栃木県の峠を軽く調べてみる

最終更新日 2009.03.18

軽い気持で栃木県の峠を拾い集めて見ました。
安蘇山塊・前日光山地と呼ばれるエリアは峠の宝庫で意外に良い峠が残っているようです。
まだまだ拾いきれていませんが栃木の峠を大観することができます。

栃木の地理に不案内の為、まだまだ不十分な状態です。
誰か栃木県または近県にお住まいの方で完璧に調べ上げてくれる人はいないだろうか?
また隣県の福島県、茨城県、群馬県には資料的価値のある「峠本」が出版されているのに
栃木県の峠に関する本が出版されていないのはなぜだろうか?

  糸 沢 那須岳 白 河 棚 倉
燧ケ岳 川 治 塩 原 大田原  塙 
男体山 日 光 矢 板 喜連川 大 子
足 尾 鹿 沼 宇都宮 烏 山 常陸大宮
桐生及
足利
栃 木 壬 生 真 岡  
深 谷 古 河 小 山    

1/50000地形図

* 市町村名、地名等は平成の市町村大合併に対応していません。

* 太字の峠名は国土地理院地形図に記載のある峠です。

「糸沢」 図幅
安ヶ森峠 安ヶ森山西部
福島県境
岩館村新田原〜栗山村湯西川 林道が越える。
葡萄峠
番屋峠
安ヶ森山東部
福島県境
岩館村番屋〜藤原町芹沢 「安ヶ森山の東側にあった下野に抜ける間道で、
岩館村八総から番屋川をさかのぼり、
番屋集落から黒峠山の東側を通って、県境葡萄峠に達する。
番屋集落の名をとって番屋峠ともいわれた。
現在は廃道となり、両県からも通じていない。」<福>
板小屋峠 葡萄峠東部
福島県境
岩館村番屋〜藤原町芹沢 「葡萄峠の東側。今は全く知られていない。」<福>

 

「那須岳」 図幅
山王峠 貝鳴山南部
福島県境
萩野〜横川 「標高約906m。国境線を巡る紛争があった。
吉田松陰が東北旅行の帰りに越えたという。」<平>

付近に弘化元年の石仏あり。
「藤原町と福島県田島町の境。 標高900m。
国道121号(会津西街道)が通過する。
会津藩主保科正之が会津と江戸を最短で結ぶ道として開く、
万治2年開削に成功。 江戸期を通して会津藩の廻米や商品の
主要な輸送路また参勤交代路としても重要視された。
屋根葺き職人として有名な会津地方の農民の出稼ぎ路として
の役割もあった。」<角>

大川峠
男鹿岳峠
男鹿峠
男鹿岳北部
福島県境
田島町栗生沢〜黒磯市深山湖 付近は熊、猿、カモシカの棲息する濃密な自然に囲まれる。
「田島町栗生沢と黒磯市との境にある男鹿岳の東北部にある峠で、
標高1259m。」<福>
旧男鹿峠 男鹿岳北部
福島県境
田島町栗生沢〜黒磯市深山湖 「地元では大川の支流水無川をさかのぼり、
古くから会津と黒磯を結ぶ峠路として利用されていた。
今はこの旧道は全く通ることはできない。」<福>
大萱峠
姥坂峠
兎峠
福島県境 田島町〜塩原市 p1360の西。
百村街道県境の峠。
★桃木峠   中塩原〜 ★詳細不明
ひょうたん峠 大佐飛山西部 塩那道路 塩那道路上の記念碑がある所という説と
大佐飛山分岐との説がある。
『続・静かなる山』(茗渓堂)の「大佐飛山」の紀行文にも出てくる。
「瓢箪峠、1690m」と書かれた標柱があるとしている。
大峠 三本槍岳西部
福島県境
下郷町野際新田〜那須郡百村 「黒磯市と福島県下郷町の境。 三本槍と三倉山の鞍部。
松川通りとも呼ばれる会津中街道の岩城国(会津地方)と
下野の国境をなす。 標高1468m。
峠道はそれまで会津と江戸を結ぶ主要街道であった会津西街道が
天和3年日光地方を襲った地震により五十里湖が出現し不通と
なったのを機に開かれたもので、元禄8年会津藩主松平正容が
参勤交代の通路として利用したことに始まる。
享保8年の大洪水による五十里湖の海抜けにより会津西街道が
復活すると険阻な大峠越えの道は衰退した。
この間、下野側の峠下には三斗小屋宿が開かれ、最盛期には
戸数24戸に達し、道路の中央には水路があり両側には整然とした
屋敷割がなされた。 この宿は明治維新まで続いたが、
峠一帯が激戦地となった戊辰戦争で全焼し
現在は集落全体が草に埋まる。」<角>

 

「白河」 図幅
境の明神峠
明神峠
白坂の関明神峠
東北本線
豊原駅北東部
福島県境
明神〜泉岡 「東に同名の峠があり、白坂の関明神、境の明神峠ともいう。
那須町と白河市の境。 標高450m。
峠道は近世初頭に開かれ、五街道の一つ奥州街道が通る。
那須町芦野から寄居を経て白河市に至る。
松尾芭蕉、近世の文人や奥州諸大名の参勤交代、明治天皇の東北巡幸など
に利用された。」<角>
明神峠
追分明神峠
二所の関明神峠
白河関址
南方約3キロ
追分〜関ノ里 「当峠の西方、国道294号線の通過点に同名の峠があることから
二所の関明神峠、また、所在地から追分明神峠、
さらに一般に境の明神峠ともいう。 那須町蓑沢の追分と白河市の境。
標高470m。 県道坂本白河線が通過する。
古代の東山道や近世の関街道と呼ばれた道筋に当たる。
峠の栃木県側に中筒男命を祀る住吉神社(関東明神)、
福島県側に衣通姫命を祀る玉津島神社(奥州明神)が祀られ、
二所の関の由来となっている。 白河関址は峠の北3キロに位置。
近世に入ると往還としての座を峠の西方の奥州街道(国道294)に譲り、
その後次第にさびれる。集落と峠の比高は小さく道路の屈曲も少ないため
峠という感じはしない。」<角>

 

「棚倉」 図幅
峠の存在が確認できません      

 

「燧ケ岳」 図幅
湯沢峠 根名草山西部
群馬県境
丸沼温泉〜日光沢温泉 1960m
手白峠 手白山北東部 手白沢温泉〜湯沢噴泉塔 『山と高原地図』に名がある。
馬坂峠 帝釈山南部
福島県境
馬坂林道 林道が越える。
引馬峠 帝釈山南部
福島県境
檜枝岐村広窪〜栗山村 「桧枝岐村の本村から大畑集落を通り、
舟岐川をさかのぼって広窪部落からさらに奥に進み、
檜枝岐村と塩谷郡栗山村との境にある県境の峠で
標高1895.6m。 会津では最も高い峠といわれている。
会津の農民が秋の収獲が終わると、組を作りこの峠を越えて
今市周辺の屋根葺きに出稼ぎに行った。」<福>
辻まこと氏の紀行文「引馬峠」がある。

 

「川治」 図幅
田代峠
田代山峠
水引峠
枯木山西部
福島県境
岩館村〜栗山村川俣温泉 林道が越える。
『MTBツーリングブック』(山海堂)では「水引峠」の名を採用している
枯木峠 枯木山西部
福島県境
岩館村〜栗山村川俣温泉 上記と同一か? 『会津藩家世実紀』に名がある。
「舘岩村から栗山村の川俣温泉に抜ける県境の峠。今は全くの廃道。」<福>
「水引奥の枯木峠を越えて川俣に至る道、かなり重要な下野街道であった。
明治末に万歳新道を開き、今市木材会社が牛馬で木材の運送を行ったが、
会社倒産のため、間もなく止んでしまい、その後は荒廃に」<会>
日暮峠      
土呂部峠 日加倉山
北部
土呂部〜川俣湖 土呂部から田代山林道に向かう途上にある。
(MFPさんどうもです。)
萱峠 川俣湖南部 川俣〜野門  
大笹峠 大笹山付近 青柳平〜日光、今市 「川俣村から日光、今市に向かう道は、萱峠を東進して大笹峠から
南下するものと、萱峠をそのまま南進し富士見峠を越える径路があった。」<平>
「今市市小百と塩谷郡栗山村日影の青柳の境。 標高1037m。
大笹山の南西に広がる高原上に位置する。
栗山村の鬼怒川流域と今市方面を結ぶこの峠道は昭和16年黒部開発の
発電所建設に伴う黒部〜川治間の自動車道路の開通までは、
秘境とされた栗山村と平野部を結ぶ最も重要な交易路であった。
栗山からは主に木材・木炭が駄馬により峠を越えて小百まで運ばれ、
そこで荷継ぎされ今市方面に搬出された。
また今市から運ばれる生活物資も小百の問屋を通して交換された。」<角><大>
湯坂峠 持丸山北部 湯西川〜芹沢 「標高約1096m。『元禄郷帳』には「猿鼻峠」「猿はな峠」と記されている。」<平>
葛老峠
葛生峠
葛老山付近 西川〜日向 「西川から日光、今市へ向かう通路としては葛老峠を越え日向村へ出て
小百村(今市市)の小休戸を経る場合と会津西街道へ出る場合とがあった。」<平>
高原峠 狸原山付近 五十里〜イノ原 「五十里宿から狸原山の尾根に出て、
そこから約4キロで高原宿(藤原町)に至る。
高原宿から藤原宿への旧道は尾根沿いに下る。
太閤秀吉も馬を降りて歩かざるをえなかった「太閤下し」の上方で
現在の日塩道路に合流し藤原町イノ原に出た。」<角>
「上り下り二里二十丁といわれた合計五里余の峠。
文久3年五十里より川治を通って川沿いに藤原へ下る川治新道が開通
してから次第にさびれ廃道となった。」<会>

 

「塩原」 図幅
尾頭峠 若見山西部 藤原町〜上塩原 「標高約1142m。『塩谷郡六カ村案内帳』によると「尾首峠」。
会津中街道と西街道をつなぐ脇道として注目。廻米輸送に使用。」<平>

「オカシラとは山肌が白く見えることによる。」<竹>

峠の歴史は古く、鎌倉時代から利用され、
江戸時代には街道として重要な役割を果たしていた。
その後、幾多の変遷を経て、南会津地方と栃木県東北部を結ぶ幹線道路として、
その重要性が再認識され、昭和57年には国道400号となった。
『新ハイキング530号』に峠行の貴重な記録がある。
峠付近には小さな石柱と石碑があるという。
上三依から約三里の峠。

 

「大田原」 図幅
法師峠 那珂川を挟んで
御亭山と対峙する
大田原市〜湯津上村 「山の形が僧侶の顔に似ていたことによる。
法師はボウジで小平地とする説もある。」<竹>
境界を意味した傍示ではないか?
峠には雷神を祀る社がある。
地元の人はホ−シャ峠と呼んでいるという。
富士見峠 東北本線黒磯駅東部 堀越〜寺子  
鰻峠 萬蔵山北 木佐美〜川上 天狗党敗走の道
『那須野ヶ原の道』(那須野ヶ原開拓史研究会)より
唐松峠 御亭山東部 中山〜須佐木 「土の乾いた所、または唐松の生い茂ることによる。」<竹>
明神峠 御亭山東部 須佐木〜須賀川 「那須郡黒羽町、標高370m。主要地方道大子黒羽線が通過する。
近世には水戸藩領であった須加川と黒羽藩領の諸村を結ぶ生活道。
金沢道とも呼ばれる。1864年天狗党の一隊も通る。
現在の道は昭和37年幅6.5mの舗装道として改修。
頂上には改修記念に植樹した桜並木がある。」<角>

 

「塙」 図幅
戸中峠 戸中西部 那須町山崎〜棚倉町戸中 「那須町と東白川郡棚倉町戸中との県境にある八溝山系の峠。
戸中峠越えの街道は、棚倉などから江戸への近道として奥州街道
伊王野宿に出た。芦野宿の助郷人足にかりだされた農民たちが
この峠を越えた。」<福>
関ノ田和峠 高戸山南部 須賀川〜関ノ田和 県道205号須賀川大子線。
峠下にトンネルあり、峠は切通し状。

 

「男体山」 図幅
金精峠 温泉岳-金精山鞍部 湯元〜菅沼 日光市湯元と群馬県片品村菅沼の境。 温泉ヶ岳と金精山の鞍部。
標高約2024m。『日光山志』に見る古名は「コムラ峠」。
コムラ→キムラ→金精権現の信仰に因んで、キマラ と称す。<平>
金田峠 於呂倶羅山西部 刈込湖〜西沢 標高約1865m。日光市と栗山村の境。
「釣鐘あるいは鉱物に関係する峠」<竹>
小峠 三岳西部 湯元〜刈込湖 「小は美称」<竹>
山王峠 山王帽子山西部 戦場ヶ原〜栗山村 「標高1739m。 山王帽子山と三岳の鞍部。
明治26年に発見された西沢金山の鉱石運搬路として開かれた。
大正期は金山の衰退とともに荒廃、戦後は林業と観光開発を目的として
整備改修される。」<角>
弓張峠 高山北東部 小田代原〜千手ヶ原 「標高約1431m」<平>
「小田代原と外山沢の境。 標高1415m。 比高も低く屈曲も少ない峠道。
ミズナラやカラマツの天然林に覆われる」<角>
幕張峠 高山北部 小田代原〜千手ヶ浜  
無名峠     名無しの峠という意味だろうが「無名峠」という名が定着している。
阿世潟峠 半月山西部 足尾〜中禅寺湖 「標高約1410m。明治期に足尾銅山から出る有毒ガスが久蔵沢を
通って吹き付けたため植物が枯死。
表土が雨水で洗われ度々の豪雨で崩壊し廃道となった。
その後、半月峠が新造されるも比高の小さい阿世潟峠が改修され
半月峠は廃道。 細尾峠の開通で両峠ともさびれ廃れる。」<平>
「アセガタとは浅い湖沼が近辺にあった山の意。」<竹>
「半月山と社山の間にあり、中禅寺湖南岸の阿世潟と
足尾町の赤倉方面を結ぶ。 標高1417m。
峠道は古来、日光山の修験行者が通った道。
明治期以後、銅山の煙害による草木の枯死に伴う豪雨時の
山崩れなどにより荒廃が進んだが、
大正9年代替道として半月峠越えの道が新設されるまでは
足尾と中禅寺を結ぶ唯一の道であった。
明治期、この道の足尾側の久蔵沢沿いに15〜16軒の農家が
散在していたが、明治36年村の土地が銅山に買収され、
足尾町の山ノ神付近の茶屋2軒を残し移転。
登山道の整備により、比高の多い半月峠道は敬遠され
阿世潟峠道が再び利用されるようになった。」<角>
半月峠 半月山西部 足尾〜中禅寺湖 「半月形の山にある峠。樹木の少ない山にある峠という説もある」<竹>

 

「日光」 図幅
富士見峠 小真名子山北部 日光〜川俣 川俣側は不整備で荒れているという。 標高2031m。
「日光市と栗山村野門の境。 帝釈山と小真名子山の鞍部。
昭和16年黒部〜川治間に自動車道路が開通するまでは
大笹街道とともに日光と栗山を結ぶ主要な交易路であった。
当時、日光側の峠下には無人小屋があり、
ここを拠点に栗山からは下駄や曲物などの木製品、
日光からは米、塩などの食料品や衣料などの日用品が運ばれ交易された。
戦後栗山川治間の道路が整備され定期バスが運行されると
峠の利用価値はまったく無くなった。」<角>
志津越え
志津峠
大真名子山南部 日光〜男体山北麓 近くに無人避難小屋がある。
細尾峠
足尾峠
薬師岳西部 神子内〜細尾 「標高約1192m。茶ノ木平と薬師岳の鞍部。
渡良瀬川流域と鬼怒川流域の分水界。古くは足尾峠と呼んだ。」<平>
「ホソオとはごく狭い難所の意。」<竹>
イズラ峠 丹勢山北部 日光〜大真名子山 『山と高原地図』に名前がある。
滝ヶ原峠 鳴虫山西部 日光〜滝ヶ原 林道が越える。 瀧河原峠との表記もある。
三ノ宿峠 三ノ宿山南部 三ノ宿山と
大木戸山の鞍部
三ノ宿は佐ノ宿だという。石祠がある。
上道陸神峠 六郎地山南部 太田〜川中島 「鹿沼市史」に名前がある。

 

「矢板」 図幅
矢白峠 羽黒山西部 謡辻〜町田  
青嵐峠 飯盛山付近 冬室〜大網町  
旧青嵐峠 飯盛山付近 冬室〜大網町  
倉掛峠 矢板駅西部 矢板〜玉生  

 

「喜連川」 図幅
鶴居峠 高倉山北部 須佐木〜小砂  
小元峠 高倉山北東部 大山田上郷〜須賀川  
花立峠 高倉山南部 小砂〜大山田下郷 「ハナとは鼻、端のこと、山の崖のでっぱり」<竹>
伴睦峠 鷲子山西部 馬頭町矢又〜美和村鷲子 時の政界の長老、大野伴睦の尽力を称え名付ける。
峠には「海につづく この道ながし 風光る」という伴睦の句碑あり。

 

「大子」 図幅
境明神峠 茨城県境 盛泉〜橋場 「馬頭町と茨城県大子町の境。標高213m。主要地方道大子馬頭線が通過する。
ふもとの集落との比高が小さく、また峠の直下まで谷が開けているため
峠の実感には欠ける。
峠道は古来、下野北部の那珂川流域と常陸側の久慈川流域を結ぶ重要な生活道。
峠の北側には地名の由来となった小さな祠が二つあり、下野側には下野那須の
温泉神社が祀られ、常陸側には常陸一ノ宮の鹿島神社が祀られている。
また約50m登った茨城県側に祀られている地蔵尊は
もとは峠の道筋にあったもので、旧盆のときには近郷近在の人々が集まり
夜を徹して盆踊りを楽しんだという。」<角>
萩の越路 尺丈山西部
茨城県境
大那地〜仲河戸 陸地測量部時代の地形図には、この峠の名が表記されている。
烏帽子掛峠 尺丈山西部
茨城県境
亭道地〜上郷 三浦大介がこの峠を越えたという。

 

「足尾」 図幅
六林班峠 袈裟丸山北部 利根村〜足尾町 「標高1800m 明治30年代に銅山の用材供給を目的として作られた集落と
銀山平とを結ぶ峠道として開かれる。」 <群>
舟石峠 備前楯山北部 銀山平〜赤倉 備前楯山の登山入口、案内板あり。
「日ガ鷹峠」とする資料もある。(『続東京周辺の山々』朋文堂)
日ガ窪峠 塔ノ峰南 舟石〜庚申山荘 『渡良瀬源流の山』(朋文堂)
三角点1455の尾根を越える道らしい。
粕尾峠 地蔵岳北部 上粕尾〜内ノ篭 「悴尾が転じたもので瘠せた長い丘陵の麓を意味する」<竹>

「足尾町と粟野町の境。勝雲山と地蔵岳の鞍部。標高1120m。
主要地方道足尾鹿沼線が通過する。
大正3年足尾線が開通するまでは細尾峠とともに足尾と外界を結ぶ
重要な生活道であった。
江戸期、銅山経営に必要な物資がこの峠道を利用して搬出されたのは、
他の通路に比べ危険が少なかったことと、粟野・栃木からは河川交通の
便があったことによるといわれる。
また粗銅の運搬路としては、当峠から地蔵岳の東斜面を回り、
秋山川を下って佐野に抜ける道もあったという。
峠の往来は明治年間が最盛期で、明治23年には鉄索が架けられ
木炭などが運ばれた。
その後、国鉄日光線・足尾線の開通で衰退した。」<角>

「粟野町の西端、勝雲山と地蔵岳の鞍部に位置し、足尾町と粟野町を結ぶ。
奈良時代、勝道上人が古峰原高原で修行する際、出流山から峰伝いに来て
横断したのが初めてといわれ、平安時代には藤原秀郷が平将門の乱を
鎮圧するため峠を通って庚申山へ戦勝祈願しているともいわれている。
室町・戦国時代における足尾の文化の入口は粕尾道であった。
江戸時代足尾の粗銅の運搬を粕尾峠から地蔵岳の東斜面をまわり
秋山川に下り佐野に抜ける道もあった。
木材・木炭の運搬などを含めて峠の往来は明治年間が最も盛んであったが、
1912年(大正元年)足尾線開通に伴い激減し道は荒廃した。
カスリン台風(1947年)アイオン台風(1948年)により、足尾線、日光道路が
寸断され、足尾が孤立した際、足尾、粕尾、粟野の住民は
粕尾路の自動車道路化を陳情。県はこれを受けて整備した。」<大>

大名峠 県境
渡良瀬川右岸
足尾〜沢入 幕府が足尾から産出した御用銅を江戸に運ぶ街道として
銅山(あかがね)街道を開いた時に、馬の通れる道としてつくられた。
足尾から最初の宿駅沢入までの二里半の道程の最大の難関の峠で
「大難峠」とも呼ばれた。 (『銅山の町足尾を歩く』より)
小名峠 県境
渡良瀬川左岸
足尾〜沢入 渡良瀬川左岸の絶壁にかかる峠。笠松の片マンプが残る。
(『銅山の町足尾を歩く』より)

 

「鹿沼」 図幅
古峰ヶ原峠
古峰原峠
横根山北部 古峰原〜足尾 「標高1145m。高原状の峠」<鹿>
草久で焼かれた白炭が峠を越え足尾銅山へ運ばれたという。
足尾からは行商が越えた。
原山峠 横根山東部 古峰原〜五月 「約960m。古い古峰原参道が越える」<鹿>
川畑峠 横根山西南部 古峰原〜上粕尾 「標高880m。出流山から古峰原への勝道入峯道の重要な地点」<鹿>
五月峠 横根山西南部 北村〜上五月 「標高800m。上五月から北村へ越える」<鹿>
早木峠 粟野鳴虫山北西部 半縄〜尾ざく 「標高698m。尾鑿から半縄へ越える大きな峠」<鹿>
沼の峠 鳴虫山北西部 馬置〜水沢 「標高560m。水沢から馬置へ越える。
頂上に神秘な沼を湛えた幻想的な峠」<鹿>
遠木峠 鳴虫山北西部 遠木〜滝ノ端 「標高440m。瀧の端から遠木へ越える」
ハネバミ峠 鳴虫山北西部 遠木〜出口 「標高480m。出口から遠木」<鹿>
塩沢峠 鳴虫山南東部 笠丸〜大栗 「標高390m」<鹿> 付近に同名の名が多い峠
馬場峠 鳴虫山南東部 布施谷〜菅沼 「標高390m。菅沼から布施谷へ越える」<鹿>
半縄峠 谷倉山北西部 半縄〜与州 「標高590m」<鹿>
赤柴峠 谷倉山南部 馬置〜与州 「標高590m」<鹿>
大鹿沢峠 高谷山北部 遠木〜植竹 「標高570m。植竹から遠木へ越す峠」<>
平滑峠 高谷山北部 笠丸〜渋垂 「渋垂峠」とも?
「標高430m。渋垂から笠丸へ越す。
半縄峠、赤柴峠と共にささやかながら人通りは相当ある」<鹿>
嶋田坂 高谷山南東部 森〜久保田 「独標415m。中粕尾の字嶋田から上永野の字嶋田へ越える。
粕尾村の中心地から永野村の中心地へ越える峠であるから
道も立派で、交通量も多い。」<鹿>
尾出峠
寺沢峠
尾出山南部 木浦原〜川久保 峠には鳥獣保護区の看板があるだけ。
「標高740m。寺沢の詰め」<鹿>
塩沢峠 不動岳北部 原〜落合 「標高595m」<鹿>
相沢峠 不動岳南部 秋山〜上永野 「標高540m」<鹿>
小川沢峠
生所峠
石裂山北部 寄栗〜五月 「おいしょとうげ」
「標高680m。加蘇と粟野の町村界をなす」<鹿>
御沢峠 石裂山南部 尾ざく〜石裂 石裂山登山径路となっている。
雨出 石神山西部 水沢〜石裂 「標高600m。大水沢を登る峠。
ここへ雨雲がかかると雨が降るという言い伝えあり」<鹿>
境沢峠 石神山南部 境沢〜坂本 「標高420m。人通りが多い」<鹿>
笹之越路 上南摩最奥 坂本〜西之入 南摩方面から加蘇山神社、古峯神社への参詣の近道であるとともに、
上久我で生産された麻を南摩を経て栃木へ送る道。<鹿沼市史>
小川沢峠 大鳥屋山西部 寄栗〜小川 「標高610m。加蘇と大芦を結ぶ重要な交通路」<鹿>
加蘇山神社から古峯神社への参詣路でもあった<鹿沼市史>
小来川峠 笹目倉山西部 八岡〜小来川 草久と今市、日光を結ぶ峠道。江戸時代、日光から古峰ヶ原へ向かう
修験者は、小来川峠を越え、八岡の柴田家で休み古峰ヶ原へと向かった。
八岡からは林産物が日光へと運ばれた。<鹿沼市史>
大塩田 大鳥屋山南部 寄栗〜塩沢 「標高580m。塩沢から寄栗への峠」<鹿>
白根峠
芝クレ峠
上久我鳴虫山西部 石裂〜塩沢 大高畑山(718)と鳴虫山(724)の鞍部。
新ハイ485号では「芝クレ峠」
「標高560m。荒れた鞍部」<鹿>
小仁田峠
大仁田峠
二股山西北部 下久我〜引田 「標高380m。下久我から引田へ越える」<鹿>
鹿沼市史には「大仁田峠」
峠にはかつてドウロク神あるいはコンセイ様といって、石や木などで模した
男性の陽物がたくさん祀られてたという(『上久我の民俗』より)
入山峠 岩山付近 深草観音  
栗沢峠 三峰山東部 三坪〜栗沢 上南摩の行商「南摩セイカゴ」が峠を越えて粟野に出た。<鹿沼市史>
象間峠 南摩城ゴルウ場北 象間〜野尻 明治中頃まで加蘇地区の人々にとっての重要路。<鹿沼市史>
八幡越路と同じか?
★松田峠 不詳 不詳 不詳。石裂、草久の付近か?
アーネスト・サトウの『明治日本旅行案内・中巻』(平凡社)に名がある。

 

「宇都宮」 図幅
鞍掛峠 鞍掛山北 新里〜猪倉 鞍掛トンネル付近。
猪倉峠 鞍掛山北麓 猪倉 上記、鞍掛峠と同一か? 天保5年の道祖神が祀られているという
富士見峠 古賀志山北部    
細野峠 多気山北 細野〜松沢 多気山と雲雀鳥屋の鞍部
★藤掛峠     ★位置詳細不明
宇都宮市。足利県立自然公園 開通記念碑 『日本百名峠』の巻末リストに名がある。

 

「烏山」 図幅
花立峠 烏山線
烏山駅東部
卯の木〜加態  
行人塚峠 烏山線
烏山駅東部
小木須〜大木須  
国見峠 烏山線
烏山駅東南部
川戸〜国見  

 

「常陸大宮」 図幅
練富士峠 井殿山西部
茨城県境
茂木〜桧山 『茨城の峠』掲載。「ねりふじとうげ」

 

「桐生及足利」 図幅
白葉峠 仙人ヶ岳南西部 菱町〜小俣町 山の神、改修記念碑あり。
「240m。『菱の郷土史』では「白羽峠」が正規な表記であろうという。
「しろっぱ」と呼称するようである。」<群>
近沢峠 多高山東部 鍋沢〜栃久保 山の神、改修記念碑あり。
「田沼町彦間の鍋沢と作原の境。標高450m。
田沼町の中心街から北西に延びる彦間川流域の鍋沢(旧飛駒村)と
野上川流域の作原(旧野上村)を結ぶ。古来、両地域の通婚圏を含む生活道。
現在の道は、基幹林道前日光線の一部として昭和36年に改修。」<角>
穴切峠 赤雪山北部 穴切〜皆沢 「480m あなぎれとうげ」<群>
老越路峠 多高山南部 飛駒〜皆沢 桐生市梅田と足利市松田に通じる長石林道との三叉路。番山記念碑あり。
「田沼町飛駒の多高山の南の鞍部。標高425m。
古来、彦間川の谷と桐生川の谷を結ぶ重要な生活道。
天明年間の庚申塚や山神碑あり。
飛駒村の共有林組合であった番山組の記念碑(昭和12)がある。」<角>
安足地方北部を結ぶ重要生活路を形成する。<大>
ダルマ杉峠 赤雪山東部 松田〜飛駒 「三和村松田から飛駒村皆沢へ抜ける唯一の捷路となっている。
峠の上に二股に分かれた杉の大樹があり、
根本山の神と書かれた石標がある。
峠名はこの杉の樹の形容から採ったものと思われる。」<桐>
白坂峠 名草の巨石付近 名草の巨石付近 標識なし 578
猪子峠 深高山北部 岩切〜中井 「湯の沢の住人はイノッコ峠といっている。
峠の北面にはお定まりの山の神が祀ってある。
地名については岩切部落の方が本家であるらしく
三和村ではイノッコ峠の名前だけが通っているのみ。」<桐>
藤坂峠 深高山東部 中井〜勘定谷戸 「フジとは富士山のような傾斜をもった峠の意。
藤の花が咲くことによるともいう。」<竹>
「足利市松田町と名草上町の勘定谷戸の境。
県道名草坂西線が通過する。標高260m。
足尾山地の南端を南北に刻む渡良瀬川の支流松田川と名草川の谷を
東西に結ぶ峠の一つ。古来、峠道は旧松田村と旧名草村を結ぶ生活道。
昭和5年県道に指定。昭和43年改修工事。峠道は切り通し。」<角>
馬打峠 行道山北部 松田町〜月谷町 険しく馬さえ容易に進めず、馬を打ちながらようやく登ったからとも、
足利忠綱が急坂で落馬したという「馬落ち」が「馬打ち」に転じたからともいう。
行道峠 行道山北部 松田町〜月谷町  
仏法僧峠 行道山付近 板倉町〜月谷町  
須花峠 須花トンネル 名草中町〜下彦間  

 

「栃木」 図幅
塩坂峠 鳩ノ峰北部 塩坂〜寺久保町 ベンチあり 534 579
般若峠   寺久保町〜p357  
越床峠 鳩ノ峰南部 馬坂〜駒場 「こしどことうげ」佐野市出流原町と足利市樺崎町の境。標高160m。
国道293号線が通過する。切通しとなっており峠の実感は少ない。
大越路峠 谷倉山西部 下永野〜大越路 「上都賀郡粟野町下粕尾と下永野の境。標高320m。
主要地方道栃木粕尾線が通過する。
足尾山地を東西に刻む粕尾川の谷と永野川の谷を結ぶ古来から重要な生活道。
幕末、出流事件を起こした討幕の志士たちが闊歩。
また戊辰戦争における梁田の戦いで敗れた幕府軍が
会津への敗走路として利用したのも人目につきにくいこの道であった。
昭和38年舗装道として改修。頂上には竣工記念碑があり、
沿道は桜並木となっている。」<角>
アーネスト・サトウも越えているようだ。
寺坂峠 三峰山北西部 下永野〜出流町  
羽鶴峠 三峰山西南部 仙波〜出流 葛生町仙波、下仙波から出流村に通じる峠。<平>
会沢峠 葛生駅北東 会沢〜尻内  
古越路峠 東部佐野線
葛生駅西部
船越〜葛生  
京路戸峠 唐沢山北部 栃本〜耕地  
廻峠 晃石山北部 岩船町〜小野口町  
長坂峠 馬不入山西部 和田〜広戸 馬不入山西部の車道の越える峠 『新ハイキング』に名前あり
グミの木峠 大平山西部 池上〜滝の入  
桜峠 晃石山西南部 小荷田〜広戸  
★小俣峠 田沼町   ★位置詳細不明
「峠を通る道が二股に分かれていることによりつけられた峠名」<竹>

 

「壬生」 図幅
峠の存在が確認できません      

 

「真岡」 図幅
大手坂 富谷山西部
茨城県境
大手〜大泉 大出峠と同一か?
凍坂峠
門毛峠
雨巻山南部
茨城県境
凍坂〜上深沢 「門毛坂」ともいう。
「標高270m。芳賀郡茂木町深沢と茨城県岩瀬市門毛の境。
雨巻山と高峰の鞍部。県道中飯岩瀬線が通過。」<角>
鶏足山塊の最南部にあたり峠付近は花崗岩類地層をなす。<大>
奈良駄峠 高峯東部
茨城県境
上小貫〜山口 高峯と仏頂山とを結ぶ尾根の鞍部。 310m
岩瀬町山口と茂木町上小貫とを結ぶ。双方の峠下集落は親類関係にある家が多く
両者の交流を物語る。昭和初期には、上小貫側から真壁郡大和村にある雨引観音
の参拝にこの峠を越え、岩瀬町産の粘度瓦を馬で運んだという。
仏ノ山峠 仏頂山北東部
茨城県境
吹田〜片庭 180m。朝日堂・夕日堂の伝説が残る。
古くは、雨引観音楽法寺に参拝するために越えた峠。
また、笠間方面からは塩・乾物・肥料が、茂木方面からは刻みタバコが峠を
越えて運ばれた。国鉄真岡線の開通によりさびれたが自動車の普及とともに
幹線路としての役割を果たしている。<茨大>
赤沢峠 鶏足山付近 〜赤沢  
倉見峠 鶏足山付近 〜倉見  

★ 「大出峠」 「金山峠」

「深谷」 図幅
峠の存在が確認できません      

 

「古河」 図幅
峠の存在が確認できません      

 

「小山」 図幅
峠の存在が確認できません      

● 栃木県内には「越路」が付く地名が沢山あります。山間地方に多く見られ、とくに足尾山地に散在しています。
  峠とほぼ同様の意味をなすと思われますが上記一覧表には一部のみ採用し、それ以外は以下に羅列するにとどめます。
  『とちぎの地名を探る』(塙静夫著・随想舎)よりの引用です。

鹿沼市上南摩町笹ノ越路  鹿沼市草久字古越路  鹿沼市加園字八幡越路  今市市長畑字越路  日光市所野字越路
足利市粟谷町越路  粟野町口粟野字越路  粟野町下永野字大越路坂  粟野町下永野字大越路峠
粟野町久野字久野越路  粟野町上永野字小越路口  葛生町豊代字古越路  田沼町飛駒字中山越路
田沼町飛駒字老越路峠  田沼町飛駒字山霜越路  田沼町多田字多田越路  足尾町足尾字越路  黒羽町須賀川字越路  など。

● 参考資料   < >は省略表示

各種地形図 国土地理院、陸地測量部、地理調査所
『栃木の歴史街道』 栃木県立博物館 「コラム・とちぎの峠」
とちぎ県民カレッジ 平成16年度前期 とちぎ自然セミナー栃木の山と自然 とちぎの峠(上・下) 桑野正光
とちぎ県民カレッジ 平成15年度後期 とちぎ交通セミナー とちぎの峠 桑野正光
『分県別・栃木県の山』 山と渓谷社
『新ハイキング』 新ハイキング社 6号「鹿沼図幅の山々」(大石真人)・・・<鹿>
『新ハイキング』 新ハイキング社 11号「続・鹿沼図幅の山々」(大石真人)
『新ハイキング』 新ハイキング社 9号「桐生及び足利図幅の一角」(仁保信一)・・・<桐>
『群馬の峠』 須田茂 みやま文庫・・・<群>
『会津の峠』 会津史学会編 歴史春秋社・・・<会>
『新版・会津の峠』 歴史春秋社
『ふくしまの峠』 轡田宏 ふくしま文庫・・・「福」
『嶝峠』 森澤堅次 歴史春秋社
『栃木の山100』『栃木の山120』 宇都宮ハイキングクラブ
『栃木百名山ガイドブック』 栃木県山岳連盟編 下野新聞社
『関東ぐるり一周山歩き』 上野信弥 白山書房
『栃木県の地名』 平凡社・・・<平>
『角川日本地名大辞典・栃木』 角川出版・・・<角>
『日本山岳ルーツ大辞典』 竹書房・・・<竹>
『銅山の町足尾を歩く』 村上安正 随想舎
『栃木の街道』 栃木県文化協会 昭和53年
『鹿沼市史・民俗編』「第七項二、峠道」 鹿沼市史編纂委員会 平成13
『栃木県大百科事典』 編集栃木県大百科事典刊行会 発売元下野新聞社 昭和55年 <大>
『茨城県大百科事典』 茨城新聞社 1981年 <茨大>

● 『日本百名峠』(井出孫六)では、栃木県の峠として「金精峠」と「細尾峠」が選ばれている。