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◆ 小学3年の終わり(1985年3月)
当時、クラスの間でNHK「みんなのうた」を見ることが流行っていました。友達につられて、なんとなく見ていました。そうしたら、「あ、この曲かわいい」と幼いなりに直感した曲、それが「恋するニワトリ」でした。え?誰が歌ってるの?「たにやまひろこ」っていうんだぁ…。これが谷山さんの曲を意識して聴いた最初です。(ちなみに、それ以前に浩子さんと知らずに聴いていたのはサクロンのCMで使われていた「風になれ〜みどりのために〜」でした)
◆ 小学4年夏(1985年)
この年の夏、浩子さんにはまりました。そう、名曲(と思っている)「まっくら森の歌」です。ほかの「みんなのうた」の曲にはない陰のある歌詞、幻想的な曲調に私はのめりこみました。クラスの「みんなのうた」ブームはとっくの昔に終わっていましたが、密かに(何故密かになのか今も不明)父に頼んで楽譜付きのテキストを買ってもらい、ピアニカで一生懸命弾こうと練習していました。その後も「しっぽのきもち」「おはようクレヨン」など、浩子さんの新曲はチェックしていました。
ラジオの「すずかけ通り3丁目」が開始したのもこの頃で、結構聴いていました。浩子さんの曲とトークが少なかったことを覚えています。
◆ 小学5年〜中学3年
この時期は浩子さんから少し離れていました。定期テスト前に、「すずかけ通り3丁目」(名前うろ覚えです。違っていたらご指摘お願いします。)を聴くのが楽しみでした。
この頃の思い出…風邪で学校を休んで寝ながらラジオを聴いていたとき、「冷たい水の中をきみと歩いていく」がかかって、思わず聴き入ってしまったことです。タイトルの響き、前奏から歌に入る時の流れ、幻想的だと思いました。
◆ 高校時代(1991年〜1994年)
運動部並みのスパルタ式美術部(苦笑)に入部した私。この時期は心の余裕が全くなかったです。そんな中、一つ上の先輩が聴かせてくれたのが浩子さんの曲でした(未だにタイトル分からず…)。それから、徐々にひかれるようになり、当時はCDプレーヤーがなかったので、カセットで「COUNTRY GIRL」を購入。名曲揃いの中、「窓」に感情移入し、エンドレスリピートで聴いていました(カセットなので面倒だった)。程なくプレーヤーを手に入れ、それ以降はCD集めにいそしんでいました。この時期は浩子さんだけではなく、いろいろなアーティストの音楽に触れていましたね。
◆ 大学時代(1994年〜1998年)
リアルタイムでCDを手に入れ、周囲に勧めていました。でも、結果がついてこない、まさに試練の日々でした(涙)。名古屋のライブに行きたくても行けず、悔しい思いをしていました。
この頃から、全国の浩子さんファンと交流できたらという思いが募りはじめました。大学2年の時にヤマハオフィシャルファンクラブに入会しました。
◆ 就職浪人&社会人(1998年〜)
就職直前、コミケをきっかけに、私設ファンクラブ「夢たんぽぽ」の存在を知り、入会。この出来事は、いろいろな意味でターニングポイントでした(自分が代表を務めることになるとはよもや思いませんでした)。
ライブデビューは遅かったです。記念すべき初ライブが幻想図書館「雪の女王」名古屋公演(名古屋市民会館中ホール)、2回目はすみだトリフォニーホールのソロライブ(倉田信雄さんのピアノをバックに歌う浩子さんがとても輝いて見えました。)。
その後、名古屋・関西方面など近隣のコンサートに出かけるようになりました。
…いろいろあって、現在に至ります。
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