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明治以前の日本には、まだそういった悲話が現実のものとして至る所にあった。妻有の里も例外ではなく、地図には載らない沢や滝があったのだ。それを知ったのは最近のことで、なかなか子宝に恵まれなかった私にとって、鮮烈なショックであった。そんな時代もあった事を、私は知らずに生きてきた。学校でも教えてくれなかったし、祖母も話してくれなかった。
『イスス ごいごい 粉ごいごい 米が高いに 子ができた やれカカ なじょしょ コモに包んで 川へなげた。』 捨てる時は、必ず嵐や吹雪の夜を選んだという。山野の鳥獣達に食わせたのだそうだ。自分を振返ると共に、同じ乳呑児を持つ親として複雑な思いになった。 何でも手に入り、少子化の今、不作の年には、そういった悲話があった事。そして先人達の苦労のもと、現在の自分がある事を忘れてはならないと思うのだ。 中里では、嵐の夜に子をコモに包んで捨てに行った母が、直前になって無邪気な赤子の笑顔に心動かされ、どんなに辛くともこの子を育てあげると決心した言伝えが残っている。 他に、嵐の翌日、ある男が沢の傍を通りがかると赤ん坊の泣き声がする。見ると沢の途中の木に赤ん坊が引っ掛っていたという。これは生命力の在る子だと家の養子にむかえ、成人してからは、良く働きその家を立て直したそうだ。 ※イスス:石臼のこと。
こんな話もあった。コモに包んだ赤子の上に石を載せて庭に置いたという。次の朝になっても生きていたので、これは大物になるというので育てる事にした。大きくなってからは、博打は強いは、なんやらで強運の人になったという事だった。
無防備な赤子にとって、人権もへったくれも無い時代。ある意味で、生かすだけの価値ある人間かどうか、家人の都合によって選別されたとも言える。それに比べたら今の自分は、極楽ではないか。そして貴方の場合は、どうですか? ※秋山の採話は、筆者によるもの。集落からそう離れていない沢や滝。それはかつての『にかっこ沢』かもしれない。伝承されなくなっただけで、そういった処はかなりあったはずだ。 |