迷走する峠 / 禾生峠・向峠・鍵掛峠・近ヶ坂峠 (おまけ)大幡峠

 

 以前に高川山の東尾根上に位置する尾曽後峠(天神峠)を訪れて、そのなかなかの雰囲気に
味を占めたので、今回は西尾根の峠を訪れてみることにしました。

西尾根の近ヶ坂峠は都留と初狩を結んでいた近ヶ坂往還が通り、交通が盛んであったといいますから
それなりの峠の佇まいを留めているのではと期待していましたが惨憺たる廃道振りを呈していました。

★まずは峠の場所で頭が迷走する★


図T
『新ハイキング』521号の挿入図
より
「近ガ坂から高川山」(杉崎満寿雄著)

峠訪問の前提として、
その正確な位置を学習しておく必要があるのですが、
諸説あるようで混乱が見られます。

左図Tの位置関係が一般化しているようで、
現地にある行政が設置した案内看板や昭文社『山と高原地図』も
この位置関係を採用しています。


図U
『日本山岳案内』(鉄道省)の挿入図
より

昭和初期のガイド本『日本山岳案内』(鉄道省・昭和15)を見ると、
鍵掛峠の名は無く、近坂峠とだけ表記されています。

また、図Uでは高川山の西鞍部には禾生峠の表記が見られます。
禾生峠の名は『秘められたる山旅』(スキージャーナル刊・昭和46)
など古い本では間々見られるので以前は一般化していたのでしょう。
最近のガイドブックにはその表記は無く、山道も示されていません。

禾生峠の西、現在は「羽根子山」と呼ばれる山が、
「ネコ山」となっている点も興味あるところです。


図V
『甲斐の山山』(小林経雄著)の挿入図
より

『甲斐の山山』(小林経雄著・新ハイキング社)の挿入図によると、
近ヶ坂峠と鍵掛峠は同じ西尾根上に並んで位置しており、
図Tの西尾根主稜から北西に派生する尾根と大岩との鞍部を
鍵掛峠としているのとは若干異なっています。

どうやらこの説が正しいような気がするのですが判然としません。

『甲斐国誌』には
「茅カ坂ヨリ少シク寅ノ方ヘ行キテ鍵掛峠ニ出ヅ是レ茅カ坂ヨリ分レテ下初狩へ出ル山路ナリ」とあります。
「寅の方角」ですから東と北東との間でありましょう。 さて、「少しく」とはどれくらいの距離なのでしょうか?

『甲斐国誌』では、近ヶ坂を茅カ坂と、『甲斐叢記』では鍵掛峠を鈎懸嶺と表記しています。
また、文献資料によって、近ヶ坂は近カ坂、近坂、近ヶ坂峠などいろいろに表記されます。
ちなみに、山梨県には芦川村にも鍵掛峠、牧丘町にも鍵懸峠(切差峠)があります。


行政設置の現地の案内看板
大岩の東の鞍部を
鍵掛峠としている


地元山岳会設置の現地の案内看板
大岩の東の鞍部を
向峠としている


『子どもいっしょに遊べる山』
でも
向峠の表記が見られる

さらに問題を複雑にしているのが向峠の存在です。
図Tの鍵掛峠の場所を、地元山岳会?設置の手書きの看板やコース上に置かれた木製標識では
向峠と表記しているのです。向峠とは鍵掛峠の別名でしょうか?それともまったくの別物でしょうか?
向峠の表記は『子どもいっしょに遊べる山』(二木久夫著・けやき出版)でも見受けられます。

さらに、さらに、ややこしいのですが『山梨の峠』(小林栄二著)では
近ヶ坂峠であるべき所を鍵掛峠として説明しているように思われます。
同本挿入図に表記されたそれぞれの峠の位置は正しいと思うのですが、
鍵掛峠の写真は近ヶ坂峠ではないでしょうか???
(同本近ヶ坂峠の写真の場所も訪れましたが、峠風ではないのです・・・)


疲れたワン!
高川山の住人ならぬ住犬

頭の中が混乱するワン

          ひと休みするワン

             こんな話はどうでもいいワン 


国土地理院1/25000地形図『都留』図幅より

私見ではありますが便宜上、
Aを向峠・Bを鍵掛峠・Cを近ヶ坂峠とすることにしました。

A・Bは一連の峠道なので、
一括して鍵掛峠と呼ばれていたのかもしれませんね。

C付近は等高線も緩く、小広い場所なのですが、
背丈を越える笹ヤブ、密ヤブ、倒木などで現在地を
見失いがちになりますので、峠探索初心者(?)は
深入りをしない方がよいと思われます。

AとBを繋ぐ破線の道は現存していますが、
滑り落ちている箇所があるので要注意です。
またニセ道に引っ掛からないようにしましょう。
(私はまんまと引っ掛かりましたが)

BとCを結ぶ南側の巻き気味の破線道は不明です。
あったとしても密生する笹ヤブの下に埋もれているでしょう。
B・C間は尾根を歩くのが無難。


 

★さらに現地で迷走します★


高川犬のタカちゃん 背後は九鬼山
「峰の向うには何があるワン       
       峠の向うには何があるワン」

 中央線沿線の高川山はお手軽な山でありまして、
初狩駅からほぼ1時間で山頂に立つことが出来ます。

地元でも愛されている山なのか、手作りの標識も
完備されていて迷うこともありません。
歩き易く、ゴミも落ちていない道が山頂まで導いてくれます。

出会う地元の方らしき登山者は「こんにちは」の挨拶に、
「いらっしゃ〜い」「ご苦労様〜」の歓待で応えてくれます。

お手軽な割には山頂の展望は見事で、
360度の眺望は飽きることなしで山座同定に忙しくなります。
滝子山ってここから見ると格好いいなぁ〜
寂ショウ尾根が登高意欲をそそります。
黒岳や雁ヶ腹摺山、九鬼山、今倉山、杓子山、三ッ峠
笹子峠の向うには雪を着けた南アルプスも顔を出しています。


高川山から富士を望む


山頂には登山者のお弁当目当てのワン公が暮らしています。
首輪をしているので、あるいは毎日麓からせっせと通って
来ているのかもしれません。

カワイイ眼で見つめられると、
パンの一切れでもあげないわけにはいかなくなります。

どうして覚えたのか餌をあげると、
それなりのポーズをとってくれるのであります。
まったく現金なワンちゃんだが、カワイイのでタカちゃん
と勝手に命名しました。

時折、岩の上にスクッと四肢を踏ん張り、
遠くを眺めている姿が印象的です。
タカちゃんは何を見詰めているのだろうか・・・。


禾生峠 (北側・初狩への道)

タカちゃんに別れを告げて、
羽根子山、神馬沢山に向けて西尾根に乗ります。

高川山を下った最初の鞍部が禾生峠で、
しっかりと尾根を越えている道があります。

『日本山岳案内』によると、
「禾生峠は初狩峠とも云われ、初狩村より古屋戸、川茂を
経て禾生に出る峠」とあります。

『新ハイ』など見ると「川茂横道出合」とも呼ばれているようです。


禾生峠 (南側・横吹への道)

峠には手作りの案内板や標識があります。
峠道は北側も南側も歩かれているようで踏跡は明瞭です。

高川山の山頂は大勢の人で賑わっていたのに、
これから先の西尾根では誰にも会うことはありませんでした。
むろんワン公にも。

「山梨百名山」や「大月市秀麗富嶽十ニ景11番」あるいは
「都留市ニ十一秀峰1番」など様々な肩書きを持つ
高川山ではありますが、西に続く尾根は訪れる人も少なく、
実にひっそりしているのです。


高川山西尾根782m峰から今倉山を遠望

ヤブ道の予想に反して、高川山西尾根は歩き易い。
初狩駅を始点に高川山から大岩への周遊コースとして
地元の方の手によって整備されているようであります。

羽根子山直下のロープが張られた急斜面の足場が
悪いだけで、あとは危険な場所もありません。
昔の峠道の探索などして道迷いなどしなければの話ですが。

大岩への分岐を過ぎるとヤブが現われますが、
踏跡や境界見出標を拾って行けば、
人に会うこと稀な静かな山歩きを堪能できます。
静か過ぎて、イノシシの掘り返しが妙に目立ちますが。


向峠の小さい鞍部 (A地点)

向峠は狭く小さな鞍部ですが五差路を形成しています。

西尾根から派生している道、大岩ヘ向かう道、
初狩に下る道、B地点(鍵掛峠)に向かう地形図の破線の道、
そしてもう一本はB地点に向かうと見せかけて途中で
消滅してしまう道であります。

まんまと引っ掛かって、その消滅する道を
最初に選択してしまいました。 トホホ・・・


向峠から望む三ッ峠

向峠の小さな窓からは三ッ峠が望めます。
初狩から谷村に向かった往昔の行人は、
ここで弾んだ息を整え、一服し、汗を拭ったことでしょう。

向峠(A地点)から鍵掛峠(B地点)へ続く地形図の破線道は
山腹をほぼ水平に辿ります。


地図上の推定・鍵掛峠 (B地点)

推定・鍵掛峠(B地点)は西尾根上の小鞍部で、
ポツンと白っぽい境界見出の石標があるだけです。
反対側に続く道は、あるような無いような・・・。

あるいは、次の西に続く小さなピークを越えた
「恩賜林石標界四四四(四)」がある付近が峠かもしれません。
ここも南側に続く道は、あるような無いような・・・。

鍵掛峠の「カギカケ」とはどういう意味でしょうか?


『山の神の民俗と信仰』(佐藤芝明著)
P107挿入図より転用

地形語辞典によると、「カギ」、「カケ」ともに崖の意味で、
崩壊地形を表わすとあります。
確かに地形図B地点の脇には崖地記号も見られますが
果たしてどうでしょうか。

日本各地に鍵掛峠という峠はあります。
青森県青森市や岩手県雫石町と柴波町の境、
鳥取県江府町と大山町の境、長野県飯田市と泰阜村の
境には鍵掛山(カンカケ山ともいう)という山、
山形県金山町には鉤掛森という山もあります。
先述しましたが山梨県にもあと二つの鍵掛(懸)峠があります。

『日本山岳ルーツ辞典』(竹書房)によると、これらは
「鍵を引っ掛けたような形の山、つまり山頂部が人差指の
先を曲げたような形をした山の峠」とあります。
果たしてこれもどうでしょうか。
(私はこの辞典をあまり信用してはいません)

「カギカケ」を地形説や山容説に求めては少々味気ないので、想像(妄想)を膨らませてみます。
『山の神の民俗と信仰』(佐藤芝明著)によると、山地の移動民であった木地師には
「カギ(鈎)カケ」という占いの風習があったそうです。

枝を自在鈎のように切って、これを立木に投げつけて、
枝にかかって落ちなければ「吉」として、山の安全を祈ったといいます。 
もしかしたら峠で山仕事の安全を祈って行ったまじないから、
「カギカケ峠」という名前が付いたのではないでしょうか。
秩父に「雁掛峠」という峠があります。 「ガンカケ」と「カギカケ」とはなんとなく似ています。
雁掛峠付近の沢にも、昔は多くの木地師が入っていたといいますから
関連があるのかもしれません。
(しかし「雁」は「岩」で岩場の意とするのが通説のようです。巌道峠の「巌」と一緒ですね。)

西湖の北、山梨県芦川村の鍵掛峠は確かにゴロ岩もあり地形説に分がありそうですが、
「カギカケ」を「ガンカケ」の転化と考えて「願を掛ける」と連想すれば妄想が膨らみます。
峠に立って仰ぎ見る富士の雄姿に願いを掛ける場所と考えるのは飛躍し過ぎでしょうか。
各地に富士見峠や浅間峠があるのだから何か信仰物に願を掛ける場所としての役割を
持った峠があってもいいのではないでしょうか?

峠に立って山仕事の安全や豊かな実り、家族の幸せについて願い事を掛ける。
その対象は富士だけではなく、岩木山であったり、岩手山であったり、大山(ダイセン)であったりしても。
さて、先に挙げた日本各地の鍵掛峠からはそれら山々が望めるのでしょうか?

「鍵掛」を文字通り解釈して、侵入を防ぐ(道に鍵を掛ける)峠と考えることもできるでしょう。
山梨県牧丘町の鍵懸峠(切差峠・古峠ともいう)の麓の赤芝集落には武田の秘密街道と言われた
旧秩父裏街道の鍵懸の関所がありました。
武田の本拠地の背後を守る重要な関所で、まさに敵勢の侵入を防ぎ鍵を掛ける場所として、
その峠に鍵掛(懸)という名を冠したのではないでしょうか。

鍵を掛けて侵入を防ぐのは敵ばかりではなく、邪悪な神々や悪霊であったり、
流行病や疫病であったり、悪事を働く山賊や流れ者だったのかもしれません。

今回訪れた高川山西尾根の鍵掛峠には一体どんな意味があったのでしょうか?
この付近には秩父平氏の流れを汲むという小山田氏が勢力を伸ばし館を構えていたといいます。
領土経営を安定させる為に峠に見張りを置き、敵対する勢力に動きがあった時には
峠に鍵を掛け侵入を防いだと考えてみるのがしっくりくるでしょうか??


近ガ坂峠全景 (C地点) 丸田側を見る

 B地点から尾根を辿ると、
幅の広い掘り切り状の鞍部であるC地点に到着します。

立派な古道の跡といった感じです。
『山梨の峠』では、ここを鍵掛峠としていますが、
郡内と国中を結ぶ重要路であった近ヶ坂往還について
思いを巡らすと、この立派な道形の痕跡が近ガ坂峠では
ないかと考えられます。

石仏が二体あるはずなのですが、密生した笹ヤブが
その姿を隠しているようで発見はできませんでした。

念のため、さらに尾根筋を西に進んで
『山梨の峠』でいうところの近ガ坂峠の場所も訪れました。
密ヤブと倒木がひどいものの凹形の道は存在しています。
さらに先の729m峰をかすめて南側の中津森へ下る道の
周辺まで探索しましたが峠らしい所はありませんでした。


近ガ坂峠 金井側の自然の堤防状地形

推定・近ガ坂峠の金井側はちょっとした懸崖になっており、
自然の堤防状の地形になっています。
アレアレ〜 そうするとここが地形説からすると鍵掛峠??
と迷走が始まります。

カギカケのカキには「垣」の意味もあり、領地を囲い込む
地形という意味もあるとか。

地名考は深みにはまると抜け出せなくなるので
注意が必要ですね。

 近ガ坂峠(茅カ坂)の「チカ」とはなんでしょうか?単純に考えれば「近い」道の坂で
形容詞チカシ(近)の語幹で、二つの距離の無い地形ということでしょう。
ただ「チカ」は「ツカ」の転で高所の意もあるし、千賀、茅ヶなどは動詞チガフ(違)の語幹で
崖・段丘のように「高さの食い違った地形」を表わす場合もあるとかで地名考は難解です。
「高さの食い違った地形」ならば峠にある堤防状の地形にも納得です。

ここは単純に「近い」坂道の峠説を採用してみましょう。
郡内の中心地である谷村町(現・都留市谷村)から国中(甲府盆地)に行くには、
桂川を下って一旦大月に出て、その後に笹子川筋をさかのぼらなければなりませんが、
当峠を越せば近道でありショートカットができることから近カ坂と呼ばれたに違いないと思います。【*1】

この近ヶ坂往還は都留側では甲府道、甲州往還とも呼ばれ、初狩側では谷村道と称されました。
国中から笹子峠を越えて運ばれた米を荷継ぎした駄賃馬が列を組んで谷村へと越えて行き、
郡内で生産され谷村に集積された絹織物や山の幸、あるいは鉱物資源が帰り荷として
馬の背で国中へと運ばれていった主要幹線道路だったといいます。
物ばかりでなく人の交流も盛んであり、この峠道を介して両地域間の婚姻関係が
多く結ばれたともいいます。
生活を豊かにする物資が行き交い、そして「幸せ」も越えていった峠道なのです。


向峠を初狩に向けて下る途中にある道標
向峠は八田川乗越とも呼ばれるみたいです

その歴史ある由緒正しき近カ坂峠を初狩に向けて
下ろうとしましたが、なんとも強烈な笹ヤブに埋まり
惨憺たる廃道振りを呈しています。

背丈を越える笹ヤブに悪戦苦闘しながら進みましたが、
沢沿いで凹状の道も不明瞭になり、敢え無く撤退しました。

『甲斐の山山』によると、「付近の人々にとっては村道の
延長でしかなく、夜間の往来も激しかった」と、
『大月市史』から当時の様子を引用していますが、
とてもとても隔世の感があり、古の峠道の姿を
思い浮かべることは出来ませんでした。

結局、向峠(A地点)の五差路まで引き返し、
そこから地形図の破線路を信じて初狩駅に下りました。
向峠の下り道は、上部の植林地を抜けると、
凹とした掘り切り状の道が幾度かの屈曲を繰り返し
下部の沢筋まで続いています。

「右、山 左、やむら」と刻まれた
古い石造りの道しるべもあり、ここも近ヶ坂峠同様に
谷村道として多くの人々に歩かれていたことが分かります。

しかし、この道しるべの間際まで、林道延長工事と
堰堤新設工事が進んでいました。
ちょっぴり悲しい峠歩きのフィナーレでした。

峠の位置に迷走し、峠名の由来に迷走し、
現地の地形や笹ヤブ・密ヤブにも迷走し、
泥だらけ傷だらけの峠探索でしたが、
それなりに満足した峠歩きでしたワン!



大幡峠 (ヤドノ峠)

近ヶ坂峠がさびれて廃道化したのには、
昭和44年県道大幡初狩線が開通したことに原因があるようです。

現在は立派な舗装路が大幡峠(ヤドノ峠)を越えています。
ゴルフ場の利用者の為に整備された道のようにも思えますが
どうなのでしょうか・・・。

地図を見ると近ヶ坂峠の出入口あたりには
「リニア実験線土砂捨場」の文字が見られます。
利用価値の薄れた峠道は、
ヤブに埋もれ、残土処分場に埋もれ、
人の手の入らなくなった山肌はゴルフ場に奪われてゆくのは
世の習いなのでしょうか。

高川山の住人ワン公のタカちゃんは、
山頂から現代人の営みを眺めていたのかもしれませんね・・・。

【参考文献】

『地名用語辞典』東京堂出版  『山梨県の地名』平凡社  『日本山岳ルーツ辞典』竹書房
『甲斐の山山』小林経雄・新ハイキング社  『山梨の峠』小林栄二  
『子どもといっしょに遊べる山』二木久夫・けやき出版  
『新ハイキング』 521号・「近ガ坂から高川山」杉崎満寿雄 
『山の民俗と信仰』佐藤芝明・丸ノ内出版  『日本山岳案内』鉄道省

この山域を知る上で普段拠り所としている『中央線の山を歩く』(藤井寿夫・新ハイキング社)にも、高川山西尾根の記録があり、
近ヶ坂峠と思しき鞍部の描写があるのですが峠名に言及していないのが残念です。 『新ハイキング』90.2月412号同内容。
また、『富士の見える山』(小林経雄・新ハイキング社)にも「高川山から大幡峠へ」という紀行文があり、
近ヶ坂峠・鍵掛峠と思われる場所の描写がありますが、なぜかその場所の名称については触れていません。

『新ハイ』433号・「大鹿峠・近ガ坂」杉崎満寿雄 によると、
近ガ坂から南の金井に下る道は猛烈な笹ヤブで完全に廃道とあります。金井集落側の入口には数基の馬頭観音あり。
もう一つの南からの入口である中津森集落には「右、はつかり」と刻まれた古い道しるべがあるそうです。

『新ハイキング』82.12月326号/91.4月426号/に高川山西尾根、83.2月328号/92.11月445号に高川山東尾根の紀行文あり。
93.2.448号「高川山から大岩」や03.2.568号「高川山」の記録を見ると、禾生峠を川茂横道出合、向峠を八田川乗越としています。

★明治時代の地図で近ヶ坂峠を確認する方は→タイムスリップ

【*1】 『郡内研究第14号』(都留市郷土研究会)の「宝地域の地名」(内藤恭義著)によると、
    「近ヶ坂」を「近道の坂」と解するのは誤りだとしています。
    「近ヶ坂」は江戸時代「茅ヶ坂」と表わされたもので、小字の「近ヶ坂」は大池沢から大月市との山境にかけての
    北部一帯を占める山地で、「茅ヶ坂」が本来の意味で近い坂道を意味しないとのこと。
    付近一帯に「茅(カヤ)」が繁茂していたのだろうか?

【後記】 

高川山のワンちゃんは有名犬らしく、後日テレビ出演していました。(目覚しテレビ・きょうのわんこに出演)
2004年8月6日の山梨日日新聞にも掲載され、名前はタカちゃんではなく、ビッキーとのこと。