懐さびしい峠行

築坂峠・通り天神?・トズラ峠(葛籠峠・天神峠)・桜沢峠

 通勤、通学途中や朝礼の時に、貧血で倒れる人にはある種の憧れ(?)を感じますが、
近頃の僕は貧血ならぬ金欠で倒れそうだ。

懐具合がさびしいとはいえ、峠歩きの欲求は抑えることができず、
気がつけば大月駅のホームに降り立っていた。


意外と良い雰囲気の築坂峠

駅の改札を出て、ローカル色濃厚な商店街へ。
時すでにお昼時。
腹ごしらえをしようと思い、数ある食堂をのぞいてみる。

どこの食堂も店先のサンプル食品が日に焼けていたり、
ホコリを被ったりしていて見映えが悪い。
しかし、値段はいずれも驚くほど安く、都心のオフィス街の
半値以下が大月の相場らしい。
(大月には200円ラーメンの店もあるのだ!)

さりとて、今の僕の懐具合を勘案すると、
食堂で昼食など贅沢の域なので、
カバンに忍ばせた99円のクリームパン1個を頼りに
岩殿山登山口に向かう。


築坂の案内看板

桂川を高月橋で渡り、公営の岩殿山観光駐車場を見送れば、
コンクリート階段地獄が待ち構えている登山口だ。

桜の蕾は固いし、平日だし、観光客は皆無だ。
ただ一人、ネクタイに背広姿の中年男性とすれ違っただけ。
はて、登山客にしては場違いな装い。
もしや岩殿山の絶壁から身を投げようとした自殺志願者では。
くたびれた背広の後姿が、よからぬ想像をさせる。

飛び降りれば確実に死ねそうだが、
周囲ぐるりの素晴らしい山並を眺めれば元気も貰えるというもの。
思いとどまって山を下りて行ったのか?
岩殿山は命を絶つには、明るすぎる山だ。


乗越す道も健在だ

観光地の峠なので、築坂峠に期待はしていなかったが、
いざ訪れてみると意外にも感じの良い峠だ。
大月と畑倉を結ぶ峠道も健在で尾根を越えている。

南面の道に「高月橋まで25分」の標識があった。
どうやら観光駐車場の奥あたりに繋がっているようだ。
峠道が健在と知っていたのならコンクリ階段をパスして、
直にやって来ていたのに〜。

築坂は昔、岩殿城の大手門があった跡で、
城を警護する侍の往来があった場所だ。
今は近くを送電線が我が物顔で越えている。


けっこうビビル兜岩のトラバース

築坂峠から先はスリリングな尾根道を進むことになる。
高所恐怖症の人は避けられたし!!

鎧岩から兜岩へと進む。
特に兜岩のトラバースと鎖場の通過は慎重に。
逆方向(下り)で歩くのはやめた方が無難だ。

難所通過のご褒美は絶景なり。
郡内の山座同定に忙しくなる。

猿橋方向に視線を移すと、
航空母艦の甲板のような地形が嫌でも視界に入る。


山を削って造成された
パストラルびゅう桂台の住宅地を望む

山を削って宅地造成された空母「パストラルびゅう桂台」だ!
なんとも痛々しい姿だ。

大月辺りまでは東京都心への通勤圏内なのだろうか。
造成地には新居も見られる。

毎朝、艦載戦闘機よろしくサラリーマン兵士が中央線に搭乗して
都会の戦場に飛び立っているのかもしれない。

夢のマイホームを手に入れても、いささか遠距離通勤が過ぎる。
タッチアンドゴーの離着陸では心休まる暇もないのではなかろうか。
僕なら途中で燃料切れで墜落してしまう。


浅利天神の菅原道真像

難所を通過してさらに西へ進むと、
浅利天神が祀られる天神山に至る。

西に望む梅久保山(花咲山)の姿が、
どっしりしていて格好いい。
登高意欲の湧く山隗だが、
南斜面を侵蝕したゴルフ場が目障りだ。

天神山山頂のコンクリ製の堅牢な祠の中に
菅原道真公の像が納められている。
浄財も300円ほど蓄えている。
帰りの電車賃に失敬したいところだが、いくら懐が貧しくても
心まで貧しくなってはいけないと自重する。

この天神様のあたりに、もうひとつの山越えの道である
「通り天神」という乗越があるようだがハッキリしない。
それらしき凹としたかすかな踏み跡らしきものも
あるにはあるが、さてどうだろうか。


『大菩薩連嶺』 岩科小一郎著 挿入図 より

【通り天神】について文献によると、

「現在は中央自動車道が通って地形が全く変わってしまって、
地元の人もそのことを覚えていない。
いま岩殿地区にその頃の峠道の一部らしいのが残っていて、
その登り口に天神がある。」

と記されている。

             (『あしなか245号・山に祀られた天神』杉崎満寿雄著より)


目も眩む稚児落し
究極の幼児虐待現場!
千鳥姫の赤子を投げ捨てたという断崖絶壁

天神山から先は送電鉄塔を辿る尾根道となる。
コナラ林や赤松林の中を進む。

斜面に設置されたプラスチック製の階段は
登山者のための配慮ではなく、
送電線巡視員のためのものと思われる。

ヤブもなく歩き易く、そのうえ鉄塔部分では眺望も良いとなると、
そうそう送電線批判ばかりもしていられない。

4号鉄塔のある見晴らしの良い向山(白岩)で昼食休憩をする。
昼食といっても99円ショップで買ったクリームパン1個を、
全身に電磁波を浴びながらの侘しい食事だ。
まぁ、ぐるりの景色でお腹を一杯にするしかない。


温泉民宿とタイアップ?した案内板

雪の残る北斜面で二度ほどコケながらも下ると、
林道が越えるトズラ峠となる。

「トズラ」なのか「ツヅラ」なのか、
それともどちらでもいいのか思案するところだ。

「九十九折り」の峠道から「ツヅラ」峠になったのかと思いきや、
そうではないようだ。


林道のトズラ峠

「ツヅラ」は「葛籠」からきているようだ。

昔、鬼窪山に住んでいた鬼を浅利式部太郎義知が退治した。
そのとき斬首された鬼頭は、鬼の手下に奪われた。
子分が頭を葛籠に納め、西奥山へ入ろうと峠路にさしかかると、
突然葛籠が重くなってどうしても歩くことができなくなったという。
そして仕方なく葛籠を捨てた場所が、
今のトズラ峠であるという。
                        (『大菩薩連嶺』岩科小一郎著より)


現地標識は「トズラ」。「葛籠」「ツヅラ」とも。
またの名を天神峠

トズラ峠は、西奥山遅能戸(オソノト)と東奥山日影を結ぶ。
遅能戸からの昔の峠道も残るが、
林道奥山線が開通してからは金山を起点にして、
日影とを結ぶ道筋が本道になりつつある。

ちなみに遅能戸(オソノト)という地名は「鬼の首」をあらわす
「オニノト」が「オソノト」に転じたという。
(山間の傾斜の緩やかな場所を意味する地形語との説もある)

峠そのものは林道で切り崩されてしまっているが、
一部は残っているし、小さな凹道も確認できた。


古道のトズラ峠

林道から北側斜面を上がったところに、
馬頭観音らしき石仏も安置されている。

文字は風化して読めないが
古くから祀られていたものと思われる。

トズラ峠は天神峠とも呼ばれるので、
あるいは天神様なのかもしれない。

失礼だがあまりいい作りの石像ではない。
彫りがとても大雑把なのだ。
でも、そこが味があって素敵でもある。
不細工だが心和む仏様だ。
誰が供えたか17円の財産も持っている。


桜沢峠

トズラ峠からは尾根を忠実に辿り、
高ノ丸を経由して桜沢峠に至るのが常道と思われる。
しかし、1/25000地形図の破線道が気になって
左巻き水平歩道に挑戦してみることにした。

出だしは植林地の中の明瞭な道形で、なんら心配なかったが
進むにつれて踏み跡もだんだんと怪しくなってくる。
特に三角点734m峰を巻く辺りは道を見失いがちになる。

ヤブも少々あり、ダウンジャケットに穴が開かないかと心配になる。
金欠なので高価な服は傷付けてはならない。

三角点734m峰を巻き終え、北斜面に出ると
足首が埋まるほどの積雪となる。


桜沢峠の山の神様の石祠

ハイキング用のローカットの靴は雪の侵入を防げない。
というよりも長年愛用している為、底に穴が開いているので
靴下は難なく濡れてしまう。
お金があれば買い換えたいところだ。
自転車のパンク修理用の接着剤で穴を塞いではあるが、
効果はまるでないようだ。

破線道は後半、獣道のようになりもするが、
それでもなんとか尾根道に合して桜沢峠に導いてくれた。

桜沢峠はモミ混じりの雑木尾根上にあり、
金山と東奥山を結んでいる。
一見したところ桜の木は見当たらないので、
「サクラ」の「クラ」は「岩」のことかもしれない。

古い鉄道省のガイドブックや山村正光氏の著作物を見ると、
桜沢峠を葛籠峠としているものもある。
どちらが正しいのだろうか?
また、『大菩薩連嶺』では「カンゾノ峠」との別名も見られる。


金山鉱山へ
この吊橋を渡ると廃坑があるというが・・・

峠を金山集落へ向けて下ることにする。
植林地の中を走るように下ると、
わずかな距離で奥山林道に飛び出した。
入口には「セイメンバン登山口」の看板がある。

遅能戸のバス停に辿り着き時刻表を見ると
1時間以上の待ち時間だ。
金欠の身であるからにして大月駅まで歩くのは当然か。
それにしても3時間に一本のバス路線とは、
かなりの貧寒路線だ。

とぼとぼと車道を歩いていると、
今にも崩れ落ちそうな吊橋があった。
どうやら橋のむこうには金山の廃坑があるらしい。
欲の皮が突っ張った僕でも、
さすがにこの橋を渡る勇気はなかった。


中村集落への古道入口

西奥山の浄照寺の脇に石の道しるべ(左写真)があり、
小高い丘の上に山道が続いていた。

たまたま山仕事を終えて下ってきた地元の方にお伺いすると、
昔は浅利川沿いのバス道はなく、
どこに行くにもみんな尾根道を通っていたという。

「これは橋倉峠へ行く道ですか」と聞くと、
「イイヤ、中村へ行く道」だとのこと。
なるほど道しるべには「左、中村」と刻まれていた。
間明野の馬立峠や切目峠を探索する時にでも辿ってみようか。
中村と金山を結ぶ地形図の破線道も、見るからに峠風なので
いつか歩いてみたいと思っている。

大月までは下り勾配で歩みも軽やかになる。
浅利川の谷底は深い。川沿いの道に馬頭観音が目立つのは、
開かれた当初、難儀な道であったことのあらわれだろうか。
険悪な道で何頭もの馬が犠牲になったのかもしれない。

 大月駅到着は思いのほか早かったが、高尾行きの列車の待ち時間は30分。
駅構内の立ち喰いソバのいい匂いは、クリームパン1個のお腹には少々酷というもの。
しかし、貧しい僕は我慢するのみ。

電車を待つ寒いホームの掲示板に、
「大月市秀麗富嶽十二景写真コンテスト」のポスターが貼ってあった。

「特賞入選・賞金20万円・・・」の文字が目に留まった。
20万・・・20万・・・。
どれだけのクリームパンが買えるだろうか。

【備考】

●鉄道省の『日本山岳案内』や山村正光氏の著作物の中では桜沢峠を葛籠峠としている。
 また、笹山を天神山としたり、高ノ丸を奥山としたりもしている。
 鬼退治の話や稚児落しの話、セイメンバンの名の由来などは『大菩薩連嶺』(岩科小一郎著)に詳しい。
 セイメンバン、金山の金鉱話などは谷有二氏の著作物に多く見ることができる。


『富士を眺める山』 山村正光著より

●トズラ峠は、天保7年の郡内騒動と呼ばれた大規模な農民一揆の際に、
 下和田村の武七、犬目村の兵助らが国中(甲府盆地)から撤退する時に通った峠道だと考えられています。
 その時の推定コースは平ッ沢峠--馬立峠--トズラ峠で、役人の目が厳しい甲州街道を避けたと考えられています。
 詳細は『大月市史』に記述あり。この裏道的峠行の記録としては『新ハイキング444号』の「郡内騒動の道」(杉崎満寿雄著)がある。

(峠行2005.02.21)