道祖神の微笑む峠
照坂峠・瀬戸坂(峠)?・美咲佐和の神峠?・蛭坂峠
古関・・・照坂峠・・・瀬戸と中河原を結ぶ尾根・・・三沢川右岸径路・・・上小磯・・・蛭坂峠・・・水船・・・芝草・・・照坂峠・・・古関
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| 旧下部町(現身延町)の照坂峠、蛭坂峠を訪れました。 加えて、『下部町誌』の中に見られる「美咲佐和の神峠」を探しつつ、 反木川と三沢川の中間尾根を歩いてきました。 新緑と春の草花に囲まれた山峡の集落は美しく、 路傍の道祖神が微笑を浮かべて遠方からの旅人を迎えてくれました。 |
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| 【美咲様】 根子から瀬戸へ通ずる山道をいう。 『下部町誌』 「第一章 交通と運搬」 より |
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| 美濃の国の住人、赤堀重太郎という金掘りが根子で銅山開発を始めた。 満福寺の境内が一番坑だったといわれ、元和年間最盛期には人家も100軒を超え、 坑道も反木川を越えて川向こうの中村の部落まで達していたという。 しかし湧水が激しく、そのために多数の村人を道連れに大惨事が起こり鉱山は壊滅した。 多くの人命を失ったこと、当時の技術としては湧水を止めることが不可能であったことから採掘を諦め、 銅山から得た全てを投じて自ら開基者となって、この地に曹洞宗銅根山満福寺を元和七年建立し、 犠牲者の菩提を弔ったという。 (『下部町誌』より) |
* 上記のように『下部町誌』には「美咲佐和の神峠」という峠に関する記述が見られます。 照坂峠、蛭坂峠は地形図にも記載のある峠で、その位置は明確なのですが、 不案内な土地ですから、古い版の地形図まで引っ張り出して、いろいろ詮索してみたところ、 現在のように道の整備が行き届いていない時代、出水の度に被害を受ける川沿いの道よりも 古関から照坂峠へ上がって、反木川と三沢川に挟まれた中間尾根を北東へと辿り、 |
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| エメラルドグリーンに輝く本栖湖を眺め、湖岸の国道300号線(本栖みち)を快走します。 中之倉トンネルを潜り抜けると、視界には南アルプスの雄大な山並みが飛び込んできます。 それと同時に、市販の登山ガイドブックや山岳雑誌ではまったく相手にされることのない 旧下部町(現身延町)の名をも知れない山の数々が魅惑的な奥深さを備えてその姿を現わします。 公共交通機関の便も悪く、好き者ハイカー以外には見向きもされない旧下部町の山々ですが、 そこには未見の峠道が幾つもあり、山間集落を結ぶ網の目のような径路があり、 中之倉トンネルを抜けた先にある「南アルプス展望台」で、旧下部町の山々をぐるりと眺め、 そして、展望台の東屋脇から下降する尾根に、踏み跡が付けられているのを見つけては、 |
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| そんな愛着の地、旧下部町ではあるけれど、頻繁に足を運ぶにはあまりに遠い地でもあります。 今回もお昼を大幅に過ぎて古関の村に到着です。 当初は照坂トンネルを潜り抜け、芝草集落に車を停めて歩き始める予定でしたが、 仕方なく当初の予定を変更し、古関に車を乗り捨て、古関側から照坂峠へ向かうことにします。 |
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| 農道を登り詰めると送電鉄塔と水道施設があり、振り返れば古関の集落が眼下に展開されています。 地形図の破線道を忠実に拾うこともできるようですが、ここまでは農道歩きが無難でしょう。 地形図に峠名が記載されてはいる照坂峠ですが、 |
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| コンクリ舗装の農道からヤマブキ咲く土道へと変ると、いよいよ峠道らしくなってきます。 柔らかい土の感触を足裏に感じて、なんの不安もない明瞭な道を進みます。 竹林から上がってくる本来の麓からの峠道を合わせると、幾度かの小さなジグザグを繰り返し、 |
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| 植林地内に踏まれた凹状の道を登り詰めたところが峠で、クロスする尾根道も確認できます。 なるほど、峠は「地形図に載っているぐらいだから、の思いはむなしく・・・」の通りで、 ビビビッとくるほどの峠の造形美は感じられません。 峠には名前を示す標識も長き星霜を重ねた石祠や地蔵尊も祀られていません。 ここを駿州街道が通っていたとは俄かには信じ難い雰囲気です。 駿州街道は、甲斐東河内領と駿河との貨物の輸送路としてはもちろん、多くの旅人の通行もあり、 ちょっと尾根道を三角点p524方向へと進んでみますが、 |
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| 『山梨の峠』(小林栄二著・自費出版)に、「標識の無いのがいま一つ淋しい」とあったので、 勝手ながら手製の峠名標識を取り付けてみました。 登山目的でここを訪れるハイカーなど皆無でしょうが、稀少人種の峠マニアがいつ訪れるやも知れませんから。 芝草側へと下る道も確認でき、まずは一安心です。 |
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| 明治期の陸地測量部発行の古い地形図を見ると、 「照坂」ではなく「鹽坂」と書かれているように見えるのですが、これはなぜなのでしょうか? 駿河から運ばれた「塩」が越えたから「鹽坂」? 『甲斐国誌』には「城坂(ジャウサカ)、古関、芝草ノ間」とあり、 『山梨県の地名』(平凡社・1996年)には、「照坂」に「ショウザカ」のルビが振られています。 古い地形図の峠道は幅広の道で描かれており、この道が当時の幹線道であったことが読み取れます。 |
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| 反木川と三沢川に挟まれた尾根上の道は極めて明瞭です。 道迷いの心配はなく、その大部分が新緑を迎えた明るい自然林の中にあり、 不安を抱かせる要素といえば顔面を直撃する蜘蛛の巣ぐらいです。 尾根には赤い頭のプラ杭とシルバーの頭の筆界杭が点々と埋設されています。 古い地形図に描かれた芝草と瀬戸とを結ぶ山越えの道は容易に確認され、 両サイドを自然林に挟まれた尾根の木々間からは、左手に上大磯の高地集落が望め、 |
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| 古い地図の精度を見縊ってはいけません。 尾根道から分岐する、か細い山道の数々がこの陸測二万図には正確に描かれているのですから。 この地域の山間部を歩くのであれば、現行版地形図の他に陸測二万図を持参することをお薦めします。 現行版地形図からは抹殺された道の消息を古い地形図は教えてくれます。 明治時代の地図が、現在でも有効に使えるということは、 この山域に自然破壊の波が押し寄せなかったことの表れかも知れません。 三角点p657は地形図の通りその北側に巻き道が付けられています。 |
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| 巻き道には、ヒトリシズカ イカリソウといった草花が見られ踏みつけないように気を遣います。 樹間を透かしては峨峨たる天狗岩の懐にへばりつく峰山の山上集落も望まれます。 あんな不便な高地に集落が・・・とも思いますが、山桜の咲く日当りの良い高地斜面での暮らしに、 憧憬を多分に含んだ興味を覚えてなりません。 当初しっかりしていた巻き道は、次第に肩幅程度のケモノ道同然となり、 尾根筋に復帰して三角点p657とp652との鞍部に立つと、 |
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| そして反木川と三沢川に挟まれた尾根を越える鞍部の推定「美咲佐和の神峠」に辿り着くのです。 そこは愛想の無かった照坂峠に比べて、峠らしさが存分に漂っています。 果たしてここが「美咲佐和の神峠」と呼ばれる場所なのか確証は得られませんが、 注連縄の張られた道祖神が祀られ、古い石仏と石塔の安置された鞍部の様子は この場所が土地に暮らす人々にとっては重要な地であったことが容易に想像されます。【*1】 ここが「美咲佐和の神峠」ではないとしても、 そもそも「美咲様」とはなんでしょうか? 「御崎様」とは宇賀御魂命を祀る農業神。一説には貴人や旅人の道案内をする鳥やサルやキツネだとも、 |
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| ここより道は、根子集落に下る道、三沢川に下る道、 折門へ向かう道、尾根をそのまま進む道と四方向に分岐しています。 根子集落に下って地元の方に話を伺いたい気もあるし、廃村折門へと向かいたい気もします。 |
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| 前日までの大雨で増水した三沢川の瀬音は尾根上の分岐路にいても耳に届きます。 わずか数分の下りで川縁に降り立ち、白く濁った水量豊富な流れが目の前に現われます。 この地点でもかなりの山深さを感じるのですが、 |
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| 下流の大磯小磯に向けては三沢川縁に付けられた道を伝うのですが、 それにはまず増水した三沢川を対岸へと渡らなければなりません。 大きな岩をスパッと割って開いた道から木橋を渡って対岸に渡るのが正規ルートのようですが、 |
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| 暗い植林地内に残る古い石積みを攀じ登ると、 そこには地形図に記された三沢川右岸の水平道があるのです。 この道をしっかりと踏み固めたのは、今や廃村となってしまった折門で暮らしていた人々でしょうか? 峰山集落へ向かうと思しき斜上する道を見送ると、 水平道は秋には見事な紅葉が見られるであろう自然林の中を進むようになります。 本流に注ぎ込む小さな支流を数度徒渉しながら、三沢川右岸径路は里へと続きます。 |
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| 三沢川右岸径路は峰山の集落へと繋がる林道のヘアピンカーブに飛び出して終了します。 ちょうど駐車スペースがあるので、ここに車を置いて、 右岸径路〜廃村折門〜折門峠〜大平山〜蛾ヶ岳〜天狗岩〜峰山集落と 周遊するのも一興かと思われます。 蛾ヶ岳と言えば、市川本町や四尾連湖から登るのが交通の便も良く一般的ですが、 |
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| 旧古関小学校磯分校の跡地や八王子諏訪神社前に整列した石仏、曾我氏の墓などを見ながら 次なる目的地である蛭坂峠の取り付き点とした上小磯の集落へと向かいます。 上小磯から地形図に描かれたp641の西尾根破線道を拾い蛭坂峠を踏み、 峠から水船、芝草へと下降する計画です。 そんな道、本当に残っているのかと心配もしますが、 |
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| 山道がコンクリートで簡易舗装されているのには驚きましたが、それも集落の集合墓地まででした。 最前歩いたばかりの反木川と三沢川に挟まれた尾根を眺め、雪の残る天子山塊を遠望し、 鋭角に進路を変えてp641へとハッキリした道が続きます。 p641頂稜部は植林地内ののっぺりした地形で道は突如として怪しくなります。 |
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| ガサッ!と、前方を鹿の白いお尻が飛んでゆき驚かされましたが、峠は至って静寂の中にあります。 芽吹きを迎えたばかりの自然林に包まれた峠には、石祠がポツンと一基置かれています。 峠から富士の姿は望めませんでしたが、石祠には「浅間宮」と刻まれています。 古い紀行文である河田髓の『かひしなの』には、 地元では「浅間峠」と呼ばれていると確か書かれてあったと記憶しています。 蛭坂峠の別称としてそんな呼び名もあったのかもしれません。 古い陸測図には「蛭」の字に「ビリ」のルビが付されています。 また、『下部町誌』の芝草集落の説明文の中には、 |
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| 登山者向けの標識など一切無い峠に、お節介とは知りつつも手製標識を取り付け、 芝草側へと下る明瞭な道へ足を踏み入れて峠を後にします。 芝草へと向かう道は、歩き始めは順調だったのですが、 |
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| 古い地図では蛭坂峠の峠道は幅広の幹線道として描かれています。 凹とした箇所に落ち葉が堆積している現況からして、頻繁に歩かれている道とは感じられませんが、 荒地の通過を除けば、道の状態は概ね良好で道筋も地形図通りに付けられています。 峠道は途中、芝草へ下る道と、水船へと下る道に分岐します。 水船橋を渡り県道に出ると、そこはバス停前で、ちょうどワンボックスタイプのローカルバスがやって来て、 夕暮れの植林地内の峠道は暗く、化け物でも出はしないかと、心細くなってきます。 腹の減ったエネルギー不足の体では標高の低い峠越えでも足取りは重く、 |
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(峠行2008.04.19) 【*1】 後日、古関公民館の館長さんにお話を伺ったところ、「美咲様」「美咲佐和の神峠」などは聞き覚えが無いとのこと。(えっー!) また、三角点657峰の名前について伺うと、呼び名はあったと思うが忘れてしまったとのこと。 ついでに周囲の峠道の様子も伺いました。 等々、いろいろとお話を伺いました m(__)m 【補注】 帰宅後にいろいろと調べてみると、地元の方が仰った通り、 『山梨県の地名』(平凡社)の「根子村」の項には、「満福鉱山にかかわる美咲様があり、反木川沿いの八坂村から村内を通り さらに、『角川日本地名大辞典』(角川書店)の「瀬戸村」「根子村」の項には、「反木川沿いの美咲様道が昭和10年根子林道 「美咲佐和の神峠」の「峠」とは一体どこなのかという点は依然として疑問のままですが、
【参考文献】 『山梨の峠』 小林栄二 自費出版 |
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