★ 消えてしまったのか峠道は / 立野峠から無生野集落への道
前回、立野峠を訪れた時から気になっている「立野峠から無生野集落へ下る道」を探ってみます。 立野峠に設置された登山標識でも南側に下る道は「無生野」ではなく「浜沢」を指し示しています。 浜沢から立野峠へ登り、倉岳山を経て、穴路峠、高畑山、雛鶴峠とめぐる山道は 浜沢から立野峠への“浜沢道”(便宜上、浜沢と立野峠を結ぶ道をこう呼ぶことにする)は、 本道(?)の“無生野道”に一体、何があったのでしょうか? 確かに地形図を見ると沢の源頭部をトラバースする道筋になっていますから、 |
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| 立野峠道の“無生野ルート”の現況に興味、関心を抱くようになったのは、 HP『良太郎の自転車で街道をゆく』さんを拝見してからです。 その中のレポート「穴路峠・立野峠・大地峠」では、地形図に残る破線道、無生野〜立野峠間を レポートによると、地図に残る道を完全にはトレースすることはできなかったようですが、 かつて人に歩かれた道ならば道形なり、痕跡なりが残っているだろうし、お爺さんの証言も心強いものです。 さて、立野峠と無生野を結んでいた峠道、“無生野道”は現在どのような状況なのでしょうか。 |
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| 浜沢のバス停脇の小広い空地に車を置いて、登りに“浜沢道”を使い、 下りに“無生野道”を探しながら辿ることにし、ぐるっと新旧の峠道を周ることにします。 秋山村の推奨ハイキングコースだけあって登山口には案内板、道々には標識が完備されています。 浜沢小学校の裏手から立野峠に向けて、しっかりと踏み固められた“浜沢道”がのびています。 |
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| この歩くに優しい快適な“浜沢道”は、いつ頃から存在しているものなのでしょうか? 浜沢集落の裏山に続く道ですから、炭焼きや山菜採りの山仕事、あるいは狩猟のためにと 古くから集落で暮らす人々に使われてきた道であることには違いありません。 ここでいう存在とは、ハイキングコースとしていつ頃から認知されたかということです。 かつては浜沢に暮らす人々だって山を越えて桂川沿いの他村へと所用に出掛けたことでしょうから、 立野峠は立野と無生野とを結ぶものであると限定的、固定的に考えてしまいがちですが、 |
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| しばらく沢沿いを進んだ後、沢音に別れを告げて、ヒノキ幼林の中の小刻みなジグザグ道となり、 それもいつしか自然林へと姿を変えてゆきます。 沢沿いを詰め、ジグザグで高度を稼ぐという実に典型的な峠道の造りをしています。 “無生野道”の分岐はどこだろうかと注意深く観察していましたがそれらしき明確な場所は見当たりません。 “無生野道”分岐を発見できぬまま、あたふたしているうちに立野峠がだんだんと近付いてきます。 この峠には、石仏も、石祠もなく、目をひく大木もありません。 立野峠をはじめ、「前道志」と呼ばれる山地を跨ぐ、穴路峠、寺下峠、大地峠等の小さな峠たちは、 |
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| 結局、“無生野道”への分岐がどこだか判らぬままに峠に到着してしまいました。 秋晴れ土曜日の午後の峠、一人の青年が峠の岩に腰掛けて地図を眺めています。 倉岳山の方角からは山頂を目指す中高年ハイカーの和気藹々の声が聞こえてきます。 ここで額にうっすらとかいた汗を拭い、峠を渡る風を受けるのです。 さて地形図を見ると、立野峠は尾根の最低鞍部よりもやや西側を越えているようであります。 ところで、昭和4年測図の地形図を見ると、 上野原から鳥沢間の桂川沿いの国道20号線が開通したのが明治24年とのこと。 国道開通で前道志山地を越える人の流れは多少増加したかもしれませんが、 明治34年には中央線上野原駅が開業し、明治43年には四方津駅が開業しています。 また、中央線に乗りたければ大地峠を越えて四方津駅へ向かえばいいのであって、 ちなみに梁川駅の開設は遅れること昭和の24年です。 村に残った人の中にも会社勤めの人が増え、農業の兼業化で次第に山の手入れをする人も減ってゆき、 楽で、便利で、安全で、快適な交易の道なり、通勤の道が出来れば、 |
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| せっかく尾根まで登ったのだからと、立野峠の東に位置する細野山へ。 山頂からの眺望は南面が伐採され、すこぶる良好!山に囲まれた秋山村の山中谷が一望でき、 対面には秋山二十六夜山がデンと構えています。 ここらで休憩しようと思っていましたが、先客がポツネンと腰掛けていたのでご遠慮し、 立野峠に引き返して“無生野道”の探索に取り掛かります。 峠から80メートルほど浜沢側へ戻って、一般道を外れて植林地に入り小尾根を跨いでみることにします。 これはもはや本来の“無生野道”からは外れているとウスウス感じつつも、 |
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| p736へ向かう支尾根には薄い踏み跡があり、それを拾って南下します。 (この支尾根を逆方向から自転車を担いで登るとは“山岳サイクリング”の世界とはなんと過酷なのでしょう) 地図情報では左手から本来の“無生野道”が合わさるはずですが、 p736近くには、これは道普請の跡だなと思わせる箇所があるのですが、 |
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| p736までは拾うことのできた踏み跡もここでプツリと途絶えてしまいます。 地図の読み取りでは、やや西側に進路を変えるようですが、これだという顕著な痕跡がありません。 それでも地図の破線を信じて気持、西気味に強引に下降を続けるとアカマツ林に行き当たり、 その向こうに集落が見えてきます。 藪がひどくなってきたので破線道を拾うことを諦め、 尾根に出ると再び踏み跡を拾うことができ、これが次第に明瞭な仕事道へと姿を変え、 辿った道は正規の“無生野道”ではありません。
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| 結局のところ、忠実に“無生野道”(地形図の破線道)をトレースすることはできませんでした。 すでにその大半が消えてしまったのか、それとも探し方が悪かったのか今以って不明です。 なぜ“無生野道”がハイキングコースとしての役割を放棄してしまったのかも判りませんでした。 峠マニアは峠道に特別の感慨を抱きますが、実地に生活している人々にとって |
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前回の峠歩き(穴路峠下降中)にハイキングシューズの靴底が 剥がれてしまうというアクシデントがありました。 おNEWの靴が買えない貧乏人は、今回、地下足袋姿で参上です。 こんな姿で山道を歩いていると 地下足袋は足裏(ソール)が薄い為、小石の上を歩くのは痛いし、 ただし、マムシに噛まれたら生地が薄いから皮膚までキバが 長所は細かい足場のホールドでも爪先でよくグリップすること。 |