哲学の道

 

どこぞに「哲学の小道」なんていうのがある。
歩きながら物事を考えるとよいヒラメキがあるともいう。

思索に耽りながら山道、峠路は果たして歩けるものだろうか。

人間とは何か、人生とは何ぞや
いかにして生きるべきか、何のために生きていくか、

この種の高尚なことを考えながら、
普段、山道、峠路を歩いているものか。

振り返ってみると
何を考えて歩いていたか
なかなか思い出すことができない。

ひょっとして何も考えていなかったのかもしれない。

せっかちな性分だから、
泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロのように、
歩き出したらなかなか立ち止まることはしない。

立ち止まって物思いに耽るなどということはしないだろうし、
なによりも歩くことに忙しいのだ。

歩くことに専念し、
余計な思考は停止しているのかも知れぬ。

否、歩いているときにも
それなりに頭は活動していると思う。

しかし、それは高尚な問題を解決する為ではないようだ。

暑いときには、冷えたビールのことやスイカのこと、ビキニ姿のお姉さんを、
寒いときには、おでんや鍋、下山後の温泉のことを、
真面目に(?)考えている。

歩いている道がヤブ道なら
全神経を集中して道を見誤らないようにしている。
そんな中で、哲学するのはどだい無理であり、無用であり、無謀でもある。

マムシやダニやヤマヒルとの遭遇、
トゲトゲ植物や危険なガレ場から安全な場所への回避、
現在地の把握と時間配分、天候の変化、踏み跡の選択、等々、

その時々に考えること、やることはいっぱいあり、
思考を哲学のために振り分けてやる間は無いのである。
とくに、わが頭脳のようにCPUの性能が劣るものでは尚更無理である。

『思索の山旅』『思索の峠路』なんて本があったら
俄かには信じ難い。

山道、峠道で哲学することは無いけれど、
なにやらがHDDに刻まれる。

後日、それが人生を考えるにつき、
無意識の内にも開かれることがあるのかもしれない。