教会は、神を礼拝するために、神によって集められた集会です。教会の礼拝には、どなたでも出席できます。礼拝は、信仰をもって守るものですが、誰もが最初から信仰を持っていたわけではありません。最初は、信仰はおろか、キリストによる救いについてさえ、何もわからないままに、教会にやって来たのです。教会に来た理由やきっかけも人それぞれです。それも大切なことですが、むしろ、神の導きがあって、この礼拝に招かれたことを信じることです。 礼拝に集まって来る人たちは、特別な人たちではありません。年少から年長の者まで、男女を問わず、さまざまな仕事を持ち、家庭があり、それぞれの者が生きることで多くの労苦を重ねています。その意味では、世間の人と何ら変わるところがありません。しかし、神の前に集って来るこれらの人々に共通して言えることがあります。それは、どの人も、神に造られた人間でありながら、神に背く罪人であるということ、そして、それにもかかわらず、神がお遣わしになった主イエス・キリストを救い主とする信仰によって、その罪が赦され、体の復活と永遠の命の祝福にあずかる者とされるという事実です。礼拝に集まって来る人たちは、この事実を、神による祝福への招きとして信じるのです。それ故に、多くの労苦の中にありながらも、望みを失わず、むしろ、主イエス・キリストによって示される愛の神に感謝を捧げようと喜んで教会の礼拝に集まって来るのであります。 主イエス・キリストが確かに神の祝福をもたらす救い主であることは、キリストの十字架と復活によってなしとげられた神の救いのわざにあますところなく明らかにされ、聖書に福音として証言され、使徒たち以来代々の教会が信じるべき信仰の内容として継承し告白してきた信仰告白に言い表わされています。私たちの教会も、聖書に福音として証言されるキリストによる罪の赦しとそれに基づく祝福を正しくこの時代に受け継ぐために、使徒たち以来の信仰を正しく継承しようとしています。すなわち、私たちの教会が、最も大切なこととして、証しし伝えていることは、キリストご自身から代々の教会を経て受け継いで来たことなのであります。 礼拝への案内 教会の礼拝には、どなたも出席できます。最初のうちは、戸惑われることがあるかもしれません。しかし、続けて出席なさるうちにそのようなことはなくなります。 *礼拝は、毎週日曜日(主日)午前10時15分からです。早めにおいでください。*受付で、氏名、住所等を御記入のうえ、礼拝の順序がしるされた『週報』を受 け取ってください。礼拝には、聖書と讃美歌が必要ですが、お持ちでない方には、お貸しできるように備えてありますので、その旨、受付に申し出てください。(聖書と讃美歌は、教会で、購入することができます。サイズも数種類あります)*礼拝堂にお入りになり、前の方から間をおかないで、着席してください。*讃美歌は、オルガンで一度ひきますが、オルガンが始まったら起立してください。*「罪の告白」は、受付のプリントをご利用ください。「十戒」、「使徒信条」および「主の祈り」は、『週報』の裏面に印刷されています。*説教に、傾聴してください。*献金は、神の恵みを感謝し、自分自身を神に捧げるしるしです。額は全く自由 です。ご用意のない場合は、そのまま黙祷を続けてください。*礼拝順序など、不明なことがありましたら、となりの方に遠慮なくお尋ねください。*その他、礼拝に出席する時の心構えについては、「礼拝者の心得」をお読みください。*礼拝が終りましたら、牧師が玄関ロビーに立っておりますので、挨拶してお帰りください。また、牧師にお話しのある方は、遠慮なく申し出てください。 礼拝者の心得 熱心に求めなければなりません。信仰は、求めなければ与えられないものです。教会の礼拝に出席することは、もっとも大切なことです。信仰者の生活の中心は、教会の礼拝にあります。<礼拝の意義>礼拝は、私たち人間が神を拝むことです。神に造られ、神がお遣わしになった救い主に救われた私たちが、全人格を傾けて、神を拝むのです。ですから、礼拝は、神を拝もうとする厳粛な思いと、救い主を讃美するつつましやかな喜びとが満ちたものでなければなりません。はじめての方も、まず、この礼拝に出席し、共に神の言葉を聞き、祈り、神を讃美しましょう。神による創造と救いは、神御自身が、礼拝において、明かにされ、完成へと導かれるのです。<礼拝の準備>日曜日には、必ず教会の礼拝に出席することが大切です。神を拝むのには、気まぐれであったり、少々の用事で怠るようなことがあってはなりません。また、遅刻しないことです。礼拝は、ひとつのプログラムによってできていますから、始めから終わりまで出席していなければ、正しい礼拝にはならないのです。神を拝むのに遅刻するのは、神を尊ばないことで、礼拝にはふさわしくありません。また遅れて来ることは、他の人の礼拝を乱すことにもなります。奏楽が始まる前には礼拝堂に着席できるよう、早めにおいでください。礼拝堂内の席は、礼拝堂に入った順に、前からつめて着席しましょう。「自分などは」とわざわざ後ろの席に着くのは、謙遜ではなく、自分を特別扱いしたがる傲慢であります。神の前では、すべての人が平等なはずです。しかし、小さいお子様連れの方は、入口の近くに着席される方が便利でしょう。お子様が騒いだ時は、すぐに連れ出しやすいためであります。そのような時のために、母子室が、利用できるようになっています。礼拝堂では、礼拝に必要以外のことは沈黙しなければなりません。聖書や讃美歌を黙読するか、黙祷するか、あるいは黙想するかして、礼拝の準備に心がけ、礼拝に必要以外のものを読んで過ごすことがないように注意してください。心の準備のない者は、よい礼拝は守れません。服装は、立派である必要はありませんが、神の前に出て礼拝する者にふさわしいものでありたいものです。<礼拝が始まったら>全身全霊をもって、神の言葉を聞き、懺悔し、感謝し、神を讃美しましょう。 礼拝の中心は、聖書と説教と聖礼典及び祈りにあります。万一遅刻した時でも、聖書朗読と祈りの時には、礼拝堂にお入りにならないでください。礼拝中に聖書を開くべき時には、必ず開くようにしてください。讃美歌は、神を讃美するのでありますから、オルガンに合わせて、大きな声で歌い、遅くならないように気をつけましょう。祈りのあとには、はっきりと「アーメン」と言いましょう。礼拝の中でなされる献金は、神の恵みに応えて、私たちの一切を捧げるという儀式でありますから、祈りの心をもってしましょう。<礼拝がすんだら>説教者が退場してから、静かにお立ちください。挨拶などは、礼拝堂を出てからにしてください。教会内の生活は、礼儀正しい愛に満ちたものでなければなりません。 教会の三要文 「使徒信条」・「主の祈り」・「十戒」は、古くから教会の三要文と言われています。 使徒信条 我は 天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我は その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は 聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。 アーメン 「使徒信条」は、最初の頃の教会が洗礼を受ける際に求めた信じるべき信仰箇条であり、その名が示すように、キリストの一二使徒たちがそれぞれの信仰を持ち寄ってまとめた信条であるとの伝説があります。世界でもっとも古い信条です。私たちの教会では、礼拝の中で、信仰を言い表す際に用いています。 主の祈り 天にまします我らの父よ、願わくは、み名を崇めさせたまえ。み国を来らせたまえ。み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。 (マタイ6・9以下より)国と権(ちから)と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。 アーメン 「主の祈り」は、主イエス・キリストが教えてくださった祈りです(ルカ11・1−4)。したがって、これほど確かで正しい祈りはありません。祈りの模範とも言えるこの祈りは、私たちが祈るべきすべての内容が含まれていると言ってよいでしょう。呼掛けではじまり、六つの祈りがなされ、神をほめ讃えておわります。前半の三つは神に関する祈りで、後半の三つは人間にかかわる祈りになっています。 十 戒 神はこれらすべての言葉を告げられた。わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたは、きざんだ像を造って、それらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。安息日を心に留め、これを聖別せよ。あなたの父母を敬え。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。(出エジプト20・1−17より) 「十戒」は、神の意志を反映する律法を代表するものです。律法は、三つの働きが考えられます。第一は、人間の罪を明かにします。律法に照らすと、人間が、神の意志にいかに背いているかがわかってまいります。第二は、キリストに救われた者が、喜びと感謝をもって生きるための指標になっています。神に従う者の道しるべであります。第三は、共同体の規範としての働きです。律法は、もとはと言えば、共同体に与えられたのです。共同体の秩序の形成のために役割を果たします。神は、御自身の御意志に従おうと熱心に祈り求める者に、喜んで聖霊を与えてくださり助けてくださいます。律法を代表する「十戒」は、解放の宣言がなされたあと、前半に神に関する戒め、後半に人間関係における戒めによって、構成されています。 私たちの教会では、礼拝の中で、罪の告白をいたします。詩編の中でも悔い改めの詩編と呼ばれているものは、礼拝における悔い改めとして用いるのにふさわしいものです。ここでは、実際に用いています詩編51から抜粋したものを紹介します。 罪 の 告 白(*会衆の告白) |