町よりも有名


沖ノ原出土・火焔土器 学生時代の仲間に東京都足立区のN氏がいる。お国自慢の際、彼は考古学マニアであったので、津南町の火焔土器の話をした。沖ノ原遺跡の話になるやいなや彼の瞳が輝き始めた。

 津南町の名は覚えていなかったが、沖ノ原の名は記憶しており私を驚かせた。彼は長岡出土のものより津南の土器の方が造形的に優れているとも言った。また東京国立博物館に展示されている神山遺跡(無土器時代)の石器がある事も知っており、二重の驚きであった。

 彼は次のエピソードを聞かせたくれた。
アメリカが火焔土器を手に入れようと恐竜の化石一体分と交換を申し出た。しかし日本においても火焔土器は希少であり日本政府は断ったと言う。沖ノ原遺跡の方が町よりも有名であった一例である。

沖ノ原遺跡

 古くは代官清水遺跡と言われていた遺跡。昭和47年より2年にわたり慶応大学・江坂輝弥教授のもと、発掘調査が進められた。縄文中期の円形竪穴住居址をはじめ一辺10mあまりの長方形大形家屋址などが、広場を囲むように配置されていた。これを環状集落と言い、その直径は120mもある大規模な遺跡である。

 沖ノ原遺跡は雪国の縄文文化を考える上で極めて重要な遺跡であり、昭和53年には国史跡に指定され保存。出土した火焔型土器を始め1.686点が平成7年に県文化財に指定された。

※背景の画像は、沖ノ原遺跡の複式炉(囲炉裏)である。