過去に表紙を飾った峠の写真 1 


中山峠

ホームページ開設時の表紙の写真は、冬の八ヶ岳・中山峠でした。
12本爪のアイゼンを初めて着けての冬山山行。
奥蓼科温泉郷の渋温泉から黒百合平を経て、中山峠に至り、
東天狗岳と西天狗岳の雪に覆われた山頂を踏みしめました。

中山峠からは、奥秩父の山並みが一望でき、
ことさら窓のようでありました。
快晴の青空と、その照り返しに少し汗ばみましたが、
峠を通り抜ける、まだ肌を刺すような寒風が、
冬山にいることを思い出させました。


山神峠

春の息吹を探し求めて、西丹沢・山神峠を訪れました。
峠に至る林道を歩いていると、カモシカに二度も出会いました。
峠道は、古くから歩かれているようで、石積みの跡を見たり、
無理のない道筋が足取りを軽くします。

峠の社には山神・水神が祀られ、
たまに訪れる旅人を出迎えてくれます。
これらの神々に、通行の安全・山での生活の無事を
祈った村人の想いが詰った峠です。


人里峠

新緑の頃、檜原村・人里峠を訪れました。
「人里」と書いて「へんぼり」と読む、美しい響きの集落の名前です。
峠のある浅間尾根は、昔からの重要な交易路でありましたが、
今は、ハイカーが訪れるのみの静かな山道です。

峠の傍らには、一体の小さな石仏が静かに
行き交う人々を見つめています。
往時の賑わいを思えば、ちょっぴり淋しげでもありました。


ヅナ(坂)峠

山中湖に至る国道・籠坂峠の東に、
ひっそりと
甲駿国境・ヅナ峠があります。
かつて武田信玄も軍を率いて越えたという峠道は、
ヤブに埋もれつつあるといいます。

峠には地元の「愛する会」の手によって
滋味ある標識が立てられています。

峠を訪れた日は、霧が濃くてどこか幻想的でありました。
他にハイカーの姿もなく、静寂が支配していました。


新・御坂峠

三ッ峠登山口から清八林道を歩き、
大幡八丁峠・売場峠・清八峠・藤野木八丁峠を周遊してきました。
本社ヶ丸山頂はガスに包まれ、眺望はありませんでしたが、
豊富な樹相や岩場などが楽しめました。

清八山から藤野木八丁峠を経て御坂トンネルの上に出る尾根道は
ヤブっぽく、霧に濡れた草木のおかげで、全身濡れ鼠となりました。

太宰治『富嶽百景』で有名な御坂峠はガスに包まれ、
銭湯の富士のような眺望はありませんでした。


安倍峠

山深い甲駿国境の安倍峠を越えました。
山梨県身延町と静岡県梅ガ島を結ぶ林道脇に、
旧道がひっそりと生き残っていました。

かつて、安倍奥で産出された金が、
甲府に向けて運び出され賑わったという峠道は寂然としています。

熊出没注意の看板もあり野性味ある峠です。
笹を林床に、カエデ属のオオイタヤメイゲツが群生しています。
身延側と梅ガ島側で、天候が違っていましたので、
国境の峠に来たという実感がしました。


蓬峠

猛烈な残暑の中、谷川岳を登り上越国境の蓬峠を訪れました。

流れるガスの中、峠に立つ黄色い山荘が目に飛び込んできました。
山荘前で腰を下ろすと、暑さを忘れる心地よい風が通り抜け、
そこまできた秋の気配を感じさせました。

前半の暑さと、肩に食い込む荷の重さに負けて、
清水峠は訪れることはできませんでしたが、またの機会のお楽しみに
すればいいさと、蓬新道を下り土樽駅に転り込みました。


西肩峠

四尾連湖から蛾ヶ岳に向かう途中の西肩峠で、
かわいらしい六地蔵様と出会いました。

かつては富士講の人々の往来もあったであろう峠は、
ひっそりと秋の木漏れ日に包まれていました。

どこか遠くから巡礼者の鈴の音や御詠歌が聞こえてきたような・・・


西原古道・名も無き峠

長寿で有名な上野原町棡原から西原、小菅村に抜ける西原古道の
小さな峠を訪れました。

峠マニアは笹尾根の峠に目が奪われがちですが、
山麓にはバス道とは別に小さな峠をちりばめた古道が残存しています。
色づく秋の山里の景観を味わいながら先人の道を踏みしめました。

写真は小棡集落に越える名も無き峠です。
実に、かわいらしい峠で一目で気に入ってしまいました。
古い石仏が、村に出入りする旅人を見守っています。


野猿峠

2004年の干支は申ということなので、八王子の野猿峠を訪れました。

周辺は開発が急速に進み、峠もひっきりなしに自動車が行き交っています。
野猿峠のバス停横に排気ガスにまみれた水飲場が残っていました。

牛や馬が峠を越えていた時代、その喉を潤したであろう水場には、
空缶やゴミが捨てられていてバス待ち人のゴミ箱と化しているようでした。


水口峠(水の元)

東京都と埼玉県の都県境の成木尾根に水口峠はあります。

細田と高土戸の集落を結ぶこの峠は
地元では「水の元」と呼ばれ信仰の対象となり神様が祀られています。

大都会東京の外れで古くからの信仰が細々と守られているのでしょうか。
何かホッとする気持になります。


弥生峠

弥生峠は富士急行線禾生駅から九鬼山へ向かう杉山新道という
登山道に位置する峠です。

新道というくらいですから、峠もまだ生まれて間もないのかもしれません。
峠周辺は落葉松の林で明るい雰囲気ですが、
眼下に見下ろすリニアモーターの実験線が少々気にかかります。

杉山新道には「ウサギの広場」「ハチのテラス」といったロマンチックな
名前のつけられた場所があります。
誰が命名したのでしょうか。
あれこれ想像して峠道を辿るのはおもしろいことです。


横山峠

伊豆半島の付け根に位置し‘五山七峠’を擁する
沼津アルプスに行ってきました。

内陸と海岸部を結ぶそれぞれの峠は、どれも可愛らしく
海の香が漂ってくるような雰囲気です。
なかでも
横山峠と志下坂峠はお気に入りの峠となりました。

横山峠は小さい切り通しで海岸部からの明るい光が目に眩しいです。
道の傍らに古い石柱がありましたが判読できませんでした。
昔から海岸部と内陸をつなぎ、海産物や米が行き交ったのでしょうか。

付近の小学校から子供達の声が聞こえてくるだけの静かな峠でした。


松ノ木峠

松ノ木峠は秩父・上州と鎌倉を結んでいた
かつての鎌倉街道山ノ辺道であったといいます。
なるほど歩き易い峠道が越えていますし、
旅人を和ます四体の石仏が杉木立の中に佇んでいます。

大都会東京の片隅にあって
往時を偲ばせる峠らしい峠のひとつといえるでしょう。

峠から大指側に下った所に寛政年間の馬頭観音があります。
シャガの群落の中にひっそり佇むその姿は微笑ましいものです。


西丹沢・二本杉峠

二本杉峠は丹沢湖の北、中川から西の地蔵平へ越える山道の峠です。
別名を富士見峠ともいうそうですが良く育った植林が
富士の眺望を遮っています。

甲相国境城ヶ尾峠を越えた甲斐武田の軍勢は、
さらにこの
二本杉峠を越え小田原北条方に攻め入ったといいます。
しかし、そんな峠の大仰な歴史には関心がありません。

地蔵平に人が住み、集落があり、分教場があった時代
運動会や健康診断の際に、峠の向こうにあった本校まで
この峠を越えて子供達が通ったといいます。
そんな峠のささやかな歴史に心惹かれるものがあります。


向風峠と勘違いした場所

向風峠は山梨県上野原町の里山の中に眠っています。
ある書物を見ていて初めて知った峠です。

向風峠という峠名が一般的なものなのか、
あるいは本の著者が創造したものなのかはわかりませんが、
人待ち顔の石仏が旅人の訪れを待っています。

風の強い春の一日、里山を彷徨い峠の石仏と巡り会うことができました。
旧友に邂逅したかのような不思議な出会いでした。


妻坂峠

峠ファンにはお馴染みの奥武蔵の妻坂峠を訪れました。
名栗の谷から登りつめて、だんだんと秩父の青い空が近づいてくる
様子は感動的でもありました。

峠を登るというより、高い空に昇っていくという不思議な感覚を
味わうことができました。

峠には一体の風化した石仏が峠を行き来する人の無事を見守っています。
峠からは秩父のシンボル武甲山の大きな後ろ姿を望むことができました。


小河内峠

北秋川流域とダムに沈んだ小河内村熱海を結んでいた
かつての交易の道、
小河内峠を訪れました。

小河内峠から御前山に向かう山道には
可憐なカタクリの花が咲いていました。
心無い人の盗掘の被害に遭っているようで残念です。

峠は風の抜け道で、背中の汗を冷やします。
かわいい花弁が峠の風に揺れていました。
見下ろす奥多摩湖の底に沈んだ集落の姿を想像すると
時の経つのも忘れてしまいます。


天目指峠

奥武蔵、足腰の神様・子ノ権現近くに天目指峠はあります。
舗装された林道が名栗と西吾野を結んでいますが、
旧峠は生き残っています。

峠には両側の集落を見守るように、
二基の石祠がそれぞれの方向をむいて大木の根元に祀られています。

昔は花嫁がこの峠を越えて行き来したといいます。


星尾峠

西上州荒船山の南端にある星尾峠を訪れました。
星尾というロマンチックな名前には、心惹かれるものがあります。
峠を登って火照った頬を、
信州佐久からのそよとした風が撫でていきました。

凹とした峠の上空に、流れ星が尾を引いている様を
想像するのは素敵です。


和見峠

上野原町甲東地区の高指山の麓に和見峠があります。
和見と桑久保の集落を結ぶカワイイ切通しの峠ですが、
地元民からも忘れられつつあります。

近くにはもう一つ同名の和見峠が雨降山の南にありますが、
ちょっと味は異なります。


物寄峠

神奈川県内の峠で見落していた物寄峠に行って来ました。
物寄峠は厚木市飯山観音と打越を結んでいる
相州大山参詣道上の峠です。

武田軍対北条軍の三増合戦の際には、物見櫓が建ち、
いろいろな物資が寄り集まったといいます。

今、峠には数基の馬頭観音が静かに肩を寄せ合っています。

県内にもまだまだ見落している峠があるようですね。


十文字峠

 埼玉県大滝村栃本と長野県川上村梓山を結ぶ
 
十文字峠を訪れました。

 長い長い峠路でありましたが、一里毎に置かれた
 里程観音様が峠を行く旅人の安全を見守り、
 往昔の様子を静かに語ってくれました。

 期待していた十文字峠の石楠花は
 盛期を終えていましたが、
 こちらから あちらへ と越える
 ‘正統的峠行’を久し振りに満喫しました。


せんぞう峠

相模原市の南橋本駅近くにあるせんぞう峠を半年振りに訪れました。
前回訪れた時、工事フェンスに囲まれてマンション建設の寸前でした。

建設工事は頓挫したのでしょうか?
工事フェンスはそのままで、空き地には夏草が茂っていました。

金網フェンスを覗き込むと、峠名の標柱はまだ健在でした。
交通量の多い、国道16号線のすぐ脇に
せんぞう峠はあります。
街中のパッとしない峠ですが(峠らしくない峠ですが)、
マンションが建設されても、標柱は残して欲しいものです。

【注】後日訪れると住宅地が造成され、標柱は近くの公園に移動してました。


丸川峠

アテネが五輪で熱く燃えた夏に大菩薩連嶺の峠を訪れました。
下界の暑さとは異なり、山はもう秋の気配に包まれていました。

丸川峠から大菩薩峠・石丸峠を経て、
小金沢連嶺・南大菩薩の峠を拾ってきました。

草原には秋の草花が咲き、赤蜻蛉が舞い、
湯ノ沢峠避難小屋の一夜では虫の声に
やさしく包まれて深い眠りに落ちました。

人間の生活の臭いを感じさせる峠名である「米背負峠」は、
なかなか味のある良い峠でした。


道坂峠の天神社

都留市と道志村を繋ぐ道坂峠の天神社に願を掛けに行きました。

ここの天神信仰は今も健在のようで、
願い事が書かれた絵馬が沢山奉納されていました。

願いを叶えてもらうには競争率が高そうなので、
念のために別の天神峠の天神様も訪れておきました。


要害山ぐるりの名も無き峠

 上野原町の要害山ぐるりの尾根を歩いてきました。

 可愛い峠が二つありましたが、
      どちらの峠にも名前は無いようです。

 山里と山里を結ぶ小さな峠。
    一つは信仰のために活きているようで、
        一つは崩れかけ廃れつつありました。

 峠の栄枯盛衰を考えながら、
    ヤブ道と格闘する山旅でありました。


再探索した向風峠

 上野原町の向風峠を再び訪れました。

 どうやら以前訪問して峠と推定した場所は
            本来の峠ではなかったようです。

 木漏れ日を受けた馬頭観音様の
               お顔がとても素敵な峠。

 なんてことない里山の小さな峠みちですが
       観音様の存在が情趣を添えています。


笹子峠の天神社

江戸と諏訪を結ぶ甲州街道の中間点であり
最大の難所でもあった
笹子峠

旧笹子隧道の上に、昔の旅人や武士、馬方が越えたであろう
山道のクボミが残っています。

色がない冬枯れの中、
峠を守る天神様の真っ赤な鳥居が異彩を放っていました。


山神峠の異彩を放つ山神様

西丹沢の奥深き峠を巡って来ました。
念願の
山神峠-織戸峠-富士見峠の三峠です。
神奈川県内では最難関の峠といっても過言ではありません。
峠道には無数のダニが待ち構えています。

山神峠といっても、玄倉の山神峠ではなく
浅瀬の山神峠のことです。 
峠には謎を秘めた山神様が祀られています。

台座に刻まれた菊花紋から「醍醐様伝説」を巻き起こし、
お宝探しの騒動に発展したといいます。
その異様な姿は訪れる人を圧倒するパワーを今も発しています。


小床峠の道しるべ

大晦日に降った雪が 消える前に
奥武蔵の小さな峠を いくつか巡りました

新雪の感触を味わって 歩いて越えた 峠道
カチカチに凍結した道 フカフカの道 
ザラメ状の道 獣の足跡の残る道

ヒノキの枝から落ちる スノーシャワーのキラキララ
樹間から届く まだ弱々しい春の光線

白粉(おしろい)をふった やまみちの薄化粧が
いつもと違った表情の 峠を演出していました

    


前坂峠(御大師)

奥武蔵・高山不動尊近くの前坂峠に行きました。
峠は北川尾根を跨ぎ、高畑と柏木の集落を結びます。

弘法大師像を刻んだ石塔があるので、
地元では「御大師」と呼んでいるそうです。

大師像のほかに、二本の大木の根元には、
庚申塔や大日如来と刻まれた板碑も祀られています。

峠は山あいの集落を結ぶ生活の道であり、
人と人とを結びつける絆であったのでしょう。
また、近村から高山不動への参詣路でもあったので、
人と神とを結びつける役目も果たしていたことでしょう。


トズラ峠の石仏

スギ花粉が舞う前に、
中央線大月駅近くの峠を歩いてきました。

奇岩峰岩殿山から
築坂峠・トズラ峠・桜沢峠と辿りました。

トズラ峠の石仏は不細工(失礼)ですが、
なかなかそれで味があります。

別名・天神峠ですから、天神様でしょうか?
それともよくある馬頭観音様でしょうか?
不細工だけによくわかりません。


山ノ神峠

地形図を眺めていたら、
東丹沢の鐘ヶ嶽北尾根が気になりました。
無名の峠があるのではないかと。

実際、幾つもの尾根を越える道がありました。
山の神を祀るところもあり、
古くは村人の行き来が盛んであったことを窺わせます。

でも、名前の知られた峠は南西尾根の山ノ神峠だけのようです。
そこは厳かな雰囲気が漂う神聖な峠です。


花咲峠

大月駅の西北、
梅久保山(花咲山)の山腹に
花咲峠はあります。

峠道は地図から消えかかっています。
図上には途切れた破線道が残っているだけです。

余命いくばくもない峠ですが、
峠の馬頭観音は訪れる人をやさしく迎えてくれます。

峠の南は、ゴルフ場に侵蝕されていますが、
絶え絶えに昔道が残されています。


ヒモシ峠

丹沢の西外れ甲相国境稜線の近くにヒモシ峠はあります。

「切通峠=ヒモシ峠」 という説もありますが、
別物であるという説を採用しました。

ここには戦国時代、狼煙台が置かれたといいます。
ヒモシとは「火を燃した」場所という意味です。
甲相、駿相の国境線の見晴らしが良く、
そういった伝説にも素直に頷ける場所です。


青梅坂峠

青梅駅の北西、梅岩寺の裏手に青梅坂峠はあります。
青梅宿森下と黒沢下栃谷を結ぶ標高約276mの峠です。

江戸時代末には青梅の機屋が
小曾木や成木の農家から賃機の青梅縞を持ち帰った道で、
「縞の道」でありました。
規模は小さいですが、いわばシルクロードの峠なのです。

峠は美しい切通し状の姿で残っていますが、
その上を青梅丘陵ハイキングコースの叢雨橋が跨いでいます。


世附峠

駿相国境尾根上の峠である
世附峠・悪沢峠(柳島峠)・峰坂峠(広河原峠)を再訪しました。

駿河小山と世附川を結ぶ峰坂峠は、
かつては西丹沢奥地で焼かれた炭が搬出された峠道です。
炭俵を背につけた馬の隊列が歩んだ道も
今や随所で崩壊が見られます。

峠道の歴史が土砂とともに沢筋に消え去ろうと
していることは悲しいことであります。 


仏峠

本栖湖西岸の尾根にある仏峠を訪れました。
仏峠は旧下部町釜額と本栖湖川尻を結んでいます。

仏峠とは武田家滅亡の折、川尻金山の守護仏を
ここに安置したのが名の起こりだとされています。

いま峠にその守護仏の姿は無く、
白い霧だけが静かに流れていました。

峠は産金を運ぶ道であり、駿河からの塩や生魚を
山間集落に運び入れる道でもありました。

気がつくと、そんな峠道の歴史をも隠してしまうほどの
濃い霧に峠は包まれていました。


帯那峠

市川大門町の南、旧河内路の帯那峠を訪れました。
峠には
石龕(せっかん・せつがん)と呼ばれる
石組みの構造物があり、
その中に馬頭観音様が祀られています。

石龕は急坂の続く山道の難所や峠、
山道の分岐点や集落の入口に祀られ、
この地方に多く見られます。

古くから狭隘難路の厳しい峠越えをする行人の
安全を見守ってきました。


悪沢峠

駿相国境尾根に位置する悪沢峠を探索しました。
湯船山の東、峰坂峠と世附峠のほぼ中間点が
悪沢峠(柳島峠)です。

峠にはなぜか「通行止」の看板があり、
ロープが張られ進入をガッチリと阻止しています。

25000図にも峠道は記載されているのに
一体何があったのでしょうか?
今語られる衝撃の事実とは・・・


金山谷乗越

丹沢・桧洞丸への古典的登路(クラッシックルート)である
桧洞沢を遡行しました。

石英閃緑岩の美しいナメを流れ落ちる瑠璃色の水。
青葉若葉のトンネルと苔の緑。
とても優しく流麗な沢でありました。

沢の詰めは金山谷乗越。
乗越が峠の範疇であるかは疑問ですが、
まぁ、よしとしましょう。


鳥坂峠

富士北麓、足和田山と毛無山を結ぶ尾根の鞍部が鳥坂峠。
西湖と河口湖をつなぐ峠でもある。
峠の下には二車線舗装の文化洞トンネルが貫通している。

この峠と旧隧道にまつわる面白い話が
辻まこと著の『山の声』(ちくま文庫)に
「ずいどう開通」という文章で記されている。

聳立する尾根は文化の移入も拒む。
打算多きトンネル開削は何をもたらしたのだろうか。
トンネルには湖から湖へと猛烈な風が吹き抜けていた。


柚野峠

富士宮(大宮)と柚野を結ぶ丘陵越えの峠が柚野峠。
この峠は身延街道の峠でもある。
かつては身延山へ向かう多くの参詣者で賑わった。

柚野からはさらに桜峠、石神峠、佐野峠、大島峠を越えて
富士川を渡り身延山へと参詣古道は続いていた。

いま峠は、ゴルフ場に訪れる車と、
抜け道として利用する営業車で賑わっている。
「峠」という名のバス停と、石造りの道しるべがなかったら
つまらない峠になっていたことだろう。


鳥坂峠

御坂山塊支稜の鳥坂峠を訪れました。
上芦川と奈良原・竹居を結ぶ峠は古来の若彦路で、
甲斐と駿河を結ぶ重要な道でした。

立派なトンネルの開通で、
今では峠を足で越えて行く人はいないようです。
かつての官道もその北側の道筋は頼りない状態で
草に埋もれゆくままになっているようです。

峠から尾根を西に春日山、東に釈迦ヶ岳と、
ちょっと渋好みのハイカーの入山口としての役目を担い
どうにか生き長らえている峠なのです。


サオラ峠

山梨県丹波山村のサオラ峠を訪れました。
カタカナ表記の不思議な名前の峠です。

地形図の表記は「サオラ」ですが、
「サヲウラ」「竿裏」「棹浦」などとも表記されています。
どんな意味があるのでしょうか?

丹波から峠に登り、
秋色に染まりつつある天平尾根のまさに「天上の平」を
満喫して、後山、高畑の廃村へと下りました。

峠の名前も不思議、天上の広大な平地も不思議、
そして住民の消えてしまった奥山の集落も不思議。


二本杉峠

二本杉峠を越えて地蔵平に入り、
「地蔵平-富士見峠-織戸峠-水ノ木」と
西丹沢の懐深くに眠る峠を訪れました。

このルートは初期の東海自然歩道でありましたが
今では所々、崩壊箇所もあり
けしてやさしい道ではありません。
ただ、出会う人も無く静かな峠めぐりを好む向きには
非常に興味深いコースといえるでしょう。

これら峠道を歩いていると
西丹沢の奥地に人の暮らしがあった頃の
人々の鼓動、吐息、囁きを感じるような気がします。


旧秦野峠

山北町玄倉と松田町寄を結ぶ秦野峠。
現在では林道が開通し新秦野峠なるものが存在していますが、
旧峠道はひっそりと生き残っています。

松田側の旧道である杉ノ沢径路は
滝らしい滝はひとつもなく気軽に歩ける道でした。

かつてこの道を行き来した集落間の人の流れは
もはやありません。
土砂が沢を埋めるように静かな時の流れが
旧道の記憶を埋めていくのかもしれません。


ブッツェ峠

ブッツェ峠が昔からある正式な名称なのかはわかりません。
林道秦野峠線の開通によって創り出された
新しい峠なのかもしれません。

このところ秦野峠の旧道を探すべく
いろんな方向からアプローチをしています。
今回は皆瀬川流域の八丁集落より
ヘイソ沢を遡行して新秦野峠に至りました。

ヘイソ沢の「ヘイソ」は「兵僧」、
ブッツェ平の「ブッツェ」は「武士」が名の由来だといいます。
謎めいた歴史と伝説が残る静かなる山域です。


栗坂峠

東京と山梨の都県境である浅間峠を訪れました。
その近くにある「栗坂峠」の標識です。

浅間峠と栗坂峠は同一であるとする説と
まったくの別物であるという説があります。
さて、本当のところはどうなんでしょうか?

「栗坂」とは、「九里坂」のことであるともいいます。
だとすると、どこからどこまでが九里の道のりであったのでしょうか?


古峠 (切差峠・鍵懸峠)

牧丘町赤芝と切差を結ぶ旧秩父裏街道の峠である古峠を訪れました。
この峠道は武田の秘密街道ともいわれています。
雁坂口と古府中を最短で結んだ山岳地帯の間道です。

古峠の登り口である赤芝には
鍵懸の関所が復元設置されています。
ここは武田本陣の背後を守る重要な地であるとともに
秩父方面への軍勢展開を迅速に行うために重要な道であったと思われます。


栂ノ峠 (地蔵峠)

栂ノ峠(地蔵峠)は芦川南稜尾根を越えて
折門、八坂地区と高萩地区とを結ぶ峠です。

峠には樹齢凡そ500年の大栂が聳え、
甲府の市街からも確認することができます。
また、その根元には可愛らしい六地蔵様が祀られ
訪れる人を和ましてくれます。

峠の大栂も六地蔵も、長い間風雪に耐え、
峠を行き来する人々の安全を見守ってきたことでしょう。


勝坂峠(勝ン坂峠・神ン坂峠)

勝坂峠は身延線市之瀬駅近く、下部トンネルの上にあります。
波高島、上之平、常葉、市之瀬を経て、
割子、奥杯、鰍沢、市川大門とを繋ぐ途上の峠です。

昔は役人の回村順路として、書状の継送りの道として、
あるいは農林産物や生活物資の移出入の道として栄え、
峠には二軒の茶屋があったといいます。
また、この地には今川軍と武田軍が戦ったとの伝説が残されています。

身延線の開通と共に寂びれてしまった峠に
いまや昔日の往来の賑わいはありません。
ただポツンと路傍に石仏が佇むのみです。
風の中に微かな武田軍の勝鬨を耳にしたような気がします。


打越峠

厚木市の北端、国道412号線の平山坂の東に
厚木市荻野地区と愛川町海底を結ぶ打越峠があります。

通常の山や尾根を越える峠というよりは、
中津川の河岸段丘に上がる坂道といった趣きです。

市の設置した峠の標柱には
昔、この辺りに天狗が出没したとの記述があります。
八菅神社、半増坊勝楽寺、経ヶ岳、華厳山などの
修験の地に囲まれていることから
天狗は峠道を越えた山伏だったのかもしれませんね。


大丹波峠

山梨県丹波山村と小菅村を結ぶ大丹波峠を訪れました。
峠には曰く付きの謎の塚(古墳?)があり、
その上には首の無い地蔵が祀られています。
この塚には金銀財宝が埋まるとも、
触れると祟りがあるとも伝えられています。

謎といえば峠の頂上に行政上の境界があるのではなく、
地形を無視して丹波山村側に小菅村の領分が
喰い込んでいる点も不思議なことです。
小菅村はその南の玄関口である鶴峠でも
分水嶺を無視してその領分を上野原市側に拡張しています。
よっぽど賢い領主が村を治めていたのでしょうか?


浅川峠 (市坂峠)

大月市の葛野川支流域に暮らす浅川の衆が
上野原の市日に通った浅川峠を訪れました。
市(イチ)に通った道だから市坂峠とも呼ばれていました。
甲州街道野田尻宿に出る間道として、
古くは多くの往来があったようです。

峠の位置する権現山と扇山を結ぶ尾根は
浅川と仲間川の分水嶺であり、
地形的には境界になりえますが、
大月市側の領分が尾根を越えて上野原市側へと
大きく張り出しています。


細尾峠?

古い文献に名のある「細尾峠」を訪れました。
山梨県忍野村内野と鹿留川流域とを結ぶ峠です。

「細尾峠」という名前が正式名称なのかは疑問ですが
可愛らしい峠の姿に一目惚れしてしまいました。

自然林に囲まれた小さな鞍部は
心地好い風の通り道になっていました。
名前なんかあってもなくても構いません。


世附峠

梅雨の時季のお楽しみサンショウバラを見に、
神奈川県と静岡県の県境尾根、不老・湯船山稜を歩いてきました。

世附峠、悪沢峠、峰坂峠と幾つか峠も通過しましたが、
今回のメインは、やっぱりサンショウバラ。

初めて目にしたサンショウバラは、
思いの外、大きな花でちょっと驚き。
美しい花に魅せられて
きっと、また来年も訪れることでしょう。


淵坂峠

河口湖北岸、毛無山の東尾根に位置する淵坂峠を訪れました。
旧官道であるとされる「若彦路」が越えた歴史の風格漂う峠です。

鳥坂峠、大石峠を越えた古き道は、ここ淵坂峠を越え、
さらに長浜から大嵐天神峠を越えます。
富士の樹海へと吸い込まれ鳴沢天神峠を越えて
人穴、上井出に至る道筋は「駿河往還」とも呼ばれています。

淵坂峠は切通し状で幅広の明瞭な道が越えています。
峠の道は人の足にやさしい設計で無理のない造りです。
多くの人々に踏み固められた歴史ある峠道は
往来の途絶えた今でもしっかりと生き残っています。


ヅナ坂峠

武田信玄の軍勢も越えたという歴史あるヅナ坂峠(綱峠)。
山中湖側は別荘地に、小山町側は富士スピードウェイとゴルフ場に
よって被害を受けています。

三国山稜を縦走するハイカーは多いのですが、
山稜を横切るヅナ坂峠道を越える人は少ないようです。
かつて賑わいをみせた峠道の往来は途絶え、
富士スピードウェイの爆音だけがこだましています。


穴路峠

過ぎ行く夏を惜しみつつ、
中央線沿線の可愛い峠の定番、穴路峠を訪れました。

梁川駅から立野峠へ登り、倉岳山を越えて穴路峠へ。
帰路は穴路峠道を鳥沢駅へと下り、車中の人となります。
日の短くなった季節には程よいお気軽なコース。

駅から駅への手軽さ、アプローチのよさ。
それでも、しっとりとした趣ある峠道を堪能できるのです。


大石峠

若彦路の峠の一つ、大石峠を訪れました。
長浜から淵坂峠を越え、次なるジグザグを登りつめれば大石峠。

大石峠は鼻歌や口笛が飛び出す峠。
明るく開豁な峠。
前面に富士の大きな姿を臨み、
草原に寝ころんでは空を独り占めする峠。


稲詰峠

稲詰峠は青梅市にある小さな峠です。
成木川と北小曾木川に挟まれた丘陵部に位置しています。
植林地の中の峠は、趣も、眺望も、特別な感慨もありません。

かつて小学校への通学路として利用されたという峠道も、
今は山仕事に通うときのみに利用される道となっています。
峠に立つと、付近の採石場から山を切り崩す音が響いてきます。
このちっぽけな峠とて、いつまで存続するか削岩機の音を
耳にする度に不安になります。


アクバ峠

アクバ峠は御岳山と大岳山の間に位置しています。
「芥場峠」、「灰汁場峠」と表記されるようです。

「アクバ」の名の由来は、
昔、この付近で石灰を焼いていたからとも、
肥料にするための枝葉を焼いていたからだともいわれています。
休日には多くのハイカーが行き来しています。


鍋割峠

鍋割峠は丹沢主稜線を臨む窓になっています。
この峠に立つと蛭ヶ岳を中心とした雄大なパノラマが目に飛び込みます。

惜しむらくは峠道の荒廃が進んでいること。
南側の峠道はやや荒れ気味、
北側は数メートル先で完全崩壊しています。

峠にはポツンと石仏。
風雪に耐え、孤独に耐え、
峠の来訪者をいつでも待っています。


五國峠

五国峠は国府津、曽我丘陵にある峠です。
伊豆、相模、甲斐、武蔵、安房の五つの国が展望できる由
その名がつけられたといいます。

峠周辺はミカン畑、麓は梅林に囲まれた地です。
丘陵上からは相模湾の輝き、箱根の山並み、
真鶴や伊豆の半島が望めます。

花の香りに包まれる季節に峠を訪れると、
山鳥たちの歓待の歌声を耳にすることでしょう。


佐野峠へ

鶴川の谷と葛野川の谷とを分つ長大な分水山脈、
そこを越える佐野峠に足を運びました。

富士講の巡礼者が越えた道。
江戸時代、代官が駕籠に担がれ越えた道。
炭焼きなどで生計を立てる山稼ぎの村人が越えた道。
奥山に暮らす人々が生活必需品を買い求めに越えた道。
病人が戸板にのせられ越えた道。

人々の生活を支えてきた峠道は
林道延長工事によって半殺しにされていました。


小佐野峠 再訪

どうも気になる佐野峠周辺を再び訪れました。
地形図にある中風呂から西原峠への道、
佐野峠から中風呂への道、
ともに健在です。

林道の増殖が危惧されますが
昔ながらの峠道はそう簡単に死にはしません。


金沢峠

群馬県桐生市、吾妻山周辺の小さな峠を訪れました。
あまり足を運ぶ機会の無いエリアですが
可愛らしい峠がいくつも山旅人の訪れを待っています。

金沢峠は吾妻山と鳴神山を結ぶ尾根のほぼ中間点に位置しています。
三峰山の参道であったという峠道はよく踏みしめられていますが
金沢集落からの道は、笑っちゃうほどの激坂であります。


岩堂峠

甲府の東山と呼ばれる山域にある岩堂峠を訪れました。
最近まで地形図には実際と異なる位置に峠名の記載が
ありましたが、最新版の地形図ではようやく修正されました。

「岩堂峠」は「ガンドウトウゲ」ではなく、「イワドウトウゲ」と読むはず、
しかし、峠に設置された標識には「ガンドウ」の振り仮名が・・・
実に謎多き峠です。

● 過去に表紙を飾った峠の写真 2を見る