● 佐野峠を行く 実地峠行編 PartV ●

 敗走の峠 / 西原峠・小佐野峠・杖地蔵

阿寺沢右岸水平歩道〜小寺山北東ヤブ尾根〜西原峠、小佐野峠〜杖地蔵〜飯尾〜阿寺沢


「権現山とその附近」 岩科小一郎 挿入図より

峠歩きの好期になり、気になるエリア、佐野峠・西原峠付近をまた歩いてきました。
今回は西原峠の東側の道、地形図にも記載されている阿寺沢右岸に付けられた峠道を探ります。
ネット上で当該ルートに関する情報を検索してみてもレポート類のヒットはなかなかありません。
すでに廃道なのか、それとも歩く価値すらない道なのか、その辺の事情が判然とせぬまま、
日の短い晩秋の一日、ウロウロと徘徊してまいりました。

「阿寺沢部落はアデラ沢鶴川の出合いより入り込んだ地点にあって、戸数三、四戸の寂とした所である。
民家と桑畑の間を抜けると、道はアデラ沢に接するようになる。
アデラ沢を右岸に渡って、広やかなヲナデ尾根の北面の山裾を行くのであって、
小さな沢を捲きながら上流へと向かうのである。
このアデラ沢右岸沿いの道は、対岸上部に露岩や岩壁体を見たり、小さな滑などを見る静かな山道である。
沢沿いの道をやや暫く進むと、アデラ沢の本流は幾筋にも分かれ始め、急激な沢沿いの登りと変る。
小石がゴロゴロした歩き難い道を辿る事暫くで明るい茅戸の地点に出る西原峠である。」
                         (『日本山岳案内3』 鉄道省山岳部編 博文社 昭和15年 より)

「右岸の道は、ぐんぐんと登って杉林をくぐり沢を渡る。
水流早く傾斜の急を覗かせて一寸登り応えのある沢のように見える。
ここからは上り下りの多少混じった道が、細くどこまでも続いている。
左手から落ちる沢はどれもこれも皆、規模の宏大に富み、最初の沢を第一とすれば、
第二はさしたるものでなく、第三は広く開けた上部から、頗る急激な落込みを見せ、
第四は明るい沢の中途に20米程の見事な滝をかけ、第五は藪に隠れて見えず、第六は小さく、
第七、第八となると次第に小さくなる。第八よりは阿寺沢を離れて沢を登る路が判然とついている。
この路は炭焼きの路であって、上部は大寺山の尾根に続いている。
けれども、炭焼きの地点より上は踏跡があるのみで迷い易く、大寺山へ出ることは出られるが、
濶葉樹林と下草の茂みを相当に漕ぐところが続いている。・・・・
何れにしても、阿寺沢沿いの道は、左側の多くの谷を横断しているが、最後まで、本流を離れなければ、
間違いなく佐野峠に達してしまう。
阿寺沢に面した北側の山は、殆んど大半にかけて、急激な傾斜面をなし、
雑木の間に岩の肌を見せて迫り、一見して怪奇の相がないでもない。1102米の突起より以北は、
稍々この傾斜をかくしてはいるが、最後の沢よりの登りが、屈折をくり返して、小寺山よりの尾根と、
右側の尾根との合致する鞍部である佐野峠そのものですら、稍々怪奇陰鬱の気の除けないのは
争われない。」
                                (『秋川の山々』 東京瓦斯山岳会 木耳社)
                               
《ここでいう佐野峠とは西原峠、1102米は坪山》
阿寺沢右岸沿いの道に関する記述がないものかと古い山岳書籍等で探したところ、
上記の『日本山岳案内3』と『秋川の山々』にその一文を見つけることができました。

急激な沢沿いの登りと変る。小石がゴロゴロした歩き難い道を辿る」という点は気になりますが、
アデラ沢右岸沿いの道は、対岸上部に露岩や岩壁体を見たり、小さな滑などを見る静かな山道である
最後まで、本流を離れなければ、間違いなく佐野峠に達してしまう
との期待できる記述もあり探索する価値は充分ありそうです。

「阿寺沢」でネット検索しても坪山登高のレポートばかりで、この阿寺沢右岸道は現在では登山者の
興味を惹く対象ではありえないようです。


西原峠から阿寺沢の谷を見下ろす

かつて中風呂からの道を歩き西原峠に立った時、いつか阿寺沢の谷を下降し、
地形図に記された西原峠から西原へ至る阿寺沢右岸道を歩いてみたいとの衝動に駆られました。
しかし、西原峠には阿寺沢へ向けての降り口らしきものは無かったかに記憶しています。
ザレた斜面にトゲトゲ植物などが繁茂し、意志薄弱な峠マニアの探索意欲はその時脆くも消え失せました。
しからば西原側から峠へ向けて歩ける所まで歩いてみようというのが今回の峠行の主旨であります。


小社を過ぎて、この橋を渡り阿寺沢右岸道が始まる


阿寺沢を挟んだ対岸には坪山東尾根の小さな起伏

阿寺沢入口バス停近くに車を停め歩き始めたのが正午、釣瓶落しの秋日にしてはいささか遅い出発です。
本日の行動予定は地形図にほぼ水平に記された阿寺沢右岸の道を辿り西原峠に至り、
大寺山から東に派生する尾名手尾根を下降し出発点に戻るというもの。
登りも下りも未知のルート、どんな展開になるかはわかりません。
念のために終バスの時間をバス停の時刻表でチェックしてから歩き始めます。

歩き出してすぐ、標識の設置された坪山東尾根の登山口があります。
場合によっては尾名手尾根ではなく、坪山東尾根を下降路としてエスケープできると意識し通過します。
山峡、日陰の地、辺境の地を意味するという地形語「アテラ」の通り、阿寺沢の小さな集落は
狭い空の下、ひっそりとした佇まいの中にあります。
集落の小社を過ぎて、その背後に架かる橋で阿寺沢を右岸に渡ると、いよいよ右岸水平道の始まりです。


阿寺沢右岸水平歩道
勾配の緩い、ヒノキ植林、自然林、唐松林の中を行く


第1ボロ小屋
人間のニオイにほっとする

そのほとんどが暗い植林地の中を行く道ですが、所々、自然林の中も通過し、視界が開けるところでは
阿寺沢を挟んだ対岸の坪山東尾根のいくつかの顕著なコブとその山腹の紅葉を望むことができます。
道は意外のほか、しっかりと踏まれかつ明瞭で、勾配も緩く、たまに現われる数度のジグザグで
ゆっくりと高度を上げていくという歩く人に配慮された設計が成されています。
植林地の手入れや管理をする人の通行がこの道の余命を支えているようです。
登山者向けの目印や標識の類は見かけることはありません。


最初の造林地区を示す看板(糠小屋第3造林区)は
猪の掘り返しに埋まる


道が滑り落ちている箇所には丸太を組んだ桟道が
設置されているが、かなり怪しいものばかりで慎重に通過

ウエストバックに取り付けた熊除けの鈴の役目を奪うかのように、
歩き始めからしばらくの間は銃声が途絶えることなく阿寺沢の谷間にこだましていました。
畑を荒らすイノシシを単に威嚇し追い払っているだけなのか、それともハンターが山中で獲物を
追い詰めているのかは定かではありませんが、流れ弾だけは勘弁して頂きたいものです。
これだけ乱射されると冬眠に入りかけた熊が逆に目覚めないかと心配にはなります。

水平歩道の所々、道が滑り落ちている箇所には丸太を組んだ桟道が設置されていますが、
不安定なものが多く、絶対の信頼を置くことができる代物ばかりではありません。
苔むし腐りかけたものもあるので全体重を預けるのは禁物です。
また、積雪時や雨後、夜間は歩きたいとは思えません。


小沢に降りて流れを溯上しては失敗
この「阿寺沢第2造林地区」の看板裏から尾根を越える道が続く


小沢を越えて小さな支尾根を乗り越える
乗っ越し部分にはアルミ梯子とヘルメットと一升瓶が散乱

沢音が次第に近付き、谷の終焉部が近いとの錯覚に陥ります。
そうして初めに降り着く沢床には注意を要します。
てっきりこれが水流の減った本流かと思い込み、踏み跡の消えた沢沿いを溯ると大失敗です。
この沢は炭焼き釜跡を見てすぐに懸崖から落ちる大滝に行く手を阻まれるのですから。
ここは沢床に降りた地点の対岸に「阿寺沢第2造林地区」の看板を見出し、
その裏手から斜上する踏み跡を拾わなければならないのです。

本流と錯覚した沢は単なる阿寺沢本流に注ぐ一支流に過ぎず、この支流を渡り、
小さな支尾根(・743)を乗り越えて、再び本流に沿った水平歩道が復活するのです。
この支尾根の乗っ越し部分には、無数の一升瓶が散乱しています。
まさかこんな奥山で酒宴が催された訳もなく、おそらくはチェーンソーの予備燃料を持ち運んだ瓶だと
思われますが、それにしても量が半端ではありません。
また、一升瓶とともにアルミ製の梯子とヘルメットが無造作に放置されています。


「糠小屋造林地区」の看板


滑沢が近付いてくる

支尾根を越え「糠小屋造林地区」の看板を見る頃、右手には植林の木々間から小滝、小釜を配した
清麗な阿寺沢本流のナメを見下ろすことになります。
美しいナメ沢はしばらくの間続き、夏場ならジャブジャブと水線沿いを辿りたくなることでしょう。
しかし、美しいナメに見とれてばかりではいけません、
なぜなら植林斜面に付けられた道は細く、そのうえ脆く、沢側は急傾斜なのですから。

うち捨てられた第2ボロ小屋を通過すると、本流の沢床へ水平歩道は吸収されその姿を消します。
沢床に降り、消滅してしまった踏み跡に一瞬うろたえますが、
溯上しながら丹念に進行左手(右岸)の土手を探すと道跡を拾うことができます。
登山者向けのマーキングや落ちているゴミの類も無く、進路に自信が持てなくなりますが、
チョロチョロとした優しい水の流れに救われます。


第2ボロ小屋


沢に降りて右岸に道の痕跡を拾う

右岸の土手をしばらく進むと炭焼き釜跡の古い石積みが現われ、
ここから左折し、沢から離れる凹とした道型らしきものに出くわします。
歩き始めて2時間半ばかり、そろそろ峠へ達しないと下山は日没との競争になってしまうとの焦りもあり、
凹とした道型の甘い誘惑に引き込まれてしまいました。

目指す稜線の鞍部はまだ沢本流の奥の奥と分かっていながらも、日の翳り始めた暗い谷間から
逃げ出すことを先決に気持が揺れ始めてしまったのです。
どこか適当に斜面を登れば西原峠からそんなに離れていない林道上に出るだろうとの期待にも似た
甘い考えも働きました。


この石積み炭焼き釜跡を左折し沢を離れてしまった


今ルートで始めて見たピンクのスズランテープに騙される

本流から離れてすぐの場所に、本コース上初めてスズランテープを見つけたのも不運でした。
この目印をすっかりと信じ込み、ここで本流を離れるのは正しい選択に違いないとの錯誤が
生じてしまったのです。(正直に言うとスズランテープのせいにして谷から逃亡する機会を得たのです)
次の目印は何処だと探すと、涸れた支沢の対岸に次なるテープを発見、
この目印背後の斜面を登れば稜線の林道に出る!チョロイチョロイと軽率な行動へ。

斜面に取り付くとすぐに痕跡は消え、もちろん次なる目印も見当たらず、これはミスコースだということに
すぐに気が付きます・・・・、しかし、人間というものはわずか数メートル斜面を登っただけでも、
引き返すという行為に無駄を感じてしまうというもの。
「急がば回れ」もこのときばかりは「急がば登れ」となるのでした。

ややっ、もう突っ込めとなったら最悪で、もう引き返すことは選択肢から消えているのです。
ここからは密度の濃いヤブ尾根との小一時間ばかりの苦闘が続くのです。
現在位置も定かではなく、熊の冬眠穴にぶつからないことを祈りつつ、傾斜のキツイ自然林の斜面を
体全体を駆使しながら這いずりあがるのです。
落ち葉とザレのミックスした滑る斜面、手掛かりになると思いきやボキボキ折れる頼りない冬枯れの幹、
顔面を容赦なく襲う小枝の跳ね返り、時折漂う獣の臭い・・・・
ああ、なんてこった・・・・標高が上がるにつれ見えてくる周囲の地勢から察するに、
西原峠からは大分離れているじゃないか!小寺山の北東尾根をさまよっているではないか!


長いヤブ尾根直登を終え飛び出した林道コーナー


ボロボロの林道を進み大寺山を目指す

稜線はまだかまだかと思いつつも、現われるのはニセ稜線ばかりです。
過酷な全身運動は著しく体力を消耗し、精神的にも疲れ果て、這う這うの体でやっと稜線上の林道に
飛び出すことができましたが、時すでに3時半、そろそろ下山に取り掛からないとヤバイことになります。
林道を歩いて大寺山の東尾根である尾名手尾根に向かいます。

しかし、通常は歩きやすいはずの林道がここではクセモノで、ボロボロ崩壊の路面もさることながら、
林道上に繁茂するトゲトゲ植物の容赦のない攻撃が疲れた体と心を痛めつけるのです。
ユニクロの安価なズボンや軍手などを容易に貫通するトゲの鞭が旧峠道探索を放棄した軟弱者に
執拗にお仕置きを繰り返すのです。


坪山の向こうに三頭山を望む

辿り着いた林道の終点は大寺山東尾根主稜までは達しておらず、尾名手尾根を下るためには
斜面をひと登りし、尾根上の一般登山道に出て、大寺山の山頂を踏む必要があるようです。
このわずかばかりのアルバイトさえ、もう苦痛と思える疲労困憊ぶりなのです。
ウエストバックからアップルパンを取り出しパクつき始めると、足は無意識に下り勾配の西原峠へ向けて
戻り始めているのでした。


林道終点部
松姫鉱泉を示す標識が転がっている


夕日を受ける西原峠

ヤブ尾根を上り詰め林道に飛び出した地点から西原峠は予想以上に離れており、
半年も山歩きから遠ざかると、どれほど山勘が鈍ってしまうかということを改めて認識させられるのです。
辿り着いた西原峠はすでに夕日の中にあり、太陽は南大菩薩連嶺の向こうへ姿を消そうとしています。
峠から阿寺沢源頭部への降り口を探してみると、微かな踏み跡らしきものを発見はしましたが、
陰の世界に入ってしまった谷底へ下降するのは賢明ではありません。
峠道の探索は見事に敗北したのです、また後日に持ち越しです。
それよりも今は、山中から麓へと一刻も早い脱出を試みなければならないのですから。

日没後に未知の尾名手尾根を下降するよりも、
一般道として整備されている坪山東尾根を下る方が得策だろうとの判断は正しかったに違いありません。
がしかし、坪山東尾根の小さな起伏の繰り返しや、ロープの張られた場所の通過は暗闇では危険では
なかろうか?一抹の不安を懐きつつ、日没との競争で小佐野峠へ向かいます。


以前は無かった林道から小佐野峠への道を分ける標識


夕闇迫る小佐野峠

西原峠から小佐野峠へ向かう途中、林道から分岐し斜上する山道の入口が分かり難いのですが、
分岐点には以前訪れたときには無かった指導標識が設置されていました。
夕闇間近の小佐野峠到着は4時半、ヘッドランプと懐中電灯の用意をし、日没に備えます。
ここで坪山東尾根を下降する他に、峠道をこのまま飯尾へ下るという選択肢も加わります。
飯尾へと下る峠道なら危険箇所も無く、たとえ暗闇でも迷うことはないでしょうから。


巻き道から坪山への分岐
以前より標識が増えている


以前は無かった「杖ん地蔵」の標識
「県道へ20分」という言葉に引かれた

小佐野峠からp1175圏を北側から巻く道を通過し、坪山へ向かう最後の分岐に到着です。
ここにも以前訪れたときにはなかった指導標識が加増され、「杖ん地蔵」の標識も付け加えられています。
時刻は4時40分、秋の日は釣瓶落し、周囲は闇に支配されつつあります。
新設された標識に書かれた「県道へ20分」の文字は、坪山東尾根下降の選択肢を消去させるのに
十分な効力がありました。

入山前、阿寺沢入口バス停で確認した終バス時刻が6時18分上野原行き、そこから逆算して飯尾発は
6時頃と推定される。これに乗車できれば県道を歩かずに車を停めた阿寺沢入口へと戻ることができます。
「県道へ20分」を信用すれば、県道着から飯尾バス停までの歩行時間を含めても充分間に合う時間です。
明確な進路が決まれば、心の焦りも消え、飯尾へ向けての峠道をゆっくりと慎重に下るだけのこと。


杖突き地蔵(杖ん地蔵)

周囲が刈り払われ、たくさんの杖が奉納された「杖ん地蔵」に下山の無事を祈り、
笹尾根の上に顔を出した晧晧と照らすまん丸のお月様に見守られて夜の峠道を下ります。
さすがに人の足に踏み固められた古くからの峠道は、夜間の歩行も苦ではありません。
実際、古き時代には、まだ朝明けぬ暗いうちからこの峠道を肩に食い込む重荷を背負い、
七保・猿橋へ向け越えていった飯尾・郷原の村人もあったに違いありません。

電池切れ寸前の心細いランプの光量でも難なく歩くことの出来る道のありがたみに感謝しながら進むと、
県道を走る自動車のヘッドライトが次第に目線の高さに近付いてきます。
ここまで来ればもう安心、あとは鶴川の流れに架けられた丸太橋を足を滑らさずに渡り終え、
県道へ飛び出すばかりだと思っていました・・・・が、その丸太橋が下流から上流、上流から下流と
いくら探しても見当たらないのです。
エッ!なぜと思いつつも、川縁を見ると増水氾濫の痕跡が見受けられます。
どうやら丸太橋は流されてしまったようです。
こうなればしょうがない・・・冷たい川の流れに足を浸すより方法がありません。
初めてのルートならば躊躇するところですが以前歩いて大体の渡渉点はわかっています。
両足を靴の中までびしょ濡れにしてようやく暗闇の山中からの脱出が終了です。

たまに通り過ぎる自動車を横目でうらやましく眺めながらも飯尾バス停に無事到着。
終バスまでには待ち時間がまだかなりあるので、結局は、冷たい足を引きずりながらも
車を停めた阿寺沢入口までトボトボと県道をひた歩きます。
阿寺沢右岸の峠道の探索が途中で頓挫した敗北感、闇に追い立てられた敗走感、
そんな感慨を胸に懐きながら吐く息が白い山里を後にしました。

車に辿り着くと同時に上野原行きの終バスが傍らを通り過ぎていきました。
このバスを追い駆けるように上野原市街地へ、その後はぬくぬくの「藤野やまなみ温泉」へ。
「やまなみ温泉」は19時以降は夜間料金で400円という格安で入浴ができます。
ヤブ尾根との格闘で疲れた体を癒し、冷え切った体を温め家路へと着くことができました。
それにしても阿寺沢右岸道を西原峠まで完踏できなかったことは悔やまれます。

(峠行2007.11.24)

帰宅後に再度、阿寺沢に関する資料をあさってみると、実地探索は容易ではないことがわかりました。

理由の一つとしては、下図『西原の山、川、地名、旧跡』(西原中学校 2006年)に記された流域図からも
窺い知ることができる通り、思っていた以上に阿寺沢は奥が深く、そして枝沢が多いという点です。


阿寺沢流域図 中流域〜鶴川出合


阿寺沢流域図 上流部〜中流域

そして二つ目の理由は、沢の源頭部がすでに崩壊している可能性があるという点です。
冒頭に紹介した昭和初期に出版された『日本山岳案内3』でも「小石がゴロゴロした歩き難い道を辿る」とあり、
もうその頃から源頭部の崩壊は見られていたのですから・・・・。

また、『奥多摩・高尾・大菩薩の谷123ルート』(山と渓谷社)では阿寺沢を沢登りの対象として
紹介していますが、その中には「源頭はヤブがうるさく稜線上には登山道もない」、
「稜線に抜ける場合は、本流をつめて行き、佐野峠から1226m峰、麻生山北峰に続く稜線に出る。
または二つ目の丸木橋上流の右岸支流の踏み跡を伝いながら、植林帯のなかを1226m峰から
東に続く尾根に出る。しかし、このコースはかなりヤブコギを強いられるため、篤志家向きである
との記述が見られます。往時からの峠道が残存していれば、なにも支尾根に逃げ道を求める
必要はないのですから、源頭部は相当荒れていると推測されます。


『奥多摩・高尾・大菩薩の谷123ルート』(山と渓谷社)
挿入遡行図(1995年)より転載

 

◆「佐野峠の資料室」を見る

●実地峠行編 PartTを見る 「トイレで夢見た峠」(小佐野峠・西原峠・佐野峠・十文字峠)

●実地峠行編 PartUを見る 「新旧の峠道」(西原峠・小佐野峠・佐野峠)

●実地峠行編 PartWを見る 「再チャレンジの峠道」(阿寺沢右岸道・西原峠・小佐野峠・坪山東尾根)