白沢峠、関場峠を探索する

白沢峠・底沢峠(赤岩越え、案下峠)・旧関場峠・新関場峠・明王峠・奈良子峠


『山と高原地図・高尾陣馬』 2006年版 昭文社

『山と高原地図』と旧版地形図を見比べていたら、白沢峠と関場峠の位置が気になった。
白沢峠の誤差は許容範囲内としても、関場峠は本来の峠位置から大きくズレている。
これら二つの峠道がどんな状態なのか訪ねてみることにしました。


昭和4年測図昭和24年発行
白沢川を詰めて現行地形図のp673の右肩を越えている


昭和4年測図昭和24年発行
p673を越えてきた道は、小下沢源頭部を横断して、
三本松山の東方鞍部を越えて西ツチラ沢沿いに下っている
現在、送電鉄塔の立っている鞍部が本来の峠だ!

古い地形図から、これら二つの峠は同じ道筋に位置する一連の峠であったことがわかります。
底沢から白沢川沿いに登りつめた道は、白沢峠で奥高尾縦走路を越えて、
一旦、小下沢源頭部へと下り、次に北高尾山稜を関場峠で乗り越えて、
西ツチラ沢に沿って高留(関場)へと繋がっていました。

現行版の地形図では、白沢峠や関場峠のそれぞれの峠道や
二つの峠を結びつけていた小下沢横断部分の道は描かれておらず、峠名の記載もありません。
ただ、二つの峠近くを東京電力の送電線である新多摩線が通っているだけです。

登山用の地図では峠名の表記はありますが、峠道の記載はやはり見られません。
なぜこれら峠道は地図から抹消されてしまったのでしょうか?
そして登山地図の関場峠においては、なにゆえ大きく西へと移動してしまったのでしょうか?


『広域市街地図・八王子高尾相模湖』 人文社 1994年

古い地形図以外に、二つの峠道を描いた地図はないものかと探してみると、
人文社の『広域市街地図・八王子高尾相模湖』(1994年版)に見事に表記されているのを見つけました。

この相模湖町底沢と上恩方町高留(関場)とを繋ぐ、
二つの峠越えを要するルートは、今でも果たして辿ることができるのでしょうか?

 白沢峠の道を探る

【白沢峠】

「堂所山と景信山との間にある峠、高さ650m。
上恩方町高留から相模湖町底沢に通う路がかかっていたが、いまは廃道となった。
西多摩地方の人々が底沢半僧坊に参詣した道という」
                                        (『八王子事典』 p363)

「白沢峠の名は現行の登山用地図などにも記されているが、そこを越える峠道の記載がない。
場所は景信山と堂所山の間で、堂所山の方に寄ったところ。
その南側の斜面から生まれる谷に白沢川とあるから、この谷をつめる道があったのだろう。
(中略)かつての峠と覚しきあたりから谷に下る踏み跡でもないかと注意しても見つからない。
谷の東側を画する尾根に小路がついていたのでそれを下り、白沢川の谷におりた。(後略)」
                                        (『峠と路』 p92)

「(前略)市販の地図には白沢峠と明記されているが、峠を示す道標はない。
尾根道をたどっても、いつの間にか通り過ぎてしまう峠。それだけに忘れられた峠ともいえよう。
(中略)草の生い茂った峠道が白沢へとつけられている。
しかし、今この峠道はヤブが多く、歩く人は少ない。すぐ西にある旧明王峠とも呼ばれる
底沢峠道の整備が白沢峠越えを大きく変えたともいえよう。(後略)」
                                        (『かながわの峠』 p158-p159)

 


第二白沢林道


ここから奥高尾縦走路へ詰め上がることにする

相模湖から国道20号線を行き、底沢バス停で美女谷温泉の看板に従い谷奥へと入ります。
西入沢を見送り、白沢川の流れに沿って進むと、臨済宗建長寺派の桂林寺を見ます。
この本堂の裏手には半僧坊の堂宇があり、昔は西多摩地方から関場峠、白沢峠を越えて
参詣に訪れる人があったといいます。

第二白沢林道を進み、旧版地形図に記された峠道があったであろう谷筋に踏み込みます。
小沢の流れに被さるような桟道を進むと、分収林の看板があり、
その概略図に示された現地名は「ヌタノ久保」とあります。


詰め上がる谷筋は植林の急斜面


尾根に飛び出した所の標識には「白沢峠」とある

この道でいいのだろうかと不安にもなりますが、構わずに突き進みます。
水流が消えると、右手の斜面へ二、三度大きくジグザグをし、高度を稼ぎます。
旧版地形図に記された峠道の道筋とは異なっていますが、歩くべき谷筋を進んでいるようです。

明瞭な仕事道が白沢川左岸鉄塔尾根に逃げて行くのを見送り、
足は谷筋を忠実に詰めるべく道無き植林斜面の登りに取り掛かります。
爪先頼みの歩行に、脹脛がパンパンになってきますが、点々と続く林班杭、見出標杭を目印に
ひとふんばりすれば、奥高尾縦走路p673の巻き道の途中に飛び出します。


尾根を東へ行った所にはプラ杭に「白沢峠」とある


桜が生えているp673

巻き道途中の飛び出した地点から数メートル西へ行けば、公的登山標識があり、
そこには黒マジックで書かれた「白沢峠」の文字を見るのです。

念のためにと、東方の送電鉄塔ピークへ向かってみると、尾根道から南面へ分岐する道があり、
その足元のプラ杭にも「白沢峠」の文字が見られるのです。
えっ!これは昔からの峠道とは違うだろうと思うのですが、自信有り気に書かれているのが
悩ましいところです。

p673のピークには桜が生えているだけで、峠道がすぐそばを越えていたという形跡はありません。
周囲を探ってみても峠道の痕跡は見当たらず、仕方なしにヤブを掻き分けて、
小下沢に向けて北側斜面の下降を開始します。


p673北面斜面の山腹道に落ちていた湯飲み

しばらく踏み跡無き斜面を下ると、山腹を水平に走る道とぶつかり、
すわ、峠道だ!と喜びをあらわにしますが、それも一時のことで、
山腹水平道を右へ行けば植林地内で消滅、左へ行けば崖場で消滅と期待外れに終わります。

水平道に落ちていた湯飲みだけが人間の臭いを感じさせますが、
この水平道が峠道の一部なのかは不明です。
結局、小下沢へ下降する道跡なんぞは発見できないのです。

もうこうなれば水平道は諦めて、斜面下降を遮二無二続行するぞと勇んではみたものの、
勾配を増す斜面に恐れをなし、あっけなくp673へと引き返してしまったのです。


底沢峠 底沢分岐


古い地形図の底沢峠道

まぁ、白沢峠の南面の様子を探ることはできたので良しとして、
天気も崩れる気配を見せているので、底沢峠から底沢へと早々に撤退するのでした。

この底沢峠から底沢へと下る道ですが、植林地内のジグザグを繰り返してから尾根に乗ると、
その後は一貫して尾根上を行く歩きやすい道でしたが、
帰宅後に旧版地形図を見てみると、尾根筋に峠道の記載はなく、峠からの道は直下の谷筋へと
下降していたことがわかりました。
この道は今でも残っているのでしょうか?
ひとつの課題が終了しても、次々と疑問が生まれる厄介な遊びに少々食傷気味になるのです。

 関場峠を探る

【関場峠】

「上恩方町高留付近から裏高尾町小下沢の源流部へ越える峠。
新・旧二つのルートがある。高さはいずれも540m。
旧道は高留より西ツチラ沢をさかのぼった位置にあたり、そこから小下沢に下り白沢峠へ通じていた。
新道は高留の西の川井野から便楼沢をさかのぼり稜線に出る。小下沢林道の終点の直下にあたる。
西へ登れば堂所山に達し、東は北高尾山稜を伝って八王子城山方面に出る。
峠の名は高留を関場とも呼んだことによる。」
                                          (『八王子事典』 p404-p405)

【ツチラ沢】

「北高尾山稜から発し、上恩方町高留で北浅川に注ぐ沢。
三本松山の東北面から流れ出す西ツチラ沢と、大嵐山を水源とする東ツチラ沢とがあり、
北浅川へ注ぐ直前で合流している。
東京都の表示では、西ツチラ沢を北土代沢、東ツチラ沢を南土代沢としてあるが、
北・南の区別は適切ではない。
西ツチラ沢には北土代沢林道が開かれ、北高尾山稜直下まで通じている。
かつてはこの沢の頭に関場峠があった。

東ツチラ沢には南土代沢林道があり、これも谷奥まで開かれている。」
                                          (『八王子事典』 p519)

 


北土代沢林道の終点部
(西ツチラ沢源流域)


新多摩線75号鉄塔へ向かう巡視路

奥高尾縦走路と北高尾山稜の二つの尾根を乗り越えて、
相模湖町底沢と上恩方高留(関場)を、白沢峠と関場峠を介して結びつけるルートのうち、
前回は、白沢峠南面の道を探ったので、今回は関場峠北面の道を探ってみます。
といいつつも、西ツチラ沢に沿った北土代沢林道の終点部で、早々にヤブ漕ぎを伴う旧道の
探索を放棄してしまい、安全快適な送電線巡視路を辿って尾根へと出てしまいました。


本来の関場峠


小下沢へ降りる旧峠道の残存

本来の関場峠である新多摩線74号鉄塔のある鞍部に、山稜を越える峠道の痕跡は見当たらず、
現在では名実ともに峠の機能を失っているようです。
現在、「関場峠」と呼ばれている場所は、三本松山西方の鞍部で、小下沢林道の終点部が、
関場峠として広く認知され、登山地図やガイド本でも定着しています。
いまさら元の場所に戻せといったところで、
峠の位置のズレよりも、オマエの考え方がズレていると批判を受けるに違いありません。

旧関場峠の南面、小下沢に下る道を探って見ると、
植林地内に旧版地形図に描かれた道筋と合致する峠道を見出すことができました。
造林作業の仕事道として使用されているようですが、伐木が横たわり、ヤブが被ったりして、
いささか乱雑の感があります。


小下沢林道


公認されている現在の関場峠

小下沢林道へは植林伐採斜面から容易に下降することができます。
ここから奥高尾縦走路を越える白沢峠へ向かうために、
どこで小下沢の流れを横断していたのかは定かではありませんが、
小さな流れですから、どこからでも飛び石で渡ることはできたでしょう。

しかし、それを確認するでもなく、逃げるようにして、小下沢林道を終点までトコトコと歩き、
新関場峠で憩っているのですから、旧峠道探索が聞いて呆れます。
このまま北高尾山稜を歩き、堂所山、明王峠を経て、奈良子峠から案下へと下って
高尾の峠を後にしました。

底沢から白沢川を詰め上げてp673へは容易に達することができる。
そこから小下沢へ下るには道無き斜面を下ることになるが、
降下場所を見誤ると結構な急傾斜に阻まれる。
p673の北側斜面下部に旧道が残っているかは未確認。

高留(関場)から西ツチラ沢に沿って林道を歩き、
勇気ある者は、林道終点部から忠実に沢を詰め上げれば
旧関場峠に達すると思われる。
峠南面には小下沢側に下る道が残ることを確認した。
さらに小下沢を渡り白沢峠へ向かう道が現存しているかは未確認。

新関場峠からは、北面の便楼沢に下る道があるという。

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