「三国峠みち」の万六尾根を歩く
〜 大桂から大杉へ 巨樹を訪ねる道 〜
井戸−軍刀利神社−三国峠−連行峰−湯場ノ頭−万六ノ頭−柏木野−矢沢林道−茅丸−井戸
*
| 登山地図に「三国峠みち」と記載されている万六尾根を歩いてきました。 上野原の軍刀利神社奥宮では桂の巨木と、檜原村の万六尾根末端では大杉との対面がありました。 古くは甲州からの御嶽講の信者も歩いたという万六尾根を歩き、 |
|
|
|
| シルバーウィークの最終日、惰眠を貪ってばかりもいられないと足は山へと向かいます。 たまには遠方まで足をのばし、2000メートル級の峠にでも行けばよいものの、 近場の1000メートル前後の峠を登っては下り、再び登り返してまた下るという二度踏みで御茶を濁します。 訪問先である三国峠の峠道は、南面の上岩、下岩への道をほぼ踏査することができたので、 今回は北面の檜原村領分の「三国峠みち」と登山地図にはある尾根道を歩いてみることにします。 井戸バス停附近の路肩に車を乗り捨て、小さな集落を抜けて軍刀利神社へと向かいます。 鳥居をくぐり抜け、舗装された参道のダラダラとした登りをペースを乱さぬようにゆっくり進んで行くと、 社叢の杉林は静謐とし、厳かな雰囲気に満ちています。 |
|
|
|
| 本殿から奥宮へ向かう鳥居を抜けて山道を進んでいくと、前方には天を突く巨樹の姿が見えてきます。 奥宮の鳥居をくぐると、そこはまさに聖域といった感じで、異様なカツラの巨木が聳え、 その脇には井戸川の清流が流れ下っています。 きっと霊力の宿る巨樹の存在が、この場所に奥宮を建立させたのでしょう。 樹齢は500年といわれ、昔はこの根本より冷たく澄んだ水が湧き出していたといわれています。 |
|
|
|
| カツラの巨木は県指定の天然記念物で、その根本には「大桂」と刻まれた石碑が建てられています。 見るものを圧倒する姿ですが、恐れや威圧を感じることは無く、寛容と包容力を感じます。 といっても、これは個人的感慨で、見る人によって、対面した時の精神状態によって全く異なるでしょう。 奥宮背後から本格的な山道となりますが、道はよく踏まれていてなんの心配もいりません。 |
|
|
|
| 前半は植林地内のジグザグ道を登ります。 快調に飛ばすこともできますが、今回は一度檜原村側の柏木野に下った後、再び国境尾根を 登り返さなくてはなりませんから、体力を温存するためにもゆっくりとしたペースを維持します。 植林の合間からは下降路として考えている熊倉山南西尾根を望むことができるので、 汗をフキフキするごとに、対面の尾根の様子を観察しながら登ります。 植林主体の道から自然林主体の道へと切り替わる辺りが中間地点でしょうか、 |
|
|
|
| 生藤山南尾根に合流を果たすと、 そこには「山」ではなく「峠」と表示された「←三国峠」の標識があります。 三国山には「三国山」と表示された標識しかないので、「三国峠」と表示された標識は、 ある意味、貴重な存在です。 生藤山南尾根との合流部から三国山頂までは、ほんのわずかな距離しかなく、 |
|
|
|
| 三国峠の「峠」は、本来は峰を意味する「ドッケ」系なのかもしれませんが、 強いて「峠」の場所を特定するとすれば、山頂を巻く道の分岐辺りが「峠」といえるのかもしれません。 昔は三国山と生藤山の鞍部に、「三国峠」と表示された登山標識があったそうですが、 現在はそのような峠標識は見当たりません。 『新編相模国風土記稿』には、「三国峠、正保元禄ノ改メニ三国嶽ト書ス、今ハ峠ト書ス。 |
|
|
|
| 前回訪れた時、誰の仕業か山頂直下の石祠の屋根が数メートル吹っ飛んでいましたが、 今回はそれが定位置に戻されていました。 しかし、石祠は台座と屋根だけで、前回同様に本体が見当たりません。 いったい何処へ行ってしまったのでしょうか? 三国山頂はシルバーウィークのシルバーハイカーたちがテーブルを占拠中なので先を急ぎます。 |
|
「三国峠みち」である万六尾根を歩く |
|
|
|
| 武相国境の尾根道を快走するトレイルランナーとすれ違い、連行峰に辿り着きます。 ここのベンチは大きなザックを降ろしている若者ハイカーに占拠されていて、 昼飯はまたお預けだと、休むことなく初訪の万六尾根に踏み込みます。 三国山から檜原村領分に下る「三国峠みち」について、『奥多摩』(宮内敏雄著)には 「峠みちはその傍らから生藤山二等三角点の瘤起の北を、次の茅丸では南を、 連行峰で武相国境尾根から離脱し、北へと下降する坂を「コウタイ坂」と呼ぶとあり、 「藤野町の上岩、下岩地区と檜原村の南郷あたりとの重要な生活道路であり交易路であった。 |
|
|
|
| これまでの武相国境尾根の高速道路のような明瞭でしっかりと踏み固められた道に比べると、 万六尾根の尾根道は交通量の少ない地方道のような頼りなさを呈していますが、 それでも古くは交易路だったというだけあって道を見失うことはありません。 『奥多摩』によると、連行峰から湯場ノ頭手前の鞍部に至る辺りを「コウタイ坂」と呼ぶとあります。 途中、短い区間ですが、体が没するほどのスズタケ帯の通過がありますが、 |
|
|
|
| 右手に林道を見る鞍部を過ぎ、ひと登りしたところのp927が湯場ノ頭と呼ばれる場所で、 植林地の中、尾根筋は踝を隠す程度の小笹に覆われています。 先代の標識が朽ち果てた姿で地面に落ちていたので持参した手製標識を括りつけます。 「湯場」というからには、この附近の沢で湯が湧出していたのでしょう。 |
|
|
|
| 湯場ノ頭から万六ノ頭にかけての尾根道は小笹が美しく、しっとりとした落ち着いた雰囲気で、 思索に耽るにはもってこいの「哲学の小径」といった印象です。 「峠みち」としては左右の展望もそこそこあり、谷道に比べ危険もないので上等な部類といえます。 しかし、油断はならないもので、昭和59年春の降雪では、 道を見失った中高年ハイカーの遭難が発生し、死者を出しているとのこと。 「作業道通行止」と標示のある場所が「湯場ノ尾根」への分岐点でしょう。 |
|
|
|
| 思索に耽っていたり、余計な妄想を膨らませていたりすると、登山道は万六ノ頭を巻いてしまうので、 それらしき隆起を見たら公的登山標識裏手の踏み跡を見落とさないようにしなければなりません。 万六ノ頭は雑木の小ピークで、さしたる展望は無く、登頂意欲を掻き立てるものはありません。 昼食としてカレーパンを立ち食いしただけですみやかに立ち去ることにします。 ところで「万六」とは人の名前なのでしょうか? 万六ノ頭から北側へと下る踏み跡はやや不明瞭ですが、最前に分れた巻き道と合流すべく、 |
|
|
|
| 先に万六尾根には小笹の中をゆく「哲学の小径」といった雰囲気が漂う場所があり、 思索に耽るには良いかもしれないと書きましたが、 いくら思索に耽ったところで、この大杉には思慮の浅はかさを見透かされてしまうことでしょう。 見せ掛けや装飾、嘘や幼稚な理論武装など何も通じない、そして動じない、そんな巨人なのです。 この圧倒的な存在感は見るものに畏怖の念を抱かせます。 |
|
|
|
| 大杉の一本一本の枝は、そこらに生えている植林された杉の幹の太さに等しく、 根回りは四、五人の大人がやっと手をつなげるかどうかという太さをしています。 根本に置かれた木製の小社は山の神を祀っているようで、 |
|
|
|
| 大杉で右に折れた道は、登山地図に「急坂」との表記があるように、 植林地内の急斜面をジグザグを切って下っていきます。 整然と並んでいる植林は、万六尾根の王である大杉を護衛している衛兵のようです。 道を隠している夏草を払い除けながら下降しますが、種の取り付きはどうすることもできません。 「雑草たちよ、そこまでしてオマエらは生存域を拡大し、子孫を残したいのか」と、 夏草の種の猛襲で全身種だらけになった姿を見て愚痴もこぼれます。 一旦平坦地に出た後、再びの急勾配のジグザグ道をウンザリするほど下れば、 |
|
|
|
| 「三国峠みち」の柏木野側入口に設置された公的登山標識にも「峠」の文字が見られます。 「峠」を指し示す標識はあるものの、肝心の「峠」に「山」の標識しかないというのはどういうことでしょう。 国土地理院発行の地形図に「三国峠」の名が記されているのだから、 三国山の標識もせめて「三国山(峠)」とでも改めてくれればよいのにと思うところです。 |
|
矢沢林道から茅丸北尾根へ |
|
|
|
| ツーリングバイクが引っ切りなしに走る檜原街道をトボトボ歩いて、 矢沢林道の起点である南郷へと向かいます。 「←矢沢林道・生藤山」の古びた登山標識が街道分岐点にあるところを見ると、 以前は生藤山への一般的な登山コースとして人気があったのかもしれません。 しかし、長い林道歩きが敬遠されているのか、現在の登山地図ではコース紹介がなされていません。 古びた標識に括り付けられた「ハセツネ」の告知看板が妙に浮いているようで違和感を覚えます。 南郷集落内の雑貨店、といっても店内はがらんどうで、商品棚はスカスカなのですが、 |
|
|
|
| 南郷小学校跡地前で南秋川を渡り、 清冽な矢沢の流れに沿ってマイナスイオンに満ち満ちた矢沢林道を進みます。 熊倉林道との分岐である落合橋から先は車両の通行が禁止されているようで、 形だけのバリケードが設置されています。 ダートと簡易舗装の入り混じる長い林道ですが、 この辺りの平地を里人は「長者屋敷」と称しているようで、「昔、矢沢弥五郎なる長者が此処に居を構え、 「矢沢弥九郎はどこかの落人で、矢沢の東京都有林管理小屋の近くの、石洗久保に住んでいた。 |
|
|
|
| 矢沢林道は奥に行くに連れ荒れ始め、屋根と柱だけの東屋を過ぎると、 夏草の猛威に道は完全に飲み込まれてしまいます。 それでもここまで来ては引き返すことも容易ではないので突進を決め込みます。 シャツもズボンも夏草の種だらけで、種の運び屋としてタダ働きを課せられる羽目になります。 肌を刺すトゲトゲ植物も現われ、もうテンションは下がる一方ですが、 草叢からイノシシや熊が飛び出して来てはかなわないから、無理にでもテンションを上げ、 赤面するようなアホらしい奇声を発して前進します。 林道終点の奥矢沢橋も半ば夏草に埋まりかけています。 |
|
|
|
| ギブアップできるものならそうしたいのですが、井戸集落に停めた車に戻るためには、 なんとしても武相国境尾根を乗り越えなければならないのです。 この夏草のジャングルの先に、茅丸北尾根に乗り上げる道があることを知らなければ、 足を踏み入れることを躊躇うでしょうが、今はただ意を決して体を没する夏草の中に突進するだけです。 「最初は下草をかき分けて進む。右に小さな沢が流れている。この沢を渡り、右に別の沢を迎える。 |
|
|
|
| それでも序盤の夏草ジャングル帯を突破し、沢沿いの明瞭な踏み跡を進むようになると、 精神も進むべき方向も安定し、冷静さを取り戻すことができます。 夏草ジャングルにダニや蜘蛛の巣が附随していたならば、きっと錯乱状態になっていたことでしょう。 やっとまともになった沢に沿う道には階段状の人工的な石組みも見られ、 しかしその沢筋の道もすぐに荒れ始め、まさに土石流後の被災地を進むかのようになります。 右手山腹道は植林地の中の道で安定しています。 |
|
|
|
| しかしそんな御戯れも短い区間で終了です。 尾根に乗ってしまえば、苦痛に快感の入り混じったいたぶりからは解放されます。 一日の初めに、軍神である軍刀利神社にお参りした御陰でしょうか、夏草との戦いには 勝利できましたが、肌はトゲトゲによる複数の刺し傷を負ってしまいました。 帰宅後の風呂場で恥かしい悲鳴を上げてしまうかもしれません。 尾根上には青いトタンを巻いた東屋があり、「御成婚記念造林」の案内板が設置されています。 |
|
|
|
| 乗り換えた次の尾根との合流点にはテープやビニールヒモ等のマーキングがたくさん見られます。 この乗り換えた尾根が茅丸北尾根の本道ということになります。 周囲からはピィー、ピィーと変な声が聞こえてくるので、鹿でも現われたかと様子を窺がうと、 前方を猿の群が移動していて、監視役らしき一匹の猿が警報を発しているところでした。 茅丸山頂へ直上する尾根には乗らず、 あとは日暮れとの競争で、足早に三国山へと向かいます。 軍刀利神社奥宮で再びカツラの巨樹と対面しますが、夕間暮れに見るその表情は、 人間の寿命よりもはるかに長い間生き続けてきたカツラや杉の巨木は、 夏草との闘いに勝利したとばかり思っていましたが、実は敗北していたようです。 |
|
(峠行2009.09.23) |
|
| 【参考文献】 『多摩の低山』 守屋龍男著 けやき出版 1988年 |
|