西丹沢の奥深き峠
山神峠・織戸峠・富士見峠
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| 念願の山神峠から椿丸を経由して、織戸峠、富士見峠と巡る西丹沢の奥深き峠を拾う山旅をしてきました。 「山神峠」といっても、有名な玄倉の「山神峠」ではありません。 謎を秘めた浅瀬の「山神峠」です。 以前に同コースを歩こうと、挑戦したのですが、山神様のパワー(?)でカメラが故障したのと、 今回は、ダニ対策では完全武装を施し、リベンジの覚悟で挑みました。 |
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●浅瀬から取り付き点まで● |
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| 三峠の内でも、山神峠と織戸峠は神奈川県内の「〇〇峠」と名前が付く中では最難関の峠であると思います。 (〇〇乗越や〇〇打越、〇〇タルを除いた中では) 「エーッ!そんなことはないだろう!」と異論を述べる方も大勢いるかもしれませんが、 |
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ダニ好き(?)の人にとっても、この三峠はなかなか厄介です。 公共交通機関の便の悪さ、長い林道歩き、地図に載っていない山道、 一部不明瞭な踏跡、皆無の標識、ハンターと猟犬、等々 いくつもの高いハードルをクリアしなければなりません。 せめて、自転車で林道が走れればいいのですが、 当日、ゲート付近には多くのハンターが集結していました。 |
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ついでに、ハンター独自のダニ対策を伺ってみると、 「そんなもんは無いなぁ〜」とのことでした。 ハンター氏曰く、「ダニは一年中居る」し、 「どんな寒い日にも居るべぇ〜」とのことでした。 前回は3月の啓蟄の日に訪れ、ダニの猛襲を受けて撤退したので、 本当はもっともっと寒い厳冬期に訪れたかったのですが、 |
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ゲートの脇をすり抜け、トボトボと林道を歩きます。 吐く息は白く、フードをスッポリ被っていないと耳が痛くなります。 この寒さからして意外にダニは少ないのではとの期待を抱きますが、 取り付き点の「山神悪沢取水口入口」の看板に辿り着いた時には、 朝陽が山上を照らし、気温の上昇は決定的になっていました。 前回の反省から簡単にダニの取り付きを許す軍手の装着はやめて、 前回未使用のロングスパッツは見事に威力を発揮してくれました。 |
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さらに、家庭用殺虫剤「アースジェット」を持参しました。 効果・効能の表示欄に「イエダニの駆除」とありましたので、試しに・・・ 対戦相手のヤマトダニ、フタトゲチマダニあるいはツェルツェマダニに 効果があるかは知りませんが、気休めに。 北海道の山を歩く時に持つ「ヒグマ除けスプレー」のようなもので、 さて、ツルツル素材のアウターに身を固め、 でも、静かな山からして見れば、 本来のダニは静かな山を守る小さな衛兵なのかもしれません。 |
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●謎を秘める山神峠● |
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| 廃屋の裏手から檜の植林地を抜け、取水口巡視路の分岐までは何の問題もありません。 この分岐から真っ直ぐ尾根を辿り、植林地の斜面を登るのですが、その入り口のわずかな笹ヤブで 早くもダニの歓待を受けることになります。 「あぁ〜やっぱり」と落胆しつつも、一匹一匹指で弾き飛ばして先へ進みます。 地図をよく見て尾根を拾って行けば、山神峠には辿り着くことができますが、 |
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再び対面することができた異彩を放つ山神峠の山神様。 前回訪れた時にもあった御神酒の「富久娘」が そのままの姿で残っていました。 あれから9ヶ月、お参りに来た人はいないのでしょうか? 丹沢山中広しといえども、ここの山神様ほど 山中奥深くにしては立派な社の中に、 |
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山中の移動民であった木地師や鉱山師(付近に金坑跡あり)、 あるいは猟師の信仰の対象だったのでしょうか? それとも、幻の漂泊民「サンカ」と関係があったのでしょうか? 祠脇の凹とした峠の窓からは富士を望むことができます。 |
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注目すべきは台座に刻まれた十六花弁の菊の紋章です。 その脇には、唐草模様のような波形模様も見られます。 確かに木地師は菊の紋章を使うことがありますが、 名著『丹沢・桂秋山域の山の神々』(佐藤芝明著)の中では この菊の紋章の謎が謎を呼び、 |
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大正時代には「山神と醍醐様の伝説」を発端にして、 埋蔵された財宝探しが繰り広げられたとも記されています。 読んでいてワクワクするし、著者の私的な山神との不思議体験も おもしろいところです。 山神峠を訪れる際は是非一読されることをお薦めします。 台座には菊の紋章の他に、 山中移動漂泊民の信仰対象物だと思っていましたが、 『足柄の文化12号』(山北町地方史研究会発行)の 甲州側が大棚や土沢付近まで、さらには三国峠から見通して その中に、「昔から山神峠に石祠を勧進し、領主役人の名も 「山神社の儀も、往古勧進いたし候由申す・・・ 結局、国境争いは、甲州側の主張は却下され、 |
西側はザレていて危険ですが、 |
相州側の領域であることを裏付ける数ある証左の中でも、 重要なものの一つであったようです。 もしかしたら、この山神峠の石祠は、 菊の紋章なんか付けちゃうと、さらに威厳が増して、 勿論、推論の域を出ませんが、 |
| <*1> 同著者の『山の神の民俗と信仰』にも山神峠の記述があります。ともに丸ノ内出版。 <*2> ここに記された山神峠が、今回訪れた山神峠のことか100%自信はありませんが…。 |
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●椿丸を経て織戸峠へ● |
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| 謎の多い山神峠を後にして、椿丸へ向けて北に続く尾根を辿ります。 とりあえず次の尾根に出るまでが一直線の急な登り道で汗が噴き出します。 幸いなことに、ダニの取り付きが少ないことに救われます。 |
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登り切った小ピークには、なぜかUHFのアンテナがあり、 ここを直角に東に向けて折れて進みます。 足下には境界見出標61があり、椿丸まで続きます。 途中で番号は消えてしまいますが120ぐらいまであったかな。 しばらくはアップダウンの少ない、快適な道ですが、 |
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椿丸手前の大栂分岐から椿丸は目と鼻の先。 景色が良いのは大栂分岐なので、こちらで小休止。 立ったままで99円ショップで買ってきたパンを食べます。 |
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椿丸山頂は極めて平凡。 山頂手前からの眺望は極めて非凡。 「椿丸」とはいうものの椿は咲いていない。 外れかけた山名プレートに「SHC」の文字があった。 |
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椿丸からさらに尾根を進み、838m峰、795m峰、780m峰と つなぎ浅瀬に戻ることもできるらしいが、 食指が動くことは無かった。 大栂分岐から織戸峠の間は、 歩きはじめの伐木跡地のススキ原は、 ススキの穂がまとわり付くのを嫌ったが為に、 |
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左写真のダニは小形サイズです。 写真に写らない超極小サイズがいるので要注意です。 大袈裟ではありませんが、毛穴に入り込みそうなぐらいミニな奴です。 大形サイズは腹の模様が不気味だし、動きが速いので、 ちなみに擦っただけでは、別の場所に移動するだけなので、 明るい色のズボンを履き、発見を容易にする必要があります。 |
| なにせダニはツルツルしたガラス面にもくっ付くことができる高い運動能力を持っていますから侮ってはなりません。 単独行の場合は手鏡を持参して、顔への取り付きチェックが必要です。 同行者がいる場合は、同行者を自分より先に歩かせるなどの工夫(謀略?)が必要かもしれません。 ダニが何に反応して人間に取り付くか疑問だったので、いろいろ調べてみると、 下山後は、衣服を払い落とし、入浴し、着替えをすることが大事です。 ヤマヒルも不気味ですが、ダニはなんて恐ろしい奴なんでしょう! 一匹のメスのマダニは3000〜4000の卵を産むそうです。 |
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大栂分岐からススキ混じりの笹ヤブを抜けると、 鹿柵(鹿ネット)のあるピークへ。 ピーク手前で早くから左手の踏跡に逃れてしまうと、 途中でコースミスに気付いて軌道修正したのですが、 さすがにここでは「ヒェー!なんじゃこりゃ!」と |
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古い雑誌『山と渓谷98号』に「世附川流域の峠」という記事があり、 織戸峠については次のようなコメントがありました。 「付近の峠中、最も旅情豊かなところと云えよう。 追憶に耽る余裕など無く、ダニのことしか頭には無かった。 |
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●織戸峠から富士見峠へ● |
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| 織戸峠の表記は降戸峠・折戸峠・オット峠・オリド峠と様々です。 「オリト」とは地形語で「坂をオリタトコロ」の意味であるといいます。 道志村から菰釣山を経て大栂からの坂を「オリタトコロ」の意味であったと思われます。 地蔵平から、あるいは水ノ木から、道志村とを結ぶ山越えの道として往時は人の行き来が頻繁にあった 重要路だったと考えられています。 |
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織戸峠からは大栂を経由することなく、 直接に富士見峠へ向うことにしました。 かつては「地蔵平〜富士見峠〜織戸峠〜馬印〜切通峠〜山中湖」を 開設当初の「東海自然歩道」もこのコースを採用していました。 |
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出だしの数十メートルは、ほぼ水平な快適歩道だったので、 「なんだ、意外に良い道が残っているじゃないか」と思いましたが、 すぐに最初の沢筋の崩壊地が出現し、 そんな甘い思いも一瞬で消え去りました。 対岸に道が続いているのが確認できたので、 しかし、道筋はハッキリしているので進行方向を見失うことはなく、 |
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法行沢出合は、テントが何張りか張れそうな小広い場所で、 キャンプサイトとしては、なかなか快適な場所であり、 沢から一段、二段と高くなった台地状を呈しています。 昔、木地師が小屋掛けでもしていた場所なのかもしれません。 法行沢には昔、行者が草庵を建て住みついていたというから、 テープのマーキングが、そこらじゅうにあるのですが、 |
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結局、古道の痕跡を見失い、止むを得ず法行沢を溯ることに。 溯行途中に、赤い錆色の水が湧き出る不思議な場所がありました。 何か鉱物を含んでいるようです。 銅だろうか?それとも金鉱床だろうか? (よくよく考えれば、すぐに対岸へ渡渉して、下流を探るという手もあった。 途中支流を二本左に見送り、右へ右へと進み803m峰の北側に |
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林道に出た所で、ホッとして大休止。 ダニの心配がない林道は、なんて素晴らしいのだろうと涙する。 さっきまで悪戦苦闘していた椿丸〜織戸峠間を遥か向うに眺めて、 他のHPで確認した時、立っていた峠の道標は、 |
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地蔵平への古道は、一見すると歩けそうに思えるのですが、 事前情報では崩壊しているとのこと。 先述した『山と渓谷98号』の「世附川流域の峠」という記事の 「郵便配達夫も毎日通っている位であるから この先どうするか迷いましたが、ダニのいない林道歩きの |
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●地蔵平・大又へ● |
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| 長い林道歩きは辛いですが、未知の道を歩くのは実に楽しい。 丹沢の奥深さをあらためて知ることができました。 しかし、林道は人を安易に山懐に導く道でもあります。 善からぬ事をする輩も往々にして招き入れることになります。 |
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| 一般車両通行止の林道に 誰が捨てたのだろうか? 林道建設工事会社? それとも森林組合か? |
林道上に無造作に落ちていた猟銃の薬莢。 踏んづけて暴発したりしないのだろうか? ハンターのマナーが問われる。 鉛汚染の問題は対処されているのだろうか? |
興醒めするネーミングの森だ。 なんてね、ただ咽喉が渇いていて、 恨めしい名前に思えただけです。 沢の水がビールだったらと・・・・ |
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長い林道を歩いて辿り着いた地蔵平。 大又沢流域の戸数は一時は200戸を越えていたというが、 現在は寂寥としている。 富山県や、隣接する山梨県、静岡県から多くの出稼ぎ者が入り、 かつて人煙が昇っていたという地も、 |
震災後の山津波で亡くなった |
地蔵平のお地蔵様は、もとから現在の位置にあったわけではなく、 セギノ沢(マルサンダイラ)に祀られていた。 昔、ある人の夢枕に立ちセギノ沢に寝ている石が地蔵なので、 掘り起こして祀ってくれといわれたという。 地蔵は子育て地蔵で、祀った以後はお産で亡くなる人は 山に囲繞された地であり、医者もなく、 急患の時は駿河小山から峠を越えて医者が上がってきた 大島亮吉氏の「十文字峠」の情景を髣髴とさせる。 |
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昭和9年(1934)に浅瀬から地蔵平まで、 延長7234mの森林軌道が敷かれ、 林道開設工事が始まる昭和35年(1960)に廃止されるまで、 木炭、木材、生活物資などの搬出入に活躍していた。 その名残であろう森林軌道のレールが林道のゲートとして |
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誰も住む人の居なくなった大又沢沿いに 今もひっそりと山神社が祀られています。 大山津見命を祀るとされ、 大又、法行、水ノ木には山の神があり、 祭日には小山町生土から神主がお祓いに来ていたといいます。 |
●山々に囲繞された集落〜行商人が越えた峠〜● |
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| 山々に囲繞された地蔵平の暮らしは過酷であったが、 明治時代末から行われた発電所取水口工事の経緯から大又沢には早くから電気が引かれていたことや、 行商も頻繁に回って来たことで生活は十分に維持することができたといいます。 山峡集落の暮らしを支え、生活に潤いを与えた行商人は、 小山からは世附峠や峰坂峠を越えて、魚屋がやって来ました。 平野(山中湖村)からは三国峠、明神峠を越えてフナ(鮒)を売りに来ました。 道志村からは城ヶ尾峠を越えて、機械を背負ったスットン屋という菓子屋が来ました。 山北からは月に一度、衣料品を売りに金子屋がやって来ました。 山の神や、お地蔵さんのお祭りの日には、二本杉峠を越えて中川の大仏地区の人が、 大正12年(1923)に開校した三保小学校の分校の在籍児童は、最も多い時で40名ほどいたといいます。 一見すると外部から隔絶された地に見える地蔵平・大又の集落ですが、 |
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| <*1> 『山北町史』 より <*2> 『山の神の民俗と信仰』(佐藤芝明著)には、大又沢の山の神の氏子一族は木地師集団であるとしている。 |
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●日没、そして山旅の終わり● |
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| 林道を法行橋付近に来た所で、辺りは闇に包まれました。 冬のこの時季は日が暮れるのが早いです。 (大栂・大ダルミまで足をのばしていたら遭難していたかも) しかし、ダニの被害を最小限に抑えるためには、この季節の峠行しか考えられません。 暗い夜道の一人歩き。ヘッドランプの頼りない光では、林道を歩いているとはいえ心細いです。 昔の旅人や行商人は、暗い夜道や、まだ星の残る明け方からも、 浅瀬橋に近づくと、猟犬が戻ってこないのか、それとも仕留めた獲物の搬出に手古摺っているのか、 |
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沢山のアベックたちがイチャイチャと戯れたであろうクリスマスの翌日に、 西丹沢の奥深くで無数のダニたちと戯れてきました。 ひとけの無い静まり返った丹沢湖畔のクリスマスイルミネーションが 先程まで山中にいて狼や物の怪の幻影にブルブルとしていたのに、 あのダニたちとの戦いでさえ懐かしく思えます。 西丹沢の奥深き峠は、地理的に奥深いだけではなく、 多くのダニが棲息しているということは、 都会で人の流れを掻き分けて進むより、 |
| <*1> 「測量技師惨殺と愛犬の話」・・・電源開発で懐が豊かになった測量技師が法行沢で暴漢に襲われ殺害される。 その遺体は法行沢から中川本流、酒匂川と流れ小田原の河口に流れ着いた。 その傍らに、川岸から流れを追って河口まで走りつづけた飼い犬が寄り添っていた。 <*2> 「送り狼」・・・玄倉に残る話。 奥山に行くと家まで狼が送ってくれた。 ただし、途中で振り向くと食べられてしまう。 |
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| ●峠名プレート● | ||
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| 美観を損ねる!余計なお世話!と思いつつも、 今回それぞれの峠に即席の峠名プレートを取り付けてきました。 これらの峠が、このまま人々から忘れ去られるのがあまりにも惜しいので設置してきました。 目障りだと思われる方は、お手数ですが撤去して下さい。 |
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| ●ダニ決算● 山神峠までは何匹付着するかを数えていましたが、あまりの多さに辟易してしまい、 浅瀬・・・山神峠・・・境界見出標61峰・・・椿丸・・・織戸峠・・・法行沢・・・林道・・・富士見峠・・・地蔵平 |
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| ●炭酸カルシウム温泉さくらの湯● ダニを自宅に持ち帰らないためにも下山後の入浴をお薦めします。 いわゆる老人センターのような雰囲気はありません。 新しくきれいで立派な観光温泉のイメージです。 利用料金・・・400円!(2時間まで) |
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| ●参考HP・参考文献● 今回、念願の難関峠行をするにあたり、少ない現地情報の中から |
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| ●参考になるHP・文献 HP『丹沢写真館』様の「大栂(椿丸・富士見峠)登山記録」 『続・丹沢夜話』 「丹沢の西の果て」 ハンス・シュトルテ著 有隣堂 |
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| ◆後記◆ * s-okさんの「西丹沢の峠を巡る」では、 * 『日本山岳案内』(鉄道省山岳部編)に「山神峠」の記述がありました。 * 『丹沢の谷歩き』(坂本光雄著・体育評論社)に「富士見峠からオリト沢」という項目があり、 * s-okさんも愛用されている『山渓アルパインガイド丹沢・道志山塊・三ッ峠』(羽賀正太郎著・1975年版) * 『丹沢だより』 No.415 2005.1.20 に「富士見峠-織戸峠」調査報告書があります。 * 『丹沢だより』 No.420 2005.6.20 に「富士見峠越え・三国山稜」という報告文があります。 * 『現代に活きる山の神伝承』(佐藤芝明著・丸ノ内出版)の * 山北の萩原地区の身代わり地蔵尊に、やはり16菊花紋が刻まれていると知り、
* 『山と渓谷 64号』の「丹沢・菰釣山附近」(清水長輝)の中で、 「一坪ばかりのトタン屋根の祠があり前に木の鳥居が二基立っている。 * 『山と渓谷 33号』の「水ノ木澤から菰釣シ山」(加藤秀夫)の中で、 「山神沢の源頭、山神峠には菊花紋章附古碑があることで有名で、・・・・古く甲相国境をここに置かれたと云われ * 『丹沢とその山麓-伝説と民話を訪ねて-』(斉藤馨・蒼海出版)の「沈んだ村世附」の中で、 「悪沢という処には菊の紋章入りの墓があり御陵とされていた頃もあったが、これも、この地方は木地屋が多く入り込んだ また、同文にはサンカに関する記述もあり興味を引く。 * 広報誌『やまきた』昭和47年7月1日号に「西丹沢と吉野朝」のコラムがあり山神峠の菊紋章に触れている。 同広報誌には「大道神峠」(昭和36.3.15)、「西丹沢の鉱山」(昭和48.3.1)、「西丹沢の人たちの起源を尋ねて」(昭和48.11.1) * 『昭和12年3月記 吉野と足柄』(和田久治著・自費出版・昭和14年)は興味ある一冊である。 * 地蔵平、大又沢のかつての暮らしの様子や謎の菊花紋の山神祠については |
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| ●続・西丹沢の奥深き峠(二本杉峠・富士見峠・織戸峠)はこちらをクリック | ||