★ 「富士箱根トレイル」 須走〜立山ルートを歩く

籠坂峠


『広報誌 おやま610』 2009年7月号より

富士山須走口五合目から三国山稜、明神峠、湯船山、不老山を経て
足柄峠、金時山の山頂までを結ぶ約43kmの「富士箱根トレイル」が
2009年秋の全線開通を目指して整備中です。
今回は須走から立山へと登るルートがどんな状態なのか歩いてきました。
また、前々から籠坂峠を自動車で通過するたびに気になっていた
峠南方の谷筋(うぐいす谷?)の様子を探ってきました。

『広報誌おやま』は小山町のホームページで閲覧可能です。
(バックナンバー『広報誌おやま605』にも関連記事あり)
また同ホームページの、「楽しむ>ハイキングコース>ハイキングマップ」
から『富士箱根トレイル計画図』を閲覧することができます。
(http://www.fuji-oyama.jp/enjoy/map/keikakuzu.pdf)

『富士箱根トレイル計画図』によると、富士山と三国山稜の接続は、
一旦、麓の須走に下降を要するようです。
てっきり、籠坂峠から小富士までの間は、矢筈山、大根山(西大鶴)を経て
尾根伝いに行けるものと思っていたのでちょっぴり残念です。


冨士浅間神社の脇に鎌倉往還が整備保存されている


冨士浅間神社の御神体なのか?

冨士浅間神社に隣接した宮上駐車場(無料・トイレ有り)に車を置いて社参しますが
社殿及び境内はあいにくのリニューアル工事中で騒がしい有様です。
(浅間神社のご近所に「道の駅須走」の建設も予定されているらしい)
県指定天然記念物のハルニレの老樹とカッコイイ狛犬の姿を見ただけで境内から立ち去り、
浅間神社北側の山裾に展開している住宅地へと向います。

『富士箱根トレイル計画図』によると、須走から立山へ登るルートは、
別荘地「紅富台」を抜けて登山口へ向うルートと須走中学校裏手から登山口へと向うルートの
2系統があるようですが、今回はそのどちらでもない町営緑ヶ丘団地奥の住宅地を抜けて
登山口へと向うルートを選択してみました。
結局は別荘地を抜けるルートに合流するのですが、交通量の多い国道は歩きたくないのです。
地形図三角点p882東側に描かれている破線道を登ります。


2万5千図「須走」 昭和54年発行 国土地理院


町営緑ヶ丘団地前を通り地形図に記された山道へ入る


気持ち良いヒノキ林内の緩やかな道を登る

手持ちの地形図が古いのか、実際の住宅地はもう少し山側にまで喰い込んでいます。
「昭和54年発行か・・・、東富士五湖道路も描かれていない地図を持ってきてしまった・・・
まぁ、たいして大きな変化もないようなので大丈夫そうだ」
住宅地が終わると、よく手入れのされた清々しいヒノキ林内の道となります。

「家のすぐ裏手が山というのはうらやましいなぁ・・・」なんて思うのも束の間、
自衛隊演習地で繰り広げられている砲弾発射の轟音が背後から襲い掛かってきます。
ドーン、ドーンと腹に響き、鼓膜が破れんばかりの凄まじい音が響き渡ります。
そればかりか上空には対地攻撃ヘリが飛び交い、機銃掃射の恐ろしい音を降らしています。
こんな賑やかなら熊除けの鈴など付ける必要も無いでしょう。

ヒノキ林内の足に優しい緩やかな道を登ります。
水道施設を過ぎ、右手に分岐する道を見送ると、ひと登りで尾根を越えて別荘地へ飛び出します。
分譲別荘地内のアスファルト道を山側に向けて進むと、登山口を示す愛らしい標識が目に入ります。


別荘地の奥からトレイルロードが始まる


愛らしい標識がハイカーを迎えてくれる

温もりある手製標識には「西丹沢さいはての秘峰・立山登山口」とあります。
「さいはての秘峰」という形容がぴったりですし、「さいはて」という言葉には旅愁も感じます。
「上り100分・下り90分」とありますが、普通の足ならそんなにはかからないことでしょう。

土石流危険渓流の警告板があり「鮎沢川水系須走沢」と書かれています。
しばらく続くスコリアの堆積した林道に沿う沢は「須走沢」という名前なのでしょうか。
沢に水の流れは無いようですが、林道上には水流によって抉られた痕跡が見られます。
別荘分譲用の区画が谷筋の林道脇にもいくらかあるようですが、
大雨が降ると荒れ狂うかもしれない谷筋の土地に、別荘を建てる人がいるのだろうかと、
要らぬ心配をしてしまいます。


谷沿いにスコリアの林道が伸びる


二つ目の標識は取り付き点にある

登山口から先、しばらくの間、登山標識は無く、取り付き点を見落してしまったかと不安になる頃、
二つ目の手製標識が適切な場所に設置されていて安心を得ます。
林道はまだ先へとのびていますが、ここで左折して植林地斜面へ取り付くことになります。
先へとのびている林道は須走中学校裏手からのルートに接続しているものと思われます。

「←立山へ」と記された標識には、
「赤いテープをたどり行けばコースを外すことはありません」と頼もしい言葉が添えられています。
赤いテープの他に、青いビニールヒモも数メートル間隔で点々と木々に巻き付けられているので、
どんなドジな人でも道迷いをすることはないでしょう。
ちょっと目印が多過ぎはしないかとも思いますが、積雪期に、コースが完全に
雪に埋まってしまった場合のことを想定すると、ちょっと多いくらいが良いのかもしれません。


『ヤマケイアルペンガイド5丹沢』(三宅岳著・山と渓谷社・2009年)挿入図より転載
別荘地からの立山ルートが描かれている。「富士山展望台」の表記もある。

取り付き点から立山山頂までの間、地形図に破線道は表示されていません。
2009年に出版された『ヤマケイアルペンガイド5丹沢』の挿入図にはp1070,p1113付近を通って
立山へと続く破線路が描かれています。
トレイルロードは概ねこの破線路の通りにつけられています。
また、同図中には「富士山展望台」の文字も見られます。
そのような看板や展望台の構造物は見当たりませんでしたが、今後整備されるのでしょうか?
ルートを明確にしたトレイルマップも今後、地元自治体の手によって製作されることでしょう。

「トレイルロード遊歩道指導標設置工事580万円」、「トレイルロードマップ作成75万円」、
小山町の広報誌によると、これらの金額が予算計上されています。
ちなみに、道の駅須走の整備事業費は9億4790万円とあります。


取り付きは植林内のジグザグ


富士のビューポイントもあるが雲に隠されている

木段の整備されている植林地内の道をZ字形に緩やかに登っていくと、
植林と自然林帯との境目を迎え、富士方面を展望できる切り開きが用意されています。
この辺が「富士山展望台」なのでしょうか?あいにく富士の上半身は厚い雲に隠されていますが、
下半身である裾野の広がりは充分に体感することができます。
本コースは、緑濃い今の季節では、富士を望むことのできる場所は限られていますが、
葉の落ちた冬場なら間近に聳える大迫力の富士を常に仰ぎ見ながら歩くことができるでしょう。

誰にも会わない一日かと思いましたが、単独の後続者が植林地内を登って来たので先へ進みます。
自然林の道に入ると勾配は緩み、ルートは左手へと、ややトラバース気味に引かれています。
赤テープ、青ビニールヒモの目印は豊富で、進路を見失うことはありません。


整備用だろうかプラ杭階段の資材が見られた


本ルートの核心「素敵な台地」の中を行く

灌木に囲まれた山道の所々に、蜘蛛の巣やケムシのぶら下がりがあるので油断はできません。
山鳥が盛んに鳴いて、西丹沢最果ての地に踏み込んだ闖入者に警戒を怠りません。
これから整備されるのか、道端にはプラ杭階段の資材が置かれています。
「秘峰」のイメージを維持するためにも、必要以上に手を加えることは避けて欲しいものです。
これまでのところ登山標識も別荘地奥の登山口と植林斜面の取り付き点にあったのみで、
必要最小限に抑えられています。

過剰な登山ルートの整備は、本ルートの魅力を半減させてしまうに違いありませんが、
地元自治体が「富士箱根トレイル」として売り出す以上、事故や遭難騒ぎを起こすことは許されず、
万一、そのような事態が発生した場合はトレイルの管理責任が問われることになりかねません。
加減を知らないお役人が、ガチガチに整備してしまうことが懸念されます。

イノシシの好みそうな小さな砂場を過ぎると、「素敵な台地」の中を行く道となります。
ほぼ平坦に近い広大な台地上に素敵な自然林が広がっています。
その中に伸びる一条の踏み跡。ここは須走〜立山間の核心部といえます。


「富士箱根国立公園内」であることを示す標識


1332ピークと1308ピークの分岐

「ここは富士箱根国立公園内であり、草木を取ると重く罰せられます」と書かれた
手製看板が2ヶ所に設置されています。
「自然環境保全特別地区 罰金30万円以下 懲役3年以下」とも書かれています。
「保全特別地区」の名に値する美しい自然が残されていて、
ここ立山周辺部は「秘峰」であるとともに「秘宝」であるのだなという感を抱かせます。

あちこちと踏み跡の無い樹林の中を彷徨い歩きたくもなりますが、自然へのダメージを考えて
軽率な行為は控えなければならないでしょう。
ただし、下草を踏みつけることのない積雪期なら、面白い彷徨い歩きが楽しめそうです。


「直進すると70mで立山1332mへ」
「右へ行くと300mで地元で言う立山の頂上へ」


秘峰の雰囲気が漂います

素敵な台地を進んでいくと正面に分岐ポイントを迎えます。
「赤いテープが示す道 直進すると70mで立山1332mへ」、
「右へ行くと300mで地元で言う立山の頂上へ(富士を正面に絶好の場所)」と書かれた
手製標識が設置されています。 p1332と三角点p1308の分岐点です。

p1332は資料によってはp1330.5とされていることもあり、少々戸惑います。
GPSや高度計を持っていないので実際の標高を確認する術がありません。


p1308へ向けて緑の回廊を進む


p1308に埋まる「御料局境界点」

ひとまず右へ折れて、地元で言うところの三角点p1308の立山へと向います。
目に鮮やかな緑のトンネルのような道を進んでいくと、以前に訪れたことのある
見晴らしに優れた1308のピークとなります。

今回は、残念ながら富士山も愛鷹連峰もその一部が雲に隠れていますが、
その代わりに周囲は甘い香りに包まれています。
名の知らぬ白い花と野薔薇が満開で、その甘い蜜を求めて蜜蜂が飛び交っています。


甘い香りが鼻をくすぐる ウツギ?


小さな白バラが満開 フジイバラ?


p1308から雲に隠れた富士を望む
愛鷹連峰と雄大な裾野の広がりを望むことができる


「左は300mほど右の道と並走し、須走へ下山する」
「右は立山頂上を通り、あざみ平、篭坂峠、大洞山へ」

「富士箱根トレイル」が全線開通した暁には、ここは絶好の休憩ポイントになることでしょう。
それでも仰々しいトレイル案内看板やテーブルベンチセットなんて設置しないで欲しいものです。

しかし、小広い山頂の草地や表土を荒らされないようにするためには、逆に、ベンチのような設備が
必要なのかもしれません。
景観、雰囲気、安全性、利便性等を考慮したトレイルの管理とは難しいものになりそうです。

p1308から南麓の太陽カントリークラブへと下降する破線道は相変わらず薄い踏み跡のままです。
こちらのルートは「富士箱根トレイル」とは関係ないようです。

「左は300mほど右の道と並走し、須走へ下山する」という標示方向からやって来たので、
「右は立山頂上を通り、あざみ平、篭坂峠、大洞山へ」という標示に従い右手の道を選択します。
ほぼ直線的で平坦な道をわずかばかり進めばp1332の立山となります。
途中、ヒメシャラでしょうか、山道に白い落花のカーペットが敷かれているのを見ます。


『おやま町散策マップ』によるところの「立山1332m」山頂
旧版の『山と高原地図』では「角取山」とある


『地球の風・富士と五湖』(ゼンリン・1999年版)
角取山と立山を厳密に分けている・・・?

『おやま町散策マップ』によると、p1332(p1330.5)が立山の山頂ということになります。
旧版の『山と高原地図』(昭文社)では「角取山」とありますが、
最近の版では
「立山」と表示され、「(角取山ともいう)」と付記されています。

『日本山岳案内』には、「角取山は一名立山とも云われてゐて・・・」などとも書かれています。
「立山=角取山」のようですが、『地球の風・富士と五湖』(ゼンリン)のガイド本では、
立山と角取山を厳密に区分する表記がなされていて頭が混乱します。
また、三国山稜の大洞山を角取山と呼ぶこともあり、頭の混乱は絶頂を極めます。

「立山」は「たちやま」と読み、「太刀山」と表記されることもあるようです。
また、古絵図である『須走村絵図』にも、「かこ坂峠」とともに「立山」の名が記されています。
古くから呼ばれている山名であることには間違いないようです。


カマボコ板標識が残っていた


「ここが立山1332m」の標識が立てられている

以前取り付けた陳腐なカマボコ板の山名標識が残っていたのにはびっくりしましたが、
消えた文字を誰かが加筆してくれていたのには更に驚きました。
こんなカマボコ板標識など、誰も見向きもしないと思っていましたから。

その陳腐な標識の隣りには、立派な手製標識が新たに建てられていました。
新たな立山標識には、この地を愛した故・ハンスシュトルテ氏に贈る言葉が添えられています。

  「天国のハンス・シュトルテ様へ――貴著『丹沢夜話』で、ここ立山の美しさを称え、
  この山域をこよなく愛してくださいました。私たちは、ご遺志を継いで、ここを守ります」


畑尾山へ向けてブナのしっとりした道を行く


畑尾山手前鞍部の篭坂峠分岐

立山から畑尾山にかけてはブナの美しいところ。
白いベールのようなガスが流れる中、今年初めて耳にする蝉がジー、ジーと鳴いています。
平地より涼しいはずの山の上なのに蝉の御出ましは下界より早いようです。

畑尾山手前鞍部の籠坂峠分岐には小山町の設置した木製指導標識が建てられています。
それに加えて、「あしひきの山した光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも」という歌の
書かれたカラフルな私製標識が設置されています。
この付近の紅葉(黄葉)はさぞかし美しいことでしょう。


「あしひきの・・・」カラフル標識が立てられている


巣から落ちた雛鳥

   「畑尾山は私の取って置きの山であり、天狗の隠れ山ともいえる。
   野性の豊かな自然が脈打つこぢんまりとした楽園である。
   篭坂峠から登っていくと、先ず唐松の林があり、登るに従って樅の大木が現れ、
   クサソテツの美しい環が山の斜面を覆っている。
   山頂は展望こそないが、森林の雄大さと静けさが心の乱れを和ませてくれる。」
                  (『続続・丹沢夜話』 ハンス・シュトルテ著 有隣堂 平成7年

心の乱れを和ませてくれる」、ここはまさにそんな山域です。
「畑尾山の山毛欅林は心のオアシスである」ともシュトルテ氏は語っています。
シュトルテ氏の愛した畑尾山を越えると、あざみ平の籠坂峠分岐を迎えます。

すぐに籠坂峠へ下るのも勿体無いので、あざみ平に立ち寄ってみましたが、
「富士箱根トレイル」に関連する新しい登山標識等はまだ見られませんでした。
あざみ平でも白い野薔薇が満開です。
今年は不老山のサンショウバラの開花を見逃してしまったので、この白薔薇を目に焼き付けます。


大ブナも元気元気!

あざみ平からスコリアの堆積した凹状の道を籠坂峠へ向けて下ります。
途中、巣から落ちた野鳥の雛を踏み潰しそうになりましたが寸前で回避することができました。
雛は無事でしたが、この先、ヘビや狐に喰われずに大空へ飛び立つことができるかわかりません。
巣立ちに失敗したのでしょうか?好奇心が旺盛過ぎて巣から身を乗り出し落下したのでしょうか?
連れて帰って育ててあげたいとも思いますが、野性は野性に任せるのが一番ですし、
人生を上手く飛ぶことのできない人間が、たとえ小鳥だといっても育てることなど無理に違いありません。

三国山稜の主の風格を持つ大ブナは元気一杯で、瑞瑞しい若葉を広げています。
太い幹に厚い苔を纏った姿は威風堂々としており、
こちらの心の中を見透かされているようで畏怖すら感じます。
「なにもやましいことなど考えていませんよ、許してください」なんて念じたりしちゃいます。


左:アザミ平 右:立山(太刀山)


籠坂峠

見事な自然林に囲繞された心地好い道をしばらく下って行くと、立山からの道を合わせます。
この場所に建つ手製標識の行き先表示には「
太刀山(立山とも)」と書かれていて、
「立山」が「太刀山」と表記される場合もあることを紹介しています。
『ヤマケイアルペンガイド5丹沢』によると、この「あざみ平・立山分岐」には、トレイル整備に合わせて
近々、正式な指導標識が設置される予定があるそうです。

登山道を抜け、霊園内を通過すると籠坂峠のバス停に飛び出ます。
山行の主目的である須走から立山に登るトレイルルートを確認することが出来たので、
このままバスに乗って、車を置いた宮上駐車場に戻ることもアリなのかもしれません。
運行表を見ると、こういう時に限ってタイミング良く13時18分発の三島駅行きがもうすぐ来るようです。
(急行と表示されていて、バスの急行とはどういうことだろうかと首を傾げてしまいます。
途中のバス停には一切停車せずに直行便という意味なのでしょうか?)

しかし、まだまだ歩き足りませんから、
前々から気になっていた籠坂峠南方の谷筋(うぐいす谷?)を探ってみることにします。
明治期の旧版地形図を見ると、現在の国道ルートとは異なり、須走側の道は直線的な径路で
峠南方の谷筋内を下降するように描かれています。(左下図の2万図参照)
これが国道開削以前の峠道の姿なのでしょうか?

現在のクネクネとした国道ルートは、
須走から籠坂峠へ馬車鉄道が敷設された際のルートを引き継いでいます。
右下図の大正期の地形図を見ると、現在、「夕月の碑」のあるヘアピンカーブが描かれていますが、
車道内に表示されている黒い点々とした記号は馬車鉄道を示しています。
そして、峠南方の谷筋には破線の旧道らしきものが描かれています。

この谷筋の道らしきものが現存しているか探ってみることにしました。
尚、籠坂峠の推定古道(旧加古坂道)と思われる藤原光親墓から矢筈岳(天神峠)へ登る道の
探索は以前行ったので、そのレポートを御覧下さい。
今回は、あくまで現国道以前の車道が谷筋に残されているかを確認するだけです。


1/2万図 「須走村」 明治24年


1/5万図 「山中湖」 大正7年発行

国土地理院のホームページで、当該地の昔の航空写真を見てみると、
確かに谷筋には道のようなものが存在しているように見えます。
しかし、峠直下は急勾配の地形のように地形図からは読み取れ、いくら距離が短くなるとはいえ、
直線的なルートを選択していたとは考えにくいことでもあります。
また、旧版地形図からは崩壊側壁内を通過していたことも窺い知ることができます。
そんな道が果たして今も残っているのでしょうか?


馬車鉄道の名残として「馬車道通り」がある

  御殿場馬車鉄道は明治32年に御殿場〜須走間が開通し、同35年に籠坂峠まで延長された。
  山梨県側では明治33年に都留馬車鉄道が吉田〜籠坂峠間に開通。
  峠で乗り継げば(軌間762oの御殿場馬車鉄道と軌間660oの都留馬車鉄道では
  直通運転ができなかった)、大月〜谷村〜吉田〜須走〜御殿場を結ぶ長大な馬鉄の路線を
  各社の馬車鉄道を乗り換えることで一時期の間ではあるが利用することができたことになる。
  峠直下の急坂では馬一頭牽きで客車を峠へ上げることは難しく、滑車とワイヤーを使って
  巻き上げていたとされている。

  明治36年に中央本線の八王子〜甲府間が開通すると、甲駿間の人と荷物の流れは、
  これまでの東海道本線御殿場口から中央本線に奪われ、御殿場馬車鉄道の経営は不振に陥り、
  籠坂峠へ向う馬車鉄道は大正7年に廃止された。(吉田〜籠坂峠間は昭和2年に廃止)
  現在、峠付近に馬車鉄道の遺構等は見られないが、山中湖側の別荘地内を下る旧道に、
  「馬車道通り」の名が残されている。


峠下のヘアピンカーブから沢筋を下る


こんなゴミも不法投棄されている

峠南方の谷筋に、本当に旧道が隠れているのか心配ですが、
『日本山岳案内』(鉄道省山岳部編・博文社・昭和15年)に興味ある一文があります。

  「峠から前方御殿場寄りに歩み、左へと窪地に沿ふて歩み、
  路が再び右へ曲ると左側に窪地を降って行く逕を見る。
  この逕は昔時の鎌倉往還であって、新國道はこの逕の右手山腹を通ってゐる。」

これは「峠下のヘアピンカーブの先で、窪地に降りてゆく道が旧鎌倉往還であり、
新しい国道はこの道の右手山腹を通っている」と読み解くことができるのではないでしょうか。

きっと旧道が現存しているに違いないと、国道を走るドライバーの視線を気にしながら、
ガードレールを乗り越えて谷筋に足を踏み入れます。
しかし、沢筋に明瞭な道の痕跡は見当たらず、
国道を走行する車から投棄されたであろう無数のゴミが散乱しているのを見るばかりです。
古タイヤや弁当のゴミにペットボトル、建築廃材に怪しげな化学物質など、
ありとあらゆるものが捨てられ、足の踏み場もない状態です。
国道側斜面には自動車までも転がっています。(発見されていない事故車じゃないですよね・・・)


細い水路があるが道は無い


ドブの中を歩いているような・・・

沢筋に人の歩いた痕跡はなく、辛うじて獣が歩いたであろう薄っすらとした踏み跡があるのみです。
苔の生えた細い水路は、次第に幅を広げ、水流は無いものの、
そのジメジメした水路内を歩くようになります。
ゴミの散乱した水路内を歩いていると、なんだかドブネズミになった気分になります。
不安定な石がゴロゴロし、立ち木もポキポキ折れるので転倒に注意しなければなりません。

もうやめて引き返そうかとも思いましたが、登り返すのは面倒だし、
大型トラックが頻繁に走るクネクネとした国道を歩いて下山するのは、
危険だし、時間の無駄でもあります。このまま直線的に下りショートカットしたほうが楽なはずです。
地形図を見る限り、ある程度まで下降すれば後はほとんど平坦なようですし、
谷筋には堰堤記号の表示はなく難場は無いように思われます。


2万5千図「須走」 昭和54年発行 国土地理院


左岸に付けられたケモノ道を拾う


「豊田通商富士山荘」内の私道に出た

しかし、地形図は時として嘘つきで、ルート中盤から堰堤が次々と現われます。
地形図に堰堤記号などまったく表記されていないのに連続堰堤群がこの谷筋には隠れていたのです。
連続堰堤を避け、左岸を高巻きするように獣道がついているので、
それを拾って左岸灌木台地に上陸し、イノシシとの遭遇を避けるため笛を吹きながら前進します。

下部の沢筋は、黒いスコリア層のV字谷を形成しているようですが、歩行価値は乏しいものです。
笹を分けて前方が明るくなると、放棄されたかのようなコンクリート舗装路に飛び出し、
未知の沢筋下降は終わりを迎えます。
このコンクリート道は豊田通商富士山荘内の私道のようですが、使われている気配はありません。
直線的なコンクリート道を数分進みゲートを通過すると、無事に国道と合流します。


国道138号線との分岐点


「鎌倉往還」の石標が建つ

国道分岐点の石垣の上には「鎌倉往還」と刻まれた石標が建てられていますが、
これは今下ってきた沢筋径路を指して建てられたものなのでしょうか?
それとも現国道を指しているのでしょうか?あるいは、これらとは全く別のルートが存在している
のでしょうか?(ここから山腹を藤原光親墓に向けて進むルートとか)

結果として、沢筋(うぐいす谷?)に、旧道の痕跡は見られませんでしたが、
クネクネとした国道を歩いて下ってくるよりかは時間短縮ができ、ストレス削減にもなったはずです。
しかし、ただそれだけのことです。籠坂峠から須走まで、バス代がいくらかかるか知りませんが、
数百円程度なら素直にバスに乗った方が良いでしょう。


別荘地の入口にも立山登山口の標識があった

大型トラックや自衛隊の車両が爆走する国道をとぼとぼ歩いて宮上駐車場へと向います。
セブンイレブン先の別荘地入口には「秘峰立山」の登山口を示す手製標識が建てられていました。

現在の交通量激しい国道に沿う形で、明治、大正の一時期、須走〜籠坂峠間に
馬車鉄道が敷設されていたなんて、これまで知りませんでしたし、そんな遺構は全く見られません。
当時は馬車鉄道の御者が鳴らすラッパの音から「テト馬車」との愛称もあったようです。
富士の雄大な裾野を、ゆっくり登って行く、どこか長閑な姿を想像してしまいます。
山鳥が鳴き、鹿が樹林を駈け、富士講の信仰登山者の行列も見られたことでしょう。

国道端の狭い白線内からはみ出して歩いていると、馬車鉄道のラッパの音ではなく、
爆走トラックのクラクションに怒られます。山鳥の声は演習地の砲撃音に掻き消されます。
信仰登山者もマイカーや大型バスで五合目まで登る時代です。
籠坂峠の古道、旧道を顧みることになんて、何の意味もないのかもしれません。

(峠行:2009.07.07)

【参考文献】

広報 『おやま610』 2009年7月号 小山町
『続続・丹沢夜話』 ハンス・シュトルテ著 有隣堂 平成7年
『日本山岳案内』 鉄道省山岳部編 博文社 昭和15年
『ヤマケイアルペンガイド5丹沢』 三宅岳著 山と渓谷社 2009年
『史跡いろいろみちしるべ・その6』 小山町教育委員会社会教育課
『おやま町散策マップ』 散策マップ編集委員会 小山町産業観光課
『地形図でたどる鉄道史』 「富士を目指す鉄路」 今尾恵介 JTB出版
『鉄道廃線跡を歩くW』 「御殿場馬車鉄道」 宮脇俊三編著 JTB出版
『今は昔しずおか懐かし鉄道』 静岡新聞社 静新新書
『御殿場市史』 第6巻 第9巻

「富士箱根トレイル 2009年秋 全線開通」 なのだ!!