● 佐野峠を行く 実地峠行編 PartT ●

 トイレで夢見た峠 / 小佐野峠・西原峠・佐野峠・十文字峠

ようやく佐野峠を訪ねることができました。 
佐野峠の資料室」でいろいろとお勉強したので準備はOKです。
しかし、現地はOKではなく、林道による破壊でKO寸前でした。

赤のラインが今回歩いたルートです。

とりあえず本文では峠名とその位置を上記の通りとしました。

トイレで地図を眺める度に、行きたい、行きたい、早く行かなければと思っていた峠です。
しかし、時すでに遅し、松姫峠からのびる林道は小寺山、大寺山の背後にまで達していました。
西原峠から奈良倉山にかけては地形図には表記されていませんがもっぱら林道歩きとなりました。

行きたくてもなかなか訪れることの出来なかった最大の理由は、
佐野峠の資料室」にも書いた通り、峠名とその位置の混乱にあります。
佐野峠、小佐野峠、小菅峠、西原峠、旧佐野峠など、峠の呼び名とそれがどこを指すのかが
文献、資料によって異なっているという複雑な状況が訪問を今まで躊躇させていたのです。
そしてもう一つの理由にアクセスの悪さがあります。
公共交通機関では交通費が嵩む上、バス便については極めて貧弱であるという欠点があり、
マイカーでのアクセスにしてもすべての気になる峠ポイントを押えつつ周遊して起点に戻る
ためにはそれなりのルート設定が必要となるからです。
葛野川の谷から稜線に出るのか、鶴川の谷から稜線に出るのか、そこから問題は始まります。

今回の「実地峠行編PartT」では、飯尾からの峠道を登り稜線に出て、
各峠ポイントを巡り、十文字峠から長作へと下降することにしました。
起点終点が共に鶴川の谷側であり、マイカーでのアクセスには好都合だからです。
葛野川側の中風呂からの峠道については「PartU」以降で歩いてみたいと思います。


飯尾側入山口 県道のコーナー部分
車は2〜3台駐車可能


「佐野峠登山道」の標識がある
最初の一歩で左に曲がる

心配された路面の凍結もなく、お昼に飯尾側の入山口に到着、車を路肩に駐車します。
上野原からバス便を利用するのなら、飯尾バス停で降車後、大羽根峠越えを加えることもでき、
峠の蒐集を欲張ることもできるでしょう。
また、期間運行ですが、上野原から鶴峠を経由して松姫峠まで一気に運び上げてくれる
便利なバス便もあるようなので、交通費に糸目をつけない方は利用されるのもよいでしょう。

入山口には「佐野峠登山道」の標識があり、どうやら飯尾から稜線に上がる山道は
上野原市によって整備がなされているようです。
整備といっても、この後3箇所にある登山標識はどれもこれもみな傷んでいるのですが・・・・
(たぶん熊が体をこすりつけて標識を破壊しているのでしょう・・・?)


鶴川を丸太橋で渡る


取り付きは植林地のジグザグ

鶴川に架かる雪の積もった丸太橋を微妙なバランスで通過し、道は植林帯の中へと続きます。
よく手入れされた植林地の中を明瞭な道が伸び、大きなジグザグを繰り返し
高度を徐々に上げていきます。
ひとしきり登ると、周囲は自然林に切り替わり、林床には笹が姿を現します。
振り返ると、背後には木々を透かして槇寄山から三頭山へと続く大きな尾根が望めます。
山道には薄すら積もった雪が残り、無垢の雪からは、ここ数日の間に
人の通行がなかったことが窺がわれます。

再び道は仄暗い植林帯に吸い込まれ、旅人を盲目にしますがそれも暫くの辛抱です。
尾根に乗ると進行右手、北側斜面の森林伐採地から見事な眺望を与えられることになるのです。
今日一日をして歩く尾根が一望でき、鶴峠付近の尾根の撓みの遥か彼方には奥多摩の山々が
白く化粧をした姿で望まれるのです。


1100m圏の北側斜面は伐採され展望に優れている


奈良倉山(左の凸)から鶴峠(右の凹)への下降線

天候にも恵まれ、視界は良好です。
当たり前ですが、峰のひとつひとつ、尾根のひとつひとつが地形図と一致し、
頭の中で描いていた地形、光景と一致されます。
行きたい、行きたいと思っていた地域だけに、この付近を収めた「七保」の地形図を見る
機会は多く、顕著な尾根ならば頭の中にインプットされているのです。

自宅のトイレで用を足すときに長期戦が予想される場合、
本や新聞ではなく、登山地図や地形図をトイレ内に持ち込むことはよくあることで(自分だけ?)、
排泄の傍ら、まだ見ぬ地域や峠たちの姿を地形図を通して夢見ているのです。
この峠にはどうアプローチしようか、どこか良いルートはないだろうかと、
下腹のみではなく頭の中でもヒラメキが出ないかと踏ん張っているのです。
トイレを共にすることが多かった地形図だけに、付近の地形は頭に刷りこまれているようです。


「杖突き地蔵」だろうか?


「松姫鉱泉」と「坪山方面」の分岐

1000メートル圏辺りを過ぎると、雪に震える一体の石地蔵が手を合わせていました。
このお地蔵様が「佐野峠の資料室」で紹介した「杖突き地蔵」なのでしょうか?

「小佐野峠を飯尾の方へ三四丁行った所に杖地蔵が祀られてある、飯尾方面から登って来た
旅人はこれから先杖が不要となるので、自ら杖を捧げて行人の安穏を祈るを例とする・・・・」
                           (『山と渓谷13号』「権現山とその付近」岩科小一郎)

たしかにこの先、北側斜面をトラバースし、道は平坦となるので杖は不要となります。
するとこちらのお地蔵様がやはり「杖突き地蔵」なのでしょうか?
ただ、他の文献資料では「今は通る人とてなく石地蔵の首は折れてなくなっている」ともあるので
山道に詳しい地元の方に確認する必要があるでしょう。

石地蔵から数メートル進むと、「松姫鉱泉」と「坪山方面」と書かれた指示板のある分岐です。
「松姫鉱泉」方向の道は尾根通しを忠実に拾う地形図の破線道とは異なり、
北側斜面をトラバースし小佐野峠へと導いています。


1175圏ピークは北側斜面をトラバースしている


どこか信州の山深い峠道を歩いているようだ♪

トラバース道の歩き出しは、今までの明瞭な道とは異なり、やや幅が狭くなるので戸惑いますが
小佐野峠に近づくにつれ、道幅も回復し、安定した道になるので心配はありません。
この巻き道が古くからあるものなのか、それとも昔は尾根通しの道だけだったのかは不明ですが、
自然林の伐採、植林の植栽、伐木、切り出しのために新造された道のように思えます。
まさか!「松姫鉱泉」にいち早く客を招き入れるためにつくられた道ではないでしょう。


p945支尾根の分岐にあるベンチ
かなり雪が深くなってきた・・・


小佐野峠はもうすぐ
葉を落とした自然林の明るい道

北側斜面だけに雪は深く、ときどきズボッと足首が完全に埋まってしまいます。
ローカットの安物ハイキングシューズでは靴の中への雪の侵入を防ぐことはできません。
それでも誰の足跡もない無垢の雪道を歩くのは愉しいことで、そんなことは何の苦にもならないのです。

途中、p945へと続く支尾根を跨ぐ辺りにベンチがあり、
それを過ぎると小佐野峠と思しき尾根の撓みはもうすぐそこに迫ってくるのです。


可愛い十字路、小佐野峠


西原峠を指して「旧佐野峠」とある

小佐野峠は可愛い十字路。
坪山と佐野山を結ぶ尾根道と中風呂から西原峠を経て飯尾へ向かう道が交じり合うクロスポイント。
その西原峠に向けては「旧佐野峠方面」との指示板があります。
「旧佐野峠」、そんな呼び方もあるのか・・・
文献資料、または地元の方の呼称によって西原峠は、佐野峠、旧佐野峠、小佐野峠ともなる。
「佐野峠は移動した」ということを踏まえると、地形図にある佐野峠の方を「旧佐野峠」とした方が
わかりやすいような気もするが、峠名の議論は混乱を招くだけだから控えよう。


小佐野峠


いゃぁ〜 良い峠だァ〜

カバンから秘蔵のドーナツを取り出し、峠の甘美な雰囲気とともに味わいます。
ウーン、なんとも良い味です。
口の周りについたドーナツの食べカスをティッシュで拭き取り、
指示板が示す「旧佐野峠」、この本文では西原峠へ向けて足を進めます。

すると、口の中に残ったドーナツの甘い後味を楽しむ間もなく、左手下に林道が見えてくるのです。
なんてこった、これじゃ峠の味も薄れてしまうじゃないか。


小寺山、大寺山の背後まで林道が延伸されている

林道に降り立ち、進むは西原峠へ。
その道すがら小寺山、大寺山方向を眺めると林道の爪跡はそれらの山々の背後にまで
達しているのがわかります。
『山と高原地図』の最新版で林道の延伸は知ってはいましたが、それにしても痛々しい。
国土地理院発行の地形図に林道の現状が反映されていないのは意図的か?
それとも単に修正が追い付いていないだけなのか?


林道上の西原峠


林道がなければなぁ・・・

辿り着いた西原峠は林道によって半殺しの状態。
何年位前に訪れていれば昔の峠の姿を拝むことが出来たのだろうか?
林道の造作や路面状態から察するに、そう古くはないように見受けられる。
実に残念、もう少し早く訪れていれば昔日の姿を目にすることが出来たのかもしれない。


中風呂への道はいい感じだ
「片栗の花」という看板がある また春に来よう!


峠から西原側を見る
阿寺沢側へ下る道は見当たらない

中風呂への道を一歩進むと、「片栗の花」と書かれた看板があり良い感じの道が続いている。
片栗の花が咲く頃に訪れてみようか・・・

峠の西原側、阿寺沢の谷へ下る地形図の破線道は見当たらない。
すでに消えてしまったのだろうか?
尾名手峠とあわせて周遊できるものかと思っていたが計画は叶いそうもない。


葛野川のV字谷

西原峠から奈良倉山までは林道歩き。
まぁ、それでもコンクリートやアスファルトによって塗り固められていないだけマシである。
林道歩きは減点だが、それを補う眺望は見事に合格点である。

眼前、葛野川右岸の泣坂ノ頭、大峰から尾越山を経て下瀬戸へと降下する尾根道は
見ているだけで登高意欲をそそる。
地元で「瀬戸境」と称されるその尾根には「クシゲ峠、アカバネ峠、大曲り峠などの
通路が越えている」と、岩科小一郎著の『奈良子誌』という文章には記されている。
峠があるのなら、なおのこと歩いてみたいとも思う。

葛野川の深いV字の谷は回廊のように富士の方向へと伸びています。
佐野峠道は秩父、丹波、小菅方面からやって来る富士講の人たちに歩かれたといいますが、
まさに歩くならこの尾根道しかないといった感じです。
重畳たる山波の向こうに雪を纏った富士が神々しく見えているのですから、
富士講の信仰者のみならず誰しも歩きたくなる道だと思います。

この尾根は鶴川の谷と葛野川の谷とを隔てる自然の大きな屏風であり、障壁です。
屹立した分水山脈を越えるために、先人は安全なルートを開拓し、また時として、
自然災害や村々の盛衰に対応してルートの変更修正を余儀なくされてきたことでしょう。

「より安全に、より歩き易い道を、それも最短距離で、富士が望めれば尚良い」
いつの時代もそんな要請から峠道の変更がなされたに違いありません。
今の時代の人々が思う以上に、道というものは固定的ではなく、経路は容易に変遷し、
峠道の様子も目まぐるしく変化していったのかもしれません。


陽当たり良好、展望良好の林道歩き


△1234.7m 三角点
あと0.2m低ければ1234.5となりキリがいいのに

林道は陽当たり良好、展望良好で気分も良好。
快適な歩行を楽しめるだけに林道の批判ばかりもできず複雑な気分です。
アシ沢源頭部をグルッと回り込む形で林道歩きが続きます。
アシ沢左岸尾根(西原峠道)、アシ沢右岸尾根(佐野峠道)をじっくりと観察することができます。
どちらも深い谷から一気に主稜線へと突き上げる急峻な地形をしています。
雪の薄すらと積もっているこの時期だけに、それぞれの尾根に刻まれた峠道が
白い一条の線となって林道上から望むことができます。

p1234.7の手前でしばし林道を別れて山道に入ります。(テープの目印あり)
ヤブ気味の道を進むと、「1・2・3・4」とリズミカルな並びの標高の三角点です。(佐野山?)
あと0.2メートル山頂を削り取れば1234.5メートルとなり、さらに語呂が良くなるのに残念。
もう一度念入りに測量し直してみてはどうだろうか?
あるいは0.2メートル低くなっているかもしれないぞ。
もしそうであれば三角点マニアなどの登山客を集客でき、
地元の観光産業に貢献できるということも考えられる。
なによりも佐野峠道を歩く人が増えれば、自然と旧道の道普請もされていくというもの。

友人でキャッシュカードの暗証番号を特定の山の標高と同じにしている人がいるが、
「1234」では危険過ぎるからやめた方がいいだろう。
彼の趣向からして好みの山の察しはつくから、今度こっそり財布からカードを抜き取って
現金を引き出せるかためしてみようかとも思う。(ウソウソ犯罪ですよ〜)


林道上の佐野峠


林道がなければなぁ〜

1234.7を北へ、そのまま尾根伝いにヤブを掻き分け下降すると佐野峠。
ここも西原峠同様、林道によって半殺しにされている。
手持ちの地形図では林道の記載はないのだけれど・・・ああ、悲しいですね。
いくらトイレの中で地形図をじっくり眺めて峠の姿を想像し、夢を膨らませていても、
地図に記載のない林道の姿までは思い浮かべることはできません。


中風呂への道はややヤブ気味か


峠の標識 マジックで佐野峠と書いてある

中風呂への道は背の低い笹にやや隠され気味の模様。
朽ち果てそうな標識には黒マジックで佐野峠と書かれているが、
その文字もすでに消えかかっている。
山間交通の歴史を考える上でも重要であり、由緒ある峠なのだから、
地元の教育委員会あたりが率先して峠を顕彰する標柱でも建てればよいとも思うが、
このまま廃れてゆくのも悪くはないとも思う。

地元行政に携わる担当者にとっては、人々の記憶から忘れられてゆく峠道のことより
ダム建設に伴う付帯道路や林道開発のほうがなにかとオイシイのだろう。
どうぞこれ以上手を加えずに放って置いてください。


p1238を回り込むところ


深城ダムを望む

佐野峠で西側の展望はひとまず終了し、p1238を回り込むまでは東側の展望を満喫です。
飯尾から取り付いた尾根、小佐野峠へと続いていた北側斜面トラバース道など、
これまでの行程を一望することができます。
また、飯尾、長作集落の背後に控える三頭山は威風堂々としており、
東京側から眺めるよりも風格があるような気がします。

日の当らない林道の雪は脹脛を埋めるほどの深さ。
でも、p1238を回り込むと、再び西側の眺望と太陽の光に満ちた林道歩きが戻ってくるのです。
この付近から次なる目的地である十文字峠へ向けて地形図上の破線道が分岐している
はずなのですがそれらしきものが見当たりません。
北東側の斜面は雪が積もっているので踏み跡を探すことはもともとできないのですが、
旧道の痕跡らしきものや、先人のマーキングの類も発見できませんでした。
もしかすると旧道は地図で見るよりも、もう少し低い所の山腹に存在していたのかも知れないとは
帰宅してからの推察です。(雪が消えた頃、再度探索してみようか・・・)


奈良倉山 山頂

十文字峠への旧道探索はあっさり諦めて、予定には無かった奈良倉山へと向かいます。
奈良倉山から東尾根を長作へ向けて下降すれば十文字峠に出会うことはできるとの考えです。
いましばらくの林道歩きが続きますが、大菩薩連嶺、牛ノ寝通り、楢ノ木尾根や
この付近では最上級クラスのヤブ尾根といわれる長峰などを眺め、
ひとり静かな興奮を胸に奈良倉山を目指します。

奈良倉山の山頂は想像していたより小さな山頂でカラマツやヒノキの植林に隠され眺望はありません。
この山は山頂よりも、そこに至るまでの過程を楽しむ種類の山のようです。
奈良倉山は、「お坊山」、「茅平」とも呼ばれるようです。
その名前から、現在の姿になる前の山頂の姿をイメージするのは容易なことでしょう。
きっと坊主頭の山か、あっても産毛程度のカヤトの頂きだったのでしょう。

三角点をテーブルにしてアップルパンと冷たいお茶で遅めの昼食です。
山頂は、大月市設置の登山標識、奥多摩地方でよく見かける浮かし彫りの手製山名標識、
穴路峠で見かけたものと同じ青文字の山名標識など、多様な標識で賑やかですが、
午後遅いこともあって人のケハイはありません。


十文字峠に横たわる倒木


十文字峠 全景

日が落ちる前に長作へと下降しなければなりません。
山頂での休憩もそこそこにまずは十文字峠を目指して東尾根に踏み入ります。

しばらくは鶴峠へ向かう道を拾って行けばいいのですが、
途中からは、その道とも訣別しなければなりません。
大月市設置の標識を無視して、その背後へと続く踏み跡を選択することになります。
地形図と実際の地形とをよく確認すれば迷うことはないでしょうし、十文字峠を経て
長作へと下降する道々には、テープやビニールヒモによるマーキングが施されているので
心配はありません。


佐野峠方向の旧道


白沢方向への旧道

辿り着いた十文字峠には大きな倒木が横たわり、尾根を横断する道が確認できます。
p1238を回り込んだ後にその入口を探した南側からの旧道も良い状態で残っていて驚かされます。
また、北側へと続く旧道も明瞭で、これを拾えば白沢へと導かれるのでしょうか?
歩いてみたい誘惑にかられますが車を置いた飯尾の入山口からはあまりにも離れてしまう
ので別の機会にとっておきましょう。

古い文献によるとこの十文字峠には、お地蔵様と石造りの道しるべがあったようです。

「佐野峠の道と十字路をなす所に、石像一基と、その側に古い小道標石があって、
その北面には“此方小すげ”、東面には“此方長さく”、南面には“此方甲州”と刻んである。」
              (『山岳第15年第1号』「多摩川相模川の分水山脈」 武田久吉・大正9年)

「一本の巨木があって、その根方に小さな石の地蔵様が一基うずくまっていた。
随分古いものだと思うが、実に柔和な面ざしをした野仏だった。」
                        (『遠い山近い山』「すたれゆく峠」 望月達夫・昭和43年)

しかし、現在の十文字峠には野仏の姿も道標石の痕跡もありません。
ただ、「一本の巨木」だけが変わり果てた姿で横たわっているだけでした。
あるいは、この巨木の下敷きになって野仏が押し潰されてはいないかと注意してもみましたが、
やはり仏様の姿をみとめることはできませんでした。


十文字峠の味のある標識

峠には、誰が取り付けたか味のある標識があり、鶴峠方向と長作方向とを指し示していました。
p1238で見失った南からの旧道、標識に鶴峠とはあるが白沢とは書かれていない北へと続く旧道、
これら佐野峠からのび、十文字峠を経由してさらに先へとのばされている道が
どのような状態であるのか気になるところです。

峠から長作へと続く尾根道は雪が踏み跡を隠し、のっぺりとした地形では進路選択に
多少戸惑いもしますが、効果的に付けられている小さなマーキングに助けられます。
中段から、下段部にかけては植林帯となり、踏み跡から仕事道へと変わります。
時折、枝道に騙されそうにもなりますが冷静に判断すれば尾根末端部へと導かれます。


尾根末端部の東屋


公的機関の設置した標識に「十文字峠」の文字がある

東屋が現れればもうそこは里の領域。
村の観光課が設置したと思われる標識には「←十文字峠」の名を見ることができます。
十文字峠の名前はもしや山屋さんが勝手に付けた名前なのではないかと心配していたので
村公認(?)の名前と知りひと安心しました。

麓から眺める大月市と小菅村、あるいは大月市と上野原市とを分かつ屏風の如き長大な尾根は、
歩いてみると意外にも稜線に出るのは容易なことでした。
うまい具合に主脈から派生する尾根を伝って歩きやすい道が刻まれています。
これらいくつかある尾根道の一つを松姫様の御一行も通ったことでしょう。

ようやく訪ねることのできた4箇所の峠でしたが、帰宅後はすぐに次なる課題が生まれています。
「中風呂からの西原峠道と佐野峠道」、「西原峠の西原側の道」、「十文字峠付近の旧道」、
「竹ノ向、釜入経由で尾根に出る道(佐野峠旧道以前の古道?)」、「松姫峠の旧道?」、
「尾名手峠」等々、課題は山積です。

またトイレに地形図を持ち込み眺める時間が増えそうです。
踏ん張っても、踏ん張っても、用が足せない便秘のように
なかなか足を運ぶ機会はないのですが・・・・。

 

飯尾入山口12:00--小佐野峠13:15--西原峠13:30--佐野峠14:00--奈良倉山15:00--長作16:00--飯尾入山口16:15

●実地峠行編 PartUを見る 「新旧の峠道」(西原峠・小佐野峠・佐野峠)

●実地峠行編 PartVを見る 「敗走の峠」(阿寺沢右岸道・西原峠・小佐野峠・杖地蔵)

●実地峠行編 PartWを見る 「再チャレンジの峠」(阿寺沢右岸道・西原峠・小佐野峠・坪山東尾根)