続・ちょっと昔の峠を探して
田中峠(七曲)・突坂峠(御観音)・鈴ヶ音峠(小沢峠・鈴懸峠)・馬場峠?
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| 以前探索して、大規模な宅地造成により消滅したのではと絶望視した田中峠でしたが、 最新の地図情報を閲覧できる国土地理院の「ウオッ地図」を見たところ、 ニュータウンの外縁に沿って峠道の破線が残されていることが判り、探索熱が再燃しました。 山を切り崩す大規模宅地造成の餌食となり、 新造ニュータウン「ビュウ桂台」の下に、てっきり埋没したと思っていましたが、 もしかしたら峠は消滅を免れているかもとの淡い期待を抱いて、三回目の探索です。 JR猿橋駅から田中峠の峠道を拾って田中集落に至るのが今回訪問の第一の課題。 第二の課題は幡野から突坂峠ヘの峠道を探ること。 |
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| 第三の課題は古いガイド本に名のある「馬場峠」の存在有無を確認すること。 九鬼山東尾根を越えて朝日小沢と馬場集落を結ぶ峠道が本当にあるのか? 果たしてそれが「馬場峠」と呼ばれているのか? 以上、三つの極めて個人的な、一般にはどうでもよい課題を抱いて、 |
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| 猿橋と田中をつなぐ峠として「七曲峠」の名が見られます。 峠には松の大木と菖蒲天神社があったといいます。 峠附近にある大松山、神楽山、御前山の位置関係が文献によって異なることがあり、 多少の混乱が見られます。 |
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| 猿橋と田中をつなぐ峠として「七曲り」の名が見られます。 昭文社の『山と高原地図』では「田中峠」とされていましたが、 猿橋側の坂道が屈曲していたのか「七曲り」とも呼ばれていたようです。 古い文献資料では「七曲峠」の方が一般的です。 現在は大規模な宅地造成によって削られ消滅したと思われる「大栗山」は、 「馬場峠」の東の「△鈴ヶ尾」とはどこのことでしょう?「高指」のことでしょうか。 |
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| 猿橋と田中をつなぐ峠として「七曲り」の名が見られます。 幡野から突坂峠への道もしっかりと描かれています。 幡野から峠への道は、手持ちの昭和7年発行の陸測図には 破線道の記載が見られますが、現行版の地形図からは消されています。 上図中、「小沢峠(鈴ヶ音峠・鈴懸峠)」に「オカンノ」を付しているのは誤りでしょう。 |
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【第一課題】 田中峠の存在確認と峠道の現状を探る |
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| 加藤泰三著『霧の山稜』の「かかる登山もありけり」という紀行文にも見られるように どうも昔から猿橋から九鬼山に至る山道は迷い易かったようで、 以前に田中峠を探し歩いた時も現在地を見失うなど戸惑うことがありました。 結局は確定的な田中峠の位置は判らず終いで、山を切り崩すニュータウンの造成工事により 峠はすでに抹殺されたかと半ばあきらめもしました。 今回は峠の位置はたとえ判らなくとも、田中集落までの破線道を拾ってみようとの心積もりです。 なぜこんな一地方の小さな峠に、二度も三度も足を運ぶのか自分でも理解に苦しみますが、 途中に大月市設置の九鬼山登山口の標識がありますが今回はここを登りません。 兎にも角にも猿橋側の峠道下部は、 |
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| ニュータウン「ビュウ桂台」の南端(ちょうどニチガスの背後の斜面を登った場所)の高みに、 松の生えた見晴台があります。 扇山、百蔵山の眺望に優れる見晴台には東屋も設置されていますが 訪れる人はいないようで草か蔓延っています。 この現在、見晴台の場所が田中峠ではなかろうかと初回に訪れたときに推定しましたが、 田中峠(七曲り)に関する文献資料は乏しく(ネット検索ではニ、三件、宅地造成工事前に訪れた方の 「猿橋駅から甲州街道に出ると三嶋明神が在り、左折して殿上橋を渡り、南へ七曲りと云う 「猿橋駅前に出たら、甲州街道を西に大月方面に向かうと、道は線路にかかる橋を渡り、 「殿上橋バス停のところで国道から左に折れ広い道が殿上の部落へ伸びているが、 「線路を跨ぐ殿上橋を渡り、街道と分かれて左に入る。すぐ右に畠の中へ細い道がある。 「殿上橋と名付けられた跨線橋で鉄路を渡った先の二股に、「九鬼山・神楽山」の道標があり、 「猿橋駅西側の跨線橋を渡り、左に折れると神楽山への道標がある。この道に入る。 どうやら、「峠には菖蒲神社がある(あった)」、これだけが手掛かりといえるようです。 |
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| 見晴台の横には大きな貯水槽があり、その脇の階段を登ると凹とした明瞭な道跡が 山中に続いているのが確認できます。 これが田中峠の峠道の痕跡だと思うのですが、これもまた確証はありません。 「御前山〜九鬼山→」と書かれた標識もあり、かつては登山道として歩かれていたことが窺がえます。 この標識の裏面には「大月市」の文字が見られるので、市が設置した代物でしょうか? 造成工事中の迂回路として利用されていたことも考えられます。 この標識に従いやや荒れた凹状の道を進むと、植林台地の中で潰れた小屋跡らしき |
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| しかし、道はすぐに歩行困難なヤブ道へと変化します。 道形はよくわかるのですが、倒木とヤブによる妨害が尋常ではありません。 ケモノの通った跡を頼りにして、倒木を乗り越え、時には潜り抜け、 つる植物に手足を取られ、トゲトゲ植物に肌を傷付けられる。そんな苦行が始まります。 埃まみれになり、落ち葉に足をすくわれ、ヤブと格闘しながら峠道を拾いますが突破は困難を極めます。 休日を楽しむ優雅な趣味は他にも数多くあろうに、何故こんなことに没頭してしまうのか 自分でも理解に苦しみます。 ヤブの合間からは、まだ販売されていないニュータウンの区画が見下ろせ、 |
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| 峠道の痕跡は植林地斜面の中には見出せず、それよりさらに上部の自然林帯の中にありました。 神楽山の西方尾根を越える場所には「特定猟具使用禁止区域」と「狩猟禁止区域」の赤い看板があり、 その辺りからまた峠道が明瞭になってきます。 マツクイムシにやられ倒れたらしい松の枯木数本を乗り越えて、一応、峠道は地形図の通り |
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| 踏み跡を隠すほどではありませんが、スズタケがうるさいのが難点で、 雑草の勢いが増す夏場は歩きたいとは思いません。 猿橋と田中を結ぶという峠道本来の役割は終えていることは確かで、地元の方が植林の手入れに |
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| 田中峠を一目見るために二度も三度も足を運びましたが、結局、峠位置の確定はなりませんでした。 時すでに遅しなのか、やはり宅地造成工事の着手前に訪れる必要があったようです。 いたく執着した割には峠道はヤブが繁茂し、通行はとうの昔に途絶えた状態だと知り落胆は隠せません。 ちょっと前まで登山地図に名前のあった田中峠ですが、地図から峠名を消すことなど 人間の破壊欲にかかればなんともたやすいことなのでしょう。 もはや峠道は廃道であり、峠も消滅したと捉えるのが適当なのかもしれません。 * |
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【第二課題】 幡野から突坂峠道を辿る |
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| 田中峠道の探索を終え、突坂峠道の始点である幡野集落へと向かいます。 田中集落と幡野集落を結ぶ田幡橋で小沢川を渡り、道は平和な山村の佇まいの中を進みます。 奇麗な水の流れる用水路には水神が祀られ、民家の庭先には春の花々が咲き乱れています。 火の見櫓を過ぎ、鶯の鳴き声に足取りも軽く歩み続けると、前方には水車小屋が見えてきます。 水車小屋の中を覗いてみると、大きな歯車と臼が放置されていました。 小屋の入口には木材の搬出に使用される木橇も立てかけられています。 水車や馬橇は今も生活の中で活かされているのでしょうか。 最終民家と思しき建物の脇から、沢に沿った小道が山中にのびています。 少し進んだ所で、道が細いじゃないか、堰堤が無いじゃないか、谷筋が狭過ぎやしないか、等々 |
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| ミスコースにしては明瞭な道が沢沿いに植林地の奥へ奥へと続きます。 沢の流れが枯れ、傾斜が急になる辺りで、 「水源林をつくる公団造林」の黄色の看板が転がっているのを目にします。 その看板には「後屋」との現地名らしき名称も書かれていますが、 この辿ってきた沢が何という名前の沢なのか今も知り得ません。 そして黄色の看板の横には、 ひとしきりジグザグを登ると、次第に踏み跡は薄れ、 |
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公的機関の発行物等には |
| 「鈴ヶ尾山」、「大秋日山」、「御観音山」、「麦的山」などと、呼び名の複数ある三角点p833は、 のっぺりした山頂で、落ち葉を褥に昼寝をするのに適したピークです。 公的機関の発行した資料等には「大秋田山」、「鈴懸尾山」の名前も見られますが、 そんな呼び名もあるのでしょうか? いくつもの名を持つピークから尾根を辿って突坂峠へと向かいます。 * 今回、幡野から突坂峠への峠道を拾うことはできませんでしたが、 「田幡橋を渡って南東へ15分程も登ると幡野部落である。 「幡野部落の最奥にかかる霧窪橋を渡れば、すぐに人家は無くなって静かな山道となる。 |
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| 峠には松の大木と享保年間と読める馬頭観音が祀られています。 北側は大規模にガレていて、あと数年もすれば石仏のある場所も崩落し、 ガレ場に吸い込まれてしまうのではと心配されます。 ガレ場を避けるようにして、峠より少し高い場所より幡野側へと下る道が確認できたので、 機会があれば歩いてみたいものです。 先述の文献資料には、「この峠は突坂峠と云うよりも御観音峠と云った方が通りがよい」とあり、 |
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| 「以前は村人も相当往来したらしいが、現在ではあまり利用されていないようである」と、 既に古い時代の文献にも見られるように、峠の交通は絶えて久しいようです。 西隣りの鈴ヶ音峠に立派な林道が貫通している現在、敢えて山道を越える苦労を 誰も選びはしないことでしょう。 観音様から南へ、自然薯掘りの穴が目立つ斜面をわずかに下れば、 |
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【第三課題】 馬場峠の確認へ向かう |
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| 文化三年の村内絵図には「スズガオト」とある鈴ヶ音峠は、 完全舗装された林道鈴懸峠線が横断する切り通し状を呈しています。 地元では「スズガートーゲ」「ススガアートトウゲ」などと発音するようですが、 林道が開通してからはなぜか「鈴懸」の字が宛られ、一般には「鈴懸峠」と表示することが多いようです。 林道が横切る峠は情趣に欠け味気ないものですが、 土手を登ると明治期の馬頭観音の板碑がポツンと落ち葉に埋もれているのを見ることができます。 「朝日小沢の諏訪神社の脇を通って、小沢川の源流沿いに登れば何の苦もなく40分で峠上に達する。 「人々にまったく忘れられた小さな峠であるが、 「朝日小沢の部落を過ぎれば、しだいに山肌はせまってきて、 上記の古い文献資料にある様に、以前の峠は明るいカヤトの原だったようです。 |
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| 峠からは西方へ、一般には「九鬼山東尾根」と呼ばれる山稜に足を踏み入れます。 よく歩かれているようで道は明瞭に付けられていて、目立ったヤブなどもありません。 最初の顕著なピークが「桐木差山・クヌギザス山」で、大月市の設置した現地の登山標識も 「桐木差山」の名を採用しています。 『山と高原地図』や『中央線の山を歩く』では、「木」を「水」とする「桐水差山」は誤りだとしていますが、 公的機関発行のガイドマップ等では「桐水差山」の表記が多数見受けられます。 また現地にある某ハイキングクラブ設置の白杭標識も「桐水差山」を採用しています。 「桐木差山」に続く次のピークが「高指」のようで、 |
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| さて本日の第三の課題の「馬場峠」ですが、なんともハッキリしません。 「高指」を下った鞍部がそうだとすると左上写真の場所が馬場峠ということになりますが、 尾根を越えて馬場と朝日小沢を繋ぐ明確な道の痕跡などは見当たりません。 無論、「馬場峠」の名を記した標識などは無く、「休猟区」の看板があるだけです。 ここに道がないとすれば、次の鞍部がそうであろうかと、 仕方なくp871(突畝?)から北側へ派生する尾根を脱出路として見出し、 しかし、傾斜角は突如急になり、先行きに不安を覚え、早くも左手沢筋の植林地帯へと |
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| こんな道無きグズグスの急斜面や人の入らぬヤブ尾根の中を這いずり回っていると、 自分の前世はイノシシやタヌキであったのではないかとさえ思えてきます。 せめて孤高のカモシカであって欲しいと思うのは、 どこかでケモノ達をランク付けしているからなのでしょうか。 降り立った本流の沢底は暗く、倒木やゴロ石によって埋め尽くされています。 |
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| 石碑には「ヲソ沢恩賜林」と刻まれ、この沢が「ヲソ沢」という名であることを教えてくれます。 碑文には盛里村生まれの清水忠次郎翁なる人物を顕彰する内容が書かれています。 ここからは明瞭な仕事道が麓へと導いてくれます。 美しい流れのヲソ沢に沿った深閑とした道は、二、三の徒渉を繰り返し、 さきほどまで不安しきりだった土地に不慣れな旅人に安堵をもたらします。 九鬼山の東方から流下する深桂沢の流れを合わせ、 しばらく進むと林道朝日小沢線へと無事に飛び出すことができます。 入山口には「九鬼山→」の手製標識も設置され、 本日の第一の課題である田中峠は消化不良、 |
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地名の混乱 ちらほらと |
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少し前の『山と高原地図』にも「桐水差」は誤りとあった。 『中央線の山を歩く』にも「桐水差」は誤りとある。 公的機関では「鈴ヶ音峠」ではなく、 「鈴懸尾山」というのはなんじゃ? |
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「突板峠」とはなんじゃ? 「板」じゃなくて「坂」じゃないのかぁ〜 都留市では「桐木差」じゃなくて |
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「大秋日」じゃなくて「大秋田」とも言うのかい? 「大秋田」の表記は文献でもちょくちょく見ますが・・・ どうなんだろうか? 両方正解なのだろうか? 「木」がやっぱり「水」になっている。 |
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これも「大秋田」になっているぞ。 ここでは「鈴ヶ音峠」となっているが |
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上図の「桐水指山」が「高指」に化けてしまったぞ! 『山と高原地図』では 「鈴ヶ音峠」が「鈴懸峠」に変り、 発行元が商工観光課から産業観光課に変ると、 |
| 九鬼山東尾根には、高指山、ミカゲ山、皆山、ススガイリ、オオビラ山、大平、突畝などの地名があるようですが・・・・、 どこがとこだかもうさっぱりわかりません。 |
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