低山逍遥

低山に峠はつきものだし、高山の峠歩きは情緒に欠ける場合が多い。
峠のない低山歩きは、時として苦行の他の何ものでもないと感ずる時もある。

低山の夏の暑さ、いぶせしヤブ漕ぎ、蜘蛛の巣の歓迎、迷走する踏み跡、
イバラの仕打ち、マムシ・スズメバチ・ヒル・ダニの不快、など
低山歩きも楽ではない。

30代半ば近くになると、重い荷物を担いで挑戦的な山行ばかりという
わけにもいかなくなる。
体力的なことばかりではなく、気持の上で精神的な面で、
満たされない空虚を埋めに低山に足繁く通うこともあるのだ。
3000m級に匹敵する愉しさを、裏山・里山で見出すことも出来るのだ。

ところで、低山の定義というものがあるのだろうか。
標高1000mぐらいまでが低山ではあるだろうが、
人それぞれ感じるところがあるだろうから、
いくつか定義らしきものを考えてみた。

一、山中にて山里の犬の吠え声が聞こえてくる。
一、春先、杉・桧の花粉の洗礼を受ける。
一、貧弱なバス路線・接続の悪い公共交通機関。
一、山頂にカラスが舞う。
一、ありそうでない水場。
一、大袈裟な道標と、その対極の混在。
一、樹間から垣間見えるゴルフ場。
一、登山口の不法投棄と過剰林道。
一、昼から登っても暗くなる前に下山できる。
など・・・。

そして、「可愛い峠がある」のも低山の重要な要素だ。

中高年に日本100名が流行っているが、
本当に、体が思うようにならなくなってきた頃、
峠歩きの良さや・お手軽さが見出され、
日本100名
のブームが来るかも知れない。

峠の価値が広く認められることは、嬉しいことだが、
そんな時代がきたら、峠の荒廃は免れまい。
人の足に踏み固められた峠道は、いつしかコンクリートで固められ、
峠の馬頭観音は排ガスに煙るだろう。
商業主義の侵入も免れない。
現に、そうなった峠も多い。

峠ブームが到来する前に、歩いて歩いて、
低山を逍遥しよう。
「あの峠は可愛かったのに」となる前に。