夏の終わりの小さな峠

立野峠(サス峠、指峠、叉峠)・穴路峠(アナシ峠、小篠峠、シナス峠)

 セミの合唱が終わり、夜は秋の虫たちの演奏に包まれる。
厳しい暑さも過ぎ去って、峠を巡るには適した季節を迎えようとしている。
ふらっと中央線沿線の小さな峠を訪れた。

目的地は二度目の立野峠と三度目の穴路峠。
立野峠道から登って穴路峠道をくだる。本日のピークは前道志の最高峰、倉岳山。
峠道を登ってそしてくだる、お気軽で単調ながらも充足の山歩きです。

● 梁川駅から立野峠へ ●


桂川を渡る 倉岳山を望む


立野峠道入口


奇麗な沢に沿った快適な道だ

お昼過ぎの中央線下り電車で無人駅の梁川駅に降り立った。
普段乗降客の少ない駅だけど、お彼岸のこの日は花を手にした数組の乗客が無人の改札口を通過した。
この土地で生まれ都会で暮らしている人が先祖の墓参に訪れたのだろうか。

トラックの往来激しい国道20号線を押しボタン式信号の青を待ち横断し、桂川を堅牢な梁川大橋で渡ると、
前方には本日の最高峰990mの倉岳山が望まれる。

地形図の峠道破線の末端と思しき場所には数体の石仏が寄り集められている。
ここが本来の峠道口らしいが、さらに舗装路を進み、指導標識に従った公認の入口から峠の土道に入る。
道の状態はすこぶる良好、踏み固められた歩きやすい道が奇麗な沢の流れに沿って続いている。
しかし、この沢の名前については少々問題があって、地名にうるさい人は頭を悩ますことだろう。 【*1】


峠道の状態はすこぶる良好


奥地まで整備された植林地がある


休憩ベンチなども所々にある

沢筋を溯ったり、沢を幾度か渡ったり、整然とした植林地を抜けたりと変化に富んだ峠道。
危険な箇所もキツイ勾配もなく、緩やかな爪先上がりの道が続きます。
なんと良い道なのだろう、急ぐ理由もないのでゆっくりと味わいながら歩みを進めます。

沢の流れの傍らからパイプで水を引いた最初の水場を過ぎると休憩のベンチ、
この後も何箇所か小広い場所にベンチが設けられています。
昔、荷を背負って峠を越えた秋山村の村人もこのような場所で汗を拭いたのかもしれません。
水線に沿ってのびる峠道は夏場でも涼を与えてくれますし、
渇いた喉をいつでもどこでも潤すことができるのは好都合なことです。
水場に事欠くことのないこのような峠道は牛馬を利用した峠越えにも向いていたことでしょう。


大きなトチの古木 すごい風格!!

突如、沢の対岸に大きな大きなトチの古木が現われます。
これはこの峠道の主に違いありません。
この老大木を見るだけでもこの峠道を歩く価値は十分にあります。

こちらが木を仰ぎ見てはいるのですが、なにか巨木に見つめられているような気もします。
威厳と凄みが感じられます。 

きっと何百年もの間、峠道を行き来する人々を見てきたことでしょう。
峠道の歴史を知る証人として里の人々からも一目置かれ大切にされてきたのではないでしょうか。


植林地を進む


倉岳山水場の看板


立野峠に飛び出す

この老大木ほどではありませんが峠道沿いには他にも大木が残されています。
そんな大木との出合いに嬉しさを感じながら、炭焼き釜の跡が残る勾配が増してきた峠道を進みます。

駅から駅への人気ハイキングコース、何組かのハイカーとも擦れ違います。
昼からの山歩きなので、もう出会う人は下山する人ばかりですが。
「こんにちは」と声を掛けると、「コンニチィワ!」の声、おや、外人さんの姿です。
中央線沿線の低山も国際化しているのでしょうか?

「平成15年度地域整備調整事業・倉岳山水場」と書かれた新しい看板が設置されています。
「この水場の水は飲料用ではありません」とありますが、流れ落ちる水は清流のように思えます。
奥山まで続いた水の流れと別れて、植林地のジグザグを登り始めます。
梁川の駅はもうあんな彼方に遠ざかっています。
ゆるゆるとしながらも峠道は着実に高度を上げていっていたのです。

パッと前方が明るくなると、倉岳山と細野山を結ぶ尾根上の鞍部、立野峠に到着です。
南の秋山村側は自然林なのでその明るさが一層目に眩しいのです。

● 立野峠 ●


立野峠 倉岳山への道


立野峠 浜沢への道


立野峠 鳥屋山への道

二度目の立野峠です、前回はただ尾根上を歩いて通過しただけでした。
新しい立派な指導標識には「倉岳山35分、寺下峠1時間30分、梁川1時間10分、浜沢40分」とあります。
そう、峠を南に下る行き先は指示板によると「浜沢」なのです。
国土地理院地形図には明確に「無生野」に下る道が描かれているのに!!

それなのに、この地形図の「無生野」に下る破線道は既に廃道だといいます。
今、立野峠を南に下ると、指導標識の通り「浜沢」の小学校の脇に導かれてしまうとのこと。

この消えてしまった、かつての本道(?)を探索しようとした記録が、リンクさせて頂いております
HP『良太郎の「自転車で街道をゆく」』さんの「2005.04.16 穴路峠・立野峠・大地峠」のレポートにあります。
そのレポによると、途中p736付近で道普請をしている地元のお爺さんと出会ったとのこと。
果してお爺さんの旧道復活道普請はどの程度まで進展しているのでしょうか? とても気になるところです。

「立野峠--無生野」間は地形図では道が残っているものの、
『山と高原地図』ではとうの昔に見捨てられ「立野峠--浜沢」間が本道であるかのように描かれています。
実際、これがいまや本道なのですから、当然といえば当然なのですが・・・・。
峠道は時代と共にその道筋を変転し、姿を変えながらも生き長らえてきたのでしょう。

そもそも立野峠は、お隣りの穴路峠、寺下峠に比べると利用頻度が少なかったのかもしれません。
昭和4年の地理調査所発行の地形図を見ると、穴路峠、寺下峠は実線で描かれていますが、
立野峠だけは破線で描かれています。
無生野の村人は立野峠を越えるよりも、穴路峠を利用して鳥沢に出ることが多かったのかもしれません。

この消えてしまった「立野峠--無生野」間の峠道は後日、探索しようと思います。
お爺さんの道普請の様子も気になりますし、尾崎喜八氏が「秋山川上流の冬の旅」の中で、
穴路峠、倉岳山を経て無生野へ降り立った道筋がもしやこの道ではないかと思えるからです。 【*2】

● 倉岳山 ●


倉(鞍)岳山から百蔵山と扇山を望む

立野峠から尾根を西へ、山頂手前のわずかな急登を堪えれば山梨百名山の標柱の立つ倉岳山。
近頃、山ではあまり見られなくなった若い青年三人組が休憩中。
週末の中央線車内は中高年や超中高年のハイカーばかり目立ちますが若人も山に通っているようです。

この時期はまだ草に隠され気味の倉岳山北尾根の下降口を確認してから穴路峠へと向かいます。
穴路峠へ向かう途中、これまた若者グループ二組と擦れ違いました。

● 穴路峠 ●


穴路峠

ああ、穴路峠、また来てしまった。
可愛らしい凹とした峠、なんていうことはない地形上の小さなタワミ。
ただそれだけなのに妙な愛着。
眩しい新緑でもなく、彩りの紅葉でもなく、冬枯れ落葉の展望ある佇まいでもない、
夏の終わりという中途半端な時期に訪れて、それでも妙な充足感。

● 穴路峠から鳥沢駅へ ●


無生野へ向かう道


味のある標識


小篠へ向かう道

三度目の穴路峠。【*3】
一度目は高畑山から倉岳山に向かう途中に訪れて、二度目は無生野から高畑山に向かう途中に訪れた。
今回は峠から小篠沢に沿った峠道を鳥沢に下るのです。

予想通りの峠道らしい峠道、炭焼き釜跡を横目に勢い衰えた夏草がかかる道を下ります。
山腹道から沢筋に下るジグザグ道に差し掛かったころ、前方から金髪女性が登ってきます。
まさかこんな山の中にコギャルかヤマンバギャルが出現かと思ったら、
正真正銘の金髪の外人女性さんでした。

「こんにちは」と声を掛けると、
金髪女性外人さんが擦れ違いざまに「トップ、マダ?チカイデスゥカァ?」と尋ねるので、
「ハイ、もうすぐぅでぇすぅ、ニア、ヒアーですぅ・・・」とこちらもなぜか変に訛りながら答えるのです。
こんなローカルな山道で英会話力の必要性を再認識するとは思ってもいませんでした。
答えてから「トップ」とは山頂のことだったのかなぁと思い、峠は近いという意味で「近くですぅ」と答えて
しまったことに失敗だったと悔やんだりします。
しかし、「アナジパス(峠)は近いですよ」という言葉が通じたとも思えないのです。

金髪女性の後に続いて、その旦那さん(?)、そして二人の娘(?)と続きます。
外資系企業の重役ファミリーでしょうか?それともどこぞの大使館のセレブな一家だったのでしょうか?
立野峠道でも一人の外人さんと擦れ違い、穴路峠道では四人と擦れ違う。
富士山や奥多摩なら珍しくはありませんが、ローカルな峠道で外人さんと擦れ違うとは
中央線沿線の低山もだいぶ国際化してきたようです。
穴路峠道で炭焼きの家族と擦れ違ったという尾崎喜八の時代とは随分と隔世の感があるものです。


大トチの木

ジグザグ道から沢筋に降り立つと、しばらくは沢沿いのゴロ石の道。
道の状態は立野峠道の方が数段良かったように思えます。
途中、「大トチの木」の看板がありますがこちらも立野峠道の老大木の方が迫力が数段優っています。
しかし、こちらは前面に小滝を配してなかなか絵になったりもするのです。
スクッとスマートではありますが大トチと名乗るだけあってやはり大きなものであります。

「トチを切る馬鹿、植える馬鹿」という言葉があります。

トチの実は栃餅など食用として利用価値があります、山里での貴重な食料です。
そんな豊かな実りをもたらすトチの木を切ってしまうのは愚かな行為です。
また、トチは実をつけるまでに成長するには時間がかかります、
それを植えてすぐに実りを今か今かと期待するのも愚かな行為だという意味なのです。
つまり、一度切り倒してしまうと、次世代の木が生長するには大変な時間がかかるぞ、
自然を大切にしなさいという意味なのでしょう。

幸いにして峠の麓の村人は「トチを切る馬鹿」ではなかったようです。
ちなみに、私は「植える馬鹿」で、数年前に白馬山麓で拾ったトチの実を庭に植えて実りを待っています。
身長の高さを超えるまでに成長しましたが、いまだ実をつける気配はありません。


「右秋山道 左やま道」のへそ水分岐


穴路峠と高畑山の分岐
以前はここにも石仏があったのに・・・


「峠道文化の森入口」の標柱
この標識は仏峠、御坂峠でも見た

「大トチの木」「夫婦杉」を通り過ぎ、快調に下降を続けていたのですが、大トラブル発生です。
左足の靴のソールがパカパカしてきたのです!!
山に来る前からそろそろ剥がれそうだなとは思っていましたがまさか山中で・・・
すでに右足のソールには大きな穴も開いているので買い替えの時期ではあったのですが、
貧乏根性がそう簡単に新調を許す訳がありません。
パカパカから数秒後、ベローン、見事にソールは靴本体から分離されました。
剥がれた瞬間思わず笑ってしまいましたが、これが高山で起きたことなら笑うことは出来なかったでしょう。

メーカー価格12000円のサロモン製の靴ではありますが、
これはディスカウントストアで実購入価格2980円で手に入れたもの。
まさかニセモノでもなかろうに、あっけない最期でありました。
経年劣化?いえ違います、単なる酷使だったのです。
ソールの剥がれた足裏は、薄皮一枚に支えられた内側中敷が頑張っています。
山道を出るまで耐えて欲しいものです。
ああ〜、この時ほど早く山道から出てアスファルトの道を歩きたいと思ったことはありません。

植林帯に入ると、分岐点に文化と読める年号の刻まれた石仏あり。
「右秋山道 左やま道」とも刻まれています。
「右秋山道」はいま下ってきた穴路峠道、「左やま道」は「へそ水」という雨乞い場を経由して倉岳山へ至る道。

この分岐から数メートル先、次の分岐は穴路峠道と高畑山を分ける道。
この分岐には以前訪れた時、「右やま道 左秋山」と刻まれた馬頭観音があったのに今は姿を消しています。

「峠道文化の森入口」の標柱を過ぎると、山道も終焉を迎えます。
ソールの剥がれた足裏の痛さより、右足と左足の高さ(長さ)が異なることによる歩き難さが苦痛です。
とにかく無事に、靴下が露出する前に山から脱出することができました。


集落口に祀られる山之神


ソールが見事に剥がれた!!


倉岳山に乾杯

小篠集落の峠口にある山之神社に一日の無事を感謝して一礼。
この社には『丹沢・桂秋山域の山の神々』(佐藤芝明著・丸ノ内出版)によると、
木製のオオカミの像が収められているとのこと、畏れ多くて祠の扉を開けて確認することはしなかったけど。

待ちに待ったアスファルトの道を、ぎこちない足取りで鳥沢駅に向かいます。
駅前のコンビニでアルコールを買ってホームで一杯。
「とりさわ」ではなく「とりわさ」なら酒の肴にもなるだろうにとくだらぬ事を思いつつ倉岳山に乾杯。

なんとか鳥沢の駅まで持ち堪えましたが、最後の薄皮まで剥がれて靴下が飛び出すのは時間の問題。
帰宅するまでには、八王子や町田など混雑する都会駅での乗り換え作業もあります。
靴下丸見えの姿では恥ずかしいことこの上ありません。
それでもなんとか薄皮一枚のままで帰り着くことが出来ました、ぎりぎりセーフです。

こんなオロカな出来事が夏の終わりの小さな峠の思い出です。

【*1】 『岳人』(号数忘れ)に「峠路の移り変わりを辿る-月屋根沢から鳥屋山へ-」(石井光造著)という記事があります。

その中で、地形図の「月屋根沢」は『山と高原地図』では「月夜根沢」、実業之日本社の『東京近郊の山』では「立野沢」であり、
混乱が見られることを指摘しています。また現地には「月尾根自然の森」という道標もあると指摘しています。
記事の中で著者は山麓の集落、「月夜野」に関連した「月夜根」がもっともらしく思えるとしています。

    なるほど、確かに地図によって、ガイドブックによって表記の混乱があるようです。
    現地で見た標識と手元にある資料から、以下に沢名を拾ってみました。

国土地理院地形図 「25,000図上野原」 月屋根沢
現地・大月市設置登山案内看板 月夜根沢
現地・富士北麓東部地域振興局大月林務環境部 倉岳山水場看板 月夜根沢
現地・キャンプ場 月尾根自然の森
『山と高原地図 高尾・陣馬』 昭文社 月夜根沢
『関東の山あるき100選』 昭文社 月夜根沢
『県別道路地図マップル 山梨県』 昭文社 月屋根沢
大月市商工観光課 大月市観光マップ 月屋根沢
都留市観光協会 都留市トレッキングマップ 月屋根沢
秋山村役場 秋山王国マップ 月屋根沢
上野原町(現・市)観光協会 上野原ハイキングマップ 月屋根沢
JR東日本八王子支社営業部販売促進課 山梨トレッキングガイド 月屋根沢
『中央線の山を歩く』 藤井寿夫 新ハイキング社 月屋根沢
『東京から見える山を歩く』 横山厚夫 山と渓谷社 月屋根沢
『相模の低山』 守屋竜男 けやき出版 月屋根沢
『ブルーガイドハイカー中央沿線の山々』
『ブルーガイドハイカー駅から登る山歩き』  実業之日本社
月屋根沢
『樹林の山旅』 浅野孝一 実業之日本社 月屋根沢
『甲斐の山旅・甲州百山』 実業之日本社 月屋根沢
『続・山梨ハイクコース』 山梨日日新聞社
『山梨百名山』
月屋根沢
『中高年向きの山100コース』 浅野孝一 山と渓谷社 「旧大地峠から矢平山」の項では月屋根沢

「高畑山と倉岳山」の項の挿入図では月尾根沢
文中では
月夜屋沢

『日本山岳案内1丹沢山塊・道志山塊』 鉄道省山岳部編 S15 立野沢
『甲武相山の旅』 今井重雄 天佑書房 S15 立野川
『武相国境と道志の山に』 小野幸 山と渓谷社 S22 立野沢
『東京周辺の山々』 朋文堂 昭和35 立野沢
『東京近郊の山』 実業之日本社 立野沢
『ゼンリン住宅地図・大月市』 立野沢
『マウンテンガイドブック31中央沿線の山々』 朋文堂 昭和34 立野川
大きく分けると、地形図の「月屋根沢」派と山と高原地図の「月夜根沢」派に分かれるようです。
「月尾根沢」は現地のキャンプ場の看板と『中高年向きの山100コース』ぐらいでしょうか。
『中高年向きの山100コース』は極めて特殊で、同じ本の中で三種類の表記がなされています。
特に「月夜屋沢」は他では見られません。単なる誤植でしょうか?
国土地理院の地形図を元にしてガイドブックや観光案内図が作成されていることを考えると「月屋根沢」が多いのは当然なことでしょう。
しかし、それがもし間違っているとしたらオオゴトであります。

地形用語で「ツキ(月)」といえば、突き出た所、突き当たりの地、尽きる所を意味することがあります。
また類似の言葉で、「ツキオレ(月折、月居、槻折)」があり、「尽き折れ」で崩壊地形、「突き折れ」で突き当たりの折れ曲がった所
という意味があります。
また、「ツキヨ(月夜)」には高くなった谷間の意があり、谷間ではあるが河流より一段高い段丘上などに見られる地名だといいます。
現地はまさに桂川の流れより一段高い所にある「立つ野(立野)」の「月夜」にあり、山の「根」から流れ下る沢を呈しています。

ちなみに、穴路峠の麓の集落「小篠」は、古くは「押野」とも書き、その地名の由来は桂川に向かって山腹から押し出された
野の形状によるといいます。(『山梨県の地名』平凡社)

【*2】 「秋山川上流の冬の旅」は尾崎喜八詩文集5『雲と草原』(創文社)に収められている。

鳥沢から穴路峠を越えて倉岳山に至り、無生野、浜沢、原、尾崎、寺下と秋山川に沿って歩き、
中野集落の暖かい一家のもとで一夜を過ごし、翌日、上野原へ戻るという紀行文。
穴路峠の存在を世に知らしめた一名文といえる。
文中、倉岳山に到着した後、どのようなルートで無生野に辿り着いたかの明確な記述はありません。
「(山頂で)もう一度ぐるりと周囲を見まわすと、雪の中へふかぶかと踏み込んだ自分の足痕に従って、一旦峯へ戻りつき、
今度は無生野さして南側へ下りて行った。」とあるのみです。
自分の足跡に従ったとあるから峠まで引き返し、そこから南の峠道を無生野へ下って行ったのでしょうか?
ただ本文では「峠」ではなく「峯へ戻りつき」とあるのが引っ掛かる点です。
でも、その後に続く文脈で峠の北側との自然の対比が描かれているのでやっぱり穴路峠から無生野へ向かったのかもしれません。

『低山逍遥の真髄』(浅野孝一・山と渓谷社)でも「(尾崎は)倉岳山に登り再び穴路峠へ戻ってから無生野へ下りました。」と
あるので、やっぱり穴路峠道を無生野へと下って行ったのでしょう。

【*3】 《穴路》とは?

『地名用語語源辞典』(楠原佑介、溝手理太郎・東京堂出版)によると、「アナシ(穴師・阿那志)」は
@鉱山、鍛冶業者に因む地名
Aアナジ(北西風)の強い所
B風神を祭る所
C古代の穴磯部に由来する地名か
Dアナ・シ(接尾語)の意味か
Dの「アナ」は、洞穴、三方を丘陵に囲まれた地、穴状に入り込んだ地、畑の周囲、畑の周囲の斜面、畦道、ハナ(端)の転で崖地
の意味がある。

『日本山岳伝承の謎』(谷有二・未来社)では「鉱山師の穴師が越えた」からとし@説を支持している。
たしかに付近の都留市や秋山村には札金峠、鍛冶屋峠や金山峠、金波美峠など鉱山を連想させる峠名が残る。
『甲斐の山山』(小林経雄・新ハイキング社)では「冬場いつも冷たい北西風が吹き付ける」のでA説ではないかとしている。
この「冷たい北西風」説は『山梨百名山』(山梨日日新聞社)、『秋山村誌』でも紹介されている。
『日本山岳ルーツ大辞典』(竹書房)では、「この峠を越えるには自然のトンネル(穴道)をくぐって行く」としてDの地形説を支持している。

『地名語源辞典』(山中襄太・校倉書房)によると、「アナシ(穴師、痛足)」は
アは雨の略、ナは助辞のノ、シはチャム語の敬語とし、アナシは「雨・の・神」ではないかとしている。
倉岳山の北尾根には「臍水(へそ水)」という雨乞い場があるので峠に雨の神を祭っていたとも考えられるかもしれない。

地名は奥が深くておもしろい。

《補足》 : 穴路峠は過去の一時期、「葛城峠」とも呼ばれていたようです。

「穴の中に立つ様な感じからこの名が生まれたのでもあるまいが、切り通しになった峠で葛城峠とも云われて居る」
                                    -『武相国境と道志の山に』(小野幸・山と渓谷社・昭和22年) より-

「(穴路峠は)最近部落の人の一部で葛城峠と呼ぶに至っている。種々な理由もあろうが、古きものの亡びる時代において、
功利的な立場からの改名は良い事ではなく、穴路峠は穴路峠と称して置くのが一番良いと思う。」
                                -『日本山岳案内1丹沢山塊・道志山塊』(鉄道省山岳部・昭和15年) より-

JR梁川駅(12:30)--立野峠--倉岳山--JR鳥沢駅(16:00)                                   (峠行2006.09.23)

● 後日、浜沢〜立野峠〜p736〜無生野を辿ったレポ「消えてしまった峠道/立野峠から無生野集落」を見る。