夏の終わりの小さな峠
立野峠(サス峠、指峠、叉峠)・穴路峠(アナシ峠、小篠峠、シナス峠)
| セミの合唱が終わり、夜は秋の虫たちの演奏に包まれる。 厳しい暑さも過ぎ去って、峠を巡るには適した季節を迎えようとしている。 ふらっと中央線沿線の小さな峠を訪れた。 目的地は二度目の立野峠と三度目の穴路峠。 |
● 梁川駅から立野峠へ ●
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| お昼過ぎの中央線下り電車で無人駅の梁川駅に降り立った。 普段乗降客の少ない駅だけど、お彼岸のこの日は花を手にした数組の乗客が無人の改札口を通過した。 この土地で生まれ都会で暮らしている人が先祖の墓参に訪れたのだろうか。 トラックの往来激しい国道20号線を押しボタン式信号の青を待ち横断し、桂川を堅牢な梁川大橋で渡ると、 地形図の峠道破線の末端と思しき場所には数体の石仏が寄り集められている。 |
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| 沢筋を溯ったり、沢を幾度か渡ったり、整然とした植林地を抜けたりと変化に富んだ峠道。 危険な箇所もキツイ勾配もなく、緩やかな爪先上がりの道が続きます。 なんと良い道なのだろう、急ぐ理由もないのでゆっくりと味わいながら歩みを進めます。 沢の流れの傍らからパイプで水を引いた最初の水場を過ぎると休憩のベンチ、 |
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| 突如、沢の対岸に大きな大きなトチの古木が現われます。 これはこの峠道の主に違いありません。 この老大木を見るだけでもこの峠道を歩く価値は十分にあります。 こちらが木を仰ぎ見てはいるのですが、なにか巨木に見つめられているような気もします。 きっと何百年もの間、峠道を行き来する人々を見てきたことでしょう。 |
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| この老大木ほどではありませんが峠道沿いには他にも大木が残されています。 そんな大木との出合いに嬉しさを感じながら、炭焼き釜の跡が残る勾配が増してきた峠道を進みます。 駅から駅への人気ハイキングコース、何組かのハイカーとも擦れ違います。 「平成15年度地域整備調整事業・倉岳山水場」と書かれた新しい看板が設置されています。 パッと前方が明るくなると、倉岳山と細野山を結ぶ尾根上の鞍部、立野峠に到着です。 |
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● 立野峠 ●
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| 二度目の立野峠です、前回はただ尾根上を歩いて通過しただけでした。 新しい立派な指導標識には「倉岳山35分、寺下峠1時間30分、梁川1時間10分、浜沢40分」とあります。 そう、峠を南に下る行き先は指示板によると「浜沢」なのです。 国土地理院地形図には明確に「無生野」に下る道が描かれているのに!! それなのに、この地形図の「無生野」に下る破線道は既に廃道だといいます。 この消えてしまった、かつての本道(?)を探索しようとした記録が、リンクさせて頂いております 「立野峠--無生野」間は地形図では道が残っているものの、 そもそも立野峠は、お隣りの穴路峠、寺下峠に比べると利用頻度が少なかったのかもしれません。 この消えてしまった「立野峠--無生野」間の峠道は後日、探索しようと思います。 |
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● 倉岳山 ●
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| 立野峠から尾根を西へ、山頂手前のわずかな急登を堪えれば山梨百名山の標柱の立つ倉岳山。 近頃、山ではあまり見られなくなった若い青年三人組が休憩中。 週末の中央線車内は中高年や超中高年のハイカーばかり目立ちますが若人も山に通っているようです。 この時期はまだ草に隠され気味の倉岳山北尾根の下降口を確認してから穴路峠へと向かいます。 |
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● 穴路峠 ●
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| ああ、穴路峠、また来てしまった。 可愛らしい凹とした峠、なんていうことはない地形上の小さなタワミ。 ただそれだけなのに妙な愛着。 眩しい新緑でもなく、彩りの紅葉でもなく、冬枯れ落葉の展望ある佇まいでもない、 夏の終わりという中途半端な時期に訪れて、それでも妙な充足感。 |
● 穴路峠から鳥沢駅へ ●
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| 三度目の穴路峠。【*3】 一度目は高畑山から倉岳山に向かう途中に訪れて、二度目は無生野から高畑山に向かう途中に訪れた。 今回は峠から小篠沢に沿った峠道を鳥沢に下るのです。 予想通りの峠道らしい峠道、炭焼き釜跡を横目に勢い衰えた夏草がかかる道を下ります。 「こんにちは」と声を掛けると、 金髪女性の後に続いて、その旦那さん(?)、そして二人の娘(?)と続きます。 |
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| ジグザグ道から沢筋に降り立つと、しばらくは沢沿いのゴロ石の道。 道の状態は立野峠道の方が数段良かったように思えます。 途中、「大トチの木」の看板がありますがこちらも立野峠道の老大木の方が迫力が数段優っています。 しかし、こちらは前面に小滝を配してなかなか絵になったりもするのです。 スクッとスマートではありますが大トチと名乗るだけあってやはり大きなものであります。 「トチを切る馬鹿、植える馬鹿」という言葉があります。 トチの実は栃餅など食用として利用価値があります、山里での貴重な食料です。 幸いにして峠の麓の村人は「トチを切る馬鹿」ではなかったようです。 |
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| 「大トチの木」「夫婦杉」を通り過ぎ、快調に下降を続けていたのですが、大トラブル発生です。 左足の靴のソールがパカパカしてきたのです!! 山に来る前からそろそろ剥がれそうだなとは思っていましたがまさか山中で・・・ すでに右足のソールには大きな穴も開いているので買い替えの時期ではあったのですが、 貧乏根性がそう簡単に新調を許す訳がありません。 パカパカから数秒後、ベローン、見事にソールは靴本体から分離されました。 剥がれた瞬間思わず笑ってしまいましたが、これが高山で起きたことなら笑うことは出来なかったでしょう。 メーカー価格12000円のサロモン製の靴ではありますが、 植林帯に入ると、分岐点に文化と読める年号の刻まれた石仏あり。 この分岐から数メートル先、次の分岐は穴路峠道と高畑山を分ける道。 「峠道文化の森入口」の標柱を過ぎると、山道も終焉を迎えます。 |
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| 小篠集落の峠口にある山之神社に一日の無事を感謝して一礼。 この社には『丹沢・桂秋山域の山の神々』(佐藤芝明著・丸ノ内出版)によると、 木製のオオカミの像が収められているとのこと、畏れ多くて祠の扉を開けて確認することはしなかったけど。 待ちに待ったアスファルトの道を、ぎこちない足取りで鳥沢駅に向かいます。 なんとか鳥沢の駅まで持ち堪えましたが、最後の薄皮まで剥がれて靴下が飛び出すのは時間の問題。 こんなオロカな出来事が夏の終わりの小さな峠の思い出です。 |
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| 【*1】 『岳人』(号数忘れ)に「峠路の移り変わりを辿る-月屋根沢から鳥屋山へ-」(石井光造著)という記事があります。 その中で、地形図の「月屋根沢」は『山と高原地図』では「月夜根沢」、実業之日本社の『東京近郊の山』では「立野沢」であり、 なるほど、確かに地図によって、ガイドブックによって表記の混乱があるようです。 |
| 国土地理院地形図 「25,000図上野原」 | 月屋根沢 |
| 現地・大月市設置登山案内看板 | 月夜根沢 |
| 現地・富士北麓東部地域振興局大月林務環境部 倉岳山水場看板 | 月夜根沢 |
| 現地・キャンプ場 | 月尾根自然の森 |
| 『山と高原地図 高尾・陣馬』 昭文社 | 月夜根沢 |
| 『関東の山あるき100選』 昭文社 | 月夜根沢 |
| 『県別道路地図マップル 山梨県』 昭文社 | 月屋根沢 |
| 大月市商工観光課 大月市観光マップ | 月屋根沢 |
| 都留市観光協会 都留市トレッキングマップ | 月屋根沢 |
| 秋山村役場 秋山王国マップ | 月屋根沢 |
| 上野原町(現・市)観光協会 上野原ハイキングマップ | 月屋根沢 |
| JR東日本八王子支社営業部販売促進課 山梨トレッキングガイド | 月屋根沢 |
| 『中央線の山を歩く』 藤井寿夫 新ハイキング社 | 月屋根沢 |
| 『東京から見える山を歩く』 横山厚夫 山と渓谷社 | 月屋根沢 |
| 『相模の低山』 守屋竜男 けやき出版 | 月屋根沢 |
| 『ブルーガイドハイカー中央沿線の山々』 『ブルーガイドハイカー駅から登る山歩き』 実業之日本社 |
月屋根沢 |
| 『樹林の山旅』 浅野孝一 実業之日本社 | 月屋根沢 |
| 『甲斐の山旅・甲州百山』 実業之日本社 | 月屋根沢 |
| 『続・山梨ハイクコース』 山梨日日新聞社 『山梨百名山』 |
月屋根沢 |
| 『中高年向きの山100コース』 浅野孝一 山と渓谷社 | 「旧大地峠から矢平山」の項では月屋根沢 「高畑山と倉岳山」の項の挿入図では月尾根沢 |
| 『日本山岳案内1丹沢山塊・道志山塊』 鉄道省山岳部編 S15 | 立野沢 |
| 『甲武相山の旅』 今井重雄 天佑書房 S15 | 立野川 |
| 『武相国境と道志の山に』 小野幸 山と渓谷社 S22 | 立野沢 |
| 『東京周辺の山々』 朋文堂 昭和35 | 立野沢 |
| 『東京近郊の山』 実業之日本社 | 立野沢 |
| 『ゼンリン住宅地図・大月市』 | 立野沢 |
| 『マウンテンガイドブック31中央沿線の山々』 朋文堂 昭和34 | 立野川 |
| 大きく分けると、地形図の「月屋根沢」派と山と高原地図の「月夜根沢」派に分かれるようです。 「月尾根沢」は現地のキャンプ場の看板と『中高年向きの山100コース』ぐらいでしょうか。 『中高年向きの山100コース』は極めて特殊で、同じ本の中で三種類の表記がなされています。 特に「月夜屋沢」は他では見られません。単なる誤植でしょうか? 国土地理院の地形図を元にしてガイドブックや観光案内図が作成されていることを考えると「月屋根沢」が多いのは当然なことでしょう。 しかし、それがもし間違っているとしたらオオゴトであります。 地形用語で「ツキ(月)」といえば、突き出た所、突き当たりの地、尽きる所を意味することがあります。 ちなみに、穴路峠の麓の集落「小篠」は、古くは「押野」とも書き、その地名の由来は桂川に向かって山腹から押し出された |
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| 【*2】 「秋山川上流の冬の旅」は尾崎喜八詩文集5『雲と草原』(創文社)に収められている。 鳥沢から穴路峠を越えて倉岳山に至り、無生野、浜沢、原、尾崎、寺下と秋山川に沿って歩き、 『低山逍遥の真髄』(浅野孝一・山と渓谷社)でも「(尾崎は)倉岳山に登り再び穴路峠へ戻ってから無生野へ下りました。」と |
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| 【*3】 《穴路》とは? 『地名用語語源辞典』(楠原佑介、溝手理太郎・東京堂出版)によると、「アナシ(穴師・阿那志)」は 『日本山岳伝承の謎』(谷有二・未来社)では「鉱山師の穴師が越えた」からとし@説を支持している。 『地名語源辞典』(山中襄太・校倉書房)によると、「アナシ(穴師、痛足)」は 地名は奥が深くておもしろい。 《補足》 : 穴路峠は過去の一時期、「葛城峠」とも呼ばれていたようです。 「穴の中に立つ様な感じからこの名が生まれたのでもあるまいが、切り通しになった峠で葛城峠とも云われて居る」 「(穴路峠は)最近部落の人の一部で葛城峠と呼ぶに至っている。種々な理由もあろうが、古きものの亡びる時代において、 |
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| JR梁川駅(12:30)--立野峠--倉岳山--JR鳥沢駅(16:00) (峠行2006.09.23) ● 後日、浜沢〜立野峠〜p736〜無生野を辿ったレポ「消えてしまった峠道/立野峠から無生野集落」を見る。 |