迷走する峠 / 禾生峠・向峠・鍵掛峠・近ヶ坂峠 (おまけ)大幡峠
| 以前に高川山の東尾根上に位置する尾曽後峠(天神峠)を訪れて、そのなかなかの雰囲気に 味を占めたので、今回は西尾根の峠を訪れてみることにしました。 西尾根の近ヶ坂峠は都留と初狩を結んでいた近ヶ坂往還が通り、交通が盛んであったといいますから |
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★まずは峠の場所で頭が迷走する★ |
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峠訪問の前提として、 その正確な位置を学習しておく必要があるのですが、 諸説あるようで混乱が見られます。 左図Tの位置関係が一般化しているようで、 |
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昭和初期のガイド本『日本山岳案内』(鉄道省・昭和15)を見ると、 鍵掛峠の名は無く、近坂峠とだけ表記されています。 また、図Uでは高川山の西鞍部には禾生峠の表記が見られます。 禾生峠の西、現在は「羽根子山」と呼ばれる山が、 |
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『甲斐の山山』(小林経雄著・新ハイキング社)の挿入図によると、 近ヶ坂峠と鍵掛峠は同じ西尾根上に並んで位置しており、 図Tの西尾根主稜から北西に派生する尾根と大岩との鞍部を 鍵掛峠としているのとは若干異なっています。 どうやらこの説が正しいような気がするのですが判然としません。 |
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| 『甲斐国誌』には 「茅カ坂ヨリ少シク寅ノ方ヘ行キテ鍵掛峠ニ出ヅ是レ茅カ坂ヨリ分レテ下初狩へ出ル山路ナリ」とあります。 「寅の方角」ですから東と北東との間でありましょう。 さて、「少しく」とはどれくらいの距離なのでしょうか? 『甲斐国誌』では、近ヶ坂を茅カ坂と、『甲斐叢記』では鍵掛峠を鈎懸嶺と表記しています。 |
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さらに問題を複雑にしているのが向峠の存在です。 |
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| さらに、さらに、ややこしいのですが『山梨の峠』(小林栄二著)では 近ヶ坂峠であるべき所を鍵掛峠として説明しているように思われます。 同本挿入図に表記されたそれぞれの峠の位置は正しいと思うのですが、 鍵掛峠の写真は近ヶ坂峠ではないでしょうか??? (同本近ヶ坂峠の写真の場所も訪れましたが、峠風ではないのです・・・) |
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頭の中が混乱するワン ひと休みするワン こんな話はどうでもいいワン |
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私見ではありますが便宜上、 Aを向峠・Bを鍵掛峠・Cを近ヶ坂峠とすることにしました。 A・Bは一連の峠道なので、 C付近は等高線も緩く、小広い場所なのですが、 AとBを繋ぐ破線の道は現存していますが、 BとCを結ぶ南側の巻き気味の破線道は不明です。 |
★さらに現地で迷走します★ |
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中央線沿線の高川山はお手軽な山でありまして、 初狩駅からほぼ1時間で山頂に立つことが出来ます。 地元でも愛されている山なのか、手作りの標識も 出会う地元の方らしき登山者は「こんにちは」の挨拶に、 お手軽な割には山頂の展望は見事で、 |
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山頂には登山者のお弁当目当てのワン公が暮らしています。 首輪をしているので、あるいは毎日麓からせっせと通って 来ているのかもしれません。 カワイイ眼で見つめられると、 どうして覚えたのか餌をあげると、 時折、岩の上にスクッと四肢を踏ん張り、 |
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タカちゃんに別れを告げて、 羽根子山、神馬沢山に向けて西尾根に乗ります。 高川山を下った最初の鞍部が禾生峠で、 『日本山岳案内』によると、 『新ハイ』など見ると「川茂横道出合」とも呼ばれているようです。 |
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峠には手作りの案内板や標識があります。 峠道は北側も南側も歩かれているようで踏跡は明瞭です。 高川山の山頂は大勢の人で賑わっていたのに、 「山梨百名山」や「大月市秀麗富嶽十ニ景11番」あるいは |
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ヤブ道の予想に反して、高川山西尾根は歩き易い。 初狩駅を始点に高川山から大岩への周遊コースとして 地元の方の手によって整備されているようであります。 羽根子山直下のロープが張られた急斜面の足場が 大岩への分岐を過ぎるとヤブが現われますが、 |
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向峠は狭く小さな鞍部ですが五差路を形成しています。 西尾根から派生している道、大岩ヘ向かう道、 まんまと引っ掛かって、その消滅する道を |
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向峠の小さな窓からは三ッ峠が望めます。 初狩から谷村に向かった往昔の行人は、 ここで弾んだ息を整え、一服し、汗を拭ったことでしょう。 向峠(A地点)から鍵掛峠(B地点)へ続く地形図の破線道は |
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推定・鍵掛峠(B地点)は西尾根上の小鞍部で、 ポツンと白っぽい境界見出の石標があるだけです。 反対側に続く道は、あるような無いような・・・。 あるいは、次の西に続く小さなピークを越えた 鍵掛峠の「カギカケ」とはどういう意味でしょうか? |
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地形語辞典によると、「カギ」、「カケ」ともに崖の意味で、 崩壊地形を表わすとあります。 確かに地形図B地点の脇には崖地記号も見られますが 果たしてどうでしょうか。 日本各地に鍵掛峠という峠はあります。 『日本山岳ルーツ辞典』(竹書房)によると、これらは |
| 「カギカケ」を地形説や山容説に求めては少々味気ないので、想像(妄想)を膨らませてみます。 『山の神の民俗と信仰』(佐藤芝明著)によると、山地の移動民であった木地師には 「カギ(鈎)カケ」という占いの風習があったそうです。 枝を自在鈎のように切って、これを立木に投げつけて、 西湖の北、山梨県芦川村の鍵掛峠は確かにゴロ岩もあり地形説に分がありそうですが、 峠に立って山仕事の安全や豊かな実り、家族の幸せについて願い事を掛ける。 「鍵掛」を文字通り解釈して、侵入を防ぐ(道に鍵を掛ける)峠と考えることもできるでしょう。 鍵を掛けて侵入を防ぐのは敵ばかりではなく、邪悪な神々や悪霊であったり、 今回訪れた高川山西尾根の鍵掛峠には一体どんな意味があったのでしょうか? |
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B地点から尾根を辿ると、 幅の広い掘り切り状の鞍部であるC地点に到着します。 立派な古道の跡といった感じです。 石仏が二体あるはずなのですが、密生した笹ヤブが 念のため、さらに尾根筋を西に進んで |
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推定・近ガ坂峠の金井側はちょっとした懸崖になっており、 自然の堤防状の地形になっています。 アレアレ〜 そうするとここが地形説からすると鍵掛峠?? と迷走が始まります。 カギカケのカキには「垣」の意味もあり、領地を囲い込む 地名考は深みにはまると抜け出せなくなるので |
| 近ガ坂峠(茅カ坂)の「チカ」とはなんでしょうか?単純に考えれば「近い」道の坂で 形容詞チカシ(近)の語幹で、二つの距離の無い地形ということでしょう。 ただ「チカ」は「ツカ」の転で高所の意もあるし、千賀、茅ヶなどは動詞チガフ(違)の語幹で 崖・段丘のように「高さの食い違った地形」を表わす場合もあるとかで地名考は難解です。 「高さの食い違った地形」ならば峠にある堤防状の地形にも納得です。 ここは単純に「近い」坂道の峠説を採用してみましょう。 この近ヶ坂往還は都留側では甲府道、甲州往還とも呼ばれ、初狩側では谷村道と称されました。 |
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その歴史ある由緒正しき近カ坂峠を初狩に向けて 下ろうとしましたが、なんとも強烈な笹ヤブに埋まり 惨憺たる廃道振りを呈しています。 背丈を越える笹ヤブに悪戦苦闘しながら進みましたが、 『甲斐の山山』によると、「付近の人々にとっては村道の 結局、向峠(A地点)の五差路まで引き返し、 「右、山 左、やむら」と刻まれた しかし、この道しるべの間際まで、林道延長工事と 峠の位置に迷走し、峠名の由来に迷走し、 |
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近ヶ坂峠がさびれて廃道化したのには、 昭和44年県道大幡初狩線が開通したことに原因があるようです。 現在は立派な舗装路が大幡峠(ヤドノ峠)を越えています。 地図を見ると近ヶ坂峠の出入口あたりには 高川山の住人ワン公のタカちゃんは、 |
| 【参考文献】 『地名用語辞典』東京堂出版 『山梨県の地名』平凡社 『日本山岳ルーツ辞典』竹書房 この山域を知る上で普段拠り所としている『中央線の山を歩く』(藤井寿夫・新ハイキング社)にも、高川山西尾根の記録があり、 『新ハイ』433号・「大鹿峠・近ガ坂」杉崎満寿雄 によると、 『新ハイキング』82.12月326号/91.4月426号/に高川山西尾根、83.2月328号/92.11月445号に高川山東尾根の紀行文あり。 ★明治時代の地図で近ヶ坂峠を確認する方は→タイムスリップ★ 【*1】 『郡内研究第14号』(都留市郷土研究会)の「宝地域の地名」(内藤恭義著)によると、 【後記】 高川山のワンちゃんは有名犬らしく、後日テレビ出演していました。(目覚しテレビ・きょうのわんこに出演) |
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