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最近、ホームページをつらつらと眺めていたら「子供ばんど」のサイトに出っくわした。
まさか、「子供ばんど」のサイトがこんなに、こんなに、こんなにいっぱいあるなんて、
思っても、みなかったぜ。やるじゃんか、おまえら。
そーいえば、私も昔はKODOMO−KAIに入っていたんだなー。ということを思い出
した。
当時のバンドは、テクニックならLOUDNESS、メロディーラインならEarthS
haker、そしてノリの良さなら、なんてったって「子供ばんど」だった。
「子供ばんど」の所属事務所は、有限会社子供ばんどオフィス。
(株)でないところがいかにも「子供ばんど」だった。
一度だけ、子供ばんどオフィスに行ったことがある。会費を払いに行ったかなにかだった。
渋谷(たぶん。記憶があいまい)の裏の裏にある汚いマンションの薄暗い階段を登って行
くと、踊り場に真っ赤な扉が現れた。それが子供ばんどオフィスだった。
私が「子供ばんど」を好きになったのは、アルバム「DYNAMITE LIVE」を聴
いてからだった。だから、トーベンさん在籍時の「子供ばんど」は知らない。
初めてのLIVEは、1983年5月5日の中野サンプラザ。アルバム「HEART BREAK
KIDS」発売の年だった。メンバーは、うじき”Jick”つよし(v、g)、谷平”
TANIHEI”こういち(g)、山戸ゆう(d)、勝誠二(b)。
「サマータイムブルース」でフロント3人が並んでエンヤトットするシーン。「ファイティ
ング80’」で見たときからLIVEで体験したかった。感激だった。(本当は、トーベン
さんのを見たかった)
勝誠二さんも決して悪くはなかったけれど前任者が偉大なだけに、ちょっと辛かった。「
子供ばんど」に加入した当初は、あまりにも普通のお兄ちゃんだった。
1983年8月19日、東京厚生年金会館 アメリカからわざわざRick Derringer
さんが来てくれた。すごく気のいいおじさんといった感じ。もちろん、演った曲は「Ro
ck And Rool Hoochie Koo」だった。原曲は聴いたことが無いので
、英語で歌われてもわかんなかった。わかるのは、「ロックンロール・フーチークー」とい
うとこだけ。
初めて「子供ばんど」のメンバーを身近に見ることができたのが「JUKE BOX RO
CK’N’ROLLER」のプロモーションビデオ撮影。たぶん、大泉の東映撮影所だった
と思う。小さくて可愛いセットには、JICK様が動き回れるように滑り台まで付いていた。
Jick様がワイヤーで吊り下げられるシーンでは、足を乗せる木の板を小道具さんが赤い
スプレーでシュッシュッとスプレー。あまりのラフさに、「うわー、業界だー。」と思った
私であった。
そのビデオを見るために開いた「子供ばんど」ビデオ大会。1983年9月11日、YAMAHA池
袋東ショップ。当日、夜勤明けの私は、Yシャツにネクタイというサラリーマンスタイルで
妙に浮いていた。ビデオを見ると、我々エキストラの出番は最後の手拍子の手だけ。私の手
がどれかなんて、当然わからない。でも、その後JICK様と2ショットで写真を撮れたり
して、なんとも幸せな1日であった。
1984年2月12日、YAMAHA渋谷ショップでのファンの集い。
Jick様「今日は、子供ばんどの新しい姿を見てくれ。」
そして演奏開始。タラララララ〜 タラララララ〜ララ〜。それはポール・モーリア「オリ
ーブの首飾り」だった。
Jick様「やるんじゃなかった。」
勝さんも「子供ばんど」に馴染んだ1984年5月5日「子供ばんどの日」の中野サンプラザ。L
IVEの後にアルバム「ROCK & ROLL WILL NEVER DIE!!」の
手渡しがあった。たしか、勝さんとタニヘイさんに握手してもらったと思う。なんか、みん
な照れくさそうだった。
1984年8月15日、後楽園ホール PINK CLOUDとのLIVE。
Char様も大好きな私にとって、最高の組み合わせだった。後楽園ホールは適度に狭く、
しかも格闘技用なので、客席の傾斜が大きく、すごく見やすかった。
「子供ばんど」が大暴れした後、ピンクラの面々は、とても静かに演奏した。Char様は
一言もしゃべらなかった。Jick様との対比を強調したかったのだろうか。
そして、Jick様と共に「子供ばんど」を支えたタニヘイさんが脱退してしまった。
1985年5月5日中野サンプラザ。Jick様、Yuuさん、勝さんの3人で製作したアルバム
「HUNGRY BOY」とともに、今年も「子供ばんどの日」がやって来た。
新ギタリスト 杉原ひろしさんは、まだ借りてきた猫のようにおとなしかった。
1986年になると「子供ばんど」の記憶は急速に薄れてきた。
1986年5月5日「120%PURE」発売。1曲として記憶に残る曲が無い。「子供ばんどの
日」にLIVEがあったかどうかも思い出せない。(関西であったかもしれない)
次のアルバム「NO GIMMICK」に至っては、発売日すらわからない。「子供ばんど
」はどこに行ってしまうのか。
そんな「子供ばんど」との関係が希薄になりつつあった1987年5月5日、アルバム「BEFO
RE ZERO」は、あいかわらず印象が希薄だが、日比谷屋音でのLIVEは、久しぶり
に原点に帰った感じだった。
見たい見たいと思っていたJick様のPAから飛び降りを初めて生体験。飛び降りた後に、
しばし苦痛の表情をみせたかと思うと、急にひょっこり立ち上がり、平気な顔して歩くコテ
コテの演技はまさに吉本。LIVEの最後には、Jick様が身に付けているものを全て客
席に投げ込み、パンツ一丁でスタスタと帰っていった。靴が3m位近くに飛んできた時は思
わず手を伸ばしてしまった。(とても届く距離ではなかったけれど)本当に、久々のノリだ
った。
そして、1988年5月5日、東京PITでのLIVE。アルバム「KODOMO BAND R
OCK」とともに、ついに、トーベンさんが復活した。
トーベンさんのいる「子供ばんど」を、この目に焼き付けなければ。そんな気持ちでいっぱ
いだった。そして「子供ばんど」はLIVE2000本達成に向けてラストスパートをかけてい
た。しかし、2000本達成したら解散するという噂も一部には流れていた。トーベンさん復活
の喜びを消す噂だった。オープニングでスクリーンに表示されるカウントダウンが、なんと
なく解散へ向けてのカウントダウンに思われて、気持ちが集中しきれないLIVEだった。
一度でいいから、Jick、タニヘイ、Yuu、トーベンの「子供ばんど」を体験してみた
かった。
「子供ばんど」のLIVEは、いつも最高だった。HeavyMetalと違い、拳を突き
上げることはなかったけれど、そのかわりオープニングからラストまで、ずっと手拍子だっ
た。「踊ろじゃないか」が終わり、心地よい脱力感の中でひりひりする手の平を見ると、頭
脳線にうっすらと血が滲んでいた。充実感があった。
子供ばんど脱退後のトーベンさんが結成したALPHABET’S。向山テツさん(d)、サン
トリー坂本さん(k)とのトリオ編成で、思いっきりポップなナンバーをやっていた。トーベン
さんの懐の深さを感じさせるバンドだった。
1983年12月15日の千葉ダンシングマザーズでのLIVE。お客さんは、みんな女の子だった。
男一人で見ていたら、トーベンさんに「もっと前にきなよ。」と言われてしまった。なんか不
思議な体験だった。
ギターは小川銀次さん。ソロアルバムを作るほどの実力者にもかかわらず、サポートに徹し、
決して前に出てこなかった。
ALPHABET’SのLIVEは、いつもほのぼの。
1984年4月13日の千葉ダンシングマザーズも、おもいっきりリラックスムード。
トーベンさんvsサントリーさんの漫才バトルも絶好調。テツさんは、しばしお休み。
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