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8.26 アテネ ・・・・・> Home へ |
私のつぶやき (日付け逆順)更新 04/08/26 >>以後都合により中断中<< まえがき
No.38 2004.8.25 アテネ
No.37 2003.6.3 老い
No.36 2002.7.18 日本の自信
No.35 2001.5.25 小泉内閣
No.34 2001.1.28 命
No.33 2000.8.5 中断
No.30 2000.3.26 善悪 その1
No.27 1999.11.10 景気の行方
No.261999.11.8 情報提示の陰に
No.22 1998.9.2 怒りはどこえ
No.21 1998.6.3 道路工事
No.20 1998.6.3 番組へのご意見
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| この間手伝いに行っていた会社から「もう結構です。」といわれ、また家にいることとなった。テレビ をのぞくことが多くなった。 特に昼間の民放の横並び番組が多いのにいまさらながら驚く。 また、特にNHKに多いのは、特別番組などで「皆さんの意見をお寄せ下さい。」というのがある。Fax か電話で収集しそれをその番組の途中でで紹介すると言うのである。機械がずらっと並んでいる。恐 らく何百件・もしかしたら千台の意見が集められる。でも、紹介できるのはどう考えても二桁台の数だ ろう。それも、スタッフが選んだものであろう。後の残りのものはどうなってしまうのだろうか。私はいつ も馬鹿にされたような気持ちになる。名前・住所・職業などが書れている。NHKとして他に使うのなら それなりにことわるべきである。その番組のためにだけ使うのなら少し大袈裟すぎるのでは。 |
No.19 1998.4.11 子供達の輝く眼
| 私の身内や親戚にも教鞭をとっている人またはかってやっていた人がいる。近年大変で、我々の想像 を越えた仕事をやっているようだ。中学生のナイフ事件は驚きだったが、その矛先は教育現場にゆく。 マスコミも文部省も。最近学校関係者以外の人を教室に呼んで授業を行うという番組が放映されてい る。以前にもNHKでやっていた。多少生徒側にも演ずる感じもあったが、生き生きとした目が印象的 であった。有名人?になるにはそれなりの努力があったこと、元は誰もはな垂れであったことなどが体 験出来るのである。ここでは教わるのではなく理解するのである。一流の画家でなくとも、落語家でな くとも巷にいくらでも先生はいる。学校は勿論、地域の子供育成の場などでもやったらいい。教育委員 会や校長などの判断で日常的に行えたらいい。と思った。 |
No.18 1998.4.11 自然の息吹に思う
| 今青梅の森や丘陵の景観は変化をしている。芽吹きの真っ盛り。この一週間いや二三日の出来事で はなかったろうか。旧市内から南を見ると、多摩川の向こう側の丘陵は黄色・緑などに白色で薄めた 絵の具で掃いたような景色になっている。畑中・梅郷などの裏山にはそれに山桜が混じり美しい。 月並みではあるが自然の営みと年月の進行を感じ、宇宙のまわっていることなど一瞬ではあるが思う のである。昨年このHPでもこれを伝えることにやり甲斐を感じたことを思い出す。「定点観察」のペー ジではいろいろ工夫もしたが、レスポンスタイムと解像度で限界があった。同年代の方には理解が及 ぶと思っているが、若者に伝えたい気持ちで一杯である。 |
No.17 1998.3.7 高齢者社会
| 少子化と高齢者社会。私の身の回りにも結婚をしない若者が大勢いる。私の子のことを思うと心配で ある。どんな世の中になるのか予想も付かない。 今何兆円もの金をつかって目先の対応におわれて いる。でも、この様な若者が家庭に憧れをもち、結婚をし、子をなし人を愛することが幸せと思えるよう になれることに(そのようなことがあるなら。)予算を注ぎ込むことも大事では。 昔、女性の政界進出 は産児制限から始まったと思う。(?) 昔に較べれば今は暮らしはどうにかなる。あとは若者一人一 人の人生哲学の問題。文部省も無力。学校にハッパをかけるしか出来ない。どこかの国では奨励金 をつんだ? 世の中は真っ暗でござんす。 いや。長野オリンピック・パラリンピックでは希望を湧かせてくれた。ラジオでこの両者は一体的に開 催すべきだといっている著名人がいた。その通りと言いたい。現在では分ける意味がない。 お父さんの復権などともいわれる。失礼ななどと言っているお父さんはそこいら中に居るはず。 |
No.16 1998.3.6 官僚も横暴
| 証券会社と大蔵省官僚の不祥事。考えてみるとこのような不祥事は五十年体制以来も延々と続いて きたことではないか。一般国民からすればどしどし摘発して欲しい。また、他の省庁にもそれが及ぶ ことも。一部のキャリアといわれる特権を持ったものが法を越えてそれを乱用することは不愉快。 また、いま中小企業などが苦境に立たされている。資金繰りがつかず倒産する。一方、多くの銀行は どうだろうか。銀行員の年俸がいいのは知っていると思った。でも最近の報道によれば私の予想を遙 かに越えた額だった。今回の公的資金の流用がどのような結果をもたらすかわからないが、多くの銀 行が受け入れの希望を出したという。しかも融資希望額も横並び。また、住専問題のことが頭に浮か ぶ。銀行は結局どうにかなるのである。 大蔵省関係者の反対があり、火だるま改革が腰砕けになり、絶対な権力を保持することにやっきとな る大蔵省。私は、橋龍さん、加藤幹事長、山崎政調会長などの顔を見るのもイヤである。このつぶや きもやめようかと思った。 一国民の私のこの感想が多くの人々の気持ちではなかろうか。 |
No.15 1998.2.15 アナウンサーさんでしゃばらないで
| 長野冬季オリンピックでは様々の感動がわき起こっている。多くを語るつもりはない。スポーツだから。 だがまた報道については言いたいことがある。メダルをとると途端に報道はその人に限られてしまうの が不満である。スケート500mの堀井・島崎、ラージヒルジャンプの岡部などは感動を与えてくれた人 たち。モーグルの白馬高校の2年生もそう。「オリンピックはメダルの勝負」と割り切ってしまいたくない と思うのは私だけだろうか。ジャンプの船木が花束を応援の観衆に投げ入れたら、だれに? 誰か特 定のひとに?とくる。極限のプレッシャーに打ち勝ち、歓喜しているスポーツマンに何で?そんな質問 をと思った。ドラマをアナウンサーがつくろうなどとしなくても余りある感動を体験しているのに。 それにしても開会式の評価はいろいろ。聖火点火の時の蝶々夫人の音楽はあれーと思った。 |
No.14 1998.2.14 マスコミの責任
| 中学生によるナイフ殺人事件。確かに未成年者による事件は凶悪化しているようである。「最近こ種 のナイフによる事件が急増している。」と言う報道がこの直後に一斉にされていた。私には、ほんと? 何を根拠に? そのような情報をもっているの?と言う思いがしてならなかった。翌日のラジオで、 高校生への質問をしていた。君たちはナイフをもったことがある?の問にあると答える生徒が大勢いた 。例のバタフライというやつ。どうもゲイム感覚で接していて、しばらくすると飽きてほったらかしてある という。3年も前のこと。学校側も知らなかったという。こういうレベルでなら、我々の少年時代も思い当 たることが多い。もし殺傷事件が急増しているのなら大問題である。文部省が指導したという。学校関 係者だけでどうこうできる問題ではない。本当に急増しているのだろうか。 もっとも後日ある新聞では、この問題を取り上げ、疑問を投げかけていたが。 我々は、社会問題に 限らず世間の情報は報道に頼っているのだから、正確に伝えて欲しいものです。我々の種々のイメー ジは報道によるところが多いことをいいたい。 いわゆるワイドショウなどで安易な発言が受ける側に いつの間にか誤ったイメージを植え付けるとしたら怖い。 |
No。13 1998.1.3 2000年に思う
| このところ不景気のため金融会社廃業とか、総会屋にたいする便宜供与とかが大手業界で起こってい るし、政党の分裂・移党など政治本来の動きではなく徒党の活動のみが活発に報道されている。ここ にも山ほど発言したいと思っていたが多すぎて手を着けられなかった。政策がはっきりして将来実現の 見透しがある事柄だったら我々は我慢する。政策が信じられないから増税にも反対するし政治不信に も陥る。どうみても親分子分の勢力争いかそれ以下の政治家の言動である。いまこの時間政治家は なにをやっているのだろうと言うのが今の気持ち。1998年が来た。年の変わりについてはそれほど 無常感は持たない方だが、歳を重ねるうちに行く末の短さからいくらか考えるようになった。政治家の スケジュールに21世紀からはとか、それまでにとか打ってつけたような発言を聞く。2,000年はたし かにもうすぐ。この無常感は日本だけかと思ったら、この間ニューヨークで大晦日の12時前から時計 を見ながらカウントダウンをやったことが報じられた。日本だけではない。でも日本のそれとは少し違う ようである。政治日程までが単なる数字の区切りに左右されることはあまりないようである。ほんの子 供の頃紀元2600年の国を挙げての記念行事を忘れない。提灯行列のゆらゆらした気持ちは、たしか 祖母の背中の上か手を引かれてよたよた歩きのなかで記憶に残っている。以来この数字的な区切り についての疑問が残っている。一方でそれまで生きられるだろうかという疑問が隠されていたことは 確かである。でもすぐそこ。私は21世紀まで生きる。今から、1999年12月31日が楽しみである。 |
No.12 1997.11.21 スポーツ選手へのインタビュー
| 大相撲も終盤。小錦関が負け越しとなり引退らしい。私もこの人の外国人?らしい表現力と素直な所 が好きである。頭の回転のよさも。 いつもスポーツ選手へのテレビのインタビューで気になっていることがある。とくに相撲・柔道など格闘 技で「どのようなことを考えて当たりましたか?」「ここのところはどうしようとおもいましたか?」「今の お気持ちは。」 私は、いつも選手の映像だけで十分ではないかと思っている。長い時間をかけて鍛 錬を重ねた選手には、頭で考える余地もなく闘争心と自然の(咄嗟の)身体の動きで闘っているのだ ろうから。もしどうしてもやるのなら、経験者の認識に立ったうえでやって欲しい。小錦関のインタビュ ーにたいする対応で、いつもなんでこんなことを聞くのだろうかと言うような表情を見せるときがある。 ぎょろっと相手の顔を見る。でも、そこから、一息いれて(気持ちを落ち着けて)機知に富んだ言葉を 残す。一流のスポーツ選手は自分を追いつめながら鍛錬に多くの時間と努力を費やしていることは 確かなのである。その時の人間としての限界のところで生きている。この点で、私は、今の自分に 照らし合わせるとき、自ずと敬愛の念が湧いてくる。 先日のサッカー勝利の後の選手へのマスコミ のあり方も、もう少し違った対応ができないのだろうかと思う。いわゆるタレントの人達と違うのである 。団体スポーツには、日の当たるポジションとそうでないと思われているのがある。中山がゴール に打てたのも中田・北沢・相馬・井原・・・・の絶妙な連携があった。この辺を踏まえた報道は見たこと があまりない。時間が足りないというのなら、くだらない質問は省くこと。 |
No.11 1997.11.20 虚像
| 橋本さんの火だるま改革も、ため息とともに落ち葉焚きとなりそう。前にこのぺージで官僚の壁につい て触れた。でもその前の族議員とそれをとりまく勢力に押されておかしくなったようである。わたしの予 想以前のところで終わりそう。橋本さんいや政治家のはったりと嘘と言う醜いところがまたもさらけださ れた感じ。住専問題からずーっとこれである。政治の限界なのだろうか。背筋が寒くなる。 もはや、政治家集団そのものについて、或いは政治家一人一人の意識改革が。或いは、これから五 十年・百年かけて国民全体のわずかずつの変化とともにしか変わることが出来ないのだろうか。 |
No.10 1997.11.10 晴れ上がった紙面
| 政治は膠着。業界は商法違反。だが、今日の朝日新聞の一面は感動的な写真で飾られていた。北 朝鮮からの日本人妻の帰国。今までは、外交的な配慮に飾られたインタービューしか知ることはでき なかった。肉親と固くだきあって歓喜の涙にむせぶ今日のこの写真一枚で日本人妻のすべてがを知 ったような気がした。もう一つは、ご存じサッカー日本チームの勝利。苦節にあえいできた中山と秋山 の飛躍して喜んでいる情景である。国中がサッカーに寄せる気持ちはわかる。サッカーの盛んな他の 国のように、いまやスポーツの域を越えた何かに変わったようなふうである。プロ野球とは違うもの。 あの若者たちの熱狂は、平和の象徴かも知れない。 天声人語は上野動物園の愛すべきゴリラの死について、含蓄のある文章でかかれていた。今日は 上天気で秋空が広がる。 |
No.9 1997.11.9 叙勲
| 毎年秋の叙勲が新聞に載る。その頃の朝日新聞の記事でそもそもの叙勲についての解説を読んだ。 以前に閣僚会議で叙勲廃止が論じられたことを知った。どのようにして格付けなどが決まるか疑問を 持っているのは私だけではないと思う。実は或るお役所の叙勲担当者だった人に仕えたことがあり、 ひどく専門性のある神経を使う仕事であることだけ聞いている。詳細な基準みたいなものがあるに違 いない。各省から各都道府県・市町村までこの様な人は沢山ひかえているのだろう。 新聞のリストで知る限りでは、立派な方々ばかりである。でもである。取りこぼしはないのだろうか。 率直な疑問である。昔だったら、「お上のなさること。」でよかったが。 もひとつ。我が青梅からの受 賞者が少ないこと。昔から、不思議であった。それだけ平穏な平和な街だからだろうか。あっちにもこ っちにも我が街に尊敬する人はいると思うが。 |
No.8 1997.10.8 政治情勢悲話
| 政界はまたまたわからなくなってきた。火の玉改革がくすぶりかけてきたこと。社民党が倫理法案を 唱えて橋本さんにくってかかった。今臨時国会予算委員会に新進党・太陽党などが審議拒否を行っ ている。(社民党は出席!)何を考えているのか!政治家は。私には、政策での集団ではなく、親分 子分の集まりにしか考えられない。最近マスコミでは自民党の「派」ということを再び正面に出して報 道するようになった。解消を唱えたはずが実際は機能しているのだろう。この欄で前にも触れたが、 政治家一人一人の哲学は選挙中のあの熱っぽさが消え失せ、一旦国会活動となると逆に灰色に曇 ってしまう。自民党は、我が党は幅広い考えの人が集まっているので、そのような意見もあるなどとよ く言う。この意味で立派なのは小泉厚生大臣で、いつもぎりぎりの線で主張を通している。それにして も、審議拒否とは。政治家の責務は、何なのだろう。委員会などにも入っていない議員は何をしている のだろう。利権を売り物にして地元を駆けめぐっているのでは。つい疑りたくなる今日この頃である。 国連では、日本を常任理事国に推薦するしないが論議されている。あまりにもお粗末な国会なので 他の国の話か思ってしまう。おまけに経済大国実は赤字財政にあえいでいる。赤字解消方針を確立 してからにしてもらいたい。景気は、教育問題は、温暖化は、福祉政策は、沖縄問題は、そうそうあの いきなり日米間で協議のあった防衛政策はとこのところ六改革のほかに緊急の問題がいくらでもある のに。法治国家として駄目なものは駄目。検察・警察頑張れ。 |
No.7 1997.9.7 大国の哲学
| 英国のダイアナさんが、また,インドのマリアテレサさんが亡くなった。6日(土)はダイアナ さんの葬儀の模様が放映され、色々なことを考えながら見たが。ひとつ言いたいこと、それ はこの葬儀の開催が滞りなく自然なかたちで立派に行われたこと。最初王室がこれに対し て冷淡であり市民が不満を募らせているなどと報道された。ブレア大統領が これを取りなし たとも言われている。いずれにしても市民感情が盛り上がり、それを王室 が受け止め女王 始め王室の参列となり、過去に例のない葬儀と相成ったと言ったところ。 私は、ここで英国 の歴史を思った。大国としての懐の深さを思った。それは、宗教の違い と言うより、永い歴 史の中で培われた英知と誇りがそうさせたのだろうと思う。 こんどのことを我が国にあては めるのはどうかと思うが、前例のない事態でもしこの様な 決断を迫られたら、我が国の関 係者はどうするだろうか。今度のことで、外務省は最後まで出席者の選択で他国の出方を 探っていたという。でも、もっと主体的に筋の通る哲学で 意志を表すことはできないのだろう か。今進行中の行政改革にたいする政府の対応が頭を かすめる。 インドでは、マリア・テレサさんへの祈りが、英国のそれとは違ったあまりにも悲しいかたち で行われていた。国葬が改めて行われるにせよ、多くの一般市民が雨の降りしきる屋外 で立ち去ることもなく深い悲しみに打ちひしがれていた。 二人の期せずして同じ日の悲報 であったが、永く忘れることはないでしょう。 |
No.6 1997.8.15 オーケストラの思い出
| 今朝久々にお盆休みで家にいる。衛星第2放送でバーンステインの演奏をやっていた。ベ ートーベンの第三交響曲英雄であった。この人のスマートな解釈による指揮が好きである。 音楽はやはり生(または映像付き)に限る。指揮者の身振りは人格丸だしになり、あるいは 歌い手の顔のゆがんだ表情はその人の叫びでありその人だけの美しさである。それと一体 化して音楽が捉えられる。オーケストラで指揮者の身振りと楽器奏者の表情と身振りがお 互いに溶け合う時があり、その時の音楽は美しくまた感動する。 「私のあらまし」のページに記したように、大学オーケストラで青春のひとときを熱く過ごした 経験がある。ひとつの忘れない思いで。それははじめてのステージでのこと。普段の練習 は人数も少なく、また音符をひとつひとつ積み上げるようなつらいものである。みんなアマ 中のアマである。(これを根気よく指導してくれる人がどうしても必要なのだが)多くの日を 重ね、いよいよゲネプロ(仕上げの総練習)! エキストラ(プロからセミアマ、アマ、先輩な ど)が加わり、100人以上が揃う。 指揮者の合図で音が流れる。練習中は聞いたこともな い楽器も加わって心地よいハーモニーの中にいた。曲が盛り上がりフォルテシモ。空気が 振動し、身体が震えるようなこれも心地よい衝撃を受けた。ずしーんと腹にきた。身体中が 鳥肌立った。この衝撃の記憶が現在に至るまで私の中にある。 音楽を聴くときに時々こ の感激が襲う。 そしてその時生きていてよかったと思う。 音楽をやる人は皆この感激? を味わっているのでは。(母校のオーケストラ:http://www.win.or.jp/~yokazaki/) |
No.5 1997.5.30 火だるま改革
| また、橋本さんの6つの改革。 火だるまになってもやり遂げると雄々しくも言った。 先日各省庁を呼んでヒアリングをした。そしたら、殆ど収穫がなかった。 私は腹が立った。 相手も国家公務員である。 数え切れない法令や規則、それに無数の 前例を背負ってこれまで百年もの永きにわたって延々と継承してきた重さの中に生きてい るのである。間違えは決して許されない社会なのである。極端にいえば、間違えのあり得 ない組織。立前はそうなのである。今まで間違えはなかった。 にわか仕立ての大臣様で は手に負えるようなものではない。(失礼! 菅さんが居た。) それにしてもヒアリングとは。手続きの一つなのだろうか。国民へのゼスチャーかな。 また、審議会を作ることしか手はないのだろうか。行政をかえるのに今までの手は通用し ないのです。審議会を作るのならメンバーは広く公平に選出すべき。まず、案であろうと たたき台であろうと、行政側に作らせるのではなく審議会サイドで十分な論議をつくすと ころからやるのが本筋。今まで出来なかったことをやらなければ真っ暗闇の世界が待って いる。もういやである。 |
No.4 1997.5.24 プロ野球雑感
| 私は巨人のファンです。いい年をしてと言われるかも知れない。しかし、私の年頃は多い 。戦後まもなくの川上・大下・藤村・青田・・・の頃、私も川上を夢見て草野球から高校 野球までやった。その頃は、夢中だったのである。私は、大下打法より川上打法。 なぜ、ここで野球談義? そう、今の巨人がくそみそにたたかれ、マスコミなどでもまた かまたかともてはやされているからで、巷の話題の前座を飾ってくれているからである。 野球って頑張れば打てるのだろうか。殆どの名選手は練習ではすばらしい打球を飛ばす。 頑張ってもっと遠くへとばす。ところが、試合になるとからきし駄目な場合が多い。 試合で打席に立つ。どうゆう心理や精神活動が行われるのだろうか。練習と試合との違い とは。ジャイアンツの今の状況を、常勝ジャイアンツの4番だからプレッシャーがとか、 OBがいろいろプレッシャーをかけるからとか、コーチがやかましすぎるからとかもっと もらしいことを言う人が居る。なるほどと思う。確かにそのようなこともあろう。私にも 覚えがある。しかし、億のつく金を取っているのである。プロなのである。 ところで、「調子」というものは案外短い期間しか維持出来ないのではないか。松井が まだ本調子ではないとか、本来の調子に戻っていないとかよく言われる。本来のとか本調 子とかはあるのだろうか。わからない。ここには、多分にそうあって欲しいという贔屓目 の感じが窺える。打っている期間は打たなかった期間よりは短いと言うことは確かだろう。 |
No.3 1997.4.27 平和的解決
| ペルーの日本大使公邸人質事件決着。少しずつ状況が明らかになっているようだ。 我々はここでまた、テロというものの存在観を知った。かっての全共闘・日本赤軍・浅間 山荘などが頭をよぎる。私も大学の職員として渦中にあったことがある。占拠に対してど のようにすればいいのか、一人一人が朝から晩まで考え続けたと言っても過言ではない。 橋本総理が、事前連絡がないといって不快感を示したとある。また、平和的解決とは何か と言うことを私はずっと思ってきた。外務大臣が特有の太い声で盛んに言っていた。失礼 だが私には、軽薄に思えた。事件発生後まもなく藤森大統領は主要国や近隣諸国をまわっ ていた。このときにと思った人もいたことだろう。日本の政府が言う国際化とは雲泥の差 があるように思えた。事前連絡を言う前に日本政府はなにをやったのだろうか。知りた い。恐らくペルー国内の問題だからと言うのだろう。 国際化が盛んに言われ、国境を越えた交流が個人レベルまで及ぼうとしている。また、い ま日本では凶悪事件の報道のなかで外国人の関係するものが、むしろ増えている気がす る。 私は先般パリーに行った。持ち物、夜間の一人歩きに十分気をつけるようにと注意され た。目の前で人がコートのポケットに手を入れられるところも見た。 国際化が進めば、テロも犯罪も我々の身の回りに一緒くたになってくるような予感がする 。危機管理は国会と動燃だけの問題ではない。私の問題となるようだ。でも、いろいろな 人を知りたいし、いろいろな国を知りたい。 |
No.2 1997.4.6 政党
| 新進党党首と自民党党首が会談し沖縄基地問題で重要な結論をだし、国会がその方向で動 こうとしています。政党って何なんだろうか。政党政治って何なんだろうか。ずうっと以 前の金丸御大の頃を思い出させる。確かにことは急を要する。政策協議はいろいろあって もよいと思う。でもいままでの新進党の歩みからは納得できないものを感じます。社民党 はいよいよくるところまで来た。社民党は一体どうしようと考えているのだろうか。 「恥も外聞もなく」がここまでくると、さすが土井さんの良心が許さなくなった。全く困 た。 一般の国会議員さん?の顔がまるっきり見えません。マスコミさんこの辺のところをもっ と伝えて下さい。選挙の時はあれ程熱っぽく身を粉にして、誠心誠意、国民の側に立って 頑張ると言っていたではないですか。その人たちが今この時点で、何を考えなにをしてい るのか、何をしようとしているのかを知りたいのは、私だけではないはず。 今の国会の在りようを見るとき、国会議員のやるべきことって何なんだろう。地元の陳情 に力をかすこと? 二三日前に、夕方のカーラジオを聞いていました。学生の就職問題がテーマでした。今は 「就職」と言わない。「就社」と言うのだそうです。これは主に大学生のことでしょう。 受験戦争の末に一流大学に入る。それはよいと言われる会社にはいるのが、一応の目的で しょう。一般的に多くの親はそう願っていたはず。確かに就社ですね。こうして就社した 人のなかの相当の人が、止めたり、おかしくなったりしているのだそうです。「自分のや りたいことができない。」「自分に合わない。」「もっとやり甲斐のあることを。」と言 うのが理由だという。 確かにそうゆう就職出来たらいいね。でも、今の学生さんの中で 自分にどんな職業が向くのかわかる人は大勢居るのだろうか。そうゆう疑問が出されまし た。学生のうちからこの辺の哲学をもてるように教育?するまたは考えることが大切。 止めて行くまたはトラブルをおこす人の多くは「人間関係・特に対上司」だそうです。こ のへんが、とても心配です。集団の一人としてしか動けない人。仲間としかつきあえない 人。が、結構いるようです。行く末が心配。もちろん日本の政 治家も学生さんも自分の哲学を持ち、しっかりし主張と行動力をもって下さい。そして 私も。 以上 |
No.1 1997.3.15 議員さん
| 行政改革が取り沙汰されています。私自身公務員生活?を30年以上もやった経験が あります。新聞沙汰されているような高官ではないが、複雑な思いでニュースなどを見て います。いい悪いはともかく、無数の規則と慣習で永い間維持されてきたこの体制を変え るのは、選挙の票だけに頼っている政治家がいるとすれば、そんな生半可な人にはできっ こないでしょう。 公務員の多くがそうであったように、従来からの体制つまり政治家という虚像に寄りかか っている政治家もまたいるのでは。それが、本音とたてまえのたてまえに偏っていたら 悲劇。 はっきり特定できる話ではないのだが。予算委員会でのヤジ、居眠り特に質問し ている委員にたいする、周囲の人の腹からでる笑い。そんなことはわかりきっていると 言わんばかり。仲間内の口論を見ているような。 委員会そのものの進め方などが、改革改革と言っている割には変わりはない。地方行政 の首長からでてきた議員がいた。しっかりと行財政のあり方にたいする認識を持った意見 と質問をだしていた。はたからは、うん!とうなってみたが、議場での眠そうな人の反応 はなかったようだ。 よく議員さんが「国民の意見は、・・・・である。」、「国民の側にたって。」などと、 しきりに「国民」と括ってものを言う。どこからこのようなことが言えるのだろうか。 国民にも色々な意見がある。便宜的にマスコミがまとめたものによって判断しているの でしょう。特に支持できない政党の議員から聞かされると、馬鹿にするな。失礼な!と 言いたくなります。この事自体、永い間積み重ねられたことなのでしょう。 マスコミについて書いてしまった。わたしは、マスコミもいけないと思う。情報社会で マスコミほど怖いものはない。国民。いや!一般の人達は。いや!私たちは。いや!私 はあなたが頼りなのです。 |