哲学の道![]()
どこぞに「哲学の小道」なんていうのがある。
歩きながら物事を考えるとよいヒラメキがあるともいう。
思索に耽りながら山道、峠路は果たして歩けるものだろうか。
人間とは何か、人生とは何ぞや
いかにして生きるべきか、何のために生きていくか、
この種の高尚なことを考えながら、
普段、山道、峠路を歩いているものか。
*
振り返ってみると
何を考えて歩いていたか
なかなか思い出すことができない。
ひょっとして何も考えていなかったのかもしれない。
せっかちな性分だから、
泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロのように、
歩き出したらなかなか立ち止まることはしない。
立ち止まって物思いに耽るなどということはしないだろうし、
なによりも歩くことに忙しいのだ。
歩くことに専念し、
余計な思考は停止しているのかも知れぬ。
否、歩いているときにも
それなりに頭は活動していると思う。
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しかし、それは高尚な問題を解決する為ではないようだ。
暑いときには、冷えたビールのことやスイカのこと、ビキニ姿のお姉さんを、
寒いときには、おでんや鍋、下山後の温泉のことを、
真面目に(?)考えている。
歩いている道がヤブ道なら
全神経を集中して道を見誤らないようにしている。
そんな中で、哲学するのはどだい無理であり、無用であり、無謀でもある。
マムシやダニやヤマヒルとの遭遇、
トゲトゲ植物や危険なガレ場から安全な場所への回避、
現在地の把握と時間配分、天候の変化、踏み跡の選択、等々、
その時々に考えること、やることはいっぱいあり、
思考を哲学のために振り分けてやる間は無いのである。
とくに、わが頭脳のようにCPUの性能が劣るものでは尚更無理である。
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『思索の山旅』『思索の峠路』なんて本があったら
俄かには信じ難い。
山道、峠道で哲学することは無いけれど、
なにやらがHDDに刻まれる。
後日、それが人生を考えるにつき、
無意識の内にも開かれることがあるのかもしれない。