富士山の西、静岡県富士宮市朝霧高原と山梨県下部町(現身延町)及び南部町との境界をなす
天子山塊主脈縦走路上に今回訪れる地蔵峠、猪之頭峠、湧水峠、富士見峠は位置しています。これら久恋の峠の数々を日帰りでお手軽に巡るにはどうしたらよいのかと頭を捻ります。
結果、麓集落から地蔵峠に登って主稜尾根を南下し、雪見岳(1605m)、熊森山(1574m)を踏んで、
湧水峠を下降するのが手っ取り早いとの結論を得るのです。
時間に余裕があれば欲張って長者ヶ岳や天子ヶ岳まで踏んでしまえと考えたりもするのですが、
尾根を南下すればするほど車を停めたスタート地点に戻るのは骨が折れる作業になります。
観光地のくせにバス便は無いに等しく下山後の車の回収は頭を悩ますところです。
事前に地蔵峠から長者ヶ岳間の尾根道の様子を知ろうと、ネット情報や文献等を下調べしますが、
雨ヶ岳、毛無山や長者ヶ岳、天子ヶ岳など各山の単発の山行記録は豊富なものの、
天子山塊主脈縦走路の踏査記録はそれほど多くはありません。
特に、地蔵峠から長者ヶ岳間の尾根道はあまり一般には歩かれてはいないようです。
昭文社発行の登山地図『山と高原地図』には、
「長者ヶ岳から地蔵峠間の縦走は熟達者と同行のこと」とおどろおどろしい注意文が添えられ、
また、数少ない文献や過去の山行記録からは熊笹の密ヤブとの悪戦苦闘振りが窺がえるなど、
これらのことが登山者の足を遠ざけている要因なのかも知れません。
しかし、新しいネット上の記録や雑誌『新ハイキング』の直近の紀行文等を参照すると、
尾根を埋め尽くしていた悪評高き熊笹の激ヤブは近年、すっかり刈り払われ、
尾根道は地元山岳会や地元高校のワンゲル部によって手入れがなされていることがわかります。
もはや恐れることも、立入りを躊躇することもない状況に尾根道は様変わりしているようなのです。
熊笹の密ヤブ漕ぎという障碍が消えたとなれば、この山域に足を踏み入れる際の問題点は、
どうやってアクセスするか、どうやってマイカーを回収するかの一点に絞られます。
最新2008年版の『山と高原地図』には、今もなお「縦走は熟達者と同行のこと」と書かれ、
一般ハイカーをこの山域に近づけることを拒もうとしています。
しかし、そもそもよく考えると「熟達者」の定義は曖昧です。
どれほどの経験と技術を有している者が「熟達者」なのか?
そして、その判断は何を基準に誰が行うのか?
つまるところ、山歩きとは自己判断・自己責任で行うものなのだから、
このような注意書きは本来不要で、あったとしても参考程度に心得るのが適切なのでしょう。
しかし、不案内な土地ともなればこういった注意書きの一言に強いインパクトを受け、
しり込みしてしまうのもまた止むを得ない事でしょう・・・と、これまで激ヤブを恐れ訪れることを
しなかった自分を弁護したりもするのです。
今や充分に手の施されたこの尾根道に、いまだに素人お断りの注意書きを残し続けているのは、
遭難騒ぎが起きた時のための言い訳なのか、それとも、登山者を意図的に遠ざけ、
あるがままの自然を少しでも永く保持しようとの心憎い配慮なのか、
地図製作会社の意図はわかりませんが、オーバーユーズを避けるためにも
このおどろおどろしい文言は削除しないで欲しいとひそかに願っているのです。
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毛無山登山者臨時駐車場
登山口の駐車場は利用料500円を徴収されますが、
登山口から離れた臨時駐車場は無料!
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金山奉行を務めた竹川家
県境から東側はすべて当家の持ち山だとか・・・
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天候不順、体調不良続きだったゴールデンウィーク、
その最終日に快晴の予報を信じて、未明の一般道を3時間走り続け毛無山の登山口へ。
まだ見ぬ峠との出会いのために、早起きを厭わず、ガソリン代の高騰もなんのその、
遠路はるばるやって来るのだから峠病とは恐ろしい。毛無山、大見岳、タカデッキを望む「毛無山登山者臨時駐車場」に車を乗り捨てます。
もっと登山口に近い場所にも駐車場はあるのですが、そこは利用料500円と有料なのです。
下山後に東海自然歩道を歩いて車に戻って来ることを考えると、
入山口前の有料駐車場に車を停める必要はありませんし、
早朝の富士吉田の「すきや」で食べた「牛丼トン汁サラダセット」の500円をチャラにする為にも
無料の臨時駐車場が好都合なのです。
連休突入前から買い求めてあったバナナの腐りかけた臭いが充満するザックを背負って
地蔵峠の登り口である麓集落へと向かいます。
道端の道祖神と朝の挨拶を交わし、金山奉行を務めたという竹川家の立派な門前を通過すれば
有料駐車場のある毛無山登山口となります。
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麓金山金鉱石破砕機
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毛無山登山路と地蔵峠道との分岐
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麓集落は今川・武田・徳川時代と金鉱開発で栄え、
麓千軒とも麓三千軒とも呼ばれるほどの賑わいをみせていたといいます。
鬱蒼たる樹林の中に鎮座する「麓宮」前を通り過ぎ、
「麓金山精錬所跡」「麓金山金鉱石破砕機」などと書かれた金鉱名残の看板を横目に進みます。大きな堰堤を右側から越えると、毛無山登路と地蔵峠道との分岐を迎えます。
分岐点には標識が設置され、なんら戸惑うことはありません。
峠道より毛無山登山路の方が一般には歩かれているようですが、峠道も極めて明瞭です。
連休前半の天候不順を償うかのような快晴は、歩き始めてすぐの身を汗だくにさせます。
峠道が涼しげな沢沿いに付けられているのがせめてもの救いです。
新緑を迎えたばかりの沢沿いの道、白い岩の上を流れる透き通った水、春の花々と鶯の声、
峠道は金山沢の奥へ奥へと続きます。
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比丘尼の滝
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峠道は新緑のトンネル道
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沢を右岸に渡り、また左岸に渡り返しなどしていると、
前方には豊富な水量を落とす「比丘尼の滝」が姿を現わします。
滝壷で世俗の穢れを洗い流そうかとも思いましたが、豪壮な水の落下は小さな人間など
たやすく押し潰してしまいそうな勢いです。峠道は比丘尼の滝を右手から高巻くようにつけられ、徐々に高度を上げていきますが、
沢は遠ざかることはなく、その後も幾つかの滝を配しながら、旅人の目を楽しませてくれます。
沢筋に付けられた道だけに、序盤はやや荒れた箇所もありますが次第に道は安定していきます。
序盤の道の様子からは、ここを重い金鉱石を背負った坑夫が歩いたのだろうか、
沢への転落を恐れずに牛馬は歩くことができたのだろうか、などの疑問も浮かびますが、
昔は今よりも道の状態がずっと良かったのかもしれません。
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金鉱石を焼いた石窯跡が残る
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峠直下の急登
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熊笹が姿を現わすと、峠道は中盤に入ります。
傾斜が緩み、山の中腹にしては割と広い河原状の中を進むことになります。
背後のガサッ!という音に振り返ると、サクサクと快調な足取りの単独行者が近付いており、
「良い天気でよかったですね」の言葉を残して、あっけなく抜き去って行くのです。
「良い天気」であることが本当に良いことなのか、汗だくでペースの上がらない重い体は
雲ひとつない青空と容赦なく降り注ぐ紫外線を恨んだりもするのです。少なくなった沢の流れを数度の飛び石で渡り、「←地蔵峠・麓→」の標識を見ると、
道は栂(樅?)の疎林のジグザグを経て尾根筋に乗り、勾配を再び強めていきます。
「金鉱石を焼いた窯」の看板の建つ古い石積み跡を過ぎると、
左手前方の尾根の撓みを目指して、沢をグルッと回り込むようなトラバース道となり、
峠直下の急登へと導かれ、いよいよ峠道は終盤を迎えます。
途中一箇所、道の崩壊があり、一旦沢筋へと下ろされ、
ロープの張られた場所を上下させられますが、なにも難しいことはありません。
急登に挑む前に呼吸を整え、オーバーヒート直前の火照った体を沢筋を渡る風で冷却します。
バナナ臭が充満するザックから腐り始めたバナナを一本取り出しエネルギーも補給です。
バナナの腐敗臭に一瞬、クラクラッときますが構わず胃袋に放り込みます。
峠直下の急登は厳しいですが、距離は長くありません。
振り向けば大きな富士が声無き声援を送ってくれているのです。
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地蔵峠に辿り着く
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峠には立派な峠名標識と石仏
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序破急と変化に富んだ峠道は、想像していたより小さな鞍部にひょいと飛び出して終わりを迎えます。
そこには「地蔵峠」と書かれた小さな峠には不釣合いな大きな看板があり、
小さな峠に呼応するかのような小さな双体道祖神(双体仏?)がお祀りされています。双体道祖神は風化が激しく、いつ頃のものかわかりませんし、その表情も定かではありません。
峠を通行する人々を長きに渡り見守ってきたに違いありませんが、
金鉱開発の衰退と共に通行する人も激減し、さびしい表情を浮かべているのかもしれません。
空缶に詰められたお賽銭で、どんなお買物をするつもりなのでしょうか。
「湯ノ奥村ヨリ駿州井ノ頭村ニ至ル界ニ在リ 山渓険悪ノ地ナリ 行程三里余ナルベシ
嶺ヲ下レバ麓ト云ヘル村家アリ」
『甲斐国誌』にはこのように書かれ、地蔵峠は「金山嶺」の名で記されています。
峠道は東河内領と駿河とを結ぶ間道として重要視されていたといいますが、
由緒ある道筋にしては地形図には峠道の記載がありません。
古い版の地形図をひっ張り出して見ても、なぜか峠道の記載は見られません。
これより南方に位置する猪之頭峠の峠道が古い版の地形図に描かれているのに対し、
なぜか地蔵峠の峠道は描かれていないのです。
これは猪之頭峠に比べると利用頻度が低かったことの表われなのでしょうか。
それとも金鉱に金の亡者を近づけさせない為の思惑からなのでしょうか?
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峠の標識
長者ヶ岳・天子ヶ岳方向を指し示す案内は無い
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峠に祀られた双体道祖神
空缶にはお賽銭がたくさん詰まっていた
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峠の標識は、下部、麓、毛無山を指し示していますが、
尾根を南下する長者ヶ岳、天子ヶ岳方向には何も記されていません。
標識が設置された当時は、長者ヶ岳、天子ヶ岳方向は熊笹の激ヤブで
とても歩ける状態ではなかったという事なのでしょう。また、標識の「下部」という文字には×印がされ、「通行不可、降りられない」とマジックで書かれています。
峠から見たところ、下部側も踏み跡はしっかりとつけられているのが確認できますが、
きっと下って行った先で崩壊しているのでしょう。
富士宮市のHPでも「平成15年2月現在、地蔵峠〜下部温泉の区間は通行できません」と
忠告されていますからなんらかの通行を阻む障害があるのでしょう。
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地蔵峠付近からの富士山
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『身延町観光ガイドマップ』 より
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通行止の下部湯之奥側へ降るには、
毛無山方向へ尾根を5分ほど行った先にある分岐点から下降することになります。
その場所は「新地蔵峠」、「第二地蔵峠」と呼ばれているようで、
身延町の公式観光ガイドマップにも「第二地蔵峠」の名前が見られます。「新地蔵峠」、「第二地蔵峠」なるネーミングが適切なものなのか甚だ疑問ではありますが、
すでに今では一般化してしまっているようで、登山ガイド本にもこれら峠名は登場しています。
下部湯之奥からこの新(第二)地蔵峠に出て、毛無山へ至るコースは、
JR東海の主催する「身延線沿線トレッキングコース」にも推奨され多くの人に歩かれているようです。
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「第二地蔵峠」、「新地蔵峠」なる場所の標識
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下部湯之奥から良い道が上がってきている。
湯之奥から中山尾根を経て毛無山に至るコースは
いまや廃道との噂も聞く。
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その「新地蔵峠」、「第二地蔵峠」なる場所まで足を運んでみると、
そこには「新」とも「第二」とも書かれていない「地蔵峠」の看板が設置されていました。
まさか山梨県側ではこの場所を強引に地蔵峠にしようとしているのでしょうか?またこの場所は身延町の公式観光ガイドマップに「富士見パノラマ台」ともあるように、
端整な富士の姿と裾野の雄大な牧草地の広がりを望む展望台としても優れています。
最前登って来た峠道の通うV字形の谷筋もよくわかり、
峠道が尾根の弱点である撓みを目指していたということが実感できます。
双体道祖神(双体仏?)が佇む「真の地蔵峠」に再び戻り、いよいよ主脈縦走路の南下を開始します。
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金山の山頂標識
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樹間を透かして熊森山と五宗山が望まれる
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さて、「熟達者」の同行を要する尾根道とはいかなるものかと、
激ヤブの出現に備えて身構えもしますが、そんな交戦体制や憂慮はまったく不要のようです。
明瞭な踏み跡はどこにでもある一般登山道と姿は変りません。多少のヤブくぐりはあるのではと覚悟していましたが、それすらも無く、
尾根道は明瞭そのもので普通一般の登山道となんら変わりはありません。
「熟達者」の同行も不要でしょうし、単独行でもなんら差し支えはないでしょう。
ヤブ対策の特別装備なども不要で、長期戦を予期してテント泊の重装備で挑もうと考えていた
ことがなんだか間抜けなことのように思えてきます。
荷を軽くして一気に縦走するのが天子山塊主脈縦走路の正しい歩き方なのでしょう。
ささやかな尾根のでっぱりが1596峰の金山で、小さな山名標識が立ち木に括りつけられています。
また、富士宮西高校のワンゲル部が設置したらしき標識も置かれています。
山村民俗の会発行の『あしなか第13号』「天子山塊の旅」では「金山」の地名は見られず、
「ヒカゲ山」という名が採録されています。
「・・・・・・毛無山から南の主脈に目を転じてみよう。
主稜は南に降りに降ってぐって高度を下げると、
左側甲州寄りにガレ記号を持つ1580米閉鎖圏の日影山となる。
これは麓下の名称で、日常つねに仰ぐ山に密接な関係の陽光から来たのである。
日影山から次に辿りつく山頂は独標1607米、猪ノ頭で謂う処の大ヒナタになる。
猪ノ頭から仰ぐ朝日の真先に当る処から名付けられたものである。・・・・・」
とあるように、『あしなか第13号』では金山を「ヒカゲ山」、雪見岳を「大ヒナタ」としているようです。
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『あしなか第13号』「天子山塊の旅」挿入図 より
(*上図中のヒトクチ峠の記述位置は誤り、説明文によると雲守山(熊森山)と高ブナ(天狗岳)との鞍部がヒトクチ峠らしい。
ということは、「湧水峠=ヒトクチ峠」ということになる。)
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雪をつけた南アルプスがずっと遠望できる
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雪見岳山頂
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金山からちょいと下って、雪見岳への登りとなります。
甲州側には雪をつけた南アルプスのジャイアント峰が望め縦走を楽しいものにしてくれます。
この展望が無かったら、天子山塊を歩く価値も半減するというもの。
山座同定は曖昧ですが、悪沢岳、荒川岳、赤石岳、笊ヶ岳などが一望できているはず。辿り着く雪見岳はのっぺりした山頂で、その一角に倒れかかった山名標識が設置されています。
激ヤブの名残を窺がわせる熊笹が見られますが、刈り払いの行われた縦走進路は明瞭で、
笹を漕いだり、笹の海に溺れる心配はまったくありません。
防火線のような切り開け道は、登山者ばかりではなく、獣たちも重宝だと思っているのか
偶蹄類の足跡が点々と刻まれています。
雪見岳から東へ派生する尾根は、『あしなか第13号』によると「クラカケ尾根」と呼ばれるとのことで、
地形図には一応破線道がつけられていますが果たして歩く価値はあるものでしょうか?
「・・・・・此の大ヒナタから東に1200米の独標の峯大クラカケとなり、更に東南に伸びて、
三角点925米の小クラカケ山となる。 此の枝尾根をクラカケ尾根と謂われている。
『日本山嶽志』に「雪窪山 駿河国冨士郡甲斐国西八代郡ニ跨ル、冨士郡上井出村麓ヨリ
二十町ニシテ其ノ山頂ニ達ス」とあるのが大ヒナタに当てはまるとも思われるが、
猪ノ頭では雪窪は大ヒナタから少し南に降った処、枯木ヶ沢ノ源頭を春一番おそくまで
雪の残る処から雪窪と謂われているとの事であった。
尚麓でもニ、三の俚民に尋ねた処、その名を知らぬ始末であった。・・・・・」
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猪之頭峠へ下るにつれ熊森山が大きくなる
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猪之頭峠付近からも富士はよく見える
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わずか10年程前までは、笹ヤブとの最大の激戦地であった雪見岳周辺ですが
床屋に行った後のような、こざっぱりした風貌に見事に様変わりしていたのです。
進行右手前方に三角点1633峰五宗山(御堂)とその下方に纏わりつく林道をチラチラと眺めつつ、
笹の切り開け道を猪之頭峠の鞍部へ向けて下降していきます。
峠に向けてグイグイと下降するのは結構ではあるのですが、
下降するにつれ、次峰の熊森山がズンズンと高く大きくなっていくのが気掛かりでもあります。左手には富士の雄大な姿が再び出現し、湯ノ奥猪之頭林道の走る谷筋の上空には
上昇気流を掴んだパラグライダーが数張舞っています。
風に乗るパラグライダーは快適そのものですが、こちらは全身に過剰な直射日光を浴び脱水状態です。
湿度が異常に低く、吹く風も体から更に水分を奪い乾燥状態が進みます。
普段なら500mlのペットボトル1本しか持ち歩きませんが、
この日は予備にもう1本持って来てよかったとつくづく思うのです。
干からびる前に猪之頭峠に辿り着き先ずは一安心。
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猪之頭峠に辿り着く
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峠から下部側の道は不明瞭
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湯ノ奥猪之頭林道ができて以来、歩いて峠を越える人など皆無なのか、
鞍部左右の斜面は笹ヤブに埋まっています。『甲斐の山山』(小林経雄著・新ハイキング社)に、
「峠越えの道は、甲州側は荒れているが、駿州側は手入れされている」と書いてある通り、
甲州側は笹に埋まり下部へと下る道は判然としません。
駿州側は「↓湯の奥林道」と書かれた看板が設置されており、踏み跡がつけられています。
峠道は林道の開通以前、身延線の開通直後から廃れていったのかもしれません。
『山への思慕』(田部重治著・第一書房・昭和10年)の「富士裾野の井ノ頭」という湯ノ奥峠を訪れた
古い紀行文の一節には次のように記されています。
「恐らくは汽車や電車のなかった時分には、富士川の畔から東海道地方へ出るにも、
富士登山をやるにも、又、東海道地方から身延参詣をするにも、ここから峠を越え湯ノ奥を通り、
下部温泉に通ずるものが、最も近い便利な道であったろうと思われる。
しかし富士身延鉄道が出来てから、この道は殆んど用のないものになって仕舞った。
嘗ては人通りのはげしかった、そして幾百年の間、交通の衝となっていた峠も、
新しく出来た汽車路によりその運命が左右され、それを頼りにしていた人里もそれにより多大の
影響を受けなければならないのが、最近の交通の一般的情勢である。」
古くは下部温泉への湯治道として、また身延参詣路や富士講の巡礼道として利用されてきた峠は、
鉄道開通によって越える人が激減し、さらに林道が開通するに至っては笹による埋没を許し、
寂静たる状態になっていったのでしょう。
峠に立つ標識には「猪之頭峠」と書かれていますが、猪之頭峠は「下部峠」とも呼ばれているようです。
また、『あしなか第13号』の中では、「大ヒナタから降りきった鞍部は峠となって、
猪ノ頭で謂う湯ノ奥峠であり、湯ノ奥では猪ノ頭峠と呼んでいる」と書かれています。
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峠の標識
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東側、林道へ降りる道がある
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| 『山への思慕』には、湯ノ奥峠からの展望について次のように書かれています。 「先ず目につくものはすばらしく高い壮麗な富士の姿である。
それはニ萬尺もあろうかと思われるほど高く見える。
恐らくはここから富士を見上げる人の多くは、
余りの高さに登ることを断念しやしないかと思われるほど高い。」
なるほど、峠の姿は変れど、峠から眺める富士の姿だけは昔とは変りが無い様子。
しかし、今気になるのは富士の高さよりも、目の前に立ちはだかる熊森山の巨体です。
鞍部から高度差210メートルを一気に登らなくてはなりません。
取り付く前に、腐敗の更に進んだバナナを胃袋に放り込み傾斜のきつい熊森山の登行に備えます。
ツツジの潅木が茂る岩混じりの急斜面を四肢を駆使して攀じ登りますが、
良すぎる天気が体を干物にし、すぐに口の中が乾燥して無性に水分が欲しくなります。
もう揚句の果てには坂の途中で、岩に腰を落とし、靴を脱ぎ、しばし意識が遠のいていくのです。
湿気の無いカラッとした暑さに、長袖フリースの厚手の上着を脱ぎ捨てたいのはやまやまなのですが、
バナナの腐敗臭漂うザックの中に上着を収納したくないという一心で痩せ我慢を続けます。
汗をかいた時は塩分も補給しなくちゃと、塩センベイを口に含みますが、食べ過ぎたせいか、
これは逆効果で口の中がボソボソとし、さらに水分が欲しくなるという始末。
それでもなんとかかんとか干からびる前に熊森山に辿り着くのです。
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こざっぱりした熊森山の頂き
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三、四つの山名標識が取り付けてある
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猪之頭峠の「猪」やら、熊森山の「熊」やら、野生動物のケハイが次第に濃くなるかと思いきや、
想像していたほど山深さは感じられません。
俗物富士山や富士朝霧高原という観光地が時折見下ろせることや自衛隊演習場に轟く砲撃音、
国道139号線を爆走するバイクの尾根まで届く爆音が山深さを感じさせないのかもしれません。
天子山塊に対する思い入れの深さと、山の深さは比例するものだと勝手に思い込んでいましたが、
主脈縦走路に関しては必ずしもそんなことはないようです。砲撃音が響く日中のそれも頗る晴天下に熊も徘徊したりはしないことでしょう。
しかし、主脈縦走路から西へ外れ、富士川左岸へと連なる山塊は
やはり奥深さを感じずにはいられません。
五老峰、大ガレノ頭、笹森岳、入ヶ岳、五宗山、小新城山、サル平、三石山、朝日岳・・・・・
登りたい山、歩いてみたい尾根、訪ねてみたい山村集落が天子山塊にはたくさんあるのです。
熊森山というネーミングから、「熊の暮らす森」と単純に想像してしまいますが、
どうやら元は「熊」ではなく「雲」のようです。
「峠からぐっと高まって1574米の三角点の峯は、私のきいた処では雲守山と云う。
文献を見ると熊森と見えてはいるが、猪ノ頭の俚民は此の山に懸る雲を見て天候を
判断すると云うから、雲守山は間違いはあるまい。」 (『あしなか第13号』)
この山に雲がかかると雨になる、そんなことから山の名が生まれたのかもしれません。
また天子ヶ岳の「天子」は「アマゴ」で、元は「雨乞い」と関係しているとの説もあることから、
熊森山も雨乞いとの関係があるやもしれません。
天子山塊の峰々は、竜ヶ岳、雨ヶ岳、天子ヶ岳など雨乞いに因んだ山名が多いのも特徴ですし、
山間の各集落には雨乞いの行事がいくつも伝わっています。
熊森山の山頂は小広い平坦地なのでテントを張ることも可能です。
山頂には三つ四つの山名標識が取り付けられていて訪れている人の多いことが分かります。
ちなみに身延町の公式観光ガイドマップでは「熊森」ではなく「熊盛」となっています。
「熊の暮らす森の山」ではなく、「熊が盛り沢山いる山」という意味なのでしょうか?
やはり、「熊」は「雲」であるという説を耳にしても、
テントで寂しい一夜を過ごすのは気持ちの良いものではないでしょう。
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五宗山への道がそそる
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山頂から西方へ向けては、うすいながらも踏み跡が五宗山へと続いています。
北側に長大なガレをもつ最低鞍部を通過し、五宗山に達するこの魅惑的な踏み跡を
いつか辿ってみたいものです。
三角点1633峰の五宗山は「御堂」あるいは「御堂峰」と呼ばれることから
その東に位置する熊森山を「東御堂」と呼ぶこともあるようです。 「此の雲守山から末は千手の手の如く分岐する長大な尾根が岐れている。
それは雲守から西に分岐し、下った鞍部で富里村湯ノ奥から栄村佐野に踰す佐野峠となり、
更に高まって雲守山より高く三角点1634米の置かれた御堂山となる。
或いは御堂の頭と呼ばれて、其処は昔、聖僧の庵を結んだ処と謂われている。」 (『あしなか13号』)
『あしなか13号』では長大なガレをもつ最低鞍部を「佐野峠」としています。
古い地形図を見ると、確かにこの鞍部を越える道が描かれているのですが、
そのような峠名が実際につけられているのでしょうか?
この鞍部は『続静かなる山』(望月達夫他著・茗渓堂・昭和55年)の「御堂平」の紀行文の中では
仮称として「湯ノ奥越」などの名も付与されています。
下部川と佐野川との分水を成す鞍部に多少の興味を覚えます。
明治21年測図同24年製版の陸測二万図には三角点峰に「字御堂平」の文字が見られますが、
現行版の地形図には山名は記されていません。
昔、日蓮上人が身延山に久遠寺を創建した当時、候補地とした山の一つで、
御堂を建てたことが山名の由来とのこと。
天子山塊主脈縦走路からは外れていますが、そのどっしりとした山容が醸し出す存在感は
山旅人を誘惑するのに充分といえます。
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可愛い鞍部の湧水峠に辿り着く
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佐野川側へはうすい踏み跡があるやに見受けられる
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熊森山から南下する尾根道は笹ヤブの名残すら感じられず、
もうこれは奥多摩や丹沢の一般道となんら変わりはありません。
左手は栂(樅?)の疎林やヒノキの植林、右手は自然林で眺望はありません。
p1446とp1411と多少の起伏はあるものの熊森山という難場を越えたことの安堵感も加わって、
足取りも軽快に湧水峠へと辿り着きます。 「雲守山から南する尾根は猪ノ頭から佐野に踰す峠、猪ノ頭で謂われているところのヒトクチ峠となる。
そして峠附近をヒトクチガヤと云われ猪ノ頭の茅取場となっている。
此の峠の南即ち佐野川側にも武田信玄の掘ったと謂われる金穴があり、
峠から独標1367米の峯にかけての尾根を金山尾根とも猪ノ頭では呼んでいる。
前記の独標ノ峯は猪ノ頭では高ブナと呼ばれている。
高ブナから一上一下、ほぼ同高度を保って南に続いている尾根は、
やがて猪ノ頭から大洞沢沿いに登ってくる径、佐野ノ越し場となってすぐ目交いにある峯、
三等三角点1335米のヨウヒノ峯となる。
此のヨウヒは訛ってはいるが夕陽で猪ノ頭から朝な夕な眺める此の山なみに、
朝陽のあたる1607米の大ヒナタ山となり、
赤々と沈む陽の山頂を染むるヨウヒの峯となるのであろう。」 (『あしなか13号』)
湧水峠は『山梨の峠』では「ユウスイ」との読みがされ、
『富士を眺める山歩き』(山村正光著・毎日新聞社)では「ワキミズ」との振り仮名が付けられています。
『あしなか13号』の中では、どうやら「ヒトクチ峠」なるものが、湧水峠に当るものと思われます。
『あしなか13号』には、p1373の天狗山を「高ブナ」、
現行版地形図からは消えている猪之頭から佐野川へ越す道を「佐野ノ越し場」、
長者ヶ岳を「ユウヒ岳」「ユウヒノ峰」と地元では呼んでいるとの記述が見られます。
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峠道は東京電力の送電線巡視路を兼ねている
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痛みが激しい峠の標識
各地までの所要時間が表示されている
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湧水峠は可愛いらしい尾根の撓みで、峠の造形としても好感が持てます。
各地までの所要時間が表示された標識が設置されていますが、
「地蔵峠220分、毛無山300分」との表示は激ヤブ時代の参考タイムなのでしょうか?『甲斐の山山』では、湧水峠を富士見峠としているようですが、
現地標識に記された名前はあくまで「湧水峠」です。
同書にはp1411から下りきった鞍部が富士見峠であるとし、
「昔は佐野から猪之頭への道が乗っ越していて、佐野の人がここで初めて富士を望みえたので、
富士見峠と呼んだ。 峠道は現在、猪之頭側だけ残っている。」 との記述がなされています。
現行の地形図に峠道の記載はありませんが、猪之頭側は明瞭な送電線巡視路が通い、
佐野川側は不確かながら踏み跡らしき痕跡を認めることができます。
古い地形図を見ると、西側の峠道は佐野川源頭域を回り込むようにトラバース道が描かれており、
それははるか椿草里や大崩の集落まで続いています。
この道跡を現在も拾うことができるのか大変気になるところです。
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イワカガミが満開です
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田代幹線112号鉄塔下に建つ巡視小屋
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| 湧水峠からさらに主脈尾根を南下し、『新ハイキング』誌等で示される所の富士見峠を目指します。 湧水峠から田代幹線112号鉄塔に至る道はヤマイワカガミの宝庫です。
うつむき加減の可憐な白い花々を踏みつけないように、ストックで痛めないようにと気を遣います。
112号送電鉄塔の真下には巡視小屋らしき丸太組の簡素な小屋があり、
宿泊も可能かに思われますが、ドアは外され、内部は石や板切れが散乱し、やや荒れた状態です。
雨を凌いだり、冬場に暖を取ったりするには良いかもしれませんが、
宿泊は控えたほうがよいでしょう。
送電鉄塔の礎石に腰掛けて、すでに消費期限が過ぎたカレーパンを口にします。
連休前に購入した山行用の食糧が無駄にならずに良かったと思うのですが、
ザック内に充満するバナナの腐敗臭は相変わらずです。
2本目のペットボトルの口を開けて気温上昇に対応しきれない干物状態の体を癒します。
気温の上昇は雲を湧かせ、長者ヶ岳、天子ヶ岳方向は俄かに怪しげな雲に包まれようとしています。
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111号鉄塔分岐
ここが富士見峠か?佐野川へ下ることができる
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113号鉄塔分岐
ここに「富士見峠」と書かれた標識がある
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『甲斐の山山』や『山梨の峠』の記述から察するに、「湧水峠=富士見峠」のようですが、
『新ハイキング』誌によると、田代幹線112号鉄塔台地より下った111号鉄塔への分岐点や
さらにその先の113号鉄塔への分岐点を富士見峠として、
湧水峠と富士見峠とを明確に区分しているのが窺がわれます。 「湧水峠に着く。・・・ここからは湯之奥猪之頭林道から送電塔巡視路が上がってきており、
この先、しばらくはこの巡視路を歩く。ひと登りで112号鉄塔に至る。・・・
鉄塔を下った先の鞍部が富士見峠であるが、峠の標示はない。
右へ下る道は、111号鉄塔を通って佐野川上流へ下っている。」
(『新ハイキング615号』 「地蔵峠から天子ヶ岳」 北村武彦 )
「湧水峠には、猪之頭湯之奥林道からと思われる送電線巡視路が延びてきていて、
この先しばらくは送電線巡視路になっているということなのでほっとした。
・・・・112号鉄塔の下には、狭いが頑丈そうな丸太小屋があった。
2分ほど下ると111号鉄塔への道を右へ分け、富士工務所の標柱が指す左へ行った。
平尾根を進んだ薄暗い樹林の所が富士見峠だが、晴れている日でも富士山が見えそうにない
場所だった。113号鉄塔への送電線巡視路が左前に延びていた。」
(『新ハイキング587号』 「地蔵峠から長者ヶ岳」 松浦理博 )
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「富士見峠」と読み取ることができる
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湧水峠に戻り、湯の奥林道の標識に従って下降する
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湧水峠と富士見峠は別物なのか?
別物とした場合、111号鉄塔分岐点と113号鉄塔分岐点のどちらが富士見峠なのか?
正確なことは判りませんが、「富士見峠」と判読できる小さな板切れの手製標識が
113号鉄塔分岐点の立ち木に括り付けられていました。
まあ、両者はたいして距離が離れているわけではないので、
この辺一帯を富士見峠と呼ぶと考えて間違いないかに思われます。
(最新2008年版の『山と高原地図』では、湧水峠、富士見峠は別物とされ、両方が記載されています)p1373天狗山へ向けて明瞭な登山道が続いてはいますが、このまま長者ヶ岳、天子ヶ岳方向へと
南下を続けては、車を置いた毛無山臨時駐車場へ戻るのが一苦労です。
天候も怪しくなってきたので、湧水峠まで引き返し、峠道を湯ノ奥猪之頭林道へと下降することにします。
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上部峠道は荒れが目立つ
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植林地と自然林内の通過を繰り返す
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現行版の地形図にはその道の記載がされていない湧水峠の峠道ですが、
送電線の巡視路というだけあって道形は明瞭です。
上部二箇所に崩壊があり、斜面ごと道が滑り落ちていてトラロープの設置が見られますが、
その危険箇所を過ぎれば単調すぎるほどの道となります。
植林内と自然林内の中を行く道を数度繰り返し、徐々に高度を下げてゆきます。この峠道を登りに使うのは賢い選択ではないでしょう。
眺望の無いダラダラとした道は登坂距離も長く、ウンザリすること確実です。
それに麓の猪之頭集落から望見するこの壁のような尾根は、
圧倒的な高さで、登る者の意志を挫き、登行意欲を削ぐことでしょう。
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湧水峠入口の標識
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うっかりしていると見落してしまう峠道入口
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林道脇にある峠道の入口はなんとも目立たぬ存在で、「←湧水峠」の標識と
「←田代幹線112」と書かれた東京電力の設置した送電線巡視路を示す看板があるのみです。ここからテクテクと、乗り捨てた車まで戻るのは苦痛ではありますが、
タクシーなんぞは夢の乗物、自分の足を頼って歩くしかないのです。
尾根上の熊笹の激ヤブが消滅した今、天子山塊訪問のネックは交通の便のみでしょう。
都会の駅前に放置された自転車の数台でも拝借して、登山口ごとに無料レンタサイクルとして
設置してくれれば貧乏かつ軟弱ハイカーとしては大助かりなのですが。
壮麗な富士を望み、パラグライダー着地点の原を横切り、
整備された東海自然歩道をテクテク歩いて無事に帰還するのですが、
もうその頃には、今回歩いた尾根道のことは頭に無く、
天子ヶ岳のさらに南方、山稜が県境尾根から外れて富士川に没する芝川までの間にある
大助峠、布沢峠、桜峠、大間峠の存在が気になり始めてくるのです。
舗装道路の越える桜峠はかつて訪れたことがあるのですが、
大助峠、布沢峠、大間峠に関しては、いつの日か歩いてみたいと、
地図の上と頭の中で縦走を始めたばかりなのです。
止む事を知らぬ峠病は怖い怖い。
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| 【参考文献資料】 『あしなか第13号』「天子山塊の旅」 山村民俗の会
『甲斐の山山』 小林経雄 新ハイキング社 平成4年
『山梨の峠』 小林栄二 自費出版 平成10年
『静岡県の峠』 金子昌彦・西畑武 自費出版 1993年
『山への思慕』 「富士裾野の井ノ頭」 田部重治 第一書房 昭和10年
『新ハイキング500号』 「雪見岳-熊森山-長者ヶ岳」(竹内和義) 1997.06月号
『新ハイキング587号』 「地蔵峠から長者ヶ岳」(松浦理博)
『新ハイキング615号』 「地蔵峠から天子ヶ岳」(北村武彦) 2007.01月号
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毛無山登山者臨時駐車場(7:00)--地蔵峠(9:00)--雪見岳(10:15)--猪之頭峠(10:50)--熊森山(11:35)--
--112号鉄塔小屋(12:30)--湧水峠林道入口(14:00)--毛無山登山者臨時駐車場(15:40) |
(峠行2008.05.06)
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