まぼろし村


村の入り口

 明治、大正と度重なる天災により消えてしまった集落が津南にある。むろん地図にその名を捜す事は出来ないのだから、ここでは「まぼろし村」と呼ぶ事にしよう。消えてからかれこれ七十年以上たち、村への道は廃道と化した。電気も水道も無い村であるから、車では途中までしか行けずあとは徒歩。当然の事ながら人は住んでいない。この村に入るのは初めてだから、どれ程歩けば着けるのかわからないのだ。

 杉の木の根本に苔のむした石塔があり、そこからが村に通じる道となる。険しい石ころばかりの廃道は、歩きづらくトレッキング・シューズが必要であった。落石の恐れが常にあり、小学生以下の探訪は無理とみた。足場の悪い道はえぐり取られ倒木が行く手を阻む。その多さが人を寄付けぬ、まぼろし村なのだ。

 まんさくの黄色い花から次第にカタクリの紫と遷り変わる。あたり一面何千何万というカタクリの群落は私を喜ばせ別世界へと誘う。足の踏み場が無いとはこの事だ。花を踏まぬよう、石に足を取られぬよう、嬉しいやら危ないやら。村に着くまで石よ落ちないでくれ。まるで過去への時間旅行。この世界の事は変えてはいけない。花を踏めば石が落ちてくるにちがいないのだ。

兎の耳地蔵殺風景であった。カラスさえ鳴いていない。雪圧で倒された一面アシの枯れ野。なーんも無い。そう思うのは物質世界にどっぷりと漬かっていたからであって、心のチャンネルに切り替えた。

 水の音。枯れ草の匂い。所々点在する石垣。
日が雲より顔を出す。光の束がひとすじ降りた。あの盛り上りは?
近寄りアシをかき分けると二体の石仏が姿をあらわした。右側の一体は兎の耳がある。掘りも良い。顔は地蔵で餅つきベストを着、首にはネックレス。両手を胸元で合わせて祈る姿である。もう一体は痛みが激しく判らないが、両方とも北を向いている。なぜ兎の耳をしているのかは謎である。
そんな石仏が、ここにはある。