Tow's Island

子供ばんどの思い出


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当コンテンツは、非営利目的にて「子供ばんど」および「ALPHABET’S」の活動の一部を記録しています。
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最近、ホームページをつらつらと眺めていたら「子供ばんど」のサイトに出っくわした。
まさか、「子供ばんど」のサイトがこんなに、こんなに、こんなにいっぱいあるなんて、 思っても、みなかったぜ。やるじゃんか、おまえら。
そーいえば、私も昔はKODOMO−KAIに入っていたんだなー。ということを思い出 した。

19830730_子供会

当時のバンドは、テクニックならLOUDNESS、メロディーラインならEarthS haker、そしてノリの良さなら、なんてったって「子供ばんど」だった。

19830730_子供会

「子供ばんど」の所属事務所は、有限会社子供ばんどオフィス。
(株)でないところがいかにも「子供ばんど」だった。
一度だけ、子供ばんどオフィスに行ったことがある。会費を払いに行ったかなにかだった。 渋谷(たぶん。記憶があいまい)の裏の裏にある汚いマンションの薄暗い階段を登って行 くと、踊り場に真っ赤な扉が現れた。それが子供ばんどオフィスだった。

19830911_子供ばんどビデオ大会 私が「子供ばんど」を好きになったのは、アルバム「DYNAMITE LIVE」を聴 いてからだった。だから、トーベンさん在籍時の「子供ばんど」は知らない。

初めてのLIVEは、1983年5月5日の中野サンプラザ。アルバム「HEART BREAK  KIDS」発売の年だった。メンバーは、うじき”Jick”つよし(v、g)、谷平” TANIHEI”こういち(g)、山戸ゆう(d)、勝誠二(b)。
「サマータイムブルース」でフロント3人が並んでエンヤトットするシーン。「ファイティ ング80’」で見たときからLIVEで体験したかった。感激だった。(本当は、トーベン さんのを見たかった)

19830911_勝誠二 勝誠二さんも決して悪くはなかったけれど前任者が偉大なだけに、ちょっと辛かった。「 子供ばんど」に加入した当初は、あまりにも普通のお兄ちゃんだった。

1983年8月19日、東京厚生年金会館 アメリカからわざわざRick Derringer さんが来てくれた。すごく気のいいおじさんといった感じ。もちろん、演った曲は「Ro ck And Rool Hoochie Koo」だった。原曲は聴いたことが無いので 、英語で歌われてもわかんなかった。わかるのは、「ロックンロール・フーチークー」とい うとこだけ。

初めて「子供ばんど」のメンバーを身近に見ることができたのが「JUKE BOX RO CK’N’ROLLER」のプロモーションビデオ撮影。たぶん、大泉の東映撮影所だった と思う。小さくて可愛いセットには、JICK様が動き回れるように滑り台まで付いていた。 Jick様がワイヤーで吊り下げられるシーンでは、足を乗せる木の板を小道具さんが赤い スプレーでシュッシュッとスプレー。あまりのラフさに、「うわー、業界だー。」と思った 私であった。

19830911_Jick そのビデオを見るために開いた「子供ばんど」ビデオ大会。1983年9月11日、YAMAHA池 袋東ショップ。当日、夜勤明けの私は、Yシャツにネクタイというサラリーマンスタイルで 妙に浮いていた。ビデオを見ると、我々エキストラの出番は最後の手拍子の手だけ。私の手 がどれかなんて、当然わからない。でも、その後JICK様と2ショットで写真を撮れたり して、なんとも幸せな1日であった。

1984年2月12日、YAMAHA渋谷ショップでのファンの集い。
Jick様「今日は、子供ばんどの新しい姿を見てくれ。」
そして演奏開始。タラララララ〜 タラララララ〜ララ〜。それはポール・モーリア「オリ ーブの首飾り」だった。
Jick様「やるんじゃなかった。」

勝さんも「子供ばんど」に馴染んだ1984年5月5日「子供ばんどの日」の中野サンプラザ。L IVEの後にアルバム「ROCK & ROLL WILL NEVER DIE!!」の 手渡しがあった。たしか、勝さんとタニヘイさんに握手してもらったと思う。なんか、みん な照れくさそうだった。

1984年8月15日、後楽園ホール PINK CLOUDとのLIVE。
Char様も大好きな私にとって、最高の組み合わせだった。後楽園ホールは適度に狭く、 しかも格闘技用なので、客席の傾斜が大きく、すごく見やすかった。
「子供ばんど」が大暴れした後、ピンクラの面々は、とても静かに演奏した。Char様は 一言もしゃべらなかった。Jick様との対比を強調したかったのだろうか。

そして、Jick様と共に「子供ばんど」を支えたタニヘイさんが脱退してしまった。
1985年5月5日中野サンプラザ。Jick様、Yuuさん、勝さんの3人で製作したアルバム 「HUNGRY BOY」とともに、今年も「子供ばんどの日」がやって来た。
新ギタリスト 杉原ひろしさんは、まだ借りてきた猫のようにおとなしかった。

1986年になると「子供ばんど」の記憶は急速に薄れてきた。
1986年5月5日「120%PURE」発売。1曲として記憶に残る曲が無い。「子供ばんどの 日」にLIVEがあったかどうかも思い出せない。(関西であったかもしれない)
次のアルバム「NO GIMMICK」に至っては、発売日すらわからない。「子供ばんど 」はどこに行ってしまうのか。

そんな「子供ばんど」との関係が希薄になりつつあった1987年5月5日、アルバム「BEFO RE ZERO」は、あいかわらず印象が希薄だが、日比谷屋音でのLIVEは、久しぶり に原点に帰った感じだった。
見たい見たいと思っていたJick様のPAから飛び降りを初めて生体験。飛び降りた後に、 しばし苦痛の表情をみせたかと思うと、急にひょっこり立ち上がり、平気な顔して歩くコテ コテの演技はまさに吉本。LIVEの最後には、Jick様が身に付けているものを全て客 席に投げ込み、パンツ一丁でスタスタと帰っていった。靴が3m位近くに飛んできた時は思 わず手を伸ばしてしまった。(とても届く距離ではなかったけれど)本当に、久々のノリだ った。

19840212_子供ばんど そして、1988年5月5日、東京PITでのLIVE。アルバム「KODOMO BAND R OCK」とともに、ついに、トーベンさんが復活した。
トーベンさんのいる「子供ばんど」を、この目に焼き付けなければ。そんな気持ちでいっぱ いだった。そして「子供ばんど」はLIVE2000本達成に向けてラストスパートをかけてい た。しかし、2000本達成したら解散するという噂も一部には流れていた。トーベンさん復活 の喜びを消す噂だった。オープニングでスクリーンに表示されるカウントダウンが、なんと なく解散へ向けてのカウントダウンに思われて、気持ちが集中しきれないLIVEだった。

一度でいいから、Jick、タニヘイ、Yuu、トーベンの「子供ばんど」を体験してみた かった。

「子供ばんど」のLIVEは、いつも最高だった。HeavyMetalと違い、拳を突き 上げることはなかったけれど、そのかわりオープニングからラストまで、ずっと手拍子だっ た。「踊ろじゃないか」が終わり、心地よい脱力感の中でひりひりする手の平を見ると、頭 脳線にうっすらと血が滲んでいた。充実感があった。

19831215_ALPHABETS 子供ばんど脱退後のトーベンさんが結成したALPHABET’S。向山テツさん(d)、サン トリー坂本さん(k)とのトリオ編成で、思いっきりポップなナンバーをやっていた。トーベン さんの懐の深さを感じさせるバンドだった。

1983年12月15日の千葉ダンシングマザーズでのLIVE。お客さんは、みんな女の子だった。 男一人で見ていたら、トーベンさんに「もっと前にきなよ。」と言われてしまった。なんか不 思議な体験だった。
ギターは小川銀次さん。ソロアルバムを作るほどの実力者にもかかわらず、サポートに徹し、 決して前に出てこなかった。

19840413_ALPHABETS
19840413_ALPHABETS
ALPHABET’SのLIVEは、いつもほのぼの。
1984年4月13日の千葉ダンシングマザーズも、おもいっきりリラックスムード。
トーベンさんvsサントリーさんの漫才バトルも絶好調。テツさんは、しばしお休み。




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