南高尾の峠

大垂水峠・武蔵越・中沢峠・浅川峠・西山峠
三沢峠(追分)・<新三沢峠>・草戸峠・四辻<高尾峠>・<三和峠>

以前に、高尾山から大垂水峠を経て南高尾山稜を四辻へと歩いたことがありました。
その時は「旧大垂水峠の峠道」や「武蔵越<*1>、「浅川峠」を見落してしまったので、
今回改めてそれら見落しの峠を確認するために再訪問することにしました。

また、図書館で目にした古い『新ハイキング』<*2>という山雑誌の紀行文には、
仮称として断りがあったものの、四辻を「高尾峠」とし、
さらにその先の北の鞍部を「三和峠」と表記したものがありました。

さらに、一部ガイドブック<*3>では三沢峠の東、峰ノ薬師からの道が尾根道に
合流する地点を「新三沢峠」としているものがありました。

いろいろ気になることが多い尾根道ですが、
今回は前回と逆周りのコースで散策をしてみました。

 京王線狭間駅前の某巨大スーパーに車を置いて、
初沢町の「みころも霊堂」という仏舎利塔を目標に進みます。
初沢住宅地内のアスファルトの坂を登りつめて尾根と交わる地点が「(仮称)三和峠」です。
尾根を越えて高尾山側に山道が続いています。

一応、峠の体裁を備えていますが、地元の方に伺うと「特に呼び名はない」とのことでした。
(仮称)三和峠は十字路になっていて、右手は「金毘羅山」へ、
左手は「かたらいの路 高尾大戸コース 四辻・草戸山」の標識が立っていました。
語らう相手はいませんが、「かたらいの路」に進路を取り南高尾山稜縦走の始まりです。


四辻 <(仮称)高尾峠>


草戸峠 (草土峠)

南高尾霊園への道を分け、小さいアップダウンを繰り返し、
いかにも近所の裏山を歩いているという感じの道を進みます。
時折、南高尾霊園からお線香の匂いが谷戸の風に乗って鼻を刺激します。
ほどなくしてオリエンテーリングの標識のある四辻に到着。
峠の雰囲気もあり、「(仮称)高尾峠」もわからなくもありませんが、
ここはやはり「四辻」の呼称が似合うと思います。

電車の音や国道を走る車の騒音から次第に遠ざかって、裏山の雰囲気から解放される頃、
送電線鉄塔や隣接する某大学の有刺鉄線のフェンスが現われます。
「立入禁止」と書かれた看板を「入学禁止」に書き換えてやろうかと思いましたが相手にするのはやめました。
梅ノ木平への分岐を過ぎてひと登りすると草戸峠に到着です。(「草土峠」と表記している文献もあります)
大きなモミ(?)の木とベンチがあります。
ベンチに腰掛けると、対面にどっしりした高尾山の姿が目に飛び込んできます。
境川の源流である大地沢へ降りる道を分けています。
さらに峠からひと登りすると、山ノ神の祠が祀られている町田市最高峰草戸山に到着です。
山頂のベンチは城山湖散策を楽しむ人で賑わっていました。


<新三沢峠>


三沢峠 (追分・金毘羅台)

前回訪れた時に、逆コースを辿ると城山湖周辺の階段で苦しむだろうと感じていたのに、
今回はその逆コースを辿ってしまい墓穴を掘ってしまいました。
息を切らして新三沢峠のベンチで小休止です。
アンテナ施設があるこの地点を「三沢峠」としているケースがあるのです。
峰ノ薬師への分岐点となっていますが新三沢峠という呼び名が一般化しているかは不明であります。

ほんのわずか尾根道を辿れば本家、三沢峠に到着します。
小広い峠で、ベンチとテーブル、防火用水のドラム缶、関東ふれあいの道の案内板が設置されています。
「三沢」とは三井集落と中沢集落が、かつて一村をなして三沢村と称していたことによるといいます。


西山峠


浅川峠付近

三沢峠から大垂水峠の間がこのコースのメインで、やっと山歩きの趣を味わえるようになります。
しかし、そこは低山ですから、低山なりの薄口の味ではありますが。

尾根道を辿り北上を進めます。 いくつかの小さい突部にも丁寧に巻き道がつけられています。
迷わず巻き道を選択してラクな方へ、ラクな方へと進んでしまうのは、人生の歩みと同様の選択でしょうか。
辛いことを避けて、人生の巻き道ばかり選択している自身の姿と重なり合ってしまいます。

泰光寺山を巻いて進めば西山峠で、杉林の中のほの暗い峠です。
津久井側の三井集落から入沢川沿いに梅ノ木平に続く道が越えています。
津久井から高尾山への参詣の道であり、甲州街道への近道、八王子との交易路でもあったようです。

前回よく判らなかった浅川峠ですが、今回も何処にあるのか特定できませんでした。
『峠と路』(馬場喜信・かたくら書店)によると、浅川側の山下と津久井側の名手を結ぶとあります。

  「うっそうとした林の中にある静かな峠・・・・
  道の跡はからみあった樹叢の中に、もはや判別できないほど埋もれていた・・・」

とありますから、数十年経過した今では見つからないのも仕方がないかもしれません。
峠と思しき地点に、「三井の森」という標識があり、三井側に下る道が付けられていました。


コース上の好展望地より津久井と丹沢の山並


中沢峠


武蔵越付近

武相国境東縦走路開通一周年記念の聖観音菩薩が鎮座する中沢山(名手山)を過ぎると中沢峠です。
津久井側名手と中沢川沿いに梅ノ木平とを結ぶ道が越えている樹林の中の小さな峠です。
うっかりすると見落してしまいそうな尾根上の一点にすぎません。
峠本来の目的である越えるためにこの峠を歩いている人はいるのでしょうか。

大洞山手前、三角点のある514m峰の山頂には、
客の入らない安拵えのビアガーデンのような宴会場が出来ていました。
この宴会場のようなテーブルセットは大洞山にもあり、自然景観を損ねていたように思えます。
誰かが登山者のために、よかれと思って設置したようであります。 
しかし、この程度の景観破壊なら許容範囲であるかもしれません。
いずれ南高尾尾根にふりかかる圏央道建設に伴う自然破壊に比べれば・・・・

さて、幻の峠「武蔵越」でありますが、大垂水峠を指し示す指導標を無視して、
尾根伝いに笹ヤブを分けて進み探してみましたが、それらしき痕跡は発見できませんでした。
前出の『峠と路』によると、

 「武蔵越のルートは千木良の東方の赤馬の集落から尾根を登って山稜上の鞍部に達し、
 谷沿いに下って、案内谷の最奥の集落、大平の上手のあたりで甲州街道に合流している。」

と書かれています。
「武蔵越」を発見するために再訪した南高尾山稜でしたが結局無駄足だったようです。


大垂水峠

大垂水峠は相変わらずの激しい交通量です。
トラックの排ガスやバイクの轟音に負けることなくサイクリストが風のように越えてゆく姿もあります。
旧峠道の痕跡らしきものが峠の茶屋脇にありましたが、ヤブに埋まっていましたし、
犬に吠えられもし、進入できませんでした。

峠付近では猿の群れが餌を探して移動していました。
おねだりする猿や人を襲う猿はいませんでしたが、
いつの日か、日光いろは坂に出没するような凶暴な猿軍団に変貌するかもしれませんね。
圏央道建設に際し、猿の怒りが爆発しないことを祈ります。

「オオタルミ峠」の「タルミ」は、尾根の低くたるんだ部分、撓んだ地形をいうのでしょうが、
「タルミ」と聞くと、自分の弛みきった怠惰な日常生活が思い浮かんでなりません。

行き交う下界の波に直面して弛緩した峠行の気持ちも回復せず、今回は高尾山登頂は見送って、
弛みきった日常生活を省みつつ、相模湖駅に向けて国道をトボトボと歩いて帰路につきました。

<*1>『峠と路』(馬場喜信著・かたくら書店・絶版)に「武蔵越」の記載がありました。
<*2>新ハイキング社 1996.2 484号「草戸山から金比羅山」(田中幸男氏)の紀行文。
<*3>出典忘れました 思い出したら記載します。

* 『新ハイキング』1989.10 408号「西山峠から南高尾山稜」(福田量平氏)によると、
  泰光寺山から北に派生する尾根を「丁良峠(ちょうなお)尾根」というそうです。「峠」と付くと何か気になります。 
  丁奈尾峠、長名尾峠、名手峠についての迷走は、「神奈川の峠制覇をほぼ終えて」のページをご参照下さい。

* 『新しき山の旅』(昭和書房・昭和17年)によると、「草戸峠」は「草土ノ峠」との記載が見られます。
  昔は大山道の峠であったとも書かれています。 また、「西山峠=丁奈尾峠=三井峠」との記載もあります。

* 『相模湖町史・民俗編』(平成19年・町史編纂委員会編集・相模原市発行)には「武蔵越」の記述があります。
  「八王子に行くときには、小仏峠裏街道を使い武蔵越をしたが、現在この道は大垂水の頂上から右側の稜線を通り、
  城山の峰の薬師に通ずるハイキングコースになっている。
  武蔵越の頂上にはテレビの共同アンテナが建っていて、千木良はこのアンテナを使用している。
  頂上からは若柳・青根・青野原・三ヶ木方面が見渡せる。
  この道は赤馬の阿寺沢川にそった道で、峠の登り口 猿久保沢の竹薮の上には「左 大山 右 小原甲州街道」の道標
  のほか、道祖神がまつられている。道は途中から上りがきつくなり、なかなか大変な道だった。
  高尾に下って浅川の山下という集落までは家がなく、最初の一軒の家のあたりまで行くと一休みしたものであった。」
  と、往時の「武蔵越」の様子についても記載されています。

● 後日、武蔵越と大ダルミ峠旧道を歩いた時のレポートを見る

(参考文献) 『かながわの峠』植木知司著・かもめ文庫