徳報の人

金次郎像 後ろは現在の津南小学校 戦後、教科書から消された人物に二宮金次郎がいる。勤勉さが軍国主義に結びつく原因の一つとGHQは考えたようだ。それに伴い全国から金次郎像は姿を消して行く事になる。現存するのは貴重品。伝統校や何かの事情がある場合だ。
 津南の場合はどうか。津南小学校(旧下船渡小)と芦ヶ崎小学校に残されている。下小は統合し津南小になったおり、新校舎はグラウンドを挟み手前に移動した。戦前の、校門を入り像に一礼し玄関へ向かうレイアウトが一変。児童玄関とは全然関係無い位置に取残された形になった。それは彼の時代的評価を物語っている。何故、あの銅像は今も置かれているのだろうか。実は寄贈物なので撤去不可と言うのが本音らしい。近年は冬囲いもされていないのが現状だ。
(同じ金次郎像でも新潟県立栃尾高校の像は、冬囲いがされている。)

 児童の頃、金次郎が毎日読んでいる本に興味を持ち、よじ登った事がある。先生から注意を受けた。『ばちが当たるからではなく、落ちると危険だから』であった。まさに昔とは扱い方が違うのは当然であった。しかし戦後教育が様々な問題点を抱えている現状を耳にするにつけ、金次郎はマイナスの面だけなのだろうか。今後、彼が再評価される事はないのだろうか。どこかの首相は、神の国発言で物議をかもしたが、金次郎もそういった人達に利用された一人だったのかもしれない。基台の「徳報」の文字が、私には重く感じられたのだが・・。

※二宮尊徳 にのみやそんとく 1787〜1856 江戸後期の農政家。1891年(明治24)幸田露伴「二宮尊徳翁」により、薪(まき)をかつぎ読書にはげむ少年像が提示される。これが国定教科書に採用されたことで修身(道徳)の教材としてひろく知られるようになった。そして全国の小学校の校庭に、金次郎の銅像がたてられるようになった。
※旧下船渡小学校の児童玄関二階には、畳敷きの大広間があり、修身時代の名残りとして「礼法室」と呼ばれていた。写真の金次郎像は、現在の津南小学校のもの。昭和13年6月、当時東京市在住の桑原虎太郎氏の寄贈による。