鳥屋ぐるりの峠

鳥屋越・火海峠・地震峠・トズラ峠・越路峠

 古いガイドブックに「鳥屋越」の名を見つけたので、さっそく訪れてみることにした。
未知の「〇〇越」や「〇〇峠」などの名を見つけたら行かずにはいられない質なのだ。
ただ宮ヶ瀬ダムが出来る前の古いガイドブックなので消滅していないかが心配であった。


鳥屋越

鳥屋から地図と勘を頼りに進む。
新しく林道が伸ばされていて、南山遊歩道なる看板も目につく。

林道のガードレールの切れ目に登山口はあって見つけやすい。
しかし、入ってすぐ杉植林帯にのびる作業道に吸い込まれて、
コースミスをしてしまった。 (本来は涸れ沢沿いに進む)
踏み跡も消滅してしまい、
568m峰の肩を目指し杉林を直登して尾根道に飛び出した。

せっかくなので鳥屋越は後回しにして、568m峰を経由して、
南山(544m)まで足をのばしてみることにする。


南山の山頂より仏果山を望む

568m峰は重機が入り整地中であった。
東屋やら散策路が木々を倒して造られていた。
標柱があり「東山(権現平)」とある。
大木の根元に石祠があり、
檻のような真新しい柵に取り囲まれている。
工事関係者が供えたのか、お神酒が祠前にある。
南山まで強引に拡張された山道を歩く。

南山からの展望は良く、足下に宮ヶ瀬ダムが水を湛え、
眼前には経ヶ岳・仏果山が迫る。丹沢山隗の山並みも大きい。
踵を返し、鳥屋越へ向かう。

鳥屋越のダム側は杉林でかすかな踏み跡が続く。
鳥屋側は雑木林で明るい。
落ち葉を踏みしめてV字状の山道を下り、
再び暗い植林帯に入れば登山口に戻ることができた。


火海峠

宮ヶ瀬湖畔のレストハウスの壁に貼られた、
相模湖町の観光地図を見ていたら、
「火海峠」と「地震峠」の名を発見!
さっそく赴くことにする。

火海峠は鳥屋集落の北方の
仙洞寺山と515m峰(三角山)の鞍部と思われる。
中開戸から農道に入り茶畑の中を進む。
右手に炭焼き釜も見られる。
鹿柵を抜けて植林帯を進めば峠道らしくなってくる。
道幅もあり勾配もほどよい。
峠付近には樅の大木が目につく。
念のため仙洞寺山方向に尾根を進んでみたが、
峠らしいところは写真の部分だけである。
北側に降りる道は見当たらずヤブが覆っている。

そもそもはこの辺り一帯を火海峠といったらしい。
戦国時代、仙洞寺山に烽火台があり、急を告げる知らせに、
山が火の海のように見えたのかもしれない。
ある日、烽火の火が消えず、
付近一帯の山が本当に火に包まれたという話も残っているとか。


地震峠

中開戸から、さらに串川沿いに下ると馬石の集落があり、
なんでもないような坂道に地震峠の説明板があった。

説明といっても、関東大震災で串川が堰き止められて、
集落に被害が出たこと、土砂に埋まった家もあるということが
記されているのみで、峠の成り立ちはよくわからない。

山津波で埋まった箇所を、新たに開削したものなのか?
傍らに佇む石仏は、被害者の霊を鎮めるためのものだろうか。


トズラ峠

トズラ峠は鳥屋と青野原を結ぶ峠で、かつての大山詣での道。
茨菰山と三角山(515m峰)の鞍部で石積みの切通し状になっている。

宮ヶ瀬と上野原方面を結ぶ重要な交易路だった。
魚を樽一杯に詰めて峠道を急ぐ行商人が
狐に化かされた話も残っている。

トズラとはツヅラ(九十九折り)のことだろうか。


越路峠

越路峠は鳥屋の西方、早戸川に出る峠道。
最近の地図からは越路峠の名は消えた。
確かに今は冷たいトンネルが通り抜けているだけだ。

【後記】 

● 『ふる里鳥屋村四方山話』(鳥屋中学校ふれあい教室)によると、
  葛篭峠の手前右上の山は「ババ山」で、頂上に金太郎権現が祀ってあり近村の人達の賭博場であったといいます。
  博打に負けてその形(カタ)に積荷の荷物を没収されたのを、峠道で狐に化かされ荷物をなくしたという人があったとのことです。

● 『津久井町の地名』(津久井町教育委員会)によると、
  葛峠とは鳥屋側の字名で、青野原側では「戸面」となっているそうです。
  古道は現在の道より西側の登津良沢沿いを通っていたそうです。
  ちなみに同書には「猿越路」という不思議な地名も載っています。

● 「鳥屋越」の名前は、古いガイドブックのほかにも『新ハイキング1992.7.441号』の中でも見ることができます。

● トヅラ峠・火海峠の再訪レポート「トヅラ峠の古道を探して」を見る。