翻訳/英語教育困ったちゃんコーナー(やったぜ!ちゃんも有り)+その他
このコーナーでは主に翻訳、英語教育にまつわる「困ったちゃん問題」を取り上げる予定です。ただし目的はあくまで「より良い翻訳/英語を」ですので、引用する題材等はあくまで「参考」です。(仕事の原稿から引用する場合もあるかもしれないので、出所は明らかにしません。またこちらで適宜、書き変えることがあります。)最終更新:2000年1月15日
○×先生の講演より
『英作文をしないと書く力がつかないという人がいますが、それはオオウソです。たとえば、30秒で「人生は1度だけである」という英作文を作ってみてください。You have only one life. という正解が書けた人が何人いますか。それでは、この英文を1分間、口に出しながら紙に書いて下さい。何回書けましたか。それでは、もう一度、聞きます。「人生は1度だけである」という英作文を作ってみて下さい。すぐに出来ましたね。つまり、いくら辞書を引いて長い時間をかけても、正解を書けない人は書けないのです。それよりも、はじめから正しい英文を頭の中に入れた方がよっぽど効率的なのです。』
(以上、とある英語教育のメルマガより引用)
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たとえば英語圏の人にいきなりYou have only one lifeと言った場合想定される反応は??の沈黙か、"So what!"(だからなんなのさ?)。この文が実際に使われる場面として考えられるのは唯一、パソコンゲームで「一度死んだら終り(ゲームオーバー)だよ。」ぐらい。
誤答は"Life is once"とか"Life is only once"とかの(文章の)直訳だろうが、これでも意味は通じるので、これにペケをつける先生は、「You have only one life」だけが「正解」だと思っているマニュアル人間か、英語がほとんどしゃべれないかのどちらかだろう。
「人生は1度だけ」というような意味を英語で表わすなら、You have only one life to live とすれば、とりあえず上記の「一度死んだら終り」問題は避けられる。一般的なのはThis is your only life あるいはより簡潔に This is your life。原文の「一度だけ」というのは、日本語でよく使われるダブル否定の構文(「一度」=二度は無い(=否定)+「だけ」(=否定))なので、英語で表現する場合は肯定型にするのが望ましい。ダブル否定のまま、意味を直訳するなら、You don't have a second life でもいいし(文章を直訳すると意味不明な英文になる場合が多いが、意味の直訳ができれば、なんとか通じる英文になる場合が多い)。「人生は一度だけで、逃げられない」とかの意味を表現したければ、Face it. It's your life とか言う手もある。
翻訳者の立場からすると、「人生は1度だけである」を「訳せ」と言われると困る。「だからなんなのだ」に当たる意味が抜けているので訳し方が色々、いや無限にあるからである。「人生は1度だけである」では、そもそも日本語としても意味が成り立っていない、完結していないとも言える。ましてや英語力の遥かに劣る学生諸君に対して、このような設問をする先生の神経が理解できない。意図は「人生は1度だけである(日本語A)=You have only one life(英語A')」を暗記しているかどうかのテストなのだろうが、それは限りなく不毛な行為に思えてならない。
もっとも、上記の引用は英語教育の場合であるので、私の「答え」は全てペケになるのかも知れない。蛇足ながら。
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8月12日、この件に関して、「訳が間違ってた」という訂正文が出てた
『○×先生の研修会の報告で「人生は一度だけである」の英訳は、正確には You only live once. でした。ここに訂正をさせていただき、発行者の不注意により間違った英訳を載せてしまったことをお詫びさせていただければと思います。』
こういう低次元で何が間違ってたか「正解」だったかという、、、「You only live once」というのはどっかで聞いたことがあるかもしれないが、映画ジェームス・ボンド・シリーズにYou Only Live Twiceというのがあって、これはボンドさんの人生観であって通常使われる表現では無い。偶然の一致かパクリか。英語圏の人にYou only live onceなんて言ったらそっちの方に話が飛んでしまうかも。繰り返しになるが「人生は一度だけである」の「英訳」を考えること自体が英語教育の方法論上の間違え。
「前置詞というものは日本語にはないということを前回説明しました。日本語にないから余計に難しいものであることも説明しました。
日本語にないものを理解するのは大変ですが前置詞を使った表現は便利なので前置詞を使った表現を多く見て行きます。
☆「手伝って息子にコートを着せた」(普通、こんな言い方するか?英語風な日本語をネツ造して、それを「訳す」というのは、「直訳」の逆の誤謬)
この場合英語で表現するとどうなるでしょう?
前回も言いましたが、前置詞が日本語にはないので代わりに動詞で表現することがあると説明しました。この場合もそうです。日本語には「手伝う」「着せた」と2つの動詞がありますが、英語では動詞一つと前置詞で表現できます。
そのまま訳した文でも正解は正解ですがもっと英語らしく簡単に表現できるので前置詞を使います。まず、動詞を2つ使った場合は
☆I helped my son and made him put on coat.
この文はやや言い過ぎかもしれませんが文法的には間違っていません。しかしやはり不自然です。無理やり長くしているとしか思えません。簡単に言うには前置詞を使って(文法的には完全な間違いだよ)
☆I helped my son into his coat.
と非常に簡単に言えました。これで完璧です。(そりゃ、これを日本語に直訳したものを、英語に直訳し直したわけだから、当り前だろ)
☆「コートを着せてください」
☆Help me on with my coat.
という表現もあります。
前置詞というのは非常に便利なので英語では多用されます。「help」が出てきたので、類似表現を挙げておきます。
☆He helped her in her positive attitude.(意味不明)
☆「彼女が積極的な態度を取ったので、彼は手を貸した」(え?何に手を貸したって?)
この場合も同じです。前置詞にはもちろん動詞の意味などありませんが日本語では動詞として訳した方がうまく行くのです。ちなみに直訳すれば「彼は彼女の積極的な態度において、彼女を助けた」となります。
ここでの前置詞は「in」ですがこれに対する日本語は「取った」です。もちろん「in」に「取った」などという訳語はありません。これは完全に意訳と言えます。
動詞と引っ付いている前置詞はほとんど、動詞の意味があります。日本語には無理やり訳さなくても自然に動詞的な意味があります。前置詞は動詞ではありません。似ても似つかぬものです。しかし日本語には前置詞がないので動詞で代用するのです。もちろん動詞以外でも代用します。しかし動詞での代用が多いのでこれだけ説明しているのです。(何言ってんだかさっぱり分からん)
日本語で動詞が2つ以上出てきた場合には前置詞で表現できないか、考えてください。また動詞と引っ付いて前置詞が出てきた場合には日本語で動詞に読みかえられないか考えてください。そういうところをしっかりと身に付ければ英語がわかってきます。
英語表現する際は、前置詞は非常に重要になってきますので使い方に注意し、むやみに動詞を使わずに前置詞を使ってください。
動詞の数を減らし、前置詞を多用するのが目的です。
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コメント:この人は、「日本語には前置詞がない」と言うけれど、「前置詞=名詞・代名詞の前に添えて、その語の他の語に対する関係を指示する品詞(広辞苑)」という意味では、日本語にもそのような語はいくらでもある。「本を机の上に置く。=on」「彼が帰ってから寝る=after」等。上の例では、Help me on with my coat の場合、「on」に相当する「前置詞」が「無い」から「動詞」を使って「コートを着せてください」と訳すそうだが、これは「訳」では無く「意訳」であって、それも誤訳*である。Help me on with my coatというのは、ある意味で短縮型であって、フルに(ないし正式に)言う場合はHelp me put on my coat(put on=wear=動詞)で構わない。その訳としては「コートを着るの、手伝って。」等が考えられるが、これも「英単語A=和単語A’」の誤謬。言葉とは、意味を伝える、理解するためにある。日本語の文法をそのまま英語のそれに当てはめようとするのは、自ずから無理が生じるということが、理解できないのだろうか。
*「コートを着せてください」前にも言ったが、この日本語は完結していない。誰が誰にコートを着せるのかが、脱落している。つまり、「人形/彼/私にコートを着せてください」と言っても、意味が通じなくは無いということ。勿論、厳密には、「彼」の場合は、「彼にコートを着せてやってください」とかになるのだろうが、そんな厳密な日本語使うやつ、いるか?ほら、ここでも「を」を抜かした。従ってこの日本語は英語には「訳」せない。私の訳、「コートを着るの、手伝って。」であれば、この問題は避けられる(だから「正解」だ、と言っているのでは無い、ということも理解していただきたい)。
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●創刊の挨拶
今回から、「脳に英語の回路を作る」というテーマに基づいて、配信していきます。(いい線!)
基本的には、友人であるバイリンガルのJim君(母親が日本人)に、どのように日本語と英語を使い分け、英語で発想しているかを聞きながら、ポイントをまとめていきたいと思います。
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(1)和訳と英語のイメージの違い
まず、下の英語をごらんください
<He is too tired to study.>
あなたは、この英文をどう理解しますか?まず、too〜to〜構文だとわかりますね。そして、「彼はひどく疲れて勉強ができない」という日本語が浮かぶと思います。(辞書にもそう出ています)しかし、Jimに聞くと、この日本語の訳は英語のイメージと違うと言うのです。彼の理解を直接日本語にすると「彼はとっても疲れているんだよ、勉強するには」というイメージになるそうで、「疲れている」ということが強調されていると言うのです。
しかし、これでは、日本語としては変です。だから、日本語にする時には「彼はひどく疲れて勉強ができない」という文に<翻訳>されます。でも、この日本語の文章だと「疲れている」ことを言いたいのか、「できない」ことを言いたいのか、わかりづらい面もあります。(作者の日本語力の低さか、「いるので」が抜けている)
ここで、私たちが理解しなければならないのは、私たちが学校で習った和訳は英語を日本語として理解するためのものであるということです。(その通りでこれが根本的な間違い)
英語を正しい日本語に置きかえたり、内容を正しく理解するためには、この作業は重要ですが、英語をそのままのイメージで理解するためには、英語の世界のイメージを理解することが必要になります。(ハイ!)
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(2)英語の回路で<too--to>構文を読む
次の英文を「/」で一息ついて、自分の気持ちを相手にぶつけるイメージで声を出して、読んでみてください。
どうでしょうか? 自分の気持ちを言葉に込めることができましたか?このように、英語母国者は、too--to の構文を使う時は、まず、その状況をストレートにぶつけるのです。
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(3)バイリンガル君に聞く
私の友達のJimは英語教育で育っていますが、お母さんが日本人ですので、日本語も全く普通に話せます。でも、モノを考えている時は、英語で考えているそうです。それでは、彼に幾つか質問してみましょう。
-----ずばり、どうすれば、英語の回路を作ることができると思う?
Jim そうだね。シンガポールの場合だと、今は小学校から完全2カ国語教育だけれど、英語の授業の時は、すべて英語で教わるんだ。でも、日本の学校の場合は、日本語で英語を教えるよね。この差は大きいと思うよ。(こういうことをやってるのは、日本だけだろう。なぜこのようなマヌケな教育法が発生したか、それは江戸時代の「蘭学」にさかのぼる。つまり、コミュニケーションではなく、知識の習得の手段としての「語学」。両者は目的が全く違う)
-----つまり、文法も英語で習うと。でも、これはかなりきついね。
Jim 翻訳や通訳をしない限りは、英語を日本語に置きかえる必要はないからね。どう説明すればいいかな。そう、英語でも日本語でもきちんとイメージがわくから、そのイメージで理解するんだ。「鳥」という日本語を聞けば、「鳥」のイメージが浮かぶし、「a bird」という単語を聞けば、やはり「a bird」のイメージが浮かぶ。
-----その辺に秘密がありそうだね。日本人が「a bird」という単語を見ると漢字の「鳥」が浮かんでくるというのは、英語を日本語の回路に運んでいるということになるのかな・・・
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コメント:この作者は、いくつかの非常に重要な点を指摘している。これが「意識的」であれば期待が持てるのだが。再度引用すると、
-<脳に英語の回路を作る>というのは、私の言う「英語でものを考える」ことなのだが、これは一朝一夕にはいかない。人間の脳味噌はPCと違って「英語の回路ボード」を差し込むことはできない。そうした回路ができた背景にある文化や思想も少なからず会得しなくてはならない。これは論理主義、個人主義、民主主義等をも含む。日本におけるこれらは、欧米その他に比べかなり未発達である。
-4. に関して、学校で学ぶ「訳」としては、これを「正解」にしていいと思う。「あまりにも疲れている、勉強するには」は、日本語にはなっていないにしても、これが「英語でものを考え」ているプロセスの直接の表現だからである。ここまで理解すれば十分なのであり、これを「ちゃんとした日本語」に「直」そうとするところに、諸悪の根源がある。つまり、和訳をする場合、「ちゃんとした日本語」にすることに重きが置かれる場合、それは英語を読んでいるのではなく、日本語を作文することに無駄な時間を費やしている、ということ。特に最近(の15年間、私が翻訳の仕事をしてきての印象として)、日本人の日本語力は低下している。和訳の勉強が、実は日本語の勉強になっていはしないか。それでは本末テン倒である。(9/21/99)
今(当時?)、10月30日(1999)、土曜日、午後4時。先週から今週にかけて急ぎの仕事が続いたので、本来は仕事をしていなければならない時間なのだが、夜、買い物に出なくてはならない等、さぼって一筆認めることにした。翻訳業界の現状など。
2年前に今回の大不況が始まったと同時に、当然にも翻訳の仕事の依頼は減少した。これはあくまで和→英訳に関してだが、民間の発注が減少、今年にいたっては皆無に近い状況になった。「履歴」のところに書いてある翻訳会社のうち、発注があるのは(株)日本翻訳センター(JTC)のみと言っていい。ただしこの会社は公官庁の仕事が専らなので、国内景気がこれほどまでに悪化しても、役所は財源に困らないというだけの事かもしれない。もっとも和→英の場合であって公官庁の仕事というのは最終クライアントが海外もしくは外国人の国内研修とかなので、予算を割り当てざるを得ない事情もあるのかもしれない。それにしても、他社からの民間の発注物件が、翻訳箇所を最小限にするなど、工夫しているわりには、公官庁の仕事は旧態依然、そうした工夫は全く見られない。例:前回やったのと殆ど同じ内容の物を新規訳として発注
またこれは他でも書いたかもしれないが、現在では求められる翻訳の質が高まっている。が、その一方で、「産業翻訳」やら「テクニカル・ライティング」の名の元に、また不況/リストラによる翻訳者の新規参入により、実際に納品されている訳の質が、数年前までは考えられなかったほど低下している。「前回の分の今年度版」とかを作成するとかで、他の翻訳者がやったものをチェックする機会があるが、最近のそうした物件を見ると、質が極めて高いものと低いものとが、入り交じっている。ひどい物になると、特に長文の場合、そもそも元の日本語の意味を全く理解することなく、辞書もろくに見ず、ただ単語や文節を適当に並べただけの物すらある。このことは、本来なら副業的な仕事量しかないはずのネイティブチェッカーが、本業として「大儲け」している(と本人が私にメールしてきた)という事実にも示されている、個人的な話しではあるが。
5年ぐらい前だったか、前回の不況の時は、やはり仕事が減り、私は(東京の)山の手線を一周して駅のキオスクの電話帳から「翻訳業」のページを破り取り、20本ほどDMを送ったが、その時たしか5社ほど登録先が増えたが、これらも、また以前からの取引先からも、またJTCからスピンオフした2社も含め、今回の不況では全滅状態となった。12月にマシンを買い換えるので(今のではWord6までしか走らない)、来年はまた「山の手線回り」をやる予定だが、単に登録先が増えるだけに終るような気もする。
この不況はいつまで続くのか。今年は「リストラ」がキーワードとなったが、これは個人単位の首切り。来年は「レイオフ」が取って代わるのかも知れない。そうした事は周知の通り、いくつかの大手企業が方針として打ち出している。思うと、我々が学生の頃には「福祉国家」なるものが議論の対象となった。今、国民年金制度は破綻し、国民健康保険制度も??である。介護保険?誰も払わないでしょう。会社社会でも、「新卒採用」はいずれ死語となり、40代で管理職以外はレイオフ、「定年」はごく限られた一部の業種(公務員とか)に限られ、当然「年功序列」は成り立たなくなる。昔、サラリーマンの給料といえば、年齢に「万円」を掛けた数字、といわれたが、これもなくなる。しかし冷静に見てみると、こうしたことは欧米諸国では普通の事なのではないか。今が「異常」なのではなく、「日本固有」とされていた「終身雇用」「年功序列」等が、それこそ江戸時代(?)の「伝統」に則り、高度成長という(安保下、軍事非ゼロの)経済基盤に支えられた「異常現象」だったのではないか。この欧米型雇用方式が国内でいかに反発をくらおうとも、現在の不況の出口はその向こうにしか無いようにも思う。
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実践英訳教室-発注物件を元に
最近こういうのがあった。ある(時計会社らしい)会社の経理事務に関するマニュアル。入稿は昼前で納期は次の日の午前中。タイトルは「月例ABC Customer Service 資料作成マニュアル」。内容からすると「ABC」というのは経理関係の書類らしいが詳細は不明。最初の文(段落):
『ABCの基本資料となる有料、無料修理を混合したIncome Statementを作成する。』
ここで「Income Statementを」は手書きで挿入してあった。内容は製品の有料、無料修理を受付けた場合その他の会計処理。いたるところに英文が挿入してあって、文章としては雑、未熟、省略が多いので最初訳した時点ではチンプンカンプン。タイトルはまあ、このようなものでいいとして、『』中の最初の段落は結局以下の訳にした。
This Manual explains how to prepare the Income Statement for the free and charged repairing services which becomes the basic material for the preparation of the ABC.
これは典型的な補完型の訳の例なのでコメントは不要だろう(要る人はメールください)。