最新の説教要旨と今週の祈り

 2006.8.27 イザヤ書 9・1−5、マルコによる福音書8・31−9・1

 教会には十字架があります。屋根の上の十字架は、道行く人達に十字架を指し示しています。主イエスは、全ての者達を救うために十字架に死なれました。けれども、その主イエスが、私達全ての者の救い主であることがどれだけ理解されているでしょうか。
 主イエスは、今日の箇所で人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められました。人の子とは、主イエスの御自身への言い方です。「なっている」は、神のご計画であることを表しています。しかし、このことを聞いたペトロは、主イエスをいさめ始めました。いさめるとは叱ることです。この前にペトロは、主イエスを「あなたは、メシアです」と言っています。そうすると、ペトロにとっては、主イエスは十字架に死ぬメシアではなかったとなります。そのペトロに主イエスは、「サタン、引き下がれ」と言われました。ペトロの思いは、サタンと同じなのです。サタンは、主イエスが、人々に教えを宣べ伝えられるに先だって、主イエスを誘惑しました。サタンが主イエスに求めたのは、神ではなくサタンを拝むことでした。つまり、主イエスが、全ての者達の救い主とならないで、全ての者達をサタンの支配下に留めておく事を求めたのです。けれども主イエスは、父なる神のご計画の通りに十字架に死んで私達をサタンの支配から救ってくださったのです。
 私達は、いろいろな願望があります。それらを神にお願い致します。けれどもこちらからの一方通行のお願いであってはなりません。ペトロは、自分の願望のままに、主イエスが十字架に死ぬことを理解できませんでした。けれども私達は、神の御心に従うのです。それは十字架の主イエスを救い主と信じることですし、毎日の中で全てのことを自分の思い通りにしないことです。叶わないこともあります。それは御心だと納得するのです。しかし、どうして私達は納得できるのでしょうか。神が私達を愛していてくださるからです。故に神は、私達に最善の道を備えてくださっていると信じることができるのです。主イエスは、「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われます。これは、私達ひとりひとりへの主イエスの十字架の恵みを信じて、従いなさい、との意味です。私達は、いかなる時にも主イエスに従って、主イエスと共に歩んで行けます。
 

 6月18日 〜 6月24日

全能の父なる神、あなたは、私達を喜びの存在としてお造りになられました。全ての者達が、あなたに喜ばれている者であることに励まされて生きる者としてください。


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