★ 高松山バリエーションルート 「ホギリ」の神様を探す

〜高松山西南尾根と西尾根〜

【コース】

山北--岸入口(成就院)--p337--▲p388--ビリ堂--高松山--ヒネゴの頭--p657--620圏--オオダ沢源頭部--滝沢林道--滝--山北


『山の神の民俗と信仰』
佐藤芝明・丸ノ内出版

地形図『山北』図幅を見ると山北駅から北上して三角点p388m峰を経由し、
滝沢林道との合流点で東に向きを変えp638の手前で途切れている破線路がある。
また、高松山の西側、p657を経由し屈曲をして途絶えている破線路がある。
これら二本の頼りない破線路を結び高松山のバリルートとして使えないかと
現地探索に赴きました。

佐藤芝明氏の著書『山の神の民俗と信仰』(丸ノ内出版)によると、
p657のさらに西のピーク付近には、オオカミの頭を頭上にのせた山神が
祀られているといいます。 (同書の表紙の写真がその山神像【左画像】)
是非一度拝顔したいとの願いもありました。

それに加えて、ビリ堂現地案内板に記された
「山北-ビリ堂-高松山-ヒネゴの頭-遠近沢と割沢の尾根筋-八丁」とを
結んでいた「花女郎路」という古道にも興味がありました。

バリルート、珍しい山神像、花女郎路、いくつもの期待を膨らませながら、
自身の中では丹沢の空白地帯である皆瀬川流域の山々に向かったのです。

◆ オオカミの頭を頭上にのせた山神(八丁の山神)の話は、「丹沢・南都留の山の神」(佐藤芝明著)として
  山村民俗の会編『山の神とヲコゼ』の中にも収録されています。
  また、『丹沢自然ハンドブック』(自由国民社)の中でも「登山道開拓者と神々の信仰」(佐藤芝明著)に
  その姿が掲載されています。
◆ 昭和54年修正測量版地形図ではp638付近の破線路は途切れておらず表記されている。


ミカン畑から山北の街を見下ろす
鳥手山がどっしりしている

山北町役場のすぐ北にある「岸入口」という交差点から
成就院の脇を通って斜度のきついミカン畑の中の道を登ります。

山北の街並みを見下ろす気分良い道です。
西の方には鳥手山がどっしりと構えています。
「鳥手山」とは「砦山」の意味でしょうか?

ガタガタと振動のヒドイ東名高速の高架の下をくぐり、
p337に向けて舗装された道を進みます。
地図を見るとp337と三角点p388の間に工場施設が
あるようなのでそこまで舗装路は続くようです。


ミカン畑内の農道から植林内の道へ
建武中興六百年記念碑

ミカン畑から植林地に変わり羊腸の道が続きます。
路傍には「建武中興六百年記念碑」や「日蓮報恩碑」などがあります。
古くからの「山の辺の道」なのかもしれません。

昭和初期のガイド本である『日本山岳案内』(鉄道省)によると、
高松山の登路として三角点p388を経由するコースが、
尺里コース、虫沢コースと共に紹介されています。

かつては高松山へのメジャーコースとして認知されていたようです。


p337山頂 日中戦争関連の碑がある

廃屋と倉庫のある小さな鞍部状地形の左手に
p337へ続く踏み跡があります。

踏み跡に入っていきなり鹿の頭蓋骨が落ちていてゾッとしましたが
柔らかい腐葉土のような道をわずか進むと、
県水源林の案内板があり、石碑のある山頂です。
ただのヤブ山で山名標識はありませんでした。

再び舗装路に戻り三角点p388へ向かいます。
地図にあった大きな建物は化学研究所のようです。
こんな山上に隠れるようにして何を研究しているのだろうか?


三等三角点▲p388 展望は無し

一本目の送電線をくぐり北上を続けます。
地形図では研究所より先は幅員1.5m未満の破線道として
描かれていますがまだまだ車両通行可能な林道が続きます。

山道歩きを期待してきたのに残念です。
地形図に騙されてしまいました。
どうみても幅3mほどの舗装林道です。
せめて破線ではなく幅員1.5〜2.5mの道として実線で
描かれるべきではないでしょうか。

三角点p388へは林道のコーナー脇から踏み跡がありました。
落ち葉に埋もれて三等三角点があるだけです。
山名標識も展望もありません。


滝集落からの滝沢林道(右手)合流点

二本目の送電線「田代幹線364365」をくぐると、
左手にのびる尾根に沿って道が分岐しています。
どこに向かうのでしょうか?
皆瀬川に向けて下っているようですがその先は不明です。

さらに進むと南の滝集落から上ってくる滝沢林道が合流します。
北側には植林地内に作業道が分岐しているので
一応、十字路を形成しています。


山上に突如茶畑が出現

前方からハンターを乗せた軽トラ二台とすれ違います。
山仕事の道として車の往来もあるようです。
予想した登山道とは大違いでした。
これじゃ単なる林道歩きじゃないか、プン!プン!

突如出現した茶畑に驚きます。
ああ、たしかに地図を見るとその付近に畑記号があります。
しかし、破線道表示には納得できません。
どうみても実線道表示にすべきだと思います。


「不法投棄取締中」の看板分岐
左手に林道が分派する

地形図の破線道が途切れるあたりで道は二分します。
「不法投棄取締中」の看板がある分岐です。
左手は水平な未舗装林道でp638の西北部に向かうようです。
直進は急登の舗装路です。
ここは直進します。

実は最後にこの左手の林道の存在で救われることになる
のですが今はまだそのことを知りません。

ジグザグで急傾斜をクリアすると資材置場があり、
数棟の小屋(別荘?)が建ち並んだ場所に出ます。


p638の南を巻く植林地内の道

その謎の小屋前を通過して植林地の中に進むと
やっと待望の山道となるのでした。

杉の幹には「中」の白ペンキマークとスズランテープがあります。
これらは林業用のマークでしょう。
高松山への登路は尺里集落や尺里峠からが一般的であり、
西南尾根のp428、p638を辿る人は少ないことでしょう。

この植林地内の道とてp638の南側を巻いており、
p638を忠実には辿っていません。


尺里からの一般登山道と合流する

植林地内の道をしばらく進み自然林帯を抜けると、
尺里集落からの一般道と合流しました。

そこからわずか行った所に
「尺里1時間10分、ビリ堂10分、高松山40分」の標識が立っていました。

標識の裏側にp638へ登る踏み跡がありましたが
面白くなさそうなので先へ歩みを進めます。


ビリ堂

到着したビリ堂には、やさしい木漏れ日を受けた
二体の馬頭観音様がお待ちでありました。

文化と明治の生まれのようです。
長い間、風雨に耐えてきた割には綺麗なお顔をしています。
石仏の顔に見入ってしまうとは自分も歳を取った証拠でしょうか。
独りで山を歩いていると出会う石仏の姿になぜかホッとし、
語りかけてしまうのです。

ビリ堂の「ビリ」とは、「どんづまり」、「最奥」を意味するそうです。
こんな奥山まで重たい観音様を運び上げて安置した
往時の人々の思いとはいかなるものだったのでしょうか。


明治期の馬頭観音


文化期の馬頭観音

ビリ堂の現地案内板には、
「ビリ堂は東方面の観音沢と西方面の太田沢の尾根筋に位置している。
このハイキングコースは昔から花女郎路といわれ、山北、ビリ堂、高松山、ヒネゴの頭、
遠近沢と割沢の尾根筋を通り八丁集落に通じる路であった」 とあります。

「花女郎路」、つまり嫁取りの道として山間地と平地との往来がかつてあったということのようです。
「花女郎路」については、『続丹沢夜話』(ハンス・シュトルテ著・有隣堂)の中に以下の記述があります。

「・・・西丹沢に入る昔の道も例外なく尾根につくられていた。
・・・山北から神縄、玄倉、中川の各村への道は、山北から共和村を通り、
大野山のイヌクビリ峠を越え神縄村に至っている。
・・・玄倉から山北への道は、尾根伝いに共和村へ出た。
地続きで縁があったので、嫁に行ったり貰ったりして、今でも皆親戚で、花女郎道ともいわれたそうだ。」

ちょっとビリ堂経由の道とは道筋が異なるようですが何本かの花女郎道があったのかもしれません。
ビリ堂の観音様は山道を行き来した幾人もの花嫁の姿を見てきたのかもしれません。

『山北町史・民俗編』によると、
人遠や八丁では、かつては玄倉や松田町寄との縁組が多かったとあります。
八丁では、初産の子を産むために嫁が実家の玄倉へ帰る際、お腹が痛くなってから山を越えるので
大変難儀したという逸話が残っています。
また、秦野峠の手前の道を「ハナジョロウ道」と呼んだとあります。

山間地へ花嫁を向かい入れる道の総称として「花女郎道」という語が用いられたのでしょうか?
それとも特定の固定された専用径路があったのでしょうか?


高松山の西峰と東峰の間の尾根に出る

ビリ堂を過ぎて植林地内の急登を上がります。
霜柱で歩きにくい道ですがひとしきり汗をかくと、
高松山の西峰と東峰を結ぶ尾根の中間に出ます。

西峰がパッとしないので、
西峰、東峰の表現は不適切かもしれませんが、
古いガイド本では採用されている表現です。


フェアウェイのような高松山頂

うっすら雪化粧した尾根道を進むと、
ゴルフ場に飛び出してしまったかのような山頂です。

箱根の山々、富士の展望台として優れています。
高松山は16年振りの訪問です。
前回訪れた時には三角点の上に木製櫓が築かれていたのですが
そんなものはとうに消えていました。

ご無沙汰しておりました高松さん。


鹿柵に沿って秦野峠方面に向かう

西峰と東峰との鞍部にまで引き返し、
鹿柵に沿って西峰を通過します。

手持ちの『山と高原地図』には【迷】マークと
赤字の注意コメントがあります。
「秦野峠に向かうとき入口がわかりにくい、直進しないこと」

p657方面に向かう今回は「直進しないこと」に反して、
「直進しなければならない」ので気を付けなければなりません。


ヒネゴの頭(?) ここで左に折れる 
「秦野峠→」のテープがあった

ジャンクションにはご丁寧にもテープのマーキングがあり
「秦野峠→」と書かれてありました。

よし!指示を無視して、ここを「直進しなければならない」!
進路にはマーキング、踏み跡もある。
割と歩く人がいるようです。

ただし笹が現われるのでダニ対策の為に
ツルツル素材を羽織って進入することとします。


林班標69分岐 ここで左折

植林内を急下降すると小尾根の分岐に出ます。
県有林林班標69の分岐です。

直進する踏み跡の方が明瞭で目印テープもありますが、
地形図の破線通りに、ここで左折してp657に向けて西南に進みます。

ちなみに古い山の本や明治期の迅速図によると
直進する道は八丁に下降するらしいです。


北側斜面の水平巻き道を行く

地形図の破線は尾根の真上に忠実に表記されていますが、
現地の尾根上は笹ヤブであります。

馬鹿正直に尾根の真上を歩いて
ダニの餌食になる必要はありません。
北側斜面に次の鞍部まで続く水平の巻き道が付けられて
いるのでそれを利用することにします。

しばらく進むと鹿柵沿いの道となります。
鹿柵越しにブッツエ平など北の展望がひらけます。


ブッツエ平を望む
送電線の下部には八丁からの林道がのびる

北面にはブッツエ峠からブッツエ平(日影山、日影沢山)、ケボラ頭、
コケボウ沢頭(ゴボウの頭、秦野峠分岐?)と連なる尾根がよく見える。
南麓の八丁集落からのびる林道の延長状態が気にかかる。
いずれ大野山、イヌクビリ峠からの林道と接続されるとの噂もある。
次回の目的地が決まった!あの尾根を歩くぞ!
そして前々から気になっていた「人遠」、「八丁」という名の集落を探訪しよう。

ひとつの目的を遂行すると、次から次へと次なる課題が発見される。
ひとつの課題を終了したところで二、三の宿題を抱えて帰宅するのだから、
一向に行きたい場所は減るはずもない。
山歩きってエンドレス、ああ、罪つくりな遊びなのよね。


p657の東端 林班標県行15

p657はのっぺりしたピークだった。
林班標があり、北側は鹿柵が張り巡らされている。

登山道としての面白味は無い。
単なる植林地整備の作業道であり登山の対象とは成り得ない。

ヤブは無く結構であるが、展望も無く、情緒も無い。
でもこんな登山者から見向きもされない山も好きだ。


p657からやや北西に進んだ小ピーク
林班標あり

p657からやや北西に進むと潅木の中の小さいピークがある。
北にのびる小尾根にも踏み跡はあるが、
地形図の破線通り西へと進む。

ここからは道幅が突然に広くなる。
防火線を兼ねているようである。
防火線は笹の刈払いが行われているようで
その根元部分の刈残しがテニスシューズの薄いソールを
ブツブツと刺激して歩きにくい。


破線が南下する620m圏ピーク
林班標あり

地形図の破線道がほぼ直角に折れて
南下する620m圏ピークに到着する。

この辺りに佐藤芝明氏の著書に紹介されていた
八丁の「ホギリ」の山神像があるはずなので
探してみるが見当たらない。

南下しないで、そのまま西に進む踏み跡もあるので
そちらを先に探索するが発見できなかった。


620m圏ピークからの急な南下破線道

山神像に対面できず意気消沈して南下する破線道を下る。
スキー上級者向けコースのようなキツイ斜度の急下降である。

勢いよくカッ飛んで下降していると、
防火線の左手より何かパワーを感じた。

あった!「ホギリ」の山神様である。
ついに対面できたぞ!
急傾斜の中間部、進行左手に鎮座していた。


探し求めていた「ホギリ」の山神像

佐藤芝明氏の説によると山神の頭上にのっているのは
狗(いぬ)に似た動物であり、オオカミであろうとのこと。

ただの馬頭観音のようにも見えるが違うらしい。
側面には「山?安全」と刻まれている。
これも「山火安全」のことらしい。

「ホギリ」とは「ホ(火)」「ギリ(切り)」であり、
防火線のことを意味するらしい。


「山?安全」と刻まれている
「山火安全」だという

この山神は、焼畑の山火を「ホギリ」で防ぎ(延焼防止)、
かつ、害獣を追い払うことを祈って、「オオカミ」の力を
信じて印したものであると佐藤氏は推察している。

その推論通りだとすると、馬や牛ではなく
オオカミの頭を頭上にのせた石仏という意味で
珍しいのではないだろうか。

ただ、今回発見した像と佐藤氏が著書の中で紹介している
写真の像とが若干異なるように見えるのが気にかかる。

磨耗が大分進んでいたようだし、
馬かオオカミかの判別も定かではない。
急傾斜地の途中にあるのもしっくりこない。
伐木搬出作業の途中、この急傾斜の難所で倒れた馬の霊を
祀ったものにも思えてくるのだ。
もしかしたら違う像を見てきたのかもしれない。
(年代は明治期のもので同一)


防火線を下りきった分岐 林班標あり
地形図通り西に下る道があるが・・

急下降を終えると、林班標のある分岐である。
地形図の通りに西側に下る道が付いている。
しかし、その道を拾ってみると途中から踏み跡が薄くなり
怪しくなってくる。

出現した鹿柵沿いに下降し、p465の山腹をなんらかの形で通過し、
皆瀬川沿いに降り立つこともできそうであるが確信が持てない。

途切れている地形図はある意味、正しいようだ。
西側に進むのを諦めて、小尾根を真っ直ぐ南下してみる。
最近伐木した切り株や、白ペンキのマーキングがあるが
やはり行き詰まってしまった。 おまけにダニも取り付き始めた。
困ったなぁ〜どうしよう。トホホ。


オオダの沢(オオタ沢・柏山沢)の
源頭部を横断する。
水道管(?)も横断している。

踏み跡の濃淡を確認したり、稀に見つかる足跡の向きを確認したり、
ゴミの新鮮度や切り株のみずみずしさを観察したりするが、
いっこうに正しい進路がつかめない。

五感、山勘、全てを総動員するが進むべき道が見当たらない。
どうしよう、来た道を引き返すか、急斜面を登り返して620m圏から
西の尾根にあった踏み跡を拾うか。
しかし、それだってどこまで続くか、里に出られるか確信は無い。

そんな困惑に陥っている時、「ウィ〜ン、ウィーン」と
チェーンソーの音がp657の南、オオダ沢源頭部方向からこだました。
そういえば高松山に向かう前「不法投棄取締中」の看板分岐から
オオダ沢源頭部に向けて延びていた林道があったなぁ・・・


無事に林道に出る

これは天の助けだ!
重いチェーンソーなどの道具を運んで林務作業者が入っている
ということは近くまで林道が延びているに違いない。

音の聞こえる東側を探ろう。
ちょうど林班標のある分岐点の地形図破線道とは反対側の東側斜面に
谷へ下る作業道がジグザグをきって付けられていた。

沢底近くまで降り、ナメの小沢を渡ると、
オオダ沢源頭部に向けて水平道が見つかった。
水流の細い源頭部を渡ると、林業関係者の車を発見!林道に出た!
予測通りだった。


安永の馬頭観音の微笑み

林道の崖の上には安永年間の馬頭観音が微笑んでいた。
「何をやっているんだい、お前さんは」という顔をしている。

林道はビリ堂の西、p638西北部の中腹をほぼ水平に進み
やはり「不法投棄取締中」の看板分岐に接続していた。
地形図に載っていない道に救われたのだ。

破線道ではなく実線道にすべきだとか、
破線道が途切れているなどとその不備に文句ばかりタレていて、
結局、地図に無い道に救われるのだからヤレヤレである。

下山は滝不動に向けてRF不要の滝沢林道を駆け下ることにした。

◆後記◆ 

明治期の迅速図を見ると、高松山西尾根には現行地形図では消滅してしまっている多くの山道を見出すことができます。
林班標69分岐からは八丁に下る道、p657からやや北西に進んだ小ピークからは八丁に下る道、
620m圏ピークからは尾根を西に進み、人遠とp465を絡んで市間方面に下る道が二分しています。

途切れてしまっている破線道は西側に行くと見せかけて小尾根の末端に回り込み、
オオダ沢を渡って滝沢林道合流十字路の北側の作業道と接続している(た?)ようだ。
また余談ではあるが迅速図では現行地形図には記載されていない人遠集落、八丁集落から北側の尾根(ブッツエ山稜)に
上がる道が数本見出されます。

◇注◇

オオダ沢は『山と高原地図』では「オオタ沢」、ビリ堂案内板では「太田沢」、山北町発行の観光マップでは「柏山沢(オオダの沢)」
と表記されています。