★ 三国山稜・ヅナ坂峠探訪
ヅナ坂峠(綱峠)道・三国峠旧道 <おまけ>明神峠旧道
| 籠坂峠と三国峠の間、三国山稜に位置するヅナ坂峠を再訪しました。 以前訪れた時は、ただ尾根上の峠を通過するだけでしたので、 峠道そのものがどのような状態であるかまではわかりませんでした。 今回は静岡側の峠道と山梨側の峠道の現状を探索してみます。 |
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| ところで、「三国山稜」は丹沢山塊に含まれるのでしょうか? 丹沢を紹介した大抵のガイドブックには「三国山稜」についても“おまけ”のように付属して紹介されています。 小山町産業観光課発行の『おやま散策マップ』には、 ハンス・シュトルテ氏は著書『続・続丹沢夜話』(有隣堂)の中で三国山稜を「丹沢の尻尾」と表現しています。 「丹沢の尻尾とは丹沢最西端の三国山から西へ突き出す、通称三国山稜をさしている。 丹沢山塊に含まれると明言すると反感を招く恐れがあるので、そっと曖昧にしておきましょう。 |
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| 峠道の入り口を確認しようと、山梨県側平野と静岡県側大御神、中日向を事前に訪れていましたが、 結局、峠道の登降口の発見には至りませんでした。 それもそのはず、山梨県側は大規模別荘地に、静岡県側はゴルフ場と富士スピードウェイにより かつての峠道は破壊を余儀なくされてしまっているのですから。 そうとなれば確実な方法は、峠から両側に峠道を下るに限ります。 |
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青い空に入道雲、真夏の炎天下、 こんな日はキツイ山登りなどしたくはないものです。 しかし、場所を選び天候条件を考慮すれば、多少は酷暑を 回避できるというもの。 遠く九州地方を北上中の台風の影響で、 この機を狙えば、酷暑の下界とは異なり、 |
![]() 「三国峠・鉄砲木ノ頭」を指し示す岩田翁の標識 |
三国峠から三国山までは10分間の急登です。 いきなり汗が噴きだします。 しかし、車道から離れてすぐにブナの森に 吸い込まれていくのは心地よいものです。 山頂には山中湖村が設置した「三国山ハイキングコース」 籠坂峠から歩いてきたハイカーが三国峠への分岐に気付かず |
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三国山稜の快適尾根をヅナ坂峠へ向かいます。 途中、小学生の集団に「こんにちは!」の雨を浴びせられますが 頂稜部の天気の方は曇ってはいるものの安定し、 雨の落ちる気配はありません。 ガスは流れていなく、 |
| この快適な三国山稜尾根道を『日本百名山』の著者、深田久弥氏も歩かれています。 「・・・この山稜はずっと道の両側が雑木林になっているので、展望が利かない。 なるほど、確かに両サイドは木々に覆われ展望は無く、前を見て行くだけの道です。 深田氏の歩いた時代とは異なり、瞑想気分を妨げる富士演習場の砲撃音や |
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| 山稜自体がほぼ平坦なために鞍部という感じはしませんが、 尾根を横切る一筋の道が確かにあります。 このか細き踏跡のような道を、武田信玄の軍勢が越えて行ったとは俄かに信じ難いものです。 |
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『小山町史第三巻近世資料編U』(小山町史編纂専門委員会) には次のように記されています。 「元亀二年(1571)武田信玄は峠を越えて 江戸時代には甲斐国側に口留番所が設けられていた。 |
| 『甲斐国誌』巻之三十七 山之部第十六ノ下 「加古坂」の項にも以下の記述があります。 「・・・駿州日向村ヘ越ユル坂路アリ升降二里此ノ道古ハ専ラ往来セルニヤ古道ノ跡存シテ広道アリシト見ユ 古くは、現在の籠坂峠よりも交通があったらしいヅナ坂峠ですが、 『峠と人生』(NHKブックス)、『峠路』(校倉書房)の著者であり峠に造詣の深い直良信夫氏は 「横走駅(よこばしりのうまや)から甲州に入るのには、今の籠坂峠越えをしたのではない。 また、直良氏は「加古」(古文献では「加吉」)を平野付近と推定し、 |
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| 峠の手作り標識は平成16年に新調されたようで、以前訪れた時のものとは変わっていました。 以前のものは峠の歴史についても詳しく書かれ、味のある歌が添えられていたのが印象的でした。 ちなみに山中湖村設置の「三国山ハイキングコース」の標識もあるのですが、そこには「ヅナ坂峠」の 名前は記されていません。 歴史ある峠道なのに残念なことです。 山中湖村役場観光課発行の『ハイキングガイド山中湖』、 ちなみに、山中湖村役場観光課の資料では「ズナ坂峠」、 「ズ」か「ヅ」の細かい違いですが、 |
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| さて、まずは静岡側の峠道を下ってみます。 いったいどんな状態なのでしょうか? 三国山稜を歩くハイカーは数多くいますが、ヅナ坂峠をこちらからあちらへと越えたという記録は 見たことがありません。 ネットで検索してみても、山稜部縦走の記録ばかりです。 先の『秩父多摩丹沢』(直良信夫著)によると、昭和40年頃の様子として、 実際、昭和初期の地形図と現在の地形図を見比べると、山麓の変貌は著しいものがあります。 |
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| 峠からの下り始めは、薄暗い笹の切り開き道が続きます。 思いの他、人の手入れがあり、笹の刈り払いがされているので容易に歩くことができます。 ヤブと蜘蛛の巣を掻き分けるひどい道かとも思っていましたが、幸い予想に反し、良い状態の道が続いています。 腐りかけた木製の階段が現れると、最初の展望台に到着です。 それにしても、この第一、第二展望台は何を目的に設置されたのでしょうか? |
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| やや急な勾配だった道は笹が消えるとともに緩くなり、歩き易くなります。 『秩父多摩丹沢』によると、「故徳富蘇峰氏が古城に仮寓されていたとき、ヅナ坂越えを思い出されて、 駕籠で越えられた・・・」ともあります。 このくらいの緩斜面なら駕籠で越えたというのも本当なのかもしれないと思えてきます。 徳富蘇峰といえば山中湖村の「旭日丘」という地名の命名者でもあります。 峠道の状態は何の問題もありません。 |
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| 道に沿っては点々と境界見出標が設置されています。 歩いているこの道が古来からのままの峠道であるかは定かではありませんが、着実に尾根上を拾って 道がつけられています。 地形図を見ると、三角点p1071付近から西側の谷へ下る破線道が描かれています。 |
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| 棚頭山野組合と書かれた黄色の杭が複数埋められた場所からも西側へ向かう踏跡があります。 ちょっと進んでみましたが、これが西側の谷へ下る分岐ポイントかもしれません。(未確認)。 【*6】 植林地の中をよく見ると、凹とした道跡らしきものが確認できます。 現在の峠道(尾根道)は植林地と自然林との境につけられていますが、 古くの道は今の植林地の中を通じていたのかもしれません。 棚頭山野組合の境界杭から吉久保山野組合の境界杭に変わると、前方が明るくなり、 |
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| 送電線クロスポイントの先は、伐採跡地のビューポイントになっています。 ただし、この辺は日当たりが良く、草深いのでマムシには注意が必要です。 なにしろ、そこら中でカエルがピョンピョン跳ねているので恰好の餌場となっているかもしれませんから。 ビューポイント右手の林に入ると、さらに先に続いている峠道を確認することができます。 『小山町議会会議録』によると、市町村緊急地域雇用創出特別事業により、 小山町としては三国山稜を訪れるハイカーをヅナ坂峠を経由させ、町に誘引する狙いもあるようですが、 |
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| 富士スピードウェイはもう間近です、高速回転のエンジンの爆音が腹の底まで響きます。 タイヤの摩擦音であるキキキィー!キィー!キュルキュルキュー!で頭が痛くなってきます。 高品質のガソリンが贅沢にも消費されていると思うと貧乏人にはこれまたたまりません。 ガソリン価格高騰の折、車内のエアコンを使用しないで燃費向上を図り、 節約運転でここまでやって来たのですから。 富士スピードウェイの外縁に造られた周遊道路も見えています。 |
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| 富士スピードウェイに分断される前の峠道が通っていたであろう付近に石仏と石祠が祀られています。 昔の峠道の様子について尋ねても石仏は何も答えてはくれません。 ただヅナ坂峠の峠道の一部が富士スピードウェイの爆音の下に眠っているという事実があるだけ。 究極のスピードを求めるスピードウェイ、時代遅れの峠越えの道はもはや不要な存在なのでしょうか。 三国山稜で隔てられていた両地域の人や物の交流・交換を綱を固く結ぶようにして担っていた綱峠、 |
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| いま下降して来たばかりの峠道を登り返して、再びヅナ坂峠に到着です。 先ほどとは打って変わって、ガスが流れ始めています。 大分涼しくなってきました。天然クーラーのスイッチが入ったようです。 三国山稜にはやっぱりガスが似合います。 |
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| 今度は山梨県側の峠道の様子を探ります、明るい自然林の中へと続く踏跡を拾います。 しかし、この道は現行地形図に記された破線道とは異なる道筋です。 昭和初期の地形図に描かれている本来の峠道がまだ登山道として残っているようであります。 現行地形図のp1250と記載された辺りの、のっぺりとした尾根を下降しています。 静岡県側のカーレースの爆音ほどではありませんが大音量のロックミュージックが聞こえてきます。 踏跡は明瞭、ただ、どこでも歩いていけるような箇所(道に見える)もあるので、 |
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| 自然林の中、時折ガスが流れます。 とてもおいしい空気が充満した心地好い道です。 途中、ブナの巨木に出会います、幹の瘤と苔がその長老振りを示しています。 そして二又の古木にも出会います、大男が逆さまになり頭から地面に埋まっているような風体です。 |
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| さらに勾配緩やかな道を歩み続ければ、ひょっこりと別荘地の裏手に飛び出します。 ちょうど草刈りの作業中でトラックが止まっていました。 山道への出入り口には何の案内標識もありません。 歴史ある峠道にしてはいささか冷遇されているのでは。 ヅナ坂峠の山中湖側の道は三国山稜のエスケープルート、アプローチルートとしても十分使えます。 『甲斐国誌』巻之五十三 古跡部第十六ノ下 「口留番所ノ廃址 平野村」の項には以下の記述があります。 「本村ヨリ南三町許リニアリ東南ハ山足ニセマリ西北ハ湖水ノ汀ニ近シ堤防ノ崩レ礎石ノ跡今存セリ 平野村にはヅナ坂峠の往来を取り締まる口留番所が置かれていました。 口留番所も置かれた歴史ある峠道を顧みる者は |
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| さて、貧乏人には場違いな別荘地から、車を乗り捨てた三国峠に戻らなければなりません。 ここは近道、三国峠旧道を探索します。 ペンションモーツァルトや大きなドッグランを備えた建物の前を通り過ぎ山端に近づいて行きます。 山道に入ると雨水にえぐられた道、でもすぐに幅広のそれらしき道になります。 近くから自動車の走る音が聞こえてきます。 |
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| 振返るとカヤトの海の向こうに頭を雲に隠した富士山と山中湖の輝く湖面が望めます。 前方には鉄砲木ノ頭の上に夏のモクモクとした雲が浮いています。 三国峠には白いガスが漂っています。 正味4時間弱のプチウォークでしたが、忘れられた峠道を堪能できたひと時でありました。 |
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* <おまけ> 明神峠旧道 *
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| 現行の地形図と昭和初期の地形図を見比べると、 明神峠道はほぼ現在の県道山中湖小山線と重なっています。 ただ明神峠南方の三角点p792の東側を旧道が通っていることくらいしか異なりません。 現行地形図にも破線道として残されているこの旧道の一部は今でも確認することができます。 県道山中湖小山線の走り屋が好む一番急なヘアピンカーブの脇に、入口を草に隠しつつも、 三国峠、明神峠は山中湖周辺の平野村、長池村の村人が |
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【*1】 『平成15年第5回9月定例会 小山町議会会議録』 『平成14年第5回9月定例会 小山町議会会議録』 より。 【*2】 『山頂山麓』 「一日二日の山」 朝日文庫 より 【*3】 2001年8月頃から2002年9月頃(?)まで、「東海道四〇〇年祭・北郷三国峠県際まほろば交流」を記念して、 「地元では綱山の上部に位置する峠であったため、昔から自然とヅナ峠と呼ばれている。 今現在、公的な機関が設置した、峠の歴史を記した看板はない。峠名を記した標識すらない。 【*4】 『平成14年第5回9月定例会 小山町議会会議録』 『平成15年第3回6月定例会 小山町議会会議録』 より。 【*5】 『山中湖周辺の民俗』 吉田チエ子 岩田書院 2004年 より 【補足】 小山町教育委員会社会教育課発行の『史跡いろいろみちしるべ その5 北郷地区編』によると、 【*6】 後日、ヅナ坂峠南尾根三角点1071の西側ジグザグ道を探索したところ、この棚頭山野組合の境界杭の場所に出ました。 |
(峠行:2006.08.19 晴れ一時ガス、下界34℃)