梁川駅付近の小峠三つ・名前の欲しい峠

大ダウ峠・南米沢峠<仮称>・川合峠

◆ 大ダウ峠 ◆

昭文社発行の『山と高原地図 陣場・高尾』を見ると、
中央線梁川駅の北2pの地点に、ただ「峠」とだけ記された場所がある。【*1】

「〇〇峠」ではなく、ただ「峠」とだけ記載されているのだ。
とても興味を引く場所だ。なにか意味ありげで期待させる記述である。

名無しの峠だろうと思っていたが、『山梨の峠』には「大ダウ峠」という名前で紹介されていた。


峠への登り口
「大田→」と書かれた小さな標柱が立つ


梁川側の明るい峠道
背後の山は斧窪御前山

大ダウ峠は斧窪集落と大田集落を結ぶ峠で、「大田」は「オオダ」と読む。
「オオダ峠」が「オオダウ峠」に変化したのだろうか?

梁川駅の頭をぶつけそうな地下道をくぐり西北に進み、中央線の上り線と下り線の線路が
分岐する地点から、山側にのびる舗装路を辿る。 
ゴルフ場への道らしいが、しばらくこの道を爪先上がりに進めば、
「大田→」と書かれた小さな標柱が立つ山道への入口がある。

取り付きこそ木杭の階段だが、
それを登れば落ち葉を踏みしめる雑木林の凹状の快適な峠道となる。
振り向けば斧窪御前山、右手には綱之上御前山が、
桂川の向こうには倉岳山の大きな山容も望むことができる。
のんびりした里山歩きといった感じか。


峠の杉林に眠る「馬頭大神」の碑
峠は尾根道と交差する十字路

上部は杉、ヒノキの林で、その中に峠はある。
道端には明治期の「馬頭大神」と刻まれた石碑があり、
かつては里人の往来があったことを窺わせる。
名前があって然るべき峠である。
これからは単なる「峠」ではなく「大ダウ峠」と呼びたい。

峠の北側、大田集落に下る道は杉林の中の暗い道だが、
ビニールテープの目印もあり迷うことはない。
畑の跡を過ぎ、廃屋の脇を通り抜ければ大田の集落に飛び出す。 

【*1】
最新の『山と高原地図』を見ると、「峠」が「大田峠」という記述に変更修正されていました。
これで正式に命名されたということでしょうか。

◆ 仮称・南米沢峠 ◆

大田から日留野という明るい山間の集落を通り南米沢の集落へ。
南米沢集落の南、障壁となっている山を越えて桂川側の梁川町新倉へと結ぶ山道の途上に峠がある。
国土地理院地形図にも、しっかりと破線で峠道が記されている。

地図から読み取るところ、いかにも峠といった感じだが峠名は記載されていない。
各種の山の紀行文を読んでも、「峠状の」、「峠風の」、「鞍部」とは書かれているが、
これといった峠名は無いようである。

『山梨の峠』では、仮称と断った上で「南米沢峠」としている。
名前の響きも、字面もいいので、ここではこの名前を採用したいと思う。

* 『新ハイ497号』では「南米沢峠」としている。


峠の赤い大小の祠
扉の中には珍石が納められていた


峠の馬頭観音
刻まれた文字は風化して判読できず

南米沢集落入口に祀られた三つ扉の天満宮の祠に一礼し、
八幡神社前を通って爪先上がりに集落内の道を進む。
集落のどん詰まりが峠に至る山道の入口。 
腐りつつある木製の橋を恐る恐る渡り、杉林から朽ちた納屋のある竹林のジグザグを登る。
最後は手入れされたヒノキ林の中を行けば峠がある。

杉の大木の根元に、目にも鮮やかな真っ赤に塗られた大小の祠がある。
大きな方には龍(?)の彫り物のような装飾が施されている。
失礼して中を拝見してみると、奇妙な形をした石が納められていた。
傍らには「山ノ神」と書かれた木札がある。
遠くで猟犬の吠える声とズトンという銃声らしき音が響いた。 
もしかしたら猟師達の守り神なのかもしれない。
小さい方の祠は開けられるのを拒んでいるようだったのでそっとしておいた。

尾根を西にちょっと行った所に馬頭観音が一基ある。
文字は風化して読めないが、かなり古いものらしい。
この尾根をずっと西に辿れば、先の「大ダウ峠」に達するのだがバラ混じりの笹ヤブが猛烈である。
一度歩いた経験があるが、もうコリゴリの道である。
「道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけ」という言葉が思い出される。
踏跡は明瞭なので、ヤブ漕ぎを苦にしない奇特な人は是非挑戦を!

峠から南の梁川町新倉へ向かう道は、
既に消滅したらしく、高密な笹ヤブに飲み込まれていて進入は不可能である。


御春山へ向かう尾根に祀られた祠


御春山(おはんなやま)

峠を下ることが出来ないので東に向けて尾根を辿る。
笹の密生が行く手を阻むが、バラが生えていないだけまし。
途中、朽ちかけた木製の祠を見て御春山(おはんなやま)に至る。
山頂には山名プレートと三角点があるのみ。 大野貯水池の水面が輝いている。
さらに笹深い急斜面を下れば貯水池の展望台で天王宮・金比羅宮・秋葉社(かな?)の三つの祠が
仲良く並んでいる。 桜並木もあるものの桜の季節にはまだ早い。

大野から甲州街道に出るのにも峠状の場所を越えねばならない。
交通量の多い舗装路ではあるが天満天神宮の社がある。
もしかしたら、郡内地方に多い天神峠のお仲間かもしれない。
社の中を覗いてみたら短くなった鉛筆が数本納められていた。
学問の神様・菅原道真信仰の天神社なのだろうか?

◆ 川合峠 ◆


数種のガイドブックで川合峠としている場所

桂川右岸、四方津駅の南に川合峠はある。

四方津駅の地下道をくぐり桂川を川合橋で渡り、川合集落の最終民家を過ぎれば新大地峠の入口に至る。
この新大地峠入口部分を数種のガイドブックでは川合峠としている。
(大地峠そのものを川合峠としているガイドブック等もある)

最終民家の前には「聖徳太子」と刻まれた石碑が建っている。
聖徳太子は指物師の信仰の対象だったといわれている。 
良材を求めて、この峠道から山に分け入ったのだろうか? 
それとも渡世の指物師が村から村へと峠を越えて行ったのだろうか?


417m峰南の鞍部
こちらが本来の川合峠か?

ガイドブックで示された川合峠を越えて千足集落に向けて沢筋の道を下る。
沢を二、三度渡り、山腹を巻き気味に登った切り通し状の鞍部が本来の川合峠ではないかと思えてくる。
なぜならまさに峠地形だからである。

地形図では417m峰の南鞍部ということになる。
ここには一基の石塔があり、「奉納大乗妙典六十六部廻國供養塔」と寛延の年号が刻まれていた。
知識が乏しいので、どういう性格の石塔なのか詳細はわからないが、
古い時代から峠を挟んで両集落間で交流があったことを窺わせる。

切り通しから先は、沢沿いに下って行くのだが、倒木が道を塞ぎヤブも出てくる。
しばらくすると自然と道は消滅して小沢の流れに消えてしまった。
やむなく引き返し、尾根に出ようと急斜面を這い上がる。
先の417m峰の東にも小さな鞍部があり、
そこから四方津駅めがけて真北に下る地図には載っていない道があった。
川合集落の東の畑にウマイこと飛び出して、川合峠の探索を終わりとした。

*『武相国境と道志の山に』(昭和22・小野幸・山と渓谷社)では川合峠を千足峠としている。

以上、梁川駅周辺のけして有名ではない小さな三つの峠を巡った。
こういうローカルな峠は実に好ましいものである。

その地に住む村人だけが主に利用し、観光人などが訪れることなどめったにない峠、
そういう「Native Pass」は実に滋味あるものであり、峠マニアの琴線に触れるのである。

ただ、今では村人ですら歩く機会がなくなり、ヤブに埋もれてゆくという現状は実に残念なことである。

*参考になる文献・・・『山梨の峠』(小林栄二著・自費出版)