★ 白石峠旧道敗退

道志温泉--白石峠旧道探索--白石峠新道--白石峠--水晶沢ノ頭--シャガクチ丸--バン木ノ頭--撫の森キャンプ場--道志温泉

久しぶりに丹沢へ行きます。
ダニやヤマビルに恐れをなし足が遠のいていたのです。
恐れというより、気を遣い過ぎて精神的に疲れてしまうのがイヤなのです。

最近、ウチの庭に野良猫がやって来て糞をして困ります。
糞も困るが、ノミを運んでくるのはもっと困ります。
ノミの痒さは強烈なのです!

ウチに居てノミに刺されるくらいなら、
山に行ってダニの取り付きを甘んじて受けようと、
覚悟して白石峠の旧道探索に出掛けました。


『山と高原地図』昭文社・1993年発行

少し昔の『山と高原地図』(昭文社)には白石峠道志側の旧道が破線道で描かれています。
昔の峠は十字路を成し、西丹沢白石沢と道志村室久保川筋とを結んでいたのです。
しかし、現在は峠から道志側に下る道は見受けられず、ケモノの通う頼りない踏み跡が
細々と笹ヤブを分けてつけられているのみで登山標識も道志方向には何も表示されていません。

峠から道志側へと下るには、加入道山方向へ少し行った先にある分岐から下ることを強いられます。
旧道はどうして廃れてしまったのか?いつ頃から新道へと付け替えられたのか?
そして現在では旧道の痕跡を確認することはできないのかなど不明な点が多い峠道なのです。


25,000図「大室山」 国土地理院

国土地理院発行の地形図にも峠と道志側とを結ぶ道が破線で描かれています。
しかし、その径路は『山と高原地図』とは微妙に異なっているのです。
そして峠自体の位置も異なり、現峠南方のp1307の小頭に破線道が達しています。
これは一体どういうことなのでしょうか?
(最新版の地形図ではp1307へと続く破線道は抹消されています)

ネット検索をすると、旧道探索を試みた物好きな人は結構いるようで、
涸れた沢筋から急斜面を詰め上がり尾根筋に達することが出来るとあります。
また、『丹沢だより432』(2006.7月号・丹沢自然保護協会発行)には、
国土地理院を信じてp1307からその西尾根を拾い沢筋へと下降したという記録もあります。

                                                      【関連ページ…白石峠資料室


25,000図「大室山」 地理調査所・昭和4年測図

地理調査所時代の古い地形図も見てみましたが、これはまるっきり役に立ちません。
あまりにも小尾根や沢筋がアバウトに表現され過ぎていて、理解に苦しむ代物です。
ただ、どちらかといえばその描かれた道筋は『山と高原地図』記載の旧道径路に近いものと言え、
尾根の鞍部に破線道が到達しています。

先ずはともあれ現地へと赴き、久し振りの丹沢、久し振りの山歩きを楽しむという気軽なノリで、
白石峠旧道の探索を試みてみることにします。
久し振りの山歩きなので、きっと長い距離は歩けませんし、すぐに弱音を吐くことでしょう。
近頃、運動不足で完全にメタボ化している腹回りがとても心配なのです。
以前はベルトが無ければずり落ちた登山用ズボンがベルト無しでパンパンなのには驚きました。


道志温泉先から峠道入口へ(左へ)


横浜市の水源事業林帯を通過

朝10時、道志温泉第二駐車場に車を乗り捨てます。
温泉利用者以外の駐車は禁止ですが、下山後にひと風呂浴びれば立派な利用者なのですから
長時間駐車をなにも憚ることはないでしょう。
身支度を整え、バス停脇の甲州(公衆)トイレで用を済ませて秋とは思えぬ暖かさの中、
久し振りの登山靴の重さに歩行感覚を取り戻せぬままに歩き始めます。

温泉から歩いてすぐの場所に「白石峠・加入道山登山口」を示す看板分岐があり、
ここに立派な駐車場がありました。しかし、「登山者専用駐車場」などといった看板の類は無く、
ホントにこの立派な駐車場を利用していいものなのか判断しかねます。


状態の良い道が続く


旧道分岐の東屋

舗装路から山道へと入り、次第に体が馴化していくのが分かります。
肺の中へ清爽な空気を取り込む度に、体が馴化するとともに精神が浄化されてゆく気がします。
横浜市の水源整備事業林帯を抜け、開けたら自動的に閉まる鹿柵の扉を二箇所通過します。
バネの力で自動的に閉まる鹿柵扉は画期的な発明に思えますが、
鹿クンが軽く鼻先で扉を開けて、容易に鹿柵を通過している姿が想像されもします。
先日もファーストフード店の扉を開け閉めして店内に出入りする野性の熊の映像がテレビで
放送されていましたので、鹿クンだってこの程度の防御柵は簡単にクリアしてしまうことでしょう。
オオアリクイだって扉を開けて脱走するのですから動物達の知能をナメてはいけません。

紅葉にはまだ早い林の中を沢音を耳にしながら進むと旧道との分岐でもある東屋に到着です。
文献資料によると、白石峠へ向かう途中の小尾根を乗越すところを「下峠」といい、
これに対して甲相国境尾根上の白石峠を「上峠」ともいうとのこと。
この東屋のある場所が果たして「下峠」なのでしょうか?
(『奥野幸道丹沢資料コレクションCD-ROM』に収録された「道志川押拂沢〜白石峠」間の詳細図には、
この東屋よりも、もっと下方に「下峠」は位置しているように描かれており正確なことは不明です)


沢筋を渡り小尾根を巻き越えるように旧道は続く


沢筋の対岸から東屋を見下ろす

  「やがて登りついた尾根先で、道は左上に尾根筋を登るものと、
  右に山腹の斜面を横切って辿るものに分岐する。
  ここが俚称、下峠といわれ、白石峠は上峠と呼ばれている。

  左に登る道は山道で、右に斜面を横切る登るともない道が白石峠に通じるものだ。
  途中、小沢を横切り登り詰めて行くと空沢を登るようになり、道は余りはっきりしたものは無くなる。
  だが注意して登れば見失うことはなく、ガラガラの河床を辿ったり左岸沿い、右岸沿いに
  搦んで登れば、現在使用してない炭焼釜(二つ目のもの)を左手に見る。
  これからは空沢の左手山肌を搦んで道は再び明瞭なものとなり、
  まばらな潅木と、笹原が現れてくれば間もなく白石峠上である。」
                             (『丹沢の山と渓』山と渓谷社・川崎吉蔵・昭和27年)

  「やがて登りついた小尾根の先で道は左上に尾根筋を登るものと、
  右に山腹の斜面を横切ってたどるものに分岐する。
  ここを地元では白石下峠といい、白石峠を上峠と呼んで区別している。

  ここは右に斜面を横切るゆるい登り道をとっていく。
  途中で小沢を横切り登りつめていくと空沢を行くようになる。このあたり道がはっきりしていない。
  しかし気をつけていけば見失うことはまずない。
  ガラガラな川床をたどったり、また沢沿いにからんで登ったりしていくと古い炭焼釜が残されている。
  これを左手にみていくと空沢の左手の山肌をからんで道は再びはっきりしたものになってくる。
  まばらな潅木とササが現われてくればまもなく白石峠につく。
                        (『アルパインガイド丹沢』山と渓谷社・羽賀正太郎・昭和40年)

古いガイド本の記述を見ても、どれも似たり寄ったりで、前代の記述を踏襲しているに過ぎません。
昭和前期には既に「はっきりしていない道」だったものが、平成の世に残り続けているものなのか
多少の不安はありましたが、東屋脇に立つ登山標識の裏手からしっかりとした道が、
崩壊気味の沢筋を渡り、小尾根を巻き越えるようにつけられているのです。


依然として良好な道が続く


沢に近付き平場状の道となる

道は笹に埋まることも無く、先ほどまでの登山道と変らぬ良好な状態を維持しています。
山仕事に入る人には今でも利用されている道のようです。
しかし、そんな状態も長くは続かず、右手を流下する沢床が次第に近付き、
平坦な地形になると道は曖昧になってきます。

「横浜市水源涵養林」の標柱が立っているので、
この辺りまでは森林整備に人の出入りがあると見えますが、
だんだんと踏み跡は怪しくなり、沢を埋め尽くすゴロ石の中を歩くようになります。
このゴロ石涸れ沢に入る手前、右手に水の流れのある小沢が分岐しているのが気になりますが、
地形図を見てもどちらを選択していいのかハッキリとせず、とりあえずゴロ石涸れ沢を進みます。
ゴロ石涸れ沢の進行左手に整然とした植林が見え始める辺りから、右手の土手を登るケモノ道に
誘われてゴロ石涸れ沢から離脱します。


沢筋はゴロ石に埋め尽くされる
左手には手入れされた植林が見られる


右手に派生するガレ斜面に取り付く

ゴロ石涸れ沢から離脱し、右手に派生する沢とも、単なるガレともとれる斜面に、
ケモノの足跡を追って、なぜか取り付き始めてしまうのです。

このガレ気味な斜面に人間の辿った痕跡はまったくないにもかかわらず、
久し振りの山登りのため、探査能力や危険回避の山勘が正常に機能していないようです。
鈍りきった感覚は鹿クンの足跡が尾根筋へと導いてくれるだろうなどと他力本願的な
甘い期待に満ちており、体は鈍りきった感覚の発する命令に従いズンズンと登り始めてゆくのです。

気付くとかなりの急斜面、不安定な岩の堆積も見られかなり危険な取り付きです。
かといって引き返すわけでもなく、ここを登りつめればp1307西尾根に飛び出るのではと、
正確な現在位置も把握していないくせに、淡い期待を抱いて安易な登行を続けます。
完全に旧峠道探索から逸脱している行為とは感じながらも、なんとかなるさの軽率な行動です。
鈍りきっているのは判断力ばかりではなく、体も同じで、バランスを崩した際の反応も極めて悪い。
体制を崩した際に、ストックのヒモから手が抜けず右手人差し指第一関節を逆折れに捻ってしまう不始末。
イテテテ!・・・・軽度の突き指にやっと覚醒するのです。


熊の棲んでいそうな岩穴前を通過


ゴロ石に埋まる沢を詰めても進展がなさそう・・・

ズボンには無数のダニの取り付き・・・・。
それもただのダニではなく、ミクロ級の小さな小さなダニが数えきれぬほど取り付いているのです。
ギョッとして、慌ててこれを軍手で払うとさらに悲惨です。
ミクロ級のダニたちは皮膚に喰い付こうと軍手の粗い縫い目から内部へ侵攻を試みてきます。
大物のダニは爪で弾き飛ばして、ミクロ部隊は無関心を決め込んで自然落下を待つのが得策です。

息を殺し、熊の潜んでいそうな岩穴前を通過して、急斜面の登行を続けます。
しかし、しかし、尾根を目前にして高密度の笹ヤブが行く手を阻むのです。
前方も、右手も、左手も、笹の激ヤブが進路を断ちます。
ダニの取り付きをある程度は覚悟して来たものの、背丈ほどの密ヤブに突進意欲は湧きません。
上下ツルツル素材の服装ではないし、どのくらい長い間、笹のヤブ漕ぎが続くかもわかりません。
正直なところ、現在位置があまりよく把握できていないため、この斜面を登りつめたところで、
p1307西尾根に続いているとの確信も持てていないのです。

結局、密ヤブ地帯でのダニとの戦いを回避する口実をいろいろと見つけては、
臆病風に吹かれて退散を決め込むのです。
逃げるようにして斜面を転がり降り、ゴロ石涸れ沢地帯まで撤退を余儀なくされるのです。


ゴロ沢手前の二俣台地に炭焼釜の石積みを見る


炭焼釜の脇に涸れ沢だとも道だともいえる凹形状あり

今まで一時間近くかけ登りつめた斜面をゴロ石涸れ沢地帯まで駆け下り、あらためて仕切り直しです。
しかし、ゴロ石涸れ沢を遡っても、踏み跡やテープ類といった先人の痕跡は見出せず、
この先進展するようには思えません。
仕方なく、ゴロ石涸れ沢に入る手前の二俣までさらに退却し、
もう一方の水流のある沢筋へと踏み込んでみます。
するとそこには炭焼釜の石積み跡があり、その脇から涸れ沢とも、道ともとれる凹状の道(?)が
二俣を分かつ小尾根上方へと伸びているかに見えるのです。

しかしながら、笹の繁茂は相変わらず激しく、探索意欲は既に萎えた状態です。
加えて、進入路を塞ぐようにして冬眠前に日光浴を貪る大きなヘビの姿を見てしまったからには、
旧道探索はもはやどうでもよくなり、ギブアップとなるのです。
結局、時間をロスしただけで何の手掛かりも発見できずに白石峠旧道探索は敗退に終わるのです。


一般コース途中の腐った休憩ベンチ


白石峠と加入道山とを結ぶ尾根に出る

せっかく久し振りに山に来たのだから尾根には出ようと、旧道分岐の東屋まで急いで引き返します。
東屋で侘びしい昼食にありつき、出発は13時、結局は午後からの登山になってしまうのでした。

白石峠へ向かうため現在使用されている一般ルートは快適そのもの。
踏み固められた道があるということは、こんなにも楽で安心できるのだとあらためて感じ入ります。
行楽の秋の土曜日というのに擦れ違ったのは仲睦ましい若者アベックの一組だけ。
きっとこれから下山後に道志の湯に浸かり、おいしい物でも食べるのだろうと羨ましく思いながら
完全にメタボ化した体から噴き出す汗に、これで多少は痩せるかもと期待して峠へ向けて登り続けます。

一般道にダニの心配はありませんが、それにしても蝿が執拗にまとわりつくのには辟易します。
蝿が異常に多いのか、それともオヤジが発する汗のニオイが異常に臭いのか、
なんとなく後者のような気もしますが、立ち止まると蝿が群がるので頑張って登り続けます。
甲相国境尾根に出る直前の土砂崩れ箇所を除けば、道の状態は極めて良好です。
このルートは旧峠道の廃止により新しく付け替えられたものだと思っていましたが、
古いガイド本の記述から察するに、前々よりあったルートのようです。


白石峠


「お茶煮のコシッパ」の標識を取り付ける

峠に到着するや、すぐに道志側の斜面の様子を覗いて見ますが、明確な踏み跡は確認できません。
心許ない一条の鹿道が笹を分けて下降していますが、これを拾ってみる気は到底起きません。
峠には「白石峠」と書かれた標識があり、
「モロクボ沢ノ頭3.5km 加入道山0.6km 用木沢出合3.8km」と三方向に行き先表示がなされています。
もちろん、道志側の斜面に向けては何の表示もされていません。

峠から道志側斜面の様子について、
 「ぐずぐずの沢下り」(『東京から見える山を歩く』山と渓谷社・横山厚夫・平成2年)、
 「廃道に近く山慣れた人以外入らないほうがよい」(『相模の低山』けやき出版・守屋龍男・平成6年)
との評価も見られ、その後の数度の集中豪雨を勘案すればかなり荒れていることが予想されます。

白石峠は「お茶煮のコシッパ」との別称もあるようです。
この名を広めようと手製の標識を取り付けてみましたが余計なお世話だったでしょうか。
目障りであれば誰か取り外してくれることでしょう。
武田信玄の軍勢が沢の水でお茶を立てた・・・そんな伝説があったような、なかったような・・・・?

 「峠道は十字をなし、北へ登れば加入道山、東へ下れば大理石の沢として有名な白石沢、
 南の尾根通しにヤブの刈掃を分けて進めば畦ヶ丸から城ガ尾峠へ、
 西へ下れば苔むした岩を踏んで深い樹林帯を下ればオチャニ沢沿いに道志温泉に出る。」
                        (『丹沢だより71』奥野幸道・昭和50年・丹沢自然保護協会)

「苔生した岩」「深い樹林帯」、道志側の旧峠道はそんな姿を呈している(た?)ようです。


『道志七里』には「オ茶煮ノコシッパ」の名が記されている

峠で休憩していると、加入道山から仲睦ましい年配のこれまたアベックが降りてきました。
ベンチでひと休みし用木沢へと降りていきましたが、きっとこれから下山後に中川温泉の湯を浴び、
おいしい物でも食べるのだろうなどと、これまた勝手に想像を膨らまし、羨ましく思ってしまうのです。

若者アベックも年配アベックも皆下山してゆくのに、こちらはこれより甲相国境尾根の南下を開始です。
忘路峠まで行きたいのですが、時間切れならバン木ノ頭までと見積もって歩き始めます。
峠の南方、p1307の小頭には国土地理院地形図によれば、
旧峠道が達しているはずなのですが、それらしき明確な道は見受けられませんでした。
次なるピークの水晶ノ頭にはベンチと「東海自然歩道」のサブルートを示す標柱はありますが、
山名を表す標識は無く、誰が刻んだか標柱に「水晶」の文字が読み取れます。


水晶沢ノ頭


シャガクチ丸(蛇ガ口丸)

昔、この付近の甲相国境尾根のヤブは深く、笹の密叢帯として登山者から恐れられていたようですが、
今ではその面影はありません。笹は奇麗に刈り払われて手入れがされています。
尾根筋の神奈川県側寄りには、まだ設置されて間もないと思われる鹿柵が並行して設けられています。

尾根道に沿って旧東西ドイツを分けたベルリンの壁のように延々と鹿柵は続きますが、
尾根上で獣にバッタリ出会った場合に逃げ場がなくて困るなぁ〜と思ったりもします。
神奈川県側の無名沢やバリルートを登って来た登山者が鹿柵に行く手を阻まれ、
尾根道に出れなく困ったりはしないだろうかなどと要らぬ心配もしてしまいます。
今後、山行にはワイヤーカッターが必需品となるかもと馬鹿なことも考えます。

夕暮れが近付き、ひと気の無い山中の単独歩行は心細くなってきます。
熊の出そうなさびしい山道を独りで歩いているときは、首からぶら下げたホイッスルを時々吹き、
腰に付けた熊よけの鈴をカランコロン鳴らし、さらに時折、奇声を発しながら歩きます。
そして大概、大きな声で間抜けな奇声を発した直後に突然登山者が対向から現れたりするものです。
今回も間抜けな奇声を発した直後に、大きな荷物を背負った単独縦走者と出くわし、
恥かしい思いをしたのです。

甲相国境尾根には小さな起伏がいくつかあり、どれがシャガクチ丸か判断が難しいのですが、
登山指導標の標柱に「シャガクチ丸」とマジックで書き加えられたものを見つけ、
その小ピークに手製の「シャガクチ丸(蛇ガ口丸)」の標識を取り付けます。
この標柱への書き添えが無ければ、とてもここがシャガクチ丸だと判断できませんでしたが、
この書き添えが正しいものであるとの保証はありません。
とすると、通り過ぎた手前の小ピークは「ナメクラ沢ノ頭」だったのか?
読図力の麻痺状態に、GPSなる夢の小道具が欲しくなったりもするのです。

古いガイド本には「シャガクチの丸」について、
「道志側の呼称であり、道志諸窪沢から国境尾根に取りつく狩人道があるが、わかりにくい」とあります。
道志側は高密度の笹ヤブに覆われ、そんな狩人道など見出せる雰囲気ではありません。


バン木ノ頭(番木ノ頭)から野外活動センターへ降りる


栂の大木が目立つ快適な道

小さなキレットを通過するとバン木ノ頭で登山標識とテーブルが設置されています。
「バン木」は「番木」と書くようですが「ハンノキ(榛の木)」の意味でしょうか?
それとも山を見守る番人が木に登って盗伐を見張っていたことに因むのでしょうか?
バン木ノ頭は小さな寂峰ですが、木々間から加入道山が望め、なかなか良い雰囲気に包まれています。

時間は15時を回っています、秋の日は釣瓶落としですから、深入りは禁物です。
前半の白石峠の旧道探索に時間を掛け過ぎてしまいました。
時間を費やしても得られたものがあったならまだ良いのですが、それを手にすることもなく、
久し振りの山歩きは、ここバン木ノ頭で打ち止めです。
横浜市野外活動センターへ向けて甲相国境尾根を離脱します。


キャンプ場が設置したらしき標識が転がっている


下部は植林帯で「ひのき前頭」への道を分ける

バン木ノ頭から野外活動センターへと下降する小尾根は栂の巨木林が見事で好ましい尾根です。
西に傾いた陽を受ける巨木の威風堂々たる姿がとても良い雰囲気を醸し出しています。
麓のキャンプ場が整備をしているのか「畦ヶ丸ハイキングコース」などと書かれた標識も転がっています。
ヤブや難場もなく、登り下りが苦にならないようにジグザグも切られているので歩き易い道です。
しかし、よく見ると所々に白ザレの谷が口を開けているので注意を怠ってはなりません。

尾根下部の手入れの行き届いた植林地内をジグザグで降り着いた谷底は「ひのき前頭」との分岐点。
あとは白砂の沢に沿って進めばキャンプ場へと導かれます。
ウム、ウム、これはバーベキューの匂い・・・・、沢を渡渉してキャンプ場の台地に出ると、
夏はとうに過ぎ去ったというのに、大勢のキャンパーで賑わいを見せているではありませんか。
肉の焼ける匂いと焼きソバソースの焦げる匂い、飯盒炊飯の芳しい香りが鼻を刺激します。
家族で、友人達で和気藹々とバーベキューを楽しんでいるその合間を、
飢えて薄汚れた登山者が熊よけの鈴をカランコロン鳴らしながら歩いてゆく様はあまりに奇異ですから
冷たい視線の集中砲火は甘受しなければなりません。

久し振りの山歩きで腹回りの肉が多少落ちたかと思ったのも束の間、
バーベキューの匂いが鼻に残り、夕食は焼肉定食大盛り。
旧峠道の探索もダメ、ダイエットもダメ、ダニはダメダメ、
ホントにダメなことばかりのダメ人間なのです。

(峠行2008.10.04)

【参考資料・関連ページ】  ● 白石峠資料室


的様に新しい観光の目玉(?)ができていた

道志村の貴重な観光スポットである「的様」には、
以前訪れた時には無かった「的様の水」なるものが引かれていました。
車で乗り付けてポリタンクで水汲みのできる施設もできています。
設置看板によると、2008年4月に「的様を守る会」などの手により完成したとあります。
しかし、煮沸せずに飲料に適するのかどうか肝心なことは書かれていません。