になることでしょう。
それに旧道は林道の開削によって、ズタズタボロボロになっている可能性もあります。
もともと地盤が弱く崩壊斜面が多く見られる地域ですから、
利用する人の絶えた道は想像以上に痛みがひどいかもしれません。


「南アルプス南部 井川湖・寸又峡」 日地出版 1988年版 白旗史朗調査執筆

静岡県側の田代、小河内で暮らす人々の祖先は、
山伏峠を越えて山梨県側の雨畑から流入したと考えられているようです。

  「小河内の人は自らの祖先は、南甲州硯嶋村(現南巨摩郡早川町雨畑のあたり)から
  「ヤンブシ(山伏)峠」を越えて、この地に入り定住したと伝える。
  田代、小河内は、北へは閉塞された地と言われるが、南甲斐、南信濃との行き来も頻繁に行われてきた。

  南甲斐の硯島村、都川村(現在の早川町)との交通は厳しい山越えがあるが、
  大別して、二つのルートがある。
  ひとつは、南から「ヤンブシ(山伏)峠」を越える道であり、
  もうひとつは大井川沿いに北上し、中の宿、椹島、二軒小屋といったところから東に連なる山梨県との
  県境の山を越える道である。

  ヤンブシ峠越えは、早川町に出るには、今でも一番一般的な道である。現在は、雨畑林道が通っている。
  小河内の集落から小河内川沿いに上っていき、標高2013メートルの山伏岳の西脇を通り、早川町へ入る。
  雨畑川沿いに、長畑、室草利、稲又、細野、そして雨畑という集落に出る。

  この山伏峠を越える交通には金山が密接な関係をもっている。
  硯嶋村から来た金山労働者が金山の過酷な労苦に耐えかねて、大井川まで逃げて来て、
  河原で砂金を採っていたという類の話はよく耳にする。
  金沢金山においても笹山金山においても金山労働者は、田代、小河内など静岡側からも来たが、
  長畑、雨畑など南甲斐方面からも大勢来た。やはりヤンブシ峠を越えてきた。」
   (静岡県民俗調査報告書第14集『田代・小河内の民俗』 静岡県教育委員会文化課県史編纂室 1991年)

山伏峠を介して甲駿間の往来は頻繁にあり、
この地域に散在している金山で働く労働者も峠を越えていたことを窺い知ることができます。
『峠の村へ』(飯田辰彦著・NTT出版・1994年)という書物の中では、当地の経済を支えた金山経営と
峠を越えた人や物の流れについて詳しく記されています。

  「雨畑川下流から奥沢金山、稲又金山、室草里金山、遠沢金山、広島金山、立野金山、ねじ切り金山
  などが連なり、峰を越えた静岡県側にも梅ヶ島や井川の金山があったという。
  産出の全盛期は十六世紀半ばから十七世紀いっぱいだったとはいえ、早川地方の金山はその後も
  金脈は絶えることなく、山によってはじつに昭和三十年代まで延々と掘りつづけられることになる。
  それが雨畑谷に住む人びとの生活を支えたことは言うまでもない。

  ・・・金山の仕事や、木材の伐採などを通じて、雨畑と向こう側の井川や梅ヶ島は長く交流しあって
  きたのです。・・・雨畑に多い望月という姓は、井川あたりにもずいぶんある・・・
  湯治に出かけるにも、雨畑の人たちは早川上流の西山や奈良田の温泉に行くより、
  実距離の短い静岡県側の梅ヶ島にせっせと通ったという。・・・
  これら人や物の流れには、いつも山伏峠が介在していた。

  ・・・山伏峠が開かれたのは、遠く奈良時代にまで溯るらしい。
  土地の人びとには、峠の双方でやんぶし峠≠ニ呼びならわされてきたという。
  峠の名前からして、その起源は修験と結びついていることを想像させます。
  実際、峠と尾根続きの身延山にしても、今でこそ日蓮宗の祖山となっていますが、
  もともとは真言修験の聖地だった・・・
  山の尾根は修験者が通る道として知られているが、またそこは木地師たちが移動した道でもある。
  雨畑の谷にも、轆轤(ろくろ)沢という地名が今に残る。

  山伏峠は当然、塩の道のルートにもなっていました。雨畑の山の民は鹿の皮にシャキン(砂金)を詰めて、
  それで静岡側から運ばれる塩、茶などと物々交換をしたのです。
  交換は物にとどまらず、国境を越えて人の縁組も盛んに行われた。
  もっともその国境も時代によって北に南に移動したといい、当時の住人たちにしてみれば、
  どこそこの国の人間といった感覚はいたって稀薄だったに違いない。
  文化十一年にまとめられた『甲斐国史』によれば、雨畑という地名がそもそも、
  阿部端(あべはた・安倍の外れ)の転だともいう。

  両地域の交流の深さを示すものに、茶の栽培がある。雨畑は山梨県で最も早く茶の木の育成が
  試みられた土地で、現に今でも谷のあちこちに小規模な茶畑が点在している。
  井川の地から大井川沿いにわずかばかり下れば、そこは静岡茶の本場川根の里であり、
  山伏峠で結べばなるほど、雨畑の地が茶の名産地と直結していることが分かる。
  ・・・静岡のお茶師たちが本村あたりまでやってきて、周辺のお茶を摘みあつめ、
  製茶して持ちかえっていたという。一方で、雨畑の人たちも峠を越えて、頻繁に川根方面へ
  茶摘みの出稼ぎに出かけた。このような深い結びつきゆえに、現実に本村のある家では川根の人を
  婿に迎えいれてもいるそうだ。」

以上のように『峠の村へ』の中では、峠を介した両地域の深い結びつきについて、
実際に土地で暮らす人びとの話を聴取した上で、その詳細が記されています。
ただ野暮用のついでに、車やバイクでさっさと峠を越えてしまう旅行では、峠に関する緻密な調査は
できませんから、このような文献が大いに役立ちます。


ほぼ完全舗装と言ってよい状態の道


峠は静岡県と山梨県の県境

峠の歴史や民俗、地域間の交流など、そんなことにまったく興味の無い友人は、
『早く温泉へ案内しろ!』と少々苛立ち気味です。
峠でモタモタしているわけにはいきません。
日が暮れてしまいますし、なによりも温泉の営業時間に間に合うかが心配です。
ハードな山越え林道を走らされたうえ、大好きな温泉に入れなくなったとなると、
友人の怒りは爆発するに違いありませんから。
『温泉に入れなかったらオマエを山の中に置き去りにしてやる』とも言っています。
しかし、時間はすでに夕方の4時を過ぎていて、山間の温泉の営業時間に間に合うかは微妙です。
峠を静岡県側へと下り、目指すは南アルプス赤石温泉白樺荘です!

『道狭いし、ボロボロじゃないか!』、峠を下り始めて早速友人の口から愚痴がこぼれます。
ああー、確かに完全舗装はされているものの、路面はボロボロで、随所に落石の痕跡が見られます。
人の記憶とは曖昧なもので、こんな悪路だったかなぁ?と素直に謝罪します。
加えて集落に出るまでが結構長い。ますます入浴できるかどうか心配になってきます。

林道開設以前、人の足で峠を越えていた時代、峠と井川方面とを結ぶ道筋は数経路あったようです。

  「ヤンブシ峠へでる道も井川方面からだと四本あった。
  南から挙げると、@上坂本よりション沢を通って笹山金山の北を通り牛首峠に出、尾根沿いに北上し、
  五色ガレを左手に見、小峠を通るとヤンブシ峠に出る道。
  A小河内より大山段を通り、牛首峠へ出て、尾根沿いの道を通り、ヤンブシ峠へ。
  B小河内より金沢金山への道をとり、小草利、小玉沢、大玉沢を経、金沢金山の南を通って
  牛首峠へ出、やはり尾根沿いにヤンブシ峠へ出る。
  Cもう一つが前述の小河内川沿いに上り、直接ヤンブシ峠へ出る道である。
  最後の、直接ヤンブシ峠へ出る道以外は牛首峠を経由し、笹山金山、金沢金山への
  通い道にもなっている道である。」
   (静岡県民俗調査報告書第14集『田代・小河内の民俗』 静岡県教育委員会文化課県史編纂室 1991年)

現在の林道は、小河内川に沿ってはいるものの、かつての峠道の経路を踏襲したものではないようです。
地形図の小河内川右岸につけられている破線道がかつての峠道の谷沿いコースだったのでしょう。
牛首峠、猪ノ段、百畳峠にかけても林道が開設されて、昔と比べると山の様子は大きく変貌しています。
静岡県側も昔の峠道を探索するのは困難かもしれません。


リニューアルされた白樺荘


白樺がわざとらしいが・・・

温泉は滑り込みセーフでした。改装前の白樺荘の温泉利用時間は4時まででしたが、
リニューアルされた白樺荘では6時まで(冬期は5時)となり救われました。
過酷な林道走行を強要された友人の怒りは静まり、
温泉好きの彼は好みのヌルヌルの泉質と大自然に包まれたロケーションの満足感に浸っています。
白樺荘は宿泊もでき、素泊まりなら4000円の低料金設定で南アルプスの基地としての利用価値も高いです。
これからの長い帰路のことを考えると一泊したい気分にもなりますが、食料は無いし金も無い。
ひと風呂浴びたくらいで山伏越えの疲れは癒えませんが、温泉の湯もロケーションにも満足です。

白いガスの世界に包まれた井川湖畔で、神奈川県までの帰宅コースを考えます。
あまりに遠いので途方に暮れてしまいますが、
再度山伏峠を越える気など、もちろん友人には無いし、こちらにもありません。
さて、どうやって帰宅するのが最も早いかと地図を広げて思案します。
最短は、富士見峠、笠張峠を越えて安倍川流域に出るルートだろうと提案しますが、
『峠越えはもうヤダ!』と却下されます。それもそうだ、いくら悪魔でも友人の気持は良く分かります。
それではと、カーナビを起動させてみると、賢いコンピュータは千頭から国道362号線で富士城越えという
至極真っ当なルートを案内します。しかし、友人はこれをも却下します。
『もう山には入りたくない!』という。彼の心にハードな山伏越えがトラウマとして残ってしまったのでしょうか?

友人はカーナビをいじくり、大井川に沿って藤枝に出る道を設定しました。
うっ、これはかなりの遠回り・・・、
今日は友人を苦しめたし、友人が運転するのだから異を唱えることはしませんが、
助手席に座っているだけでも結構ツライ。
ましてETC未登載の車は高速道に乗ることはありません。
帰宅は真夜中だろう・・・彼をそそのかして井川雨畑林道を越えた報いと受け止めるしかない。

静岡山間部の闇は深く、大井川沿いの道は、道幅は確保されているものの延々と続きます。
それでも千頭、川根と友人は疲れを見せず、否、疲れを通り越して、変な元気で車を快走させています。
ああ、もうすぐ国道1号線だと安堵し、オレは疲れたと助手席でうつらうつらしていると、
あと少しで藤枝市街というところで、何を思ったか友人は道を間違え、
伊久美川沿いの谷へと入り込み蔵田越えの細道へと迷い込んでしまいました。
道はどんどん細くなり、ウリボウを5、6頭連れたイノシシ一家が道を横切る山深さとなります。
オイオイ、カーナビを起動していて道を間違えるかい、おかしいと思ったら引き返しはしないのかい?
友人の目がギラギラしています。
彼が悪魔に見えてきた。


井川湖面に漂う霧と上空を漂うガスにサンドイッチされた湖畔の集落