白石峠

 

丹沢自然保護協会発行の『丹沢だより bS32』(2006.07.20号)に
白石峠の道志側の旧道を探索したという記録が載っていた。

これは興味あるぞと読み進めるうちに、
なんと、わが拙なるHPのアドレスが紹介されているのに驚いた!

「室久保川から白石峠へ向かう途中小尾根を乗越すところを下峠といい、
これに対して白石峠を上峠というのだそうだ。」

この部分の情報収集に拙HPをご覧になって頂いたようである。
権威ある『丹沢だより』関係者の中に、我が拙なるHPをご覧になっている方がいるとは!
あまり変なことは書けないなぁ〜 (^^ゞ

国土地理院の地形図では白石峠の道志側に破線道が描かれているが、
現地は十字路になっておらず、道志側に明確な道は見当たらない。

私自身も気になってはいたが歩いたことはないのである。
「白石峠を上峠といい、道志側の下部にある小尾根の乗越箇所を下峠という」ことは、
『かながわの峠』、『かながわの山』で知ったのである。

 

平成11年『かながわの峠』(植木知司・かもめ文庫)

「かつて、この峠は上峠ともいわれて、神奈川の箒沢と山梨の上道志を結ぶ交易路であった。
・・・現在、神奈川側には峠まで登山道がつけられている。
しかし、山梨側は廃道となっているが、加入道山に向かって少し登ったところから
道志に下る道がつけられている。」

昭和54年『かながわの山』(植木知司・かもめ文庫)

「道志では、この峠に登る途中、林道から左の小尾根を越えるところを下峠と呼ぶ。
白石峠は、その峠の上の峠の意から上峠とも呼ばれた。」

以下、参考までに白石峠の道志側の道について記録のある資料を拾ってみるとする。

 

昭和15年『日本山岳案内1』(鉄道省山岳部編)

「(白石沢から)ジグザグを切ってややしばらく登ると、其処は主稜を横切る白石峠である。
峠は喬木帯であって峠からは西方に急に景観が木の間越しに開け、今までの樹林帯の暗さから解放される。
白石峠からは、前方へ降る池之原への道を見送って、右手へと主稜を登れば木地小屋沢の道と合って、
それより間もなく加入道山に着くのである。」

昭和17年『丹沢山塊』(ハイキングペンクラブ)

「加入道三角点から南へ白石峠に出て、白石峠から西へ下り、更に北へ池之原へ出るコースは、
道も良さそうで、一寸変わっていて面白いと思う。白石峠から池之原まで大体三時間と見れば充分である。」

昭和27年『丹沢の山と渓』(山と渓谷社・川崎吉蔵)

「トラック道を進んで二番目の橋を渡らず、その手前30メートル位の所で左に分かれる細道に入る
ことに注意する。始めは田の際を通って緩い登りとなって諸窪沢を背後に離して山肌を登る。
やがて登りついた尾根先で、道は左上に尾根筋を登るものと、
右に山腹の斜面を横切って辿るものに分岐する。
ここが俚称、下峠といわれ、白石峠は上峠と呼ばれている。

左に登る道は山道で、右に斜面を横切る登るともない道が白石峠に通じるものだ。
途中、小沢を横切り登り詰めて行くと空沢を登るようになり、道は余りはっきりしたものは無くなる。
だが注意して登れば見失うことはなく、ガラガラの河床を辿ったり左岸沿い、右岸沿いに搦んで登れば、
現在使用してない炭焼釜(二つ目のもの)を左手に見る。
之からは空沢の左手山肌を搦んで道は再び明瞭なものとなり、
まばらな潅木と、笹原が現れてくれば間もなく白石峠上である。」

昭和37年『丹沢の山と谷-登山地図帳-』(山と渓谷社・川崎吉蔵)

「道は(加入道)山頂から左に折れて、白石峠へと下る。
峠上に右、道志側から左に中川へとはっきりした道が通じている。

「モロックボ沢沿いの道から分れて左に山肌を緩く登るようになる。
やがて登りついた尾根先で、道は左上尾根筋を登るものと、
右に山腹の斜面を横切って辿るものに分岐する。
ここが俚称、下峠といわれ、白石峠は上峠と呼ばれている。

左に登る道は山道で、右に斜面を横切る登るともない道が白石峠に通じるものだ。
途中、小沢を横切り登り詰めて行くと空沢を登るようになり、道は余りはっきりしたものは無くなる。
だが注意して登れば見失うことはなく、ガラガラの河床を辿ったり右側沿い、左側沿いに搦んで登れば、
現在使用してない炭焼釜(二つ目のもの)を左手に見る。
これからは空沢の左手山肌を搦んで道は再び明瞭なものとなり、
まばらな潅木と、笹原が現れてくれば間もなく白石峠上である。」

昭和40年『アルパインガイド丹沢』(山と渓谷社・羽賀正太郎)

「加入道山から尾根は左(西南)に下る。
樹林にまじるスズタケの中を下り切ると、そこは白石峠である。
右に下れば道志川へ、左が中川川への道である。
まっすぐ尾根通しにたどれば畦ガ丸である。」

「道志川を右岸に渡って池ノ原部落に入る。
この道はモロックボ沢に入る幅広いものでしばらくいくとモロックボ沢の右岸に移る。
まもなく二番目の橋になるがこの橋は渡らずにその30メートルほど手前で左の田の端を登る細路をとる。
はじめはゆるい登りでありモロックボ沢を背後にして山肌を登っていく。
やがて登りついた小尾根の先で道は左上に尾根筋を登るものと、
右に山腹の斜面を横切ってたどるものに分岐する。
ここを地元では白石下峠といい白石峠を上峠と呼んで区別している。
ここは右に斜面を横切るゆるい登り道をとっていく。
途中で小沢を横切り登りつめていくと空沢を行くようになる。
このあたり道がはっきりしていない。
しかし気をつけていけば見失うことはまずない。
ガラガラな川床をたどったり、また沢沿いにからんで登ったりしていくと古い炭焼釜が残されている。
これを左手にみていくと空沢の左手の山肌をからんで道は再びはっきりしたものになってくる。
まばらな潅木とササが現われてくればまもなく白石峠につく。
峠上は十字路になり右は畦ガ丸、左が加入道から大群山へ、そのまま峠を乗越して下れば中川川である。」

昭和46年『アルパインガイド三ッ峠・丹沢・道志』(山と渓谷社・羽賀正太郎)

「(加入道から)しばらく下ると白石峠の十字路につく。
まっすぐ進めば城ガ尾峠、右に下れば道志川に至るが、左へ下る中川の道を進む。」

白石峠から道志側への下りは道が荒れている。
峠から右にスズタケの中に、明瞭に踏まれている道を下っていくと踏跡がはっきりしなくなる。
かすかな踏跡を捜し、窪地の底を下っていくと古い炭焼釜がある。
ここを過ぎてから沢を左下に、右の山腹を斜めに横切るようにゆるく下ると、
やがてはるか左下に水音が聞かれるようになる。
道ははっきりしてくるが、カヤトの密生地である。
しばらくゆるく下ると右から下ってくる道を合し、その先でもう一本右から道が下ってくる。
やがてあたりは広々として、モロクボ沢右岸につくと、立派な車道がある。」

平成2年『東京から見える山を歩く』(山と渓谷社・横山厚夫)

「白石峠からは、東西二本の下り道がある。東は中川川の谷をおりて西丹沢、
西は道志川筋の和出村に通じて、距離は道志の方が短いが、道は悪い。
前に道志側におりたときには峠から小一時間の間がぐずぐずの沢下りだった。
しかし、今回も道が悪いのは承知のうえで、そちらを下ることにした。
そして、いつもの“下れ下れ”の戦法で一直線に荒れた沢をおりていくと、
いつしか道形らしい上に乗っていて、・・・・」

「この道は峠から30分ばかりが道なき道である。・・・・」

平成6年『相模の低山』(けやき出版・守屋竜男)

「(加入道山から)ほんの一下りで道志への分岐がある。白石峠の300メートル程手前になる。
道標もあり入り口もしっかりしている。
国土地理院の2万5000分の1地形図では白石峠からも道志への道を表示してあるが、
廃道に近く山慣れた人以外入らないほうがよい
ついでであるがこの地形図での白石峠の位置が間違っている。
もう少し北にある鞍部が峠である。
道志への分岐に入り少し下がると右に大理石を採掘した跡がある。
先程の白石峠の名称の由来は、この辺り一帯で大理石が産出したからであるという。・・・
桧の植林地を抜け笹の茂った急坂を下ると沢沿いの休憩舎に着く。
左から沢沿いの道が合流しているが、入らないよう看板や立ち木に書いてある。
白石峠への旧道ではあるが、沢の上流で道が崩壊したり藪が深かったりしている。

いつ頃から道志側の旧道が廃道になってしまったか定かではないが、
昭和47年7月に丹沢を襲った大豪雨が原因ではないかとも推測できる。
当時の新聞記事を見ると、その凄まじさがよくわかる。

尚、『丹沢だより』に指摘されているように
『奥野幸道丹沢資料コレクションCD-ROM』に収められた地図によると
上記ガイドブック等の資料とは「下峠」の位置が異なるようでもある。

白石峠旧道探索を今後の課題のひとつとしておこう。
ただし、小学生の夏休みの宿題のようにいつまでも手付かずかもしれないけれど。

昭和4年測図 地理調査所発行 「大室山」地形図

【補足】
『続丹沢夜話』(ハンス・シュトルテ、有隣堂)の「丹沢の西の果て」という記事には1970年当時の白石峠の写真が載っている。

● 後日、白石峠道志側旧道を探索した時のレポを見る