願掛けの峠行

道坂天神峠・蟹沢天神峠・玉川天神峠・戸沢天神峠・尾曽後天神峠

 某国家資格試験の受験勉強をしていた為に、久し振りの峠行となりました。
試験が終わり自己採点をしたところ、どうもダメそうなので合格祈願に峠の天神社へお参りに行きました。
最後はやっぱり神頼みというわけです。
でも実際は、試験勉強から解放されて、ただ山の中を歩きたかっただけという話もあったりして・・・

以前も書きましたが山梨県郡内地方は天神峠の宝庫です。
かつて上野原町の田野入峠を訪れた時に、峠の天神社に高校入試の合格祈願の絵馬が
奉納されていたことを思い出して、天神様の御利益に与ろうといくつかの天神峠を訪れてみました。

道坂峠の天神社参り

道坂峠は山梨県都留市(旧谷村)と道志村を結ぶ峠です。
この峠道は「谷村道」と呼ばれ、道志村から谷村へ炭を売りに行く人々のことは
「谷村人」(ヤムラード、ヤムロード)と呼ばれていました。
「道坂峠」は、本来は「道志坂」と称され、それに峠を冠して「道志坂峠」となり、
そしてそれが「道坂峠」と省略されるようになったといいます。
明治末には民俗学者の柳田國男も馬の背に揺られ峠を越えています。

「道志」の村名の起こりは、
その立地条件から沢筋に行路を求めた「沢通し(さわどおし)」によるという説や、
村に入る四つの道があることから「道四(どうし)」になったという説があります。
四つの道とは、「道志川の下流の道」、「上流の道(山伏峠)」、「丹沢山塊を越える道(城ヶ尾峠)」、
そして今回訪れた「道志山塊を越える道(道坂峠)」です。
道志山塊を越える道として、都留に出るには道坂峠を、上野原に出るには巌道峠が使われました。

峠に囲まれた山峡の村の生活は厳しかったようで、
「豆腐を買いに舟で三里下る」とか、「酒屋へ三里、豆腐屋へ五里」と、他村からは揶揄されていました。
そんな村にあって道坂峠は村の生命線となっていたのです。
生活物資や現金収入を得るにも、郵便を受け取るにも、病気の際にも、
行政上の各種手続きにも(谷村に管轄する官公署があった)この峠が重要な役目を果たしていました。
雪が積もれば、役場から各集落へ雪踏みの要請も出されたそうです。

かつて、道志村の婦人たちは朝早くより馬の背に炭俵をつけて峠を越えて、谷村で現金に換え、
その売上で生活物資を買い求めて帰路に着くという重労働を強いられていました。
「わたしゃ いやだよ 道坂越えは 嫁が木を切る 草を刈る」と言われ、
他村から道志村への嫁入りは敬遠されていたそうです。
村内でも「嫁に行くなら一寸でもシモ(下流)に行け」といわれ、
暮し向きの良い地への憧れがあったといいます。
男衆のほうは、婚姻相手を探してか峠を越えて菅野まで夜這いに行った人もいたといいます。


道坂峠の天神社


多くの絵馬が奉納されています

以前は峠の頂上に天神社が祀られていました。
オヒマチの行事の際には、村の子供達が年長の子の家に集い、色紙を繋げて旗をつくり、
「奉納天満天神宮御宝前」とか、「おさめたてまつる天満天神」と書いた紙を
峠にあった天神社まで納めに行ったそうです。
このように書くと勉強ができるようになったり、字が上手くなったりしたといいます。
また、飾り付けをした馬に乗って峠の道を飛ばし、若衆が競馬の真似をしたといいます。

今はその天神社も新道のトンネル脇にまで降ろされています。
その前を馬ではなく、爆音を撒き散らしライダーが駆け抜けていきますが、
喜ばしいことに信仰の方は絶えることなく存続されているようです。
天神社の傍らには沢山の絵馬が奉納され、
「〇〇高校合格!」、「勉強ができますように」といった願掛けがされていました。
なかには「ケーキ屋さんになれますように!」という微笑ましい願い事もありました。

ここの天神様は大忙しです。自分の願いを叶えてもらうには競争率が高そうなので、
念のために別の天神様も訪れることにしました。


本来の道坂峠はササに埋まる

折角だから本来の道坂峠を求めて、道志側から都留側へ越えてみました。
新トンネルの入口脇のゲートをすり抜け旧トンネルへ。
朝鮮人夫を動員して造られたという旧トンネルはコンクリートで封鎖されていました。
御正体山入口の標識に従い山道に入りますが、だいぶ西に流されてしまいます。
それでも急登のジグザグを登りつめて、東側のヤブ気味の道に進路を取れば鞍部に辿り着きます。
(西方に良い道が続いていますがこれは善之木から峠へ通じていた旧道と思われます)

登山標識を過ぎた所に旧峠と思しき凹状地形がありました。都留側はササに埋まっています。
さらに東に進めば今倉山の分岐で、ここから都留側のトンネル口に降りる道があります。
所々交差する幅広の道は旧峠道と思われます。

昔、峠には「し」の字のように曲がった杉の神木があり、「しの字の杉」と呼ばれていたそうです。
峠を行き来する人々は、この神木に馬を繋いで休息したといいます。
今はそのような神木も見当たらず、ズボンにササからダニが取り付かないかと気にするばかりです。

【参考文献】
『道志の民俗』山梨県民俗調査報告書第6集 ・ 『道志七里』(伊藤堅吉・村史編纂委員会)

● 後日、道坂峠を再訪した時のレポートを見る


蟹沢天神峠・玉川天神峠・戸沢天神峠 へ


蟹沢峠(天神峠)


天神峠(下) 玉川〜与縄

道坂峠を下り、谷村に向かう途中にある大津という集落から、
その北側の引野田を結んだ峠が蟹沢峠です。
『山梨の峠』(小林栄二著)で紹介されていました。(P187)

ここは個人でお祀りしている天神社のようです。
入口の民家のおばさんに「イノシシに気をつけてなっ」と言われ、おそるおそる進入しました。
民家の裏山といった感じで、植林地の中に天神様が祀られていました。
峠の反対側にはゴルフ場が造成され、峠道も深いヤブに埋没しています。

次に玉川天神峠と戸沢天神峠を訪れます。
この両天神峠はそれぞれ下天神、上天神と地元で呼ばれていると、
『山梨の峠』(P184.P185)では紹介されています。

ともに舗装された道が越えています。
ことに、戸沢天神峠は道幅も広く交通量もあります。
ゴルフ客や「月待ちの湯」への観光客の車でしょうか。
交通量が多い峠に不法投棄が多いのは、ここでも例外ではないようで、
擁壁の下にゴミが散乱しているのが残念です。
近くは九鬼山からの山並、遠くは南大菩薩連嶺の山並みが望める素晴らしい展望地なのに。


天神峠(上) 戸沢〜朝日馬場


天神峠(上)の天神社

玉川天神峠は農道を舗装したような細い道で交通量はありません。
天神社も見当たりません。里へ降りてしまったのでしょうか。
(かつては、峠の西側の山上にあったそうですが)

戸沢天神峠には戸沢集落で祀る天神社が堀切の上にありました。
その脇には戸沢からの旧峠道も残されていました。
朝日馬場側に下る旧道は姿を消してしまったようです。
ただ朝日馬場に下る途中に「うどん天神」という店があるのみです。

『甲斐の山山』(小林経雄著・新ハイキング社)にも、
もちろんこの両天神峠については記されています。(P47)
そして、「天神峠とは外部からの悪霊の侵入を防ぐ天神を祭った峠であって、
菅原道真こと天満天神を祭ったものではない」と書かれています。

そうすると、天神様に祈願しても試験合格の御利益はないのでしょうか?
ウーン、困ったものだと思いつつも、今回最後の峠、尾曽後天神峠へ向かいました。


尾曽後峠 へ


尾曽後峠(ヲソコ峠・天神峠・オソゴ坂)


峠はカワイイ切り通し状

尾曽後峠もやはり天神社を祀る天神峠です。
大月市花咲と都留市小形山の間にあり、中央道富士吉田線花咲トンネルの上に位置しています。

田野倉側トンネル上の墓場から峠へと続く山道がのびていました。
倒木が道を塞いだりして、やや荒れ気味ですが道形ははっきりしています。
ただ、この時季は上半身は女郎蜘蛛の巣が、下半身には雑草の種がまつわりつく辟易する道です。

でも、峠自体は味のある素敵な切り通しで、一級の峠です!
峠の雰囲気もバッチリです。(是非次回は反対側から登ってみたい)
切り通しの両側の高みには、西側に天神様が祀られ、東側にはお内裏様が祀られています。
お内裏様とは、どうやら風神様のことらしいです。
また、馬頭観音も二基祀られており、古くは往来が盛んであったことを窺わせます。
今は訪れる人も稀なようで、マツクイムシにやられたのか、倒木が頭上を塞いでいます。


峠の天神様


峠のお内裏様(風神様)

この峠道も鎌倉街道の一つで、甲州街道筋の花咲から峠を越えて小形山、横吹、羽根子を通り、
金井から平栗、加畑、そして夏狩へ出て籠坂峠へ続いていたといいます。
都留市中津森の館に居た小山田氏が岩殿砦経営のためにこの峠を越えて行き来したそうです。<*1>

甲州街道筋と谷村を結ぶ近道であるこの峠は多くの庶民に利用されました。
大月市真木の人々が織った甲斐絹を谷村の市へ出すためにも、
真木の山に入会地を持つ小形山地域の農民達が草刈や薪切りに通うためにも、
この峠は欠かせない道であったといいます。

また、真木村から谷村に嫁いで行く花嫁もこの峠を越えたといいます。
真木では峠の坂を「ざとうころばし」と呼んだそうです。 <*2>

地形図を見ると、この尾曽後峠からさらに東の方(大月駅方向)にも
尾根を横断している破線が描かれています、ちょっと気になる山越えの道です。
都留市にはまだ加畑天神峠や夏狩天神峠、川棚天神坂などがあり、これらも気になる存在です。


峠の馬頭観音

今回は、一日で五ヶ所の天神峠を巡ってきました。
何か御利益があるでしょうか?
願い事は叶えられるかな?でも、こんなにいくつもの天神様に浮気して願を掛けたら、
頼まれる方は嫌な気持ちになったかもしれませんね。
それに試験の合格祈願って、やっぱり受験する前にすべきだったのかしらん。
【参考文献】

<*1> 『甲斐路・ふるさとの道』 山梨日日新聞社
<*2> 『あしなか第245号』 「山に祀られた天神」 杉崎満寿夫著

● オソゴ峠の「オソゴ」とはどういう意味でしょうか?
  地名語辞典によると「オソ」とは「(傾斜の)緩やかな状態」、「なだらかな様子」を表わすそうです。
  また、「(段丘や山が)重々とかさなった状態」や「崩壊地」を表わす場合もあるようです。

● 『ふるさと小形山』(井上敏雄著・ぎょうせい)という本に尾曽後峠に関する記述がありました。

  「真木、花咲等は江戸時代から織物が盛んで大正期頃までは、
  その市(イチ)は谷村でしか開かれていなかったので、皆この道を通って織物を出荷し、日用品等を買って帰った。
  小形山からは真木の奥まで馬を引いて、薪、萩等の林産物を取りに行ったので人馬の往来が多かった。
  明治20年川茂橋が完成したので道筋は少し変わったが、尾曽後峠は昭和35年頃までは生活道としてよく利用された」
  とあります。

  また、峠のお内裏様については、
  「昭和初期まで樹齢300年の松があった。
  お内裏様は風の神として崇められ、大風の時にはお茶をあげて静まるように祈った。
  旧暦8月1日に小豆飯を握った「おみょうく」を持ってお参りしたが今は行く人もいない」とあります。

  峠の天神様については、
  「菅原道真を祀る学問の神様で、正月の25日馬のある家では裸馬の尻尾に絵馬を結び付けて、
  馬に乗って参詣した」とあります。

【後記】

● 後日無事に某国家試験に合格することが出来ました。
  これも偏に天神様のおかげだと思います。 そこで
「御礼参りの峠行」を実行いたしました。

● 後日、尾曽後峠を訪れた時のレポートを見る。