豪雪と離村


1977年10月10日

  左の写真は、豪雪地における茅葺き家が雪の重みと風雨などにより、朽ちて行く様子を4年間にわたり記録したものである。多い時で5mの積雪がある樽田は、津南の中でも過疎化の著しい川西側の斜面に位置する。

 かつては樽田炭坑で賑わいをみせたこの集落もまた、過疎化の波には勝てず、離村する家が多かった。追討ちをかけるように、頚城バス路線の廃止も離村に拍車をかけた。現在は一年を通じて生活されている人は少ない。 空家となり、雪下ろしのされなくなった家は、雪害で姿を消していった。

 毎年豪雪にさらされている割には意外と頑丈な作りである事がわかる。最近の建売住宅ではこうはいかない。手前側の屋根から壊れて行くのは、北側である事や斜面の下側に位置している為である。

 それにしても大きくて立派な民家だ。用いられた丸太や柱の太い事。最近の建築材では、まずお目にかかれない代物である。曲がり家の流れをくむこの民家は、左手奥が玄関にあたり、入ると右手に馬屋があった。その先が井戸や釜戸となる。

 夏でもひんやりとしたであろう土間や、しばらくしないと目が馴れない空間には、現代人が何処かへ追いやった闇の文化があった。そして一家の中心に据えられた地炉。(囲炉裏)

 そこでは暖があり語らいがあった。薄明かりの空間はよりいっそう広い空間を生み出していたに違いない。闇を駆逐するだけの現代の灯かりとは一線を画す。

 時代が変わったのだと言えばそれまでだが、当時なんとも言われぬ思いでシャッターを切った事を覚えている。

 豪雪と離村。その象徴的な流れを、この民家を通して感じていたのかもしれない。

※いずれも10月10日に撮影。天候やススキの穂の出方など各年に違いが見られ興味深い。

旧外丸村樽田の亜炭鉱は、1941年(昭和16)に味の素株式会社が亜炭を試掘したのが始まりである。

現在ここは鬱蒼と夏草が生い茂る野に帰している。

1977

1978年10月10日

1978

1979年10月10日

1979

1980年10月10日

1980

写真はいずれも CANON flex RP, Super Canomatic Lens 50mmにて撮影