★県内の峠制覇をほぼ終えて★

 難関の山神峠・織戸峠・富士見峠の峠行を終了して、
神奈川県内の「〇〇峠」と名の付く所への訪問はほぼ終了しました。

「だからどうした!」、「それがどうした!」と問われれば窮してしまいますし、
「大半は尾根上の峠を通過しただけで、峠そのものを越えてはいないじゃないか!」と責められれば、
返す言葉もありません。

はっきり言って自己満足の世界なので何卒、ご寛容に。

めぼしい「〇〇峠」は制覇したものの、まだ多数の「〇〇乗越」や「〇〇タル」が残っています。
本来、「〇〇乗越」などは除外したいのですが、「地元神奈川県の全峠を制覇する」というこの企画
骨格を成した参考資料である『かながわの峠』に「後沢乗越」が含まれているのだから致し方ない。
これから地道に「〇〇乗越」も制覇していこうと思います。

 「峠」の範疇に「坂」は含まないとしたが、「〇〇越」となると微妙である。
その時の気分で含めたり、含めなかったりである。 
「〇〇越」まで忠実に拾ってしまうと無数にあるのだから・・・
山間部、平野部を問わず、ほとんどの地域に広く散在している地名であるのだから。

一例では、横須賀武山から大田和への打越とか、鎌倉の腰越とか、藤沢の打越とか、
川崎幸区の越路(恋路)とか、山北の越地とか、それこそ枚挙にいとまがありません。
「坂」の天文学的な数字ほどではないだろうが、どこかで線を引かないと生きているうちに達成できなくなります。

とにかく、基本は「〇〇峠」を制覇することです。

そこで、いろいろな峠を歩き回ったり、さまざまな文献を通して調べたりした結果、
県内の「〇〇峠」に関して多くの不明な点、不確かな点、疑問点などが出てきたので以下に提示いたします。
どなたか確信できる答えを持ち合せている方がいらっしゃいましたら、ご教示頂ければ幸いです。

 疑問点山積

小犬越路って?


かなり昔の『山と渓谷』
「丹澤山塊地名考」坂本光雄著の挿入図より


ちょっと昔の日地出版の登山地図より

 「犬越路(峠)」は有名ですが、その北に「小犬越路」があるようです。

古い文献である「丹澤山塊地名考」には挿入図もあり「小犬越路」と書かれています。
その説明文には、
「小犬越路と謂うのは、現在堰堤が築かれている犬越路の北側にある小さな乗越を指したもので、
これは武田博士の御説の如く、大犬越路に対する小犬越路の字を造ったものと思われる・・・」
とあります。

つまり犬越路が大犬越路(オイヌコシジ)と呼ばれていた為に、
「大犬」に対抗(?)して「小犬」を造ったようです。

単なる俗称・通称だとずっと思っていましたが、そんなに古くない日地出版製の登山地図には、
しっかりと
「小犬越路」の表記がありました。 場所も同一のようです。
今後、探索する必要があるのかもしれません。

ただ、最近目にした『津久井町の地名』(津久井町教育委員会)という文献によると、
犬越路」が「犬越路」となっていました。 
「大犬→小犬」ならわかりやすい論理ですが、犬だとすると「子犬←親犬」になってしまいます?
場所も若干異なるようで、もっと神ノ川ヒュッテに近い場所のようでもあります。
一体どうなっているのやら?

『丹沢アルパインガイド』(昭和40・山と渓谷社)によると、
「(犬越路峠から)道志側へは潅木帯の急な下りになり、道は潅木帯から右にガレ沢に出て
急な斜面をからんで下り続ける。振り返って上部を望むと、尾根筋から山肌を剥き出しに荒々しい
ガレが幾つとなく落ちている。ひとしきりガレ沢を下り続けて行くと、破片岩に埋まった山肌を右に横切る。
ここに小犬越路の指導標が建っている。このあたりは二つばかりダムがあったが現在では土砂崩れで
破片岩に埋まりわからなくなった。」 とあります。
どうやら指導標識が建っていたこともあったようです。

「渋沢峠」か「渋沢の峠」か


ちょっと昔の日地出版の登山地図より


秦野市商工観光課発行の観光マップより

 渋沢の南に峠隧道があり、それをくぐれば「峠」という集落にたどり着きます。
ここまでは問題ないのですが、一部の地図には峠隧道の上に「渋沢峠」と表記したものがあります。

果たしてそんな峠が実際にある(あった)のでしょうか?
現地を訪れましたが、標識の類はありません。 未だに謎のままです・・・

(長名尾峠=名手峠)=浅川峠?

 『津久井町の地名』(津久井町教育委員会)を見ていたら津久井湖の北、大玉久保地区の字名として
「長名尾峠(チョーナオトウゲ)」という地名の表記があり、現在は「名手峠」と呼ばれているとありました。
三井寺から南高尾尾根に登った所が、その場所のようであります。

これはもしかしたら幻の浅川峠のことではないでしょうか?
『峠と路』(馬場喜信著・かたくら書店)に名前のあった浅川峠を探しに、
二度ほど南高尾尾根を歩きましたが結局判然としませんでした。
今後、再調査が必要のようです。

『新版・山と高原の旅』(中村謙著)には「丁奈尾峠」とあります。
浅川峠とは別で、その南に表記されています。
『新しき山の旅』(小林玻璃三・昭和書房・昭和17年)には「西山峠=丁奈尾峠=三井峠」とあります。

毛出シ峠=日影峠?


ちょっと昔の日地出版の登山地図より

 西丹沢の二本杉峠と屏風岩山との間に「毛出シ峠」があります。
また、その「毛出シ峠」は「日影峠」とも呼ばれていたようです。

ここまでは大体問題ないのですが、古い山の本(題名忘れた)を見ていた時に、
日影峠の位置が二本杉峠のわずか北側に位置し、
『山と高原地図』(昭文社)でいうところの地蔵平に下る破線道のある分岐部分に表記されていたのです。

これを信じると、日影峠は毛出シ峠と別物という可能性も出てきます。
さて、どうなんでしょうか?

ガイドブックのほとんどが両峠を同一とし、場所も上記画像と同一の地点を示しています。
丹沢の地誌に詳しい羽賀正太郎氏監修のガイドブックもそのようになっているので、
やはり、毛出シ峠=日影峠なのでしょうか?

切通峠=吉政峠はいいとして、ヒモシ峠は?


ちょっと昔の日地出版の登山地図より


『丹沢の山と渓』(山と渓谷社・昭和27年)より

 切通峠=吉政峠は問題無いように思えます。
ただ、昔の国境線紛争を調べられた『足柄の文化12号』の「相甲駿国境紛争と公裁」(石田昇著)の
文中を見ると「字高指の峯を吉政峠と号し・・・」とあり、若干疑問が残ります。
また同文中から、吉政峠の表記として芳坂峠も見られます。

 問題はヒモシ峠です。
『山と渓谷98号』の「世附川流域の峠」(鈴木経一著)の切通峠の説明には
「別名として火モシ峠の名があるが、往時平野の東国境線の見張り所であったと云われている・・・」 
とあって切通峠=ヒモシ峠であることを述べています。

しかし、一方では上記右画像のように別の尾根にヒモシ峠の名が見られることも間々あります。
現在の『山と高原地図』(昭文社)を見ると、その付近を送電線が越えています。
大棚沢水系の切通沢と、土沢水系の三ノ沢をその源頭部で結ぶ尾根越えの道があったのかもしれません。
だとすると、切通峠=ヒモシ峠は不成立ということになります。

『丹沢だより431』(2006.06)で丹沢の地誌に詳しい奥野幸道氏の「丹沢回想」という文章があり、
その中で、切通峠について、「一名をヒモシ峠ともいわれている」とあるので、
やはり、切通峠=ヒモシ峠説も捨て難いところではあります。

ついでに切通峠の北に位置するパラシマ峠(バラシマ、パラジマ、バラジマとも表記される)の
「パラシマ」の意味が全くもって不明です。

都留市の今倉山付近にもパラシマ沢というのがありますが、「パラシマ」って何の意味でしょうか?
原島?、腹島?、薔薇縞?・・・・?
『あしなか第2号』(山村民俗の会)の「鹿留山附近の山名について」(加藤秀夫著)によると、
「バラジマ」とは「茨が群生して通過困難なる所を云う」とあります。
なるほど、でもこれが正解なのでしょうか?

くらふね峠・鞍骨峠って?

 『足柄の文化12号』の「相甲駿国境紛争と公裁」(石田昇著)の中に、
「くらふね峠」あるいは「鞍骨峠」という表記が出てきます。
これってどこのことなんでしょうかね?

犬峠から忘路峠へ変身


ちょっと昔の日地出版の登山地図より

 一昔前の地図やガイドブックには「犬峠」の名前がまだ見受けられますが、
最近の『山と高原地図』(昭文社)を見ると、「忘路峠」となっています。

いつ頃から使用され始めた名前なのでしょうか?
1988年版の『山と高原地図』では無名にまでなっていたのに・・・「忘路峠」と名を変えて復活したようです。

「忘路」とは「傍示」のことでしょうか?
相甲の国境稜線を示す杭(傍示杭)が、音だけ生き残って忘路になったのでしょうか?

それとも「忘路」は「恋路(越路)」の誤記発展系でしょうか?


『ヤマケイアルペンガイド丹沢』三宅岳著・山と渓谷社・2009年版

2009年版『ヤマケイアルペンガイド丹沢』では「恋路峠」という表記になっている。
「忘路」が「恋路」に変化したのだろうか?それとも「恋路」が「忘路」になって「恋路」に戻ったのだろうか?

猿越路と太郎峠

 越路ではなく、越路です。
『津久井町の地名』(津久井町教育委員会)を見ていたら、奥野地区に「猿越路」という字名を発見しました。
柏原ノ頭付近のようですが詳細不明です。

同じく『津久井町の地名』によると、大堀地区には「太郎峠」という地名があるようです。
「太郎峠下の串川より水田用の引水をした大きな堀があった・・・」 とあります。

ちなみに同本には、葵地区と栗焼沢地区と根本地区にそれぞれ「越路」という地名があるとしています。

日向乗越と前戸乗越

 『丹沢・桂秋山域の山の神々』(佐藤芝明著・丸ノ内出版)という本の一節に、
「三角山と仙洞寺山との間に日向(ひゅうみ)と前戸(まえど)乗越という二つの峠があって
昔は重要な交通路であった」
 とあります。

「日向(ひゅうみ)」は「火海」のことで火海峠のことだと思います。
前戸乗越とは、今の仙洞寺山を周回している林道の部分のことでしょうか?不明です。

イヌクビリ峠=竹山峠 ?

 イヌクビリ峠と竹山峠とが同一の峠なのかわかりません。
『明治の山旅』(武田久吉著)の「塔ノ岳」の紀行文や
『丹沢だより198号』の「丹沢の古道を訪ねて」(奥野幸道著)などを読むと、
竹山峠はイヌクビリ峠よりも、もっと集落に近い標高の低い場所にあるような気がします。
イヌクビリ峠のちょっと北にある峠が笹峠だけにややこしい。

笹峠を竹山峠としている文献もあり混乱しています。

梅ノ木峠 ?

 『ヤマケイアルペンガイド丹沢』によると、日向薬師の裏の尾根(梅ノ木尾根)に
「梅ノ木峠」という峠があるような記述をしています。さて、どこのことでしょうか?
天神峠のことでしょうか?文章を読んでもそれが位置する所がどこだか判りません。

火打沢峠 ?

 清川村教育委員会と文化財保護委員会の著による『清川村地名抄』を見ていたら、
「火打沢峠」という峠名を見つけました。 しかし、どこだか判らず探索不能です。

百合が丘峠 ?

二宮町に「百合が丘峠公園」という公園があります。
「百合が丘峠」という峠があるのでしょうか?
住宅地造成で新造された峠かもしれません。

たしかにバス停前の坂道は峠状になっていますが・・・。

『にのみやの地名』によると、
この付近を単に峠と呼んでいたようであります。

小丸峠 ?

 『てっぺんで月を見る』(沢野ひとし著・角川文庫)の「幸せの小径-丹沢・鍋割山」という文章の中で
「小丸峠」という名称が登場します。正式名称かは不明です。
小丸から登山訓練所に下る分岐のことでしょうか?

熊笹峠 ?

 2006年7月18日『神奈川新聞』の一面記事「丹沢ブナ三重苦」の中に「熊笹峠」の名前がありました。
ブナハバチの食害調査ポイントの一つのようですが一体どこのことでしょうか?

十二町峠? 大崩峠? 小道峠? 湯坂峠

 箱根に「十二町峠」というものがあるらしい、この情報はNさんのHPから得た。
昭和16年発行の『ハイキング110号』(『新ハイキング』ではない)に以下の記述があるという。

「箱根町より伊豆田方郡泉村北上村へ越した峠で、峠路の山上頂稜を行く部分が約十二町ある
ところからその名がある。峠頂上一帯の茅戸の明るい気分はいかにもハコネ的である。
海ノ平は峠上に一段高みをなす小台地・・・」

いろいろ文献を調べてみたが詳細は判らない。
芦ノ湖スカイラインの料金所近く、海ノ平周辺と推定される。
「十二町園」という施設があるらしい。

関連して『箱根町誌第一巻』の「箱根山の古道と中世以降の箱根の発展」(中野敬次郎著)を見ていたところ、
「大崩峠(おおぼけとうげ)、水呑峠(水飲峠)、小道峠、湯坂峠」という名前と接することになった。
「水呑峠」は三島市元山中付近にあったとされ県外なのでよしとするが、他のものは県内なので、
峠リストに加える必要があるかもしれない。

「大崩峠」については、
「元山中を過ぎると、しばらくして尾根通りとなり、外輪山頂上の山伏峠の南肩、海ノ平の間に出る。
ここが恐らく大崩峠であろう」との記述があり、十二町峠と同一か同一付近の可能性がある。

「小道峠」は、白銀山の南斜面(弾正ガ原、ほおずき平)を過ぎ、星山の東肩に出た所で、
『源平盛衰記』による「小道の地蔵堂」がある場所を指すらしい。

「湯坂峠」については、箱根湯本から浅間山、鷹巣山に至る鎌倉古道、いわゆる「湯坂道」のことで、
他の文献でもこの名前を目にしたことがある。

早雲山乗越? かごや道峠?

 『かながわの散歩道』(清水銀造・丸井図書出版)を見ていたら、
箱根の神山の稜線を乗り越す峠として「早雲山乗越」、
大山南尾根で下社からの道を合す地点を「かごや道峠」との記述があった。
どちらも一般的ではないので峠リストからは除外している。
(この本では、その他にも名無しの“峠”をいくつか紹介しているがどれも著者の創造物かもしれない)

西ノ峠? 

 「相模國大山図」(昭和7年・大山町玩具隙物問屋吉川善蔵氏印刷発行)の中に西ノ峠の名前が見られる。
峠というよりは峯(ドッケ系)のようである。
大山南の浅間山辺りを指しているようだが詳細不明。

 今後の県内峠行の課題

乗越の制覇ヘ

 東沢乗越、中ノ沢乗越(檜洞乗越)、箒沢乗越、など多くの乗越系が手付かずで残っています。
これらを時間をかけても巡ろうと思います。

乗越などは一部の登山者や沢登りを嗜好する人しか通らないと思いがちですが、
炭焼きのために、猟のために、鉱山開発のために、木地師が良材を得るためにと、
山麓に住む多くの人々や、山中を移動する漂泊民に利用されてきたのです。
中には抜け道として、隠れ道として、人目を避ける特定の人々に利用されてきたケースもあるでしょう。

里の峠に比べれば、たしかに利用頻度は低いですが、
人が何かを求めて越えた古くからの道を探るのは楽しいことです。

雨山峠と鍋割峠の間にある(あった)という、オガラ沢乗越や鉄砲沢乗越は、
熊木からの薪炭を寄村に運ぶキャラバンが毎日のように通行していたといいます。
オガラ沢乗越が地図に載ったことは一度もないそうですが、
雨山峠の峠道よりも立派な径路だったといわれています。 (『丹沢だより267』より)
そんな今では人々の記憶から忘れられつつある尾根越えの道を探るのも興味あるところです。

峠の再訪

 一度訪れた峠であっても、機会があれば再訪してみたい峠はいくつもあります。
尾根歩きのついでに訪れた峠がほとんどですから、「こちらから あちらへ 越える」という
正統的な峠越えを、本来の峠歩きの姿を、それぞれの峠で実行してみたいものです。

また、峠の旧道を拾うという行為も同時に進めてみたいものです。
現在の峠道と昔の峠道が同一でないものも多々あります。
草に埋もれ、人々の記憶から消えかけた微かな踏み跡を探る行為は危険も伴いますが、
峠へのロマンを掻き立てる一面を持っています。
昔の人が歩いた道を同じ径路で辿ることで、当時の人々の思いや息遣いを身近に感じとることが
できればと思います。

 峠の危機

 県内の峠の中には、瀕死の状態である峠もいくつかありました。
人の往来が途絶え、静かにヤブに埋もれゆく峠がいかに多いことか。
しかし、それでも人の手による乱開発によって殺される峠よりはいいかもしれません。

ほぼ制覇を終えたといっても、最初の頃に訪れた場所などは、今では姿が変わっているかもしれません。
それくらい峠の変化、峠の破壊は激しいのです。

すべての峠を制覇できたところで意味は無い。
なぜなら峠の変貌は著しいのだから。