忍野三山の峠

鳥居地峠(鳥打峠)・オオザス峠・立ノ塚峠(内野峠)・二十曲峠

 山中湖の北、忍野八海で有名な忍野村に高座山、杓子山、鹿留山がある。
小粒ながら麓から眺めると、刈払われたカヤトと岩混じりの山容は、なかなか格好良く絵になる構えだ。
この三山を勝手に「忍野三山」と呼ぶことにした。
「忍野三山」を縦走しながら忍野村を取り囲む峠道を尋ねてみた。

今回は、立ノ塚峠入口に車を停めて、積んできた自転車(パパチャリ)で鳥居地峠へ向かった。
三山縦走後に立ノ塚峠を下り、車にてパパチャリを回収した後、二十曲峠を訪れた。
時間に余裕があれば二十曲峠に車を停めて周遊したほうが良いかと思うが、
なにせ、お昼過ぎからのお気軽峠行なのでいたしかたない。


鳥居地峠の名を記した標柱


高座山から鳥居地峠を望む

ギア無しのパパチャリで鳥居地峠へ向かう舗装された林道を頑張って立ち漕ぎで登り、
縦走前に早くも体力を無駄に消費してしまった。
鳥居地峠の下は現在トンネル工事中で、
完成すれば、この峠も忘れられる運命にあるのかもしれない。
今でも交通量は少なく、忘れられ気味ではあるが。

富士山を遥拝するための「鳥居」が建っていたので「鳥居地峠」になったとの説もあるが、
『甲斐国誌』には「鳥打峠」と記されているので、鳥を撃つ猟場だったのかもしれない。
登山地図には峠を越える道に「旧鎌倉往還」と記されている。
往時は富士講の人々も峠を越えたことだろうから、やはり鳥居説は捨て難い。

峠から東に伸びる林道を進み、カーブの先で尾根に取り付く。
左手はカラマツ、カエデ、ナラの林に下草の緑が美しく、樹間からは三ッ峠が望める。
右手は雪が降ればスキー場のようなカヤトの原にアザミが咲いている。
カヤト原には柏の木が点在し良いアクセントになっている。
まだ残る草いきれでムットする。
空には音もなくハングライダーが舞う。

高座山の登りは40度近くの急勾配でザレていて、滑ってなかなか前へ進まない。
水の流れで削り掘られた細い溝を歩くしかない。

山頂には朽ちたプレートと四等三角点、そして熊出没注意の看板。
富士山は雲に隠れて見えない。相当の照れ屋さんらしい。
熊も山頂に腰掛け富士を眺めるのだろうか?


オオザス峠か


杓子山山頂

北にのびる雑木の山道を進み、送電線を越えるとオオザス峠。
「大権首峠」と表記したガイドブックもあるが「権」の字は誤り、パソコンでは表記できない文字である。
「ザス・サス」は焼畑を表す地形語で、一般には「指・差」の字を用いるが、
ここの峠の「ザス」という字は極めて難解だ。

ここで林道が合流するが、乗っ越す道も、峠名の書かれた標識も無く、
どこが正確な峠なのか判然としない。「山梨百名山杓子山登山口」の標柱があるのみ。
峠付近にはパラグライダーの発着台があり数機が待機中である。
林道はこれら大空マニアのために造られたものなのか?

峠から雑木林の中の大きなジグザグで高度を稼ぎ杓子山に至る。
道端には数種の山野草が咲くが、名を知らぬのが残念。
花が多いためなのかアブやブヨが半ズボンの足にまとわりつく。

「杓子」というから木地師と関係のある山かと思ったらそうではなく、
「シャクシ」とは「ザレ」のことで「岩石がゴロゴロした場所」を表すという。
たしかに西側の山頂直下は崩壊が激しく砂防堰堤が多くみられる。
先の林道は堰堤工事のために造られた林道なのかもしれない。

三等三角点のある杓子山頂からの展望はすこぶる良好。
三ッ峠や黒岳、十二ヶ岳の御坂山塊の眺望が素晴らしい。
石割山から大平山、大出山の稜線もはっきりとみとめられる。
そのむこうに山中湖の湖面の輝きも望めるが、富士が相変わらず雲に覆われているのが残念。


山頂の鐘


鹿留山の大木

足もとに咲いている野菊(?)が美しい。
石造りと木造の祠があるので手を合わせるが、場違いな雰囲気を醸す山頂の鐘が気にかかる。
恋人岬にありそうな鐘で、何でこんなものがここにと思いつつも、
他に誰も居ないことをいいことに打ち鳴らしてみた。
ロマンチックな音色を奏でるでもなく、無機的な金属の打音でしかなかった。

ベンチに腰掛けコンビニで仕入れた串団子を頬張っていたが、突如雲行きが怪しくなってきた。
先程まで首筋に照りつけていた夏の陽射しは消えてしまった。
休憩もそこそこに雑木林の尾根道を東進する。
林床にはトリカブトの群落が所々に見られ、深い青色が目を刺激する。
夫婦仲の悪い人やイヤな上司がいる人は、
猛毒トリカブトの根の採掘に訪れてみてはどうだろうか。

ちょっと主稜を外れた鹿留山に立ち寄る。
展望こそないが、山名プレートの付けられたミズナラの大木やブナの巨木に取り囲まれて
「寂」とした感じがたまらない。
少し縦走路から外れるだけで寂峰となってしまっている。
ここにはベンチはなく、場違いな鐘もない。

再び縦走路に戻り、立ノ塚峠(内野峠)めがけて急下降がはじまる。
岩混じりで歩きにくいが、それよりも所々草が道を埋めており、
いまにもヘビが出てきそうで半ズボンでは泣けてくる。
あまり夏向きのコースではないようである。


立ノ塚峠 (内野峠)


二十曲峠の水神

立ノ塚峠は峠らしい峠!
木の根元に寛政の銘のある石仏が静かに佇んでいる。
この付近は昭和30年代まで炭焼きが盛んに行われていたという。
炭俵を積んだ駄馬の行き来を石仏は長らく見守ってきたことだろう。

内野側に向けて深い轍のある峠道を下る。
車に辿り着いてドアを開けたところで雨が降り出してきた。
鳥居地峠にデポした濡れたパパチャリを回収して、
完全ダート時代にバイクで何度か越えたことのある二十曲峠に向かった。

幾度かのカーブを繰り返し峠に辿り着く。
曲がりの数を正確に数えてはいないが「二十」とはなかなかいいセンだと思う。
峠には富士写真マニアが陣取っており、高級カメラを載せた三脚が林立していた。
峠に祀られた水神様と山神様もこの賑わいにびっくりしていることだろう。

峠の案内板には、
「正徳3年(1713)に時の奉行江川太郎左衛門の入会許可状により鹿留山に入会が認められて以来、
内野区民にとっては薪炭はもとより、建築材・家具材・芝草等の貴重な入手先になった」とある。
また、「入会と同時に、小さな山の神(大山祇の命)が祀られ、峠を越える度に一日の安全を祈願し、
夕方は明日への無事を祈って一日の労苦を憩う峠であった」とも書かれていた。

「一日の労苦を憩う峠」という表現が素敵だと思った。
村の人々の生活の中に峠が生きていた時代のことである。
目に見えぬ神々を峠に祀り、拠り所としていたのであろう。
峠からは晴れていれば富士の姿も大きく望まれる。
自然の前では人間はいかに小さいことか・・・


忍野村の水田と案山子の家族

忍野村の水田は収獲の時期を迎えつつあり、案山子の家族も総出でその役目を担っている。
村祭りの準備だろうか、村のそこかしこに大きな幟が立っている。
自然の恵みを神々に感謝する季節が近いようだ。
富士の湧水で作られたお米はきっとおいしいことだろう。

【参考文献】:『甲斐の山々』小林経雄著・新ハイキング社

● 村のセブンイレブンの前に臨済宗医王山承天禅寺があります。享和年間の鐘楼が見事でした。
  袴腰付きの重層母屋造りで、精巧な技法が随所に施されています。

● 後日、立ノ塚峠から二十曲峠の間の尾根を歩き、とりこぼしていた峠を拾いました。
  また、平山往還と呼ばれた平山峠も訪れました。 → 
その時のレポを見る。