でんでえろの峠
サオラ峠(サヲウラ峠・竿裏峠・棹浦峠)・今川峠・越ダワ(越ザワ?)
越ダワ・・丹波・・サオラ峠・・丹波天平1342m・・保之瀬天平・・廃村後山・・廃村高畑・・水平歩道・・落滝・・押垣外・・越ダワ
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飛龍山(大洞山)から南下するミサカ尾根は サオラ峠で天平尾根と名前を変えて その端を丹波川の流れに落としている。 「天平」と書いて「デンデエロ」「デンデロ」又は「デンデーロ」と 丹波の集落からサオラ峠に登り、 自然が創造した不思議な空間「デンデエロ」、 |
● 丹波からサオラ峠へ ●
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| トヅラ峠、牧馬峠、田和峠、鶴峠、今川峠と幾つもの峠を越えて、 ひたすら走り続けて丹波山村に入ったものだから、 辿り着いたときには自分の車の運転に酔ってしまい少々ノックアウト気味でした。 かつては「秋山・道志・丹波・小菅」と僻村、寒村の代名詞のように 村には今から約4500〜4200年前の縄文人が定住した敷石住居跡の遺跡も見つかっています。 小菅村今川と丹波山村高尾を結ぶ今川峠は丹波山村の南の玄関口になっています。 今川峠の途中からは本日の目的地「でんでえろ尾根」が良く望めます。 |
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| 越ダワ近くにある村営無料駐車場に車を置いて歩き始めます。 国道411号線(青梅街道)は朝からツーリングバイクやサイクリストで賑わっています。 柳沢峠を越えて塩山方面へ遊びに行くのでしょうか。 丹波バス停のトイレで用を足し、バス車庫内の周辺地図を見てみるとサオラ峠までは1時間30分とあります。 ガソリンスタンド手前の小さな分岐を右手に折れ峠道に向かいます。 振り向くと集落の屋根が朝日に照らされ輝いています。 |
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| 「開けたら必ず閉めてください」と書かれた獣除けのゲートを ひとつ、ふたつ、みっつと通過して山道に入ります。 なんだか税関か関所でも通過して異界に入り込むようでおもしろいです。 審査官や関守はいないけど不浄な心を抱いた旅人はこの先の通行まかりならんと言われているようです。 峠道の前半部は植林地の中を進みます。 一頻り植林地の中の登りを終えると小尾根の肩に乗り上げます。 丹波山村の設置した登山者向けの標識は、「サオラ峠」ではなく「サヲウラ峠」で統一しています。 |
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| 標識前にザックを降ろしかけましたが、 左手を見るとなにやら明るい感じの小ピークに続く踏み跡があります。 どうせ休むなら景色の良い所でとそちらにむけて進んでみます。 小ピークには山ノ神でしょうか、それとも飛竜権現の末社でしょうか、 休憩を終えて、勾配が少し増してきた峠道を快調に進みます。 無理なく山肌につけられた峠道は、飛竜権現参拝の道としての役割の他には、 |
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| 落葉松が姿を現し、笹が見え出したら峠はもう近いのです。 落葉松林の樹間からは芦沢山、砥沢山、サカリ山、中指山などの魅力的なヤブ山の一群が望めます。 これらの山々を訪れるのならば冬枯れの時季が適しているのに違いありません。 しかし、その時期は路面凍結で丹波山村へのアクセスが難しくなることでしょう。 丹波山村を自然豊かな桃源郷のように書きましたが、 |
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● サオラ峠・竿裏峠・サヲウラ峠・棹浦峠 ●
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| サオラ峠は小広い場所です。 冷たい風が吹き抜けて峠道でかいた汗を一気に冷やします。 ここで、ミサカ尾根、天平尾根へと分れます。 尾根を越して直進する道は雲取山の前線基地三條の湯へと続きます。 峠には奥多摩の造林事業に尽力され、「奥多摩の主」と呼ばれた中川翁をお祭りする 峠からは富士の頭が遠望できます。 |
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| 「竿裏峠」と書かれた年代物の標柱は地に倒れ、朽ち果てようとしています。 丹波山村の設置した新しい標識には「サヲウラ峠」とあり、地形図には「サオラ峠」とあります。 また古い山の本では「棹浦峠」と表記したものもあります。 いずれにしても「サオラ」、「サヲウラ」には一体どんな意味があるのでしょうか? ◎『奥多摩』(田島勝太郎・山と渓谷社) ◎『多摩の低山』(守屋竜男・けやき出版) ◎『奥秩父回帰』(原全教・河出書房新社) ◎『山名の不思議』(谷有二・平凡社ライブラリー) どうやら棹の先のように高い所にある峠を意味するという考え方が定説になっているようであります。 ◎『山と集落-奥多摩と奥秩父-』(舞田一夫・集団形星) 総合すると、沢を詰めた場所に位置し、棹の先のように高い所にある峠ということになるようです。 ただ珍説として、『日本山岳ルーツ大辞典』(池田末則監修・竹書房)には、 「サオリ」とは「田植え始めに田の神を迎える祭。田植え終わりのサノボリに対するもの。 |
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● でんでえろ尾根を行く ●
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天平尾根は山岳サイクリングのメジャーコースでもあります。 サオラ峠まで登ってしまえば、あとは緩やかな下り勾配の道。 MTBで快走するにはもってこいでしょう。 でも、その峠まで自転車を運び上げるのは辛そうだな。 天平尾根は人影も少なく、フカフカした道が歩きやすいところ。 からまつの林をいでて、 そんな北原白秋の歌が思い出される落葉松の美林が続きます。 |
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| 「天平」とは、まさにその名の通り頂稜部が平らな尾根でした。 丹波山村には「丹波天平」と「保之瀬天平」、そして越ダワの西に「高尾天平」があります。 「でんでえろ」とは『世界山岳百科辞典』(山と渓谷社)によると、 また、『奥多摩風土記』(大館勇吉・武蔵野郷土刊行会)にも、 どうやら「でんでえろ」とは素直に頂上が平らな山をいう地方語と考えていいようです。 |
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| しかし、興味ある文献もあるのです。 『新ハイキング』(1989年10月408号・新ハイキング社)の中の「乾徳山山宮考(下)」(吉村迪著)では、 以下のように考究しているのです。 「デンデエロは「天平」と表記されるため、その地名の意を、 その「蓮台野」とは葬地を意味する語で、霊魂の集まる場所、あるいは霊場を意味するとのことです。 実際に丹波天平、保之瀬天平、そして高尾天平に亡骸を埋葬したかは知り得ませんが、 『山と集落-奥多摩と奥秩父-』の中でも、 愛知県碧海郡の方言で火葬場のことを「でんで」というそうです。(『地名用語語源辞典』東京堂出版) 山間の集落を歩いていると、日当りの良い南斜面の一等地にお墓が建っているのをよく見かけます。 |
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| 丹波天平は山上とは思えない広い平地が続きます。 樹木が生えていなければ、野球やサッカーができそうな感じです。 1300mを超す高地にこれだけの平地があるのは実に不思議です。 村の郷土民俗資料館で見た展示資料には、尾根上にも縄文期の遺跡があるのではないかと、 25000図『丹波』を広げると、丹波天平はそのほぼ中央に位置し存在を強く主張しています。 丹波天平の三角点はうっかりしていると見落してしまいます。 |
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| これだけ平らだと林務作業も楽に行うことができるでしょう。 落葉松を植える前は自然林が広がっていたのでしょうか? 木を切り、炭を焼くには作業しやすい場所に思えます。 実は、「炭俵」のことを「デンダワラ」というと聞いたことがあります。 記憶が正しければ山梨県郡内地方の言葉だったと思います。 「でんでえろ」と「デンダワラ」が似ていると考えるのは強引でしょうか。 『奥多摩』(田島勝太郎著)の中で、 白樺の生えた丹波への分岐路を見送って直進を続けます。 この先、廃村後山に向けては多少踏み跡が薄くなる部分もあります。 すれ違う人も無く、静寂に包まれています。 |
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● 廃村後山・廃村高畑を行く ●
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| 主尾根を外れ、雑木林を抜け、植林地を下ると、住む人が消えて久しい廃村後山に到着します。 村といっても建物はすでに無く、石垣だけが残る寂しさです。 錆びた釜や石臼の破片がかつて此処に人の生活があったことを示しています。 どんな理由でこのような山奥に生活の場を求めたのでしょうか? そしてここの住人はどこに消えてしまったのでしょうか? |
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| 民家に接続していた道とは思えない心許ない山道をさらに下降すると廃屋の残る廃村高畑に到着です。 後山よりもあとに廃村となったため、三軒ほどの廃屋が残っています。 生活の痕跡である欠けた徳利や茶碗が無造作に転がっています。 なんでも鑑定団に出品したら「ウーンいい仕事していますね、〇〇焼きの逸品です、500万円です!」 なんてことになったりしないでしょうかね。 (廃屋の立ち入りも、遺物の持ち去りも法律に触れると思うのでなさらぬように) |
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| このような山奥の集落でどんな生活が営まれていたのでしょうか?とても気になるところです。 視界に入るものといえば七ツ石山から南下する尾根と、大寺山や三頭山らの山ばかり。 大寺山の仏舎利塔の頭がちょこっと見えています。 いくら山好きでもここに定住しろと言われたら考えてしまうことでしょう。 コンビニまで何時間かかるのでしょうか? 民営化される郵便局はここまで果たして手紙を届けてくれるのでしょうか? 親川バス停を指し示す標識の裏手に道は続きます。 |
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● 高畑から押垣外へ続く道を行く ●
| 高畑から押垣外へ続く破線道の状態は思いの外良く、二、三の崩壊箇所はあるものの 登山地図に紹介されていないのが不思議なくらいの良い道です。 植林の中でうす暗い部分もありますが、同じくらい明るい自然林の中を歩く部分もあります。 植林地の中には丹念に積み重ねられた石積みがあり驚かされます。 |
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| 『多摩川源流を歩く』(瓜生卓造・東京書籍)の中で気になる一文を見つけました。 「明治20年に青梅街道が通るまでは、道はもっと高いところについていた。 これを見ると、往昔は川筋の断崖を避けて山肌の高いところを通過していたようです。 |
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炭焼き釜の跡を過ぎると、 突然一軒の大きな廃屋が現れてビックリさせられます。 廃屋に立派なという形容も変ですが、納屋もあり、 山上にあってはとても立派な建物です。 この廃屋の前から国道側へ下る分岐道が付けられています。 謎の水平歩道には茶碗のカケラなどが随所に落ちています。 |
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廃屋はこれを最後に見ることはありませんでしたが、 何か建物があったであろう平地や石積みが散見されます。 谷筋の喰い込みを頼りない丸太橋で渡ってしばらく行くと、 |
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標識に書かれたキケンの文字の通り、 荒れた沢筋の食い込みを慎重に下ったり攀じ登ったり、 落石防止ネットの張りめぐらされたガレ場を通過したりと、 いくつかの危険箇所はあるものの なんとか国道脇に飛び出ることが出来ました。 この道があまり宣伝されていないのは歩行者が引き起こす 国道に出た所は丁度、押垣外バス停の脇でありました。 |
| 石仏が祀られているところをみると、やはりこの道は由緒ある古くからの道なのでしょう。 国道を横断して反対車線のバス停の裏に押垣外集落に降りる畑の中のジグザグ道があります。 駐車場近くには丹波山村の一大観光スポット「ローラーすべり台」があるのですが、 |
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● おまけ/越ダワ ●
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| 越ダワは丹波山村の南の玄関口。 切り通しの急坂を下れば村の中心部、役場前に出る。 切り通しの土手上に大山祗命を祀る祠と念仏供養塔と刻まれた自然石がある。 |
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| 現地にある案内板はなぜか「越ざわ」になっている。 村が発行しているガイドマップや観光パンフレット、それに登山関係の資料はすべてが「越ダワ」なのに。 「ダワ」は「タワ」で、峠の一種と考えて間違いないだろうと思う。 【*3】 |
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| 【*1】 『奥秩父回帰』(原全教・河出書房新社)によると、「明治初めまで、年一度の祭りには丹波と小菅は総出で参拝し、 その通路は、社前から丹波へ下るデンデイロ尾根だった」とあります。 【*2】 実際に、丹波山村ではどんな信仰があるのか、あったのか、などは不勉強で調べておりません。 【*3】 『山と渓谷89号奥多摩特集』の「多摩水源を繞る峠」(正井暉雄著)を見ると、「越ダワ」は「小田和(コイダワ)峠」と |
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保之瀬
天平近くに生えていたキノコです。 ヌメリスギタケ?食べれたのかなぁ? 収獲してキノコ汁にすればよかったかな。 ドングリを拾い集め、 紅葉はまだまだ上の方だけでしたけど、 植物だけでなく人間の頭の毛も紅葉すれば |
【追記】 ◎『玉川源泝日記』(山田早苗・慶友社)に以下のような記述があります。 「橋を渡りて、親川山の九十九折をのぼりて、親川の一ツ屋という茅屋あり。かかる山中にあはれにおぼゆ。 黒尾峠とはどこのことでしょうか?親川と朴の瀬(保之瀬)の間に位置するようですが、詳細不明です。 ◎『新ハイキング』(03.6.572号・「サオラ峠-天平」山口ゆき子)の中でサオラ峠の名の由来について、 「飛竜山からミサカ尾根-峠-天平尾根と竿のような尾根が、峠で、ねじれくびれて裏を見せている。だから竿裏峠なんだ。」 竿を横置きで見ている点が、これまでの説とは若干ニュアンスが異なっているようです。 ◎『新ハイキング』(97.12.506号に「丹波天平と後山川右岸の山腹道」Wフォレスト)の中に |