2)導水路の設計 (鶴巻有一郎著)
2.1)経済的トンネル勾配と断面形状の変遷
関西電力管内の水力発電所は,全国でも最初である京都市内の蹴上発電所(出力80kw,1891年(明治24年)運開)に始まる。この蹴上発電所は、びわ湖疎水を利用したため独自の導水路を持っていなかった。次いで和歌山県・奈良県・兵庫県で明治36年(1903年)以降、相ついで水路式発電所が開発された。これ等明治末期までに開発された発電所は、いずれも規模が小さく、最大使用水量が 5m3/sec以下、しかも半数が 1m3/ sec 以下である。このため、導水路は、開きょ・暗きょ及び比較的距離の短いトンネルの組合せであり、水路規模はいずれも2m以下の極めて小断面である。その断面は開水路では矩形・台形を、暗きょ及びトンネルでは幌形及び馬てい形が用いられた。水路勾配は一部の高落差発電所(迫発電所の220m及び南小田第二発電所の322m)を除いて1/1,000 から1/4,000 の範囲にある。
大正時代に入って、近畿地方では数多くの水力発電所が開発されたが、宇治発電所等数例を除いて大部分は最大使用水量 3m3/s,最大出力2,000kw 未満の小規模なものである。その導水路断面の決定は、主として施工上可能な最小断面と、水路内の土砂堆積や植物繁茂を防止するのに必要とされる流速(0.75m/s )に制約されたものと考えられる。
この中にあって最初の大容量導水路は、1913年(大正 2年)完成の宇治発電所(当初出力27,630kw,大正 5年(1916年)32,000kw)である。この発電所は当初 2,000個(55.65 m3/s)最終 2,200個(61.22 m3/s)で、開きょ860m,暗きょ796m及びトンネル9,222mより成り、トンネルは内径20尺(6.06m )の標準馬てい形で水路勾配は1/2,000 という当時としては画期的な規模であった。大正 5年(1916年)10月の土木学会誌に水路工事の詳細が報告され、大正 6年(1917年)に同じ土木学会誌にこれについての誌上討議がなされているが、水路勾配及び断面決定の経過については言及されていない。
発電用水路の経済的断面の決定方法についての論文発表は、大正 8年(1919年) 4月のThe Journal of American Society of Mecbanical
Engineers誌に Gary.T.Hutchisen (ギャリィ・ティ・ハチソン)によるもの、わが国にあっては大正10年 8月(1921年)の土木学会誌への松田文次によるものから始まる。それ以来数多くの論文が発表され実際に応用された。基本的には水路断面の大きさや無圧水路の勾配の緩急による損失電力による金銭的損失と水路建設に併う金利償却維持に要する費用の和を最小ならしめるような断面或は勾配を最適としている事である。この思想は導水路の断面決定に際しての基本的なもので種々の修正具体案が提案されているが今日に到るも変っていない。
上記議論と時を同じくして高電圧による長距離送電技術の発達により大正 8年(1919年)の賎母発電所(16,300 kw)を皮切りに木曽川の電源が相次いで開発され近畿地方の大消費地へ送られるようになった。大正年間に開発された木曽川の電源はいずれも木曽川中流部に位置し、大井(48,000kw,大正13年(1924年))及び落合(14,700kw,大正15年(1926年))を除く大桑(12,100kw,大正10年(1921年)),須原(10,000kw,大正11年(1922年)),桃山(24,600kw,大正12年(1923年)),読書(42,100kw,大正12年(1923年))の各発電所は最大使用水量が36から46m3/ sec の水路式発電所でいずれも3,000mから8,000mの無圧導水路トンネルを併っており、内径 5乃至5.5mの馬てい形断面である。これ等の断面決定に際しては上述の思想が取り入れられているものと考えられる。大正13年(1924年) 4月の土木学会誌に衣川清一が桃山発電所の水路設計に際して研究した事例をあげて、電力事業は公共事業ではあるが、電力料収入によって経費に充当する営利事業である以上開発パターンやその資金手当の方策如何により水路並びに水圧鉄管の経済設計の結果は異なる事を示した。しかしながらこの提案は検討に要する手間がかかる割に得られた結果に大差がない事の為かその後は実用に供されていない。
昭和に入って木曽川の電源開発は、中流部の支流で小規模開発及び下流部でのダム式発電所に移った。同時に神通川,黒部川,九頭龍川及び庄川の開発が始まり蟹寺発電所(50,000kw,大正15年(1926年))を始めとして第二次世界大戦終結直前の市荒川(45,700kw,昭和19年(1944年))まで関西電力の主要水力電源となっている発電所が相次いで完成した。この間昭和 8年(1933年) 7月の土木学会誌に榎本卓蔵が発電経済上より流込式水路と圧力式水路を比較し、一般的に圧力式水路の方が水路内流速をはやめ得る事を証明し圧力式水路の優位性を主張した論文を発表した。また従来の水路の経済的断面の決定方法にも批判を加えている。しかし、この批判も後年の断面決定方法を変える迄には到っていないが圧力導水路の優位性については水力開発の形態の変化に併なって以降の圧力トンネルの本格化のきっかけとなった。圧力トンネルは、大正 7年(1918年)に高津尾発電所(5,800kw ,Q=14.4m3/s)の一部の水路(延長2,436mのうち168m)に導入された。この圧力トンネルは導水路の末端近くに設置された調整池と水槽の間を結ぶ短い水路に適用され、内径3.2mの円形である。その後、期せずして由良川発電所(2,460kw ,Q=21.7m3/s)及び大井発電所(48,000kw,Q=139.132 m3/s)にそれぞれ円形の圧力トンネルが導入された。しかし、昭和 5年(1930年)完成の小牧発電所(72,000kw,Q=138.74m3/s)迄は上記 3発電所以外はすべて流込み式の無圧水路であった。この小牧発電所以降の水力開発は、水火併用運転と相まって使用水量が従来の渇水量・低水量から平水量・豊水量相当に引きあげられ、かつ、調整池を持つダム水路式に主力が移った事により昭和 5年(1930年)以降の導水路は現在に至るまで圧力トンネルが大勢を占めるに至った。これ等圧力トンネルに於てもその断面決定は、当初と同称の考え方を基本としている。即ち圧力水路の損失による損失電力と水路建設に併う金利、償却維持その他の経費の和が最小となるような断面を経済的な断面とするものである。大正中期よりこの経済的断面の決定方法については種々議論されて来たが、実績を積むにつれ導水路の経済的な内径は与えられたパラメータの変化に対して敏感に変化しない事及び可成りの時間とコストをかけても簡単に取除く事が出来ない不確定要素をなお包含している事のため実用に際して厳密解がそう重要なものではない事がわかって来た。従って、現在では当初の思想に基づいて提案されている種々の実用公式(例えば千秋信一著“発電水力演習”,昭和42年(1967年))により導水路の内径を求めているものが多い。
さて昭和26年(1951年)電力の再編成が行われ関西電力が発足し、水力開発が精力的におし進められたがその主要な電源は木曽川、庄川及び黒部川であり丸山(125,000 kw,昭和29年(1954年))及び黒四(335,000kw ,昭和36年(1961年))の大規模開発が行われた。両発電所共高圧圧力トンネル(丸山で最大 3.2kg/cu,黒四で最大15kg/cu)で円形断面が採用されその内径はそれぞれ丸山で6.0m( 2条)及び4.8mである。
一方、第二次大戦後、熱効率のよい大容量火力が順次投入され、昭和34年(1959年)からは従来の水主火従より火主水従に転じ、水力は河川利用率の向上とピーク電源を意図した開発に移行した。木曽川、黒部川、庄川での再開発が昭和30年代以降の主流となり、大使用水量の圧力トンネルが数多く出現した。これ等大部分のトンネルの設計内圧がそう大きくないので経済的に有利な標準馬てい形が多い。これ等の内径決定に際しての記録はないものの当然上記基本に基づいたものと考えられる。結果として圧力トンネル内の流速は 3から 4m/s となっている。これら再開発された発電所の中で単一トンネルでの最大通水量は小牧発電所(72,000kw,昭和 5年(1930年))の138.74m3/secでそのトンネル断面は内径6.55m の円形である。又通水断面積の最大は新成出発電所(58,200kw,昭和50年(1975年))の内径6.4mの馬てい形水路である(Q=120 m3/s)。
戦後の日本経済の復興とそれに続く驚異的な経済成長に併ない、電力系統も急膨張を遂げた。一方、日本国内における水力開発も限界に近くなり、大容量の火力更には原子力発電が導入されるようになり、これ等と組合せるピーク需要に対処する電源問題が昭和30年代に入って浮上しここに大規模揚水発電所が登場して来た。関西電力では昭和45年(1970年)に喜撰山発電所(466,000kw ),昭和49年(1974年)に奥多々良木発電所(1,212,000kw )、昭和53年(1978年)に奥吉野発電所(1,206,000kw )が完成した。
周知の如く純揚水発電所は電気エネルギーの生産設備ではなく流通設備の一つである。従って導水路の断面の決定に際しては従来の水力発電所での概念は通用せず、建設単価最小が最も有利となる。しかし、これのみを目的とすれば導水路(放水路)の内径は小さければ小さい程よいという結果になる。すなわち水路内の流速は速くなる。しかし、導水路(放水路)の流速には、許容しうる上限があり、これはキャビテーション防止を考慮して 7.0m3/sec程度としている。更にポンプ水車の特性上からは振動防止のため限界損失水頭以内にしなければならない。即ちHPmax/Htmin (HPmax:最大実揚程,Htmin:最小有効落差)をある程度以下(奥多々良木で1.26,奥吉野で1.21)にする必要がありこの両者の制限条件下で建設単価を最小とするような断面が採用された。なお奥多々良木、奥吉野共(喜撰山は上下部池が接近しているため上部に導水路はない)池の利用水深が大きい(奥多々良木:上部池25.5m ,下部池28.5m ,奥吉野:上部池34m ,下部池32m )ので円形圧力トンネルとなりその内径は奥多々良木では導水路、放水路共6.3m(Q= 188m3/s, 2条)、奥吉野では導水路5.3m(Q= 144m3/s, 2条)、放水路3.1m(Q=48m3/s, 6条)とした。
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2.2)水理設計
2.2.1) 流下能力の算定
無圧トンネル及び圧力トンネルの流下能力の算定とは、水路の断面設定と導水路の損失水頭の算定でもあり,建設費と発生電力に直接に影響することから設計上の重要項目の一つである。
設計に当って水理的に満たす必要のある基本的事項は、
無圧トンネルにあっては、トンネル天端と水面間に幾らかの余裕を持ち、年数を経た後も、常に開水路の状態を保ち、比較的に緩慢な流れ保つことである。一方、圧力トンネルにあっては、水路に生じる種々の損失水頭によって変化する動水勾配線がトンネル天端標高よりも下らないことはもとより,トンネル内面にキャビテ−ションを生じさるほどの流速と形状を持つものではない構造物としている。さらに、構造的には、掘削量を最小限に押える水路断面積を設定し、かつ、土圧・外水圧,内圧に対しても十分に耐え、水路からの漏水防止にも配慮された構造を持つ。これらの条件を満たすためには、その水面形または、水路の損失水頭を追跡する必要があるが、水路には、水路の断面形の変化,曲り・湾曲・勾配の変化,壁面の材料・施工方法による凹凸の度合,中間流入のための合流水路,既設水力発電所の導水路から新たに設ける水力発電所や潅漑水路へ分岐するための分岐水路等の構造を持つため,これら構造に対する水理計算式が必要となる。
世界で始めての水力発電所は、1881年に完成したパリ近郊のセルメ−ズ水力発電所であるが、その11年後の1892(明治25)年に、我が国の蹴上水力発電所が田辺朔郎によって竣工している。導水路の設計工事は、農耕民族とした古代から潅漑水路を必要とし,水運,水道としての水路を水力発電所の建設以前から常に必要とした。しかし,水路の水理現象を理論的・実験的に飛躍させたのは18世紀から19世紀にかけてであり,最初の水力発電所の設計に当っては、これらの理論が適用されたことが18世紀から19世紀の水理学・流体力学の研究発表文献の内容から推察される。
水路の水理的現象に関する理論式の歴史を,ここでは、1738年のD.Bernoulli (ベルヌイ)の発表した定理から記述する。この定理は、完全流体でしかも時間的に変化のない定常運動に関するものであり、“管内の水が定常的に流れている時には,摩擦を無視すると,管のどの断面でも圧力水頭と,速度水頭の和は、流れのない時のその位置での静水圧の水頭に等しい”とするものである。この定理を用いれば、Torricelli(トリチェリ)(1644)の求めた水槽のオリフイスからの流出の原理を簡単な一例として説明される。しかし、発表当時のBernoulli の定理の中には、まだ、重力の加速度の項は含まれていなかった。その後,Euler (オイラー)(1755年)は非粘性流体の点(x,y,z)における3次元方向の速度の変化と力の関係を示す運動方程式を示し、d'Alembertの連続の微分方程式を圧縮性流れに一般化した。また、Borda (1766)は、“容器のオリフイスによる流体の流出に関する研究報告”の中で、Bernoulli とd'Alembert(ダランベール)の解析におけるいくつかの矛盾を理論、実験の両面から取り除こうとした。この中で,Borda (ボルダ)はTorricelliの原理の比例定数が加速度の2 倍の平方根であることを明示した。その後,1848年Dupuitは漸変流の式の級数積分にいくつかの近似(幅無限,抵抗一定,無視しうる加速度)を含んでいたが、水平勾配,緩勾配,および急勾配水路が等流水深線によって生ずる水面形を正確に描いた。そして、また水路拡大と縮小および河床高の変化の効果を説明している。1863年Boudin(ブダン)は等流水深と限界水深の関係によって,水面形が分類されることを示した。またSaint - Venant(サンブナン)(1871)は非定常流に常微分方程式を用いた。
また、1872年 Boussinesq (ブシネスク)は、Navier(ナヴィエ)(1822)の運動方程式を内部摩擦の係数を径深,境界付近の流速及び流体の比重に比例すると考え,断面積が非常に緩慢に変化する場合の運動方程式を積分し,漸変流に対する方程式を導いている。
一方,開水路流れの実験による公式は、1775年Chezy (シェジー)により
(流速)=(抵抗係数)・(径深)1/2 ・(水路の勾配)1/2
が示された。Chezy は当初,この抵抗係数を一定定数と考えたが,その後水路により異なることを見出した。抵抗係数については,Bazin (バザン)(1897),Kutter(クッタ)(1869)の研究がある。さらに,Manning (マニング)は径深にかかる累乗の項を2/3 であることを実験に基づき決定し、かつ、抵抗係数の逆数はGanguillet-Kutter (ガンギレ・クッター)によって決定されたn値に相当接近していることを発見した。また、この径深にかかる累乗の項についてはForchheimer (フォルヒハイマー)(1923),Hazen-Williams(ヘーズン・ウィリアムス)(1910)等の研究がある。我が国の発電水力の設計にはManning の公式が用いられてきた。
以上の研究によって,今日,一般的に用いられている開水流の等流計算,不等流,不定流の基本式が導かれている。
管路における平均的流速の公式は,Darcy (ダルシ)(1858)による実験によって“抵抗は境界物質の類型と状態に依存する”という事実が示された。その後,Flamant (フラマン)(1892), Lang(ラング) (1896), v.Mises(フォン・ミゼス), Manning, Biel (ビール)(1907), Hazen-Williams(1905,
1908, 1920), Weston(ウェストン)(1890)の公式がある。
管路流の理論は,Prandtl (プラントル)(1904)の境界層の理論にはじまり,Prandtl は1933年,滑らかな円管内の速度分布を対数分布法則で表されるとした。この対数分布の係数は,Nikuradse (ニクラーゼ)の実験値との対比,粗い円管の乱れが十分に発達し,Reynolds(レイノルズ)応力だけが考えられる範囲内でのKarman(カルマン)(1934)の指摘による流速分布などから,管が滑らかな場合と粗い場合について決定された。
この乱流理論による対数分布法則は開水路流の流速分布にも用いられ,これを積分することで平均流速を得ることもなされ,Keulegan(クーリガン) (1938), Powell (パウエル)(1946,1950),岩垣(1953), 椿・古屋(1951)等による抵抗の研究が行なわれた。
また,鋼管の使用年月による粗度係数の変化を本間は“物部水理学”に小野が東京の水道管について実測した経年をマニングのn値に変換して記している。また,水路トンネル内の使用年数による粗度係数の変化については,千秋(1967), 大橋(1963)がまとめている。
また,開水路の潤辺の粗度係数が異なる場合の平均流速については,Einstein(アインシュタイン)(1941)等の式がある。
その他,水路における種々の損失水頭には,次のようなものがある。
・管路における断面の急拡大による損失水頭係数:Gibson(ギブソン) (1912), Archer (アーチャ)(1913)
・管路における断面の急縮小による損失水頭係数:Merriman(メリマン), Weisbach(ワイズバッハ)(1855),Brightmore(ブライトモア)
・管内オリフィスによる損失水頭係数:Weisbach, Rankin(ランキン)
・管路入口の損失水頭係数:Weisbach(1896), Unwin (アンウィン)
・管路の断面漸縮の損失係数:Freeman (フリーマン)(1889)
・管路の断面漸拡の損失係数:Gibson (1910),
生源寺(1926),Vedermikov(ヴェデルニコフ) (1926), King (キング), Fliegner (フリーグナー)
・管の屈折による損失水頭係数:Weisbach (1896), Gibson, R.Bambach(バンバ) (1930)
・盲管部を持つ屈折管の損失水頭係数:楢本・葛西 (1931)
・連続屈折管の損失水頭係数:Kirchbach (クゥージバ), W.Schubart(シューバルト) (1929)
・管の湾曲による損失水頭係数:Weisbach (1896), Williams (ウィリアムス)(1901), Brightmae (ブライトメ)(1907),Schoder(ショーダー) (1908), Richter(リフター) (1930), 伊藤(1955), Wirt(ビルト) (1927),Nipper(ニッパー) (1929), Hofmann(ホフマン) (1905),White (ホワイト)(1929)
・管の合流による損失水頭係数:Gardel(ガルデル) (1957),井口(1905), Gibson,楢本・葛西 (1905), Vogel・Peterman・Kinner(ポール・ピーターマン・キィナ)(1928)
・管の分流による損失水頭係数:Gardel (1957), Vogel・Peterman・kinner
・特殊分岐管の損失:本間(3本分岐,1941),千秋(2本分岐,1956)
である。開水路における種々の損失水頭については、
・流入の損失水頭係数:管路に準じて用いる
・断面急拡による水面低下量:Bernoulli の定理を使用
・断面急縮による損失水頭係数:管路に準じて用いる
・断面漸拡による損失水頭係数:Finley・Altamirano(フィンレイ・アルタミラーノ) (1937),Lance (ランス)(1919),
・湾曲による損失:Boussinesq (1883), W.Lahmeyer (ラーマイヤー)(1852),Flamant (フレーマント),G.Hopson(ホプソン)(1911),Raju(ラジュ) (1933), Shukry (シュクリ)(1949)
・橋脚その他類似の水流阻害物による損失:d'Aubuisson (ドオビソン)(1840),Ruhlmann( ルーマン)(1880), Rehbock( レボック)(1922),Nagler(ナグラー) (1918), 物部
・水路中にある格子の損失水頭係数:Kirschmer (キェルシュメル),Spangler(スプングラー) (1928)
等の諸式が用いられ無圧トンネルでは常に開水路流として流下する断面積が設計され,圧力トンネルにあっては,損失水頭の計算が行なわれている。
次に開水路流の不等流計算法の歴史について記す。
物部(1931)は断面形および流速公式をかなり自由に選び得るようにして、一様断面水路の背水曲線に対して最も普遍的な公式とすることを試み,種々の断面に対応した低下背水とせき上背水の計算図表を示している。また、Bakhmeteff(バクメテフ)は物部公式をやや簡単にして背水関数を与えている。Chow(チョー) (1959) は物部,Bakhmeteffなどの改良型を示している。一様水路の不等流の図解法は,Grimm (グリム)の方法,吉高(1955)の方法があり,一様でない水路については、Escoffier (エスコフィエ)(1954)の方法,または,Escoffier -Raytchine - Chatelain (エスコフィエ・レチィヌ・シャトラン)(1953)の方法等があるが,今日では基本方程式を逐次計算法によって電算機を用いて直接に数値解析する方法が広く取られている。
以上のことから水路の水理的現象を解明するための基本的原理と技術の導入は,18世紀から19世紀間に行なわれたことが判る。しかし,20世紀後の水理技術の貢献は,従来の蓄積の証明,消化,および拡張を多数の水力発電所に適用させながら行って来たことである。
2.1.2) 粗度係数の変遷
有効落差に影響する導水路の損失水頭は,水路敷・壁面の凹凸の状態に大きく影響を受けるため水路敷・壁面を滑らかに仕上げることがねらいとなっている。水路壁面に煉瓦モルタル積,切石積,表面をはすり、なぜた岩石開削水路,巻立コンクリ−トの有無等の材料の相違,またコンクリ−ト巻立水路の場合,型枠に木製か鋼製かの使用の相違によっても壁面の滑らかさは異なる。鋼製の型枠が一般に使用されるに至るのは、1960年代以後のことであり、それ以後の水路の損失水頭は減少する。
粗度係数に関する我が国の資料の中では、衣川(1924)による“発電用水路並びに水圧管の経済的設計に就いて”の論文の中でマニング公式による流量の算定式において、マニングの粗度係数に n=0.01を例に取って解説を加えている記述が古い,専門書では物部(1933)による“水理学”の中で、マニングの n値について
煉瓦モルタル積水路 0.014
切石モルタル積水路 0.015
粗石モルタル積水路 0.025
岩盤無巻立隧道 0.035
岩盤無巻立 著しき突出を残さず
入念に施工した隧道 0.025
コンクリ−ト巻隧道,表面モルタル塗 0.014
と記述しているが、千秋(1967)は鋼製型枠の場合 n=0.011 〜0.012 のような小さな値を取り得ることを記している。また、使用年数の経過によって n値が大きくなることについて、物部(1933)は、鋳鉄管の年数と n値の関係を示した小野の研究を紹介している。また千秋(1967)は我が国の水力発電所の導水路の使用年数と n値の例を、大橋(1963)は外国の水路の粗度係数に関する例を記している。また当社の宇治水力発電所の導水路には,トビケラの幼虫が水路壁面に付着し粗度係数を大きくする例もある。
このように使用年数によって粗度係数が変化することや、施工法によっても異なることからサ−ジタンクの設計に当っての、サ−ジング計算に用いられるマニングの n値は大小の極値が使用される。この値は
| Up Surging | Down Surging | |
| 新井(1939 ,1932) | 0.013 | 0.014 |
| 高畑(1941 ,1943) | 0.013 | 0.016〜0.015 |
としている。その後、1965年の通商産業省公益事業局水力課編集の“発電用水力設備の技術基準と官庁手続き”においては、サ−ジタンクの計算において導水路の粗度係数に
コンクリ−トの場合 ±0.0015
鉄管の場合 ±0.001
巻立てをしない場合 ±0.003
を加えることを規定している。
尚、当社の設計に用いられた導水路の粗度係数を運開年次で示すと、次のようである。
| 運開年 | 発電所名 | 圧力無力の区別 | n値 |
| 昭和元年(1926) | 平瀬 | 無 | 0.014 |
| 昭和 2年(1927) | 柳河原 | 無 | 0.016, 0.015 |
| 昭和11年(1936) | 黒2 | 圧 | 0.013 |
| 昭和22年(1947) | 愛本 | 無 | 0.015 |
| 昭和22年(1947) | 黒薙第2 | 無 | 0.03 |
| 昭和29年(1954) | 打保 | 圧 | 0.015 |
| 昭和30年(1955) | 角川 | 無 | 0.015 |
| 昭和36年(1961) | 黒4 | 無・圧部 | 0.013 |
| 昭和38年(1963) | 新黒部川第3 | 圧力 | 0.015 |
| 昭和41年(1966) | 新黒2 | 無 | 0.014 |
| 昭和42年(1967) | 新祖山 | 圧 | 0.0125 |
| 昭和42年(1967) | 雄神 | 圧 | 0.013 |
| 昭和48年(1973) | 下小鳥 | 無・圧部 | 0.013 |
| 昭和48年(1973) | 利賀川第1,第2 | 圧 | 0.013 |
| 昭和50年(1975) | 新椿原 | 圧 | 0.0125 |
| 昭和55年(1980) | 新小原 | 圧 | 0.0125 |
| 昭和62年(1987) | 万波 | 無 | 0.021(無巻トンネル) |
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2.2.3)支水路
支水路には,渓流取水量を貯水池へ導くものと,主導水路,またはサージタンクに導くものがある。貯水池へ導くものは,簡単な沈砂池を設け無圧トンネルにより送水するものが多い。一方,渓流取水量を主導水路へ導く支水路は、開渠,蓋渠,暗渠,無圧トンネル,竪坑または斜坑からなり主導水路へ合流するものが多い。
主導水路が圧力トンネルで,かつ,渓流取水量が多い場合には開水路流から管路流への遷移過程に生ずる水中への混合気泡を脱気するための水室(後節に述べる)を通過し主導水路へ合流するものもある。しかし主導水路が無圧トンネルの場合には脱気室を設けたものはない。また合流箇所をサージタンクに選んでいるものもある。
渓流取水箇所が主導水路のルート上またはその付近に存在するのが多いが,しかし取水量が少なく,かつ,複数の取水箇所が遠く離れているため,それらの中間地点に合流槽を設け,かつ,これをヘッドタンクとして用い直接に発電所に導く洛北発電所(明治43年(1910年)運開),耳川発電所(大正6 年(1917年)運開)の例もある。しかし取水量が少ないために左右の両方向からのルートを主導水路と支水路の名称に区別し難いものもある。また複数の渓流取水箇所からの流量を一つの合流槽に導いた後に主導水路に注入するものがある。黒部川第四発電所(昭和36年(1961年)運開)は,この合流槽を地中に設け,この合流槽を再度,余水吐と沈砂池として役立てている。
上部水路から竪坑で落下させる場合,その落下呑み口を円筒堰とした越流型式の和田発電所(昭和12年(1937年)運開)の例と上部水路の敷きに沿って直接に竪坑に落下する型式の川合発電所(昭和15年(1940年)運開)の例が古い。円筒堰の場合,砂利の流入を防止し,流入量を制限する働きがある。
竪坑の落下高さが増すと竪坑壁にキャビテーションを起こすこともあるため,流入口径を竪坑径よりも細くし,落下水束と竪坑壁面との間に空間を持たせ,かつ落下水束の空気連行により生ずる水束と壁面間の負圧現象を防止するための通気用の連通管を大気から竪坑内へ導入した利賀第二発電所( 昭和48年(1973年)) の例がある。
竪坑の落下位置は主導水路の近傍とし,減勢した後に主導水路に合流させるものが多く和田発電所(昭和12年(1937年)運開)の例が古い。
斜坑の開水路流は竪坑に比べ小径であっても多量の水を流下させることができるが,施工上の容易さから斜坑型か竪坑型かの選択がなされることが多い。この斜坑型は黒4発電所(昭和36年(1961年)運開)の例が古い。
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2.2.4)支水路合流部の空気混入防止工
気泡が圧力導水路内に混入すると流下過程に一部の気泡はトンネル天端に浮上・集まりトンネル天端に沿って流下するが,トンネル勾配の変化点に貯留し空気塊へと成長する。このような状況下で負荷変動を行うと圧力動水勾配線が変動し空気塊を高速で移動させ,支水路・副水槽,取水口のゲート坑等に噴出する。このとき噴出部のトンネル内の圧力を異常に高める衝撃圧を起こす。この現象をエアーハンマーと称している。もし副水槽や主水槽に噴出すると空気塊の一部は水槽内の水と混合し気泡へと変わる。このため水槽内の水の密度を低下させることによって,負荷変動に伴うサージングを異常に高め,水槽からの越水事故に繋ることもある。またトンネルの空気塊が異常に成長すると損失水頭を増し有効落差の減少を招く。
林(1955) はエアーハンマー値をトンネル内の空気塊に断熱変化の定理を用い発生時の静水圧の2倍の圧力になることを理論から導いた。
Cotillon(コティヨン)(1959)は空気混入防止方法を次の3種に大別している。
イ)斜坑または竪坑内の気泡の混合を気泡が自由に浮上する混合域を設け,この混合域の下部から主導水路に導く方法
ロ)気泡混入水を水圧の作用した水平気泡除去室や受け皿型気泡除去室に導き,その後主導水路へ導く方法
ハ)水と空気が一緒に混合落下しないようにする方法
等である。これらの方式の採用は流量,サージタンク,横坑,ボーリング坑の配置,断面および落下高等から決定される。
まずイ)項の斜坑内の気泡の自由浮上から述べよう。
Kalinske(カリンスキー)とRobertson (ロバートソン)(1943)は傾斜管内の跳水による空気混入量を求め,空気混入量は水量と上流のフルード数の1.4 乗の積に比例することを実験から求めている。Chanishvili (チャニシュビィリィ)(1959)は混合領域の下端付近に存在する気泡の大きさには,安定して存在しうる限界の大きさがあることを示し,Lara(ララ)(1959),Cotillon(1959) は気泡が水面に浮上できる限界の下向き最大流速を示している。また空気泡の混合域の長さについては,ドフィネ水理研究所のLaraが1953年に水理実験によって上流のフルード数と径深の積に比例することを示した。この型式は北電・奥新冠発電所(昭和38年(1963年)運開)の斜坑型サージタンクへの注入に見られるが当該発電所では混合長を出来る限り短くするために底面を扁平にし,かつ,デフレクターを設けている。また下小鳥発電所(昭和48年(1973年)運開)は斜坑タイプであるが,この斜坑部のみでは混合域を主導水路の標高までに制限することが出来ず,後述するロ)項の気泡除去室を合わせ備えている。
一方,竪坑内の気泡の自由浮上についてMarquenet (マルキネ)(1953)は気泡が水面に浮上できる限界の下向き最大流速を示し,Chanishvili(1959) は気泡の混入率が大きいほど気泡の浮上速度が小さくなることを示した。また空気泡の混合域の長さについてChanishvili(1959) は,落下水脈の直径が竪坑の内径に比べきわめて小さい場合,水面への突入前の流速と落下水脈の直径の積に比例することを示した。この形式は川合発電所(1940年(昭和15年)運開)が古い。
次にロ)項の気泡除去室について述べる。斜坑,竪坑内で気泡の混合域を主導水路の標高までに制限することが出来ない場合は,気泡除去室を設ける。
この気泡除去室の構造が比較的に簡単なものは,水平坑としこの内部で気泡を浮上させるものである。しかしながら水位の変動や注入量の変化によっては,除去の困難な場合もある。このような例としては川合発電所(1940年(昭和15年)運開)の四カ所の渓流取水箇所の内の一カ所で生じたが,この対策工として水平坑の下流端の天端から隔壁をカーテンのごとく取り付け気泡・空気塊を貯留させ,これらを天端の脱気孔から水面上へ抜く設備に改良している。
気泡除去室の構造が複雑なものには,遠心分離槽(この装置は円筒槽の斜め上部から壁の接戦方向に沿って注入し,円筒槽内に回転流を与え遠心力によって水塊を壁に押しつけ,かつ,回転の中心方向に気泡を分離した後に脱気孔から気泡混入水を脱気させる)と水平坑の断面に変化を持たせ,かつ,この内部に複数枚のスクリーンを持ち整流による気泡の浮上効果を狙った水室を持つ黒部川第四発電所(昭和36年(1961年)運開)の例がある。また遠心分離槽を備えてはいないが水平坑の断面変化・スクリーンを持つ水室をサージタンク低部の周に沿って設けた電発・十津川第一発電所(昭和35年(1960年)運開)の例がある。また,流入量を数本の鉄管に分け,この各管の流出口の高さを副水槽の標高別に変えて流入させているものがある。即ち,サージタンク内の下向流速が大きいために流量を分割し,自由浮上の可能な管と,スクリーンを備えた水平坑の気泡除去室に導く管とに分離している。この例は,電発・二又発電所(昭和38年(1963年)年運開)である。一般に,気泡除去室の設計に当っては,水理模型実験が行われている。
林は,黒部川第4発電所の遠心分離槽と水平坑の気泡除去室の水槽模型実験(1961年(昭和36年))を行い,また下小鳥発電所の水理模型実験(昭和45年(1970年))の指導に当り,水平坑内の気泡の浮上と水の流速の相似律,斜坑内での混入気泡量の発生に関する相似律,脱気孔の相似律について記している。これによると水平坑内の気泡の浮上速度が実際のものと,模型上のものが同一であるかどうか不明であるが,ほぼ同程度であるであろうという仮定を用い,水の流速の実物と模型値を同一とし,かつ,水平坑の形状に幾何学的に相似な模型を用いている。一方,Kalinske,Robertson , Lara 等が示した斜坑内の開水路流から管路流への遷移過程に生ずる混入空気量と混合域長が,フルード数に比例するということから,斜坑内の混合現象をフルードの相似律によって幾何学的形状に作成いている。しかしながら,このように設定すると,斜坑部内の模型流速は,高さまたは長さの縮尺の?乗に比例することとなるが,先に述べた如く,水平坑の流速は実物と同じ(すなわちKv
=1 )であって,斜坑部の模型実験流量と水平坑の実験に相違が生じることを指摘し,黒4P/S の実験では,注入水の混合気泡率を30%に押さえて行い,下小鳥P/S の実験の指導では斜坑部が気泡浮上のための大きな副水槽となっているため,実験流量を斜坑部の実験と水平坑の実験とに分けて行っている。さらに過大に加速した実験を観察することによっても判断を加える必要があることを指導している。
なお,この節の表題とは全く逆に空気を如何に多く取り入れるかの研究の中に,水理実験の縮尺に関する研究報告がある。これについて以下に少しふれる。模型縮尺の大きさを種々変えた場合,縮尺によっては模型で発生した空気量を実物値に変換したときに過小になることもあることを,S.Pintor(ピントル)とJ.Ota (オタ)(1982)は示した。彼らは,ブラジルのFoz do Areia(フォズ・ダ・アリア)ダムの洪水吐のエアーレィターについて種々の模型縮尺による実験値と実物の実測値の比較を行い前述の結果を示している。なお,エアーレィターは,高速流で流下する洪水吐の水路に発生するキャビテーションによる破損を防止するための構造であって,我が国のコンサルタントによってもインドネシアのサグリン発電所(1986年(昭和61年)運開)の洪水吐,チラタ発電所(1988年(昭和63年)運開)のトンネル洪水吐の模型実験が行われ設計施工されている。この構造は,流れの横断方向の水路床に溝を切り,かつ,水路側壁の外側の空気取り入れ口に溝を結ぶ型式である。すなわち,高速流がこの溝上を飛び,下流側の水路床に着地する間に自然に空気を吸い込む型式である。
次にハ)項の水と空気が一緒に混合落下することが無いようにする方法には,真空中を落下させる方法としての最大負圧式サイフォンを用いたプラニェール発電所の例,フロート制御自動バルブ式のマルゴヴェール発電所の例がある。当社には、このタイプの発電所は無い。
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2.3) 水路トンネルの支保工,覆工の設計
2.3.1) 地圧論
田辺朔郎による明治18年〜23年(1885〜1890年)の琵琶湖疏水工事は、我が国の最初の水力発電所を生み、かつ、近代的トンネル工事の先駆的なものであった。工事には、黒色火薬の使用、蒸気ポンプによる排水、エアコンプレッサー付き削岩機の使用、セメント、軽便鉄道の使用、通風管の使用、坑内電話の設置等と、当時の最新の器材が使用されている。さらに、琵琶湖疏水路の一つである長等山トンネルの工事に当っては、竪坑を設け、トンネルの掘削巻立等を大仕掛けに行った最初の例である。
しかしながら、当時の支保工、覆工の設計に関して、田辺朔郎の琵琶湖疏水トンネル工事記録、さらには、発電専用の水路トンネル工事である宇治川水力発電所の第1期水路工事についての永井専三氏の講演(大正5年(1916年))記録等を見ても、どのような根拠に基づいて設計されているかの記述はなく、明確ではないが、大正9年(1920年)の田辺朔郎著「とんねる」の技術専門書では、覆工の巻厚の設計に当ってトンネル周辺の圧力を“普通の圧力のとき”、“圧力の強大なとき”、“圧力の軽少なとき”の三つに区分し、巻厚をトンネル径の平方根に比例するRankin(ランキン)の式から求め得ることを示している。
トンネルの力学的取り扱いは、トンネルを掘削する以前の地山中の初期応力(一次応力)、掘削後に生じる2次応力状態と側圧係数等の関係の研究に始まり、Kirsch(キルシュ、1898)は、側圧係数を0とするときのせん断応力を求める解を弾性理論の下に導いている。また、A.Heim(ハイム、1912)はある深さ以上になると、土かぶり荷重が岩石の一軸圧縮強度をこすが、側方の拘束のため、岩石は通常の破壊に至らず、潜在的な塑性状態となり、地山中の任意点の応力は、土かぶり荷重に相当する大きさの等圧分布荷重になるとしている。しかし、通常のトンネルの深さでは水圧上の応力分布が得られるほど深くないため、鉛直と水平方向の応力が異なる値となっている。
トンネル掘削後の支保工、覆工が地山と一つの静力学的系として相互作用をなし、地山から支保工等に作用する力を土圧と称しているが、今日、この土圧を“ゆるみ土圧”と“真の土圧”に分類している。支持構造物に作用する荷重1)は、地山の特性、構造物の剛性、施工時期、構造物と地山の接触状態などによって変り、非常に複雑であるため、現在の技術水準においても、定量的にとらえることは一般的に無理であるが、トンネル工事で予想される天端圧に関する経験値は、Bierbaumer(ビヤーバウヤー、1913)によるもの、Stini (シュチニ、1942)、Terzaghi(テルツァギ、1945, 46)によるものがある。また、岩盤の力学的性質及びその環境を知る目安となる地山分類の主なものを示すと、
| 分類法 | 年 | 主要分類因子 | 特 徴 |
| 国鉄(広田) | 1942 | 岩盤の状態 | |
| 電力中研(田中) | 1964 | 岩盤の状態 | ダム基礎 |
| 電源開発 | 1968 | 岩盤の強度,岩盤の状態 | 水路トンネル、ダム基礎 |
| 電力中研(斉藤・菊地) | 1975 | 岩盤の強度 | ダム基礎 |
| 水資源開発公団 | 1971 | 岩盤の状態 | 水路トンネル、ダム基礎 |
| Terzaghi | 1946 | 岩盤の状態 | トンネル支保にかかる土荷重を分類した |
| Stini | 1950 | 地山の強さ | 導抗掘削における地山強度と支保形式の関係 |
| Muller(ミュラ−) | 1963 | われ目間隔、岩質の低下度 | 岩石等級とわれ目間隔の組み合わせ |
| D.U.Deere(ディア)ほか | 1966 | RQD(Rock Quality Designation) | RQD による岩区分と支保形式とを対応させる |
| Z.T.Bieniawski (ビエンヤフスキ-) | 1974 | 強度・RQD・われ目 | 数値表現法を用いた地質工学的岩質区分 |
等がある。当社の黒4P/S (昭和36年(1961)運開)水路トンネルの岩盤調査にあたっては田中の方法が取られ、また、岩盤の物性の把握のためにジャッキ試験機が初めて用いられ、かつ、地下発電所の岩盤調査のために水室による加圧試験が採用された。
理論は、トンネル周辺地山の二次応力状態を、弾性限界内にある場合と、掘削後応力が地山強度を場所によっては、こえて破壊が起り、トンネル周辺地山に塑性領域が発生する場合の2つに分類されており、弾性理論による基本式は、先述したKirschによるものである。一方、塑性領域が掘削面に対して、同心円上に発生している状態については、H.Kastner
(カスナー、1971)による理論展開がある。
ゆるみ土圧の考え方の中には、ゆるんだ地山重量のみを荷重として作用するという考え方と、土かぶり深さの影響を考慮する考え方の2つがあるが、土かぶりの小さいトンネルのせりもち作用によるゆるみ土圧、及び、土かぶりの大きいトンネルのゆるみ土圧に対するTerzaghi(テルツァギ、1948, 1959)の理論、土かぶり深さの影響を考慮しないが、土かぶりの大きなゆるみ土圧を扱ったものに、Kommerell (コンメルン、1940)、Protodyakomo(プロトシャコノフ)、Bendel(ベンデル)のものがある。
また、真の土圧は、トンネル周辺に生ずる応力が地山の強度をこえると、地山内にすべり面が発生し、塑性変形が生じ、支保工または覆工にかかる土圧である。
H.Kastner(1971) は、真の地圧は次のような形
a) 山はね
b) 側壁より出る軽微な塑性変形と岩石はく離
c) 側壁より出る強力な塑性変形と、天端および底盤のひずみに関係して生ずる破壊現象
d) 塑性変形および掘削全周面にわたるはく離
となって現れるとしている。
また、Talobre (タロブル、1957)は、地山に働く弾性体の力と、土質力学に採用されている安定条件をとり入れ、モールの円を用いてゆるみ域の決定を行っている。山口(1929、土木学会誌、15巻、 4号)は、地山のポテンシャルを考慮したゆるみ域の研究を、G.Sonntag (ソンタッグ)(1958)は地山が異方性であるものとしてゆるみ域を取扱っている。また、この種の問題を扱ったものには伊藤(土木学会論文集46号)は、円形たて坑の周囲における弾塑性応力状態を、川本(土木学会論文集56号)は円形たて坑周辺の弾塑性応力状態に対する近似解法を、小田(土木学会論文集68号)は粘弾性体としての地山中の素掘円形トンネルの変形挙動について論じている。
また、トンネルが掘削されると坑壁が徐々に内空側に押出されてくることがあり、これを現象面から膨張性土圧としているが、これは、真の土圧の範疇に入るものであり、弾性、塑性、粘弾性理論の研究が進められている段階であり、桜井(1970)による研究がある。
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2.3.2) 圧力トンネルの覆工の設計
トンネル形状は、一般に応力集中を避けるために円形断面が選ばれている。1920年スイスのRitom (リトム)発電所において、圧力トンネルからの漏水事故が発生し、これを契機に地山の特性を把握するための土質力学的研究が開始された。
小牧発電所の圧力導水路(1930年(昭和5 年)通水)の巻立は、岩質に応じて30.5cm〜61cm, 76.2cmとし、水槽付近の地質の悪い所では特に91.4cmとしている。石井(1933)は、この小牧発電所の圧力トンネルからの漏水量について、欧米各国の例と比較し、巻立コンクリートの質と地山との接触面の扱いの重要性について指摘した。
谷本(1941)は、地山を弾性体とする扱いの下に、調圧水槽(竪坑)と圧力トンネルの等方肉厚管の解を求め、兼山水力発電所を例に計算例を示している。
O.Frey-Baey (オットー・フライベール)(1944)は、内圧下における無巻トンネルの岩盤内応力、無筋ならびに鉄筋コンクリート巻立の各部応力について式を誘導しているが、その計算の根拠となる仮定は、
a) 巻立コンクリート及びそのまわりの岩盤は均質一様のものである。
b) コンクリートと岩盤の接触面は、摩擦が働かないものとする。
c) 巻立コンクリートと、まわりの岩盤との間には隙間がなく、密着しているものとする。
d) 地山は無限に拡がっているものとする。
等である。このため、Eggenschwyler (エ−ゲンシュウィラ)(1956)は、O.Frey-Baey の考え方の独自性を認めながらも地山のゆるみ域について考慮されなかったことを指摘した。一般に圧力トンネルにあっては、実際問題として地山中に高圧グラウト注入を施工するためにあまり大きくゆるみ域の問題を取りあげたものはなかったが、内張鉄管の挫屈に対する配慮としては、ゆるみ域の考えがよく取られ、例えば、Vaughan (ボーガン)(ASCE 949)、Hutter・Sulser(ヒューター・サルサー)(1947)の研究がある。
久野(1929)は、地山の表面を水平とし、有限深さのところに円孔をあけ、内部より水圧がかかる場合の地山応力についての解を得ている。また、大西(1948)は、久野と同様の方法によって内張鉄管の応力検討を行っている。
また、弾性力学的にみたゆるみ域を内張管の設計に採用した例は、フランスのBouchayer (ブシェエール)社(1958)のものがある。また、Kastner (カスナー)(1962)は、内張管の設計に当り、地山を弾性体と考え、かつ、トンネル掘削をした時の応力が土質力学に用いられている塑性流動条件を満足する範囲がすべりとして表わし、式を誘導している。また、Oberti(オベルティ、1960)は、覆工のひび割れに対する安全率を高めるためにコンクリート覆工以外に吹付けコンクリートによる2次覆工の工法の効果に関する静力学的研究を行っている。
高ダムの建設と相まってトンネルが高圧大容量化してくると、コンクリート巻立にプレストレスを与え、内圧から来る引張り応力に抵抗させようという工法が合理的であると考えられるようになり、オーストリアでは第2次世界大戦中に、カプルンにおいて初めて採用された。これは、プレストレスをコンクリート巻立そのものに鋼線で与えるもの、いわゆる機械的な方法によるものである。また、工法には、グラウト注入などを利用してプレストレスを残留させるもの、いわゆる水力的な方法の2つの方法に大別される。
機械的な方法としては、Freyssinet(フレシネ)の方法や、Dyckerhoff(デッケルホフ)& Widmann(ウィドマン)工法がある。一方、水力的な方法としては、大きく分けて、Kunz(クンツ)の方法(またはHamann- Keller(ハマン・ケラー)工法)と、Kieser-Berger (キサ・ベルガー)工法がある。
Kunzの方法は、トンネルの天端とインバートにトンネル軸方向にうすい鉄板で作った圧力クッションを挿入し、この中に圧力水を充水してプレストレスを残留させるものである。Kieser-Bergen 工法は、掘削断面の地山との接触面に外巻コンクリートを設け、トンネル内側に核リングの巻立を行う。ただし、外巻コンクリートと核リングの間を空洞として設工した後、この空洞部に高圧のモルタルを注入し、核リングにプレストレスを残留させる。さらに、外巻コンクリートには、内圧が加わることで引張り力が働き亀裂が入るが、この亀裂から地山の方にモルタルが浸透することによって、かえって地山の空隙の填充に役立つものとなる。
1940年、スイスのInnertkirchen (インナーキェルヘン)の延長10kmの隧道の覆工に用いられたプレキャストの薄い孤状アスベストセメント板に圧縮応力を予め与えるために組織的な岩盤のグラウトが行なわれた例は、大規模に行なわれた例としての最初のものであろう。
しかし、Kieser-Berger 工法は施工面で煩雑であり、かつ工期が長くなり、また高価であることから、グラウト注入工事のみでプレストレスを与え得るか否かについての研究がその後、行なわれた。プレストレスへの影響要素としては、地山の物性・亀裂、コンクリートの影響、温度変化、地山地下水圧の影響等が関連しており、Reisach (ライサッチ)トンネルにおける研究、黒四発電所の圧力トンネルを例にした丸山・神月(1964)の研究等がある。
一方、圧力立坑がヨーロッパで最初に設計されたのは、南チロルのSchalstal (シャルスタール)発電所であり、1911年に施工された。我が国においては、津賀P/S (昭和19年(1940年)運開)が最初である。地下発電所の建設とあいまって、その数は増加している。圧力立坑の断面は、内張鋼板ないしプレストレスコンクリートのコアーパイプ、基礎コンクリートおよび地山からなっている。圧力立坑の原理は、内圧の一部を内張管で支持させ、残りの部分を基礎コンクリートを介して地山に伝達させることにある。ここでの技術的課題は、地山が受けもつ圧力を決めるための応力緩和係数の決定がある。
Kastner (1971)は、応力緩和係数に関する問題を
a) 地山を均質・等方性とする仮定
b) 内張管、基礎コンクリート、地山のあらゆる部分の応力は、弾性限界内にあるとする仮定(地山の塑性たわみ、残留変形の考慮)
c) 内張鋼板と基礎コンクリート管、および基礎コンクリートと地山間が接触しているとする仮定(地山の塑性特性、温度作用、コンクリートの収縮ならびに地山のクリープによる完全接触は難しい)
d) 地山の2次応力状態を無視する仮定
e) 地山の許容引張応力の決定
とし、これらに対する理論展開を行っている。
次に、水圧鉄管の代用として採用される超高圧隧道がある。この型式の隧道の採用は、アメリカのナイヤガラ水力発電所(1922年)が最古のもののようであり、我が国では、1944年(昭和19年)に完成した浅内発電所の超高圧隧道の設計が大西によってなされた。超高圧隧道は、岩盤中に円形隧道を設け、これに鋼板内張のコンクリート巻立、または鉄筋コンクリート巻立とし、水圧の一部をこの巻立に分担させ、残りを地山に負担させるものである。大西は、コンクリート及び地山のコンクリートとの接触面よりある範囲は、水圧によって亀裂を生ずることを許し、地表近くの円孔内面に水圧を加えた場合の円孔周辺の応力、及び変位を調べ、さらにトンネルの土被りと亀裂による撹乱範囲の半径の比によって応力、変位がいかに変化するかを検討している。
また、従来から採用されているグラウト注入にあっても、コンクリート巻立背面の岩盤の性質・形状等によって必ずしも均一にコンクリートにプレストレスが導入されない欠点を補うコンクリート素材として、膨張セメントを混入した膨張コンクリートが、昭和48年(1973年)に建設された当社の下小鳥発電所の圧力トンネル、昭和49年(1974年)運開の奥多々良木発電所の内張鉄管の填充コンクリートとして使用されている。錦織(1976)は、膨張が終了したあとの拘束下におけるひずみ量は、実際の応力度に対するHooke (フック)の法則と膨張に対する拘束とからなるものとして理論展開を行っている。
2.3.3) NATMの導入
トンネルをいかにして安全に、速く、安く建設するかは、絶え間なく続けられている目標の一つであり、工事の省力化と高速施工に適した新工法には、第二次大戦後の綱製アーチ支保工と大型機械を駆使したアメリカ式のトンネル工法、さらにはオーストラリアのRabcewicz (ラブセビッツ)らによって1963年に命名されたNATM工法(New Austrian Tunnelling Method)がある。このNATM工法は、1970年代中ごろ我が国にも伝えられ、注目を集め、今日、我が国の地下掘削工事における一主要工法となっている。
NATM工法を、わが国ではその使用材料から、ロックボルト・吹付けコンクリート工法ともよばれることが多い。綱ボルトによる掘削面の保護は、鉱山では以前から用いられていたが、アメリカでは1947年に取入れられて急速に普及している。また、モルタル、コンクリートを圧縮空気で機械的に吹付ける機械の製作は、ヨーロッパとアメリカで同時に始められ1913年に成功している。
NATM工法の概念は、“支保工部材で緩み荷重を担う”という従来の考え方と異なり、“地山そのものが本来有する強度を発揮して、最大限、地山自身でトンネルを保持させる”というものである。わが国の導水路トンネル、水圧鉄管、放水路に採用されたのは、昭和52年(1977年)の王原発電所(東電)、調圧水槽の竪坑には、昭和54年(1979年)の下郷発電所(電発)、当社では、昭和57年(1982年)の音沢発電所の導水路トンネル工事等が初めてであり、その後のトンネル工事の主要工法となっている。
理論の完成は、ロックボルトや吹付けコンクリートの支保効果の計測による確認と支保機構の研究、さらには、地山挙動の観測と岩盤力学に基づいて、トンネル掘削時の諸現象の解明、さらには、弾・塑性体理論に基づいたトンネル周辺地山の力学挙動に関する研究等によっている。
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2.4) 導水路トンネル施工の変遷
トンネルの歴史は非常に古く、いまから約 4,000年前にイラクで幅3.6m、高さ4.5m、長さ900mのトンネルを掘ったのが記録に残る最古のものとされている。日本におけるトンネルは潅漑用のものが始まりで1670年に完成した延長1,280mの箱根用水の深良疎水トンネルである。
日本の水力発電所は明治24年(1891年)の蹴上発電所にはじまるがトンネルは明治5年(1872年)東京〜横浜間に開通し引続き急速に伸延した鉄道や道路トンネルが発電用導水路トンネル以前に数多く掘られている。近代的な工法によるトンネルは蹴上発電所にも関連ある京都疎水の長等山トンネルである。このトンネルは幅16尺(4.85m)高さ14尺(4.24m)長さ 1,336間(2,400m) 勾配1/3000の水路トンネルであり明治23年(1890年)に完成した。
この長等山トンネルでは当時既に確立していたトンネル掘削工法で施工された。即ち項設導坑を先進させ次いで順次切拡げを行なうものであった。またトンネル掘削に際し、可成りの機械化が行なわれており蒸気機関によりエヤコンプレッサー駆動や排水ポンプの運転を行ない坑内排水や削孔が行なわれた。このコンプレッサーや削岩機は英国より輸入された。更に坑内換気のため竪坑が掘削され送風器も併用された。
一方トンネル掘削に火薬を使った発破工法も古くから行われ1679年フランスのマルパストンネルが初めてといわれている。日本では文久3年(1863年)北海道の鉱山で初めて火薬が使われた。1866年アルフレッドノーベルがダイナマイトを発明し、これから強力爆発薬が実際に使用されるようになり、上記京都疎水の長等山トンネルでは英国及びドイツより輸入したダイナマイトが使用され、竪坑掘削には電気導火も使用された。
この京都疎水事業の一環として誕生した蹴上発電所以降水力発電専用施設としての水路トンネルが数多く掘削されたが、いずれも使用水量が小さくトンネル断面も巾、高さ共に2m未満のものが大半で、当時としては可成り定着していた機械化施工を進歩させるには至らず、その発展は主として鉄道トンネルにゆだねられた。
その中にあって大正2年(1913年)完成した宇治発電所の導水路はその断面、延長共それ迄の実績を大幅に上まわる規模であった。全長10,878m(開きよ、暗きよを含む)を12分して施工されそのうち第1号水路(暗きよ 158m、トンネル 2,468m)及び第7号水路(暗きよ7m、トンネル 3,016m)は削岩機が使用され他は皆手堀りで掘削された。掘削順序は地質により種々試みられたが、底設導坑、大背、中背、丸型、土平と項設導坑、丸形、中背、大背、土平の順の組合せで、削岩機の使用を始めてからは前者の組合せとした。
削孔はドイツのマイヤー社製、切拡げにあってはシュラムとかインガーソルランドの軽量削岩機が使用され動力源は 120馬力の蒸気駆動及び 125馬力の電気駆動のエヤーコンプレッサーが使われ電力の供給は工事用の火力発電所から送電された。また爆破用の火薬は主として国産のダイナマイトが使用され一部に輸入のブラステイングゼラチンが使用された。礪出しは一部を含いて(斜坑、竪坑等)を除いては手押土運車(0.5 ?〜0.9 ?)が用いられ45cmゲージ乃至76cmゲージのレールを走行させた。斜坑では30乃至42馬力の捲揚機が使われた。この宇治発電所の導水路トンネルの導坑掘進速度は手掘で日進 0.3m乃至 3.6m、機械堀が日進 0.3m乃至6m、最大 7.6m、月間最大は 244mと報告されている。
その他このトンネル施工で使用された機械では坑内換気用に電気駆動のルーツブロアーとフアンを使用して汚気を坑外へ吐出するようにした。更に湧水に対して多数の電動及び圧縮空気の排水ポンプが使用され、坑内照明は初めはカンテラを使用していたが後で電灯に切り換えられた。
ライニングはアーチが煉瓦巻、側壁がプレキヤストのコンクリートブロック、インバートは場所打コンクリートであった。
トンネル掘削はトンネルボーリングマシンが出現するまではいわゆる発破工法でこれは、削孔、装薬、爆破、ガス抜、ずり出し、支保工のサイクルのくり返しであり、それぞれの作業の所要時間短縮がトンネル工事全体の工程改善に直結するのでそれぞれ改善が試みられ成果をあげた。
先ず削孔に使用するさく岩機は1860年乃至1870年に開発され材質的、機械加工などの面では相当の進歩を示しているが、構造的にはバルブ、ローテーション、ロータリーパーカッション等種々の改良が加えられ、小形軽量化とともに能力の向上が計られて来たが、その基本的な構造の変化はない。このさく岩機の改良と同時に、切羽面で数多くのさく岩機で削孔するためのジャンボの開発も行なわれ、全断面又は上部半断面掘削工法へと変って行ったが、これの本格化は第二次世界大戦後電力再編成以後であり、それまでは底設導坑先進の切拡げ方式が続いた。
次に時間のかかるのがずり出しである。削孔は早くから比較的機械化が進んでいたがずり出しはずり積、運搬、投棄共長い間人力に頼っていた。
明治35年(1902年)完成の国鉄中央線笹子トンネル(延長 4.8km)で初めて坑内運搬に架空単線式の電気機関車が使用された。続いて大正13年(1924年)丹那トンネル工事でバッテリー機関車による列車化によりずり運搬能力の向上が計られた。またずり積にショベルローダやショベリングマシンが大正10年(1921年)に掘削された上越線棚下トンネルで始めて採用された。
一方覆工では、当初はレンガの手積みであったのが大正に入ってコンクリートブロックが用いられ大正末期から昭和初期にかけて側壁を場所打コンクリート、アーチをコンクリートブロック併用となり昭和10年(1935年)以降はほとんどの場合場所打のコンクリートとなったが昭和30年位まではすべて労働力に頼っていた。
上述の通りトンネル工事の機械化は明治から昭和初期までに順調な発展を遂げたが、昭和6、7年頃から満州事変、日中戦争更に太平洋戦争へとエスカレートするにつれて、公共事業は不急不要事業として次第に縮少され、建設工事の機械化は衰退の一途をたどる事となったが、電源開発はこれ等戦争遂行に重要な施策として続行されたが、施工技術は従来の方式を踏習したものでみるべき発展はなかった。
太平洋戦争終結後我が国の復興、国家再建に電源開発は欠かせないものだとの考えから昭和26年(1951年)の電力再編成、昭和27年(1952年)の電源開発株式会社の発足に併なって各社共水力開発に全精力を注ぐ事となった。
関西電力に於ては木曾川の丸山発電所(125,000 kw,昭和29年)が社運を賭して建設された。この丸山発電所は高さ96mのコンクリート重力式ダムで、ダム工事では我が国における機械化大工事の先鞭をつけた事で画期的なものであったが圧力導水路(内径 6.0m)では在来工法(導坑切拡げ)で特にみるべきものはない。
昭和30年(1955年)佐久間ダムに関連した国鉄飯田線のつけかえで施工された大原トンネル(延長 5,063m)で日本で初めて全断面掘削が採用され、米国で開発された新型トンネル機械を輸入して導入し、日本の在来工法で6年、機械化工法で38ヶ月と見積もられた工期をわずか22ヶ月で完成させた。この時輸入された機械は次の通りである。
ドリルジャンボ 3ステージ11ブームガントリー型、ガードナーデンバー
SF-93 さく岩機搭載
ずり積機 コンウエイ 100型ショベル(1cyバケット)
ずりトロ 4.5 m3積
スチールフォーム テレスコピック型、1打設長10m
コンクリート打設 プレスウエルド社製コンクリートプレーサー
これに続いて佐久間発電所の仮排水路、導水路トンネルにも全断面工法が採用された。
関西電力では丸山発電所以降も水力開発または河川再開発が積極的に推進された。その中にあって庄川に建設された鳩ヶ谷発電所(40,300kw、昭和31年)の導水路に全断面掘削工法が採用され、またコンクリートプーサーによる巻立コンクリートが施工された。この導水路は内径 5.0mの馬てい形で、3デッキ8ブームのジャンボ、アイムコの0.25m3ショベルローダ、 1.5m3積の鋼車及び捨土にカーチップラーが使用される等以後の全断面工法にみられる主要な機械が駆使された。それ以降トンネル掘削は鋼製支保工と相まって全断面掘削乃至上部半断面掘削工法が主流となり大容量導水路工事をはじめ国鉄複線化工事並びに新幹線工事でその偉力を如何なく発揮した。
全断面掘削を可能にしたのは一方ではせん孔機械の高能率化とせん孔機の複数同時使用。ずり積機の導入とずり運搬容量の増大によるところが大であるが、他方では鋼製支保工の出現がある。
我が国においては昭和30年頃までは木製支保工が使われ釜指と呼ばれる特殊技能者の腕一本に支保工の成否がかけられていた。また巻立コンクリートに際して撤去されるのが原則であり、支柱の林立により大型の機械が入りにくく多くの人力を要し施工速度があがりにくい欠点があった。鋼アーチ支保工の出現により大型機械が使えるようになり、何より安全性が飛躍的に向上した。
前述の国鉄大原トンネルでは鉄道の古レールが使われたが、それより支保工としての断面性能のよいH型や可縮型V型支保工が普及した。
関西電力では前述の如く鳩ヶ谷発電所の導水路トンネルの一部で初めて全断面掘削工法が導入されたが支保工はレールで、引続き建設された読書第二発電所 (70,000kw、昭和35年(1960年))の導水路トンネル(内径 5.5m標準馬てい型)では H-125 ×125 ×10 とV型のVB-20 とが使用された。
昭和31年(1956年)に着工された黒部川第四発電所工事では当時の世界最新の技術を駆使した施工法が採られ、最新の機械が使用された。即ち削孔は3デッキ11ブームのジャンボ、ずり積はバケット容量0.76?の電動式ロッカーショベル(KR-68 )、 アイムコー40H (バケット容量0.38?)又はコンウエイ-100(バケット容量 0.78?)等を2台配置した。またずり運搬には5乃至6?の鋼車と6t乃至10tのバッテリーカーが使用され、また黒部ルートトンネルで我が国でははじめてベルトコンベヤーが使われた。更に一部では13tのディーゼルカーが使用され、一方コンクリート巻立にはニードル式ノンテレスコープ型とテレスコープ型スチールフォーム(長さ12m)が併用された。
黒四以降に建設された水力発電所導水路トンネルはおおむね黒四の方式を踏習して施工された。
上記の在来発破工法による進行記録は昭和11年(1936年)国鉄仙山トンネル(導坑)の月進 209.5m(5発破)から昭和29年(1954年)最初の全断面掘削工法をとり入れた国鉄大原トンネルで 261mと延び更に昭和35年(1960年)黒四工事における黒部ルートのトンネルで 540mという記録を樹立した。
昭和30年代に入ると、岩盤掘削の主役をノーベルの発明以来務めてきたダイナマイトに代って各種の爆薬が登場してきた。昭和22年(1947年)アメリカ・フランスで相次いだ硝安肥料の大爆発事故から硝安の爆発性が研究され、昭和29年(1954年)に米国の露天掘鉱山でANFOの原形となるアクレマイトが試用され、昭和35年(1960年)にはカナダでファナムがANFOの特許を取得した。昭和33年(1958年)アメリカとスウェーデンでANFOの坑内使用実験に成功しダイナマイトに比べて価格が安く、取り扱い上の安全性が優れているのでその後またたくまに欧米では使用量が増加した。昭和37年(1962年)には城山発電所(250,000kw 、揚水式)の地下発電所空洞掘削に80tのANFOが使用された。
昭和30年代に入りずり運搬にディーゼル機関車が数多く導入された。これは技術進歩により排ガスの浄化が可能になった事、坑内換気能力も向上した事。更に燃料費、ランニングコストを低くおさえられ、メンテナンスも容易である等の理由からである。
昭和40年代後半に入り機関車及び鋼車の使用台数が減少し一方ではディーゼルエンジン駆動のローダーが登場しダンプトラックとの組合せによるいわゆるタイヤ工法が国鉄のトンネル工事を中心に普及してきた。関西電力では昭和40年(1965年)木曾発電所(116,000kw 、昭和43年(1968年))の2号導水路トンネル上口でアイムコ 115ローダとダンプタの組合せによるタイヤ工法が採用された。昭和50年以降高速道路及び鉄道トンネル等大断面トンネルではタイヤ工法が一般的となっている。
上述のような在来工法(発破工法)が 100年の歴史の中で大きく発展したが一方では無発破工法も研究され実用に供されるようになった。一つは自由断面掘削機(ロードヘッダ)でありもう一つはトンネルボーリングマシンである。
昭和30年代初期から始まったエネルギー革命に対応するため我が国の炭鉱では国策として急速に合理化が進められ昭和36年(1961年)8月に初めてソ連より自由断面掘削機 PK3型が羽幌炭鉱に導入された。その後昭和44年(1969年)に国鉄鹿児島線城山トンネルの底設導坑で土木工事用に初めて使用された。水力発電用トンネルではまだ国内では施工実績はないが、関西電力の土木技術をベースに発足した株式会社新日本技術コンサルタントが調査、設計、施工、監理を行なったインドネシアジャワ島のサグリン水力発電所(700,000kw 、1986年)の導水路トンネル(内径 5.8m、 延長 4,600m)の一部でこのロードヘッダPAURAT E.134が使用された。この PAURATは80tの自重があり、50kg/cm2乃至250kg/cm2 の圧縮強度を有する岩盤には極めて優れた性能を発揮したが、50kg/cm2以下の軟岩及び500kg/cm2 以上の硬岩ではいちじるしく効率が低下した。このサグリンでは発破工法とPAURATによる無発破工法を併用したが月間進行が発破工法で平均 105m、無発破工法で61mとPAURATによる無発破工法が大幅に劣った。
更にこのサグリン発電所では巻立コンクリートに関しても従来日本では考えられない工法がとられた。従来の工法ではライニングコンクリートの収縮クラックをさけるため1ブロックのライニングコンクリートの長さを10m以下におさえてていた。サグリンでは掘削の遅れを取戻すため、継目なしのコンクリート連続打設が行なわれた。すなわち長さ10mのスチールフォームを6組(全長60m)用意し、打設が終り所定の養生時間(9時間)経過した再後部の1パネルのスチールフォームを解体し残りの5パネルのスチールフォームの中側を通って最前部に移行させ組立てるという方法でコンクリートは型枠移動中も中断することなく続行された。この工法により月間最大 650mのライニングコンクリートを施工した。この工法には種々の疑問が提起され討議されたが最終的にはこのプロジェクトの融資を行なった世界銀行の特別技術顧問団の承認の下に採用された。
さて上記ロードヘッダと共に胎頭してきたのがトンネルボーリングマシン(TBM)である。
実用的な TBMは昭和27年(1952年)アメリカで開発され、日本では昭和39年(1964年)にアメリカのロビンス社と技術提携した小松製作所のTG 230(掘削径 2.3m)が四国新居浜の住友共同火力発電所導水路トンネルに使用されたのが初めてでありその後各所で導入を試みたものの当初の目的どおりの成果をあげ得ずその使用は停滞した。昭和50年代後半に入ると、我が国では石油代替エネルギー開発をねらって、発電所導水路トンネルの経済的建設が求められ、通産省指導で全地質対応小口径 TBMの開発が進められた。昭和58年(1983年)には実証試験工事が開始され、その結果は初期の目的に適応することが確認された。
関西電力では昭和57年(1982年)着工の音沢発電所導水路トンネル(延長10,564m)で TBMの導入が検討され、折しも電源開発の下郷発電所水圧鉄管路斜坑でのパイロット・リーミング方式の TBMで成功をおさめた事も相まって、まだ、危険要素がある全断面方式をさけ、パイロット・リーミング方式の TBMのが採用された。音沢発電所導水路は内径 5.2mの標準馬てい形及び内径 5.3mの円形とし、4号トンネル下口(内径 5.3m円形)に TBM方式を導入した。この TBMの機種に際し、種々比較の結果パイロット・リーミング方式を開発し、下郷発電所でも成功裡の実績を有する西ドイツ、ヴィルト社製のTBU330-370H(パイロット)及びTBU360/600H(リーミング)が採用された。
トンネル工事工程に合せてパイロット機が現場に到着したが、パイロット機組立室、発進坑の位置が地元同意が得られず、横坑掘削が間に合わなかったため計画が変更され横坑の地質不良と相まってパイロット機の稼動開始が大幅に遅れた。更に本坑掘削に際しても地質不良等で掘進速度は計画を下まわり一時3ヶ月の遅延を来したが、その後の地質好転や関係者の努力により掘進速度も向上し昭和58年(1983年)6月には月進 460m、7月には日進37.6mを記録し、遅延を2ヶ月挽回した。この工程遅れを取戻すため4号トンネル上口よりパイロット坑約 113m区間を発破工法で切拡げる事となり、これに我が国ではめずらしい超長孔発破(長さ 4.5m、6m及び9m)が試みられた。この結果長孔拡巾(長さ 4.5m)は早く経済的に施工できることが判明したが超長孔(長さ 6.0m以上)では労力、サイクルタイム、火薬量共多く費す結果となり今後に課題を残した。
なお4号トンネル上口は掘削長 2,355mあり工事全体のクリティカルパスであった事から月進 200m以上の掘進を確保するため長孔せん孔、バーンカット工法が採用された。このためせん孔スピードのよい油圧式を採用した。又ずり出しにはサイドダンプ式トラクターショベル(CAT963)と12tバッテリーロコがけん引する5両の 6.0m3トロ列車の組合せとした。
音沢発電所トンネル工事でのもう一つの特徴はNATM工法による掘削の急速施工である。NATM工法は昭和19年(1944年)オーストラリアのラブセビッツ博士により提起されオーストラリア及びスイスの水力発電所トンネルで試験工事が行なわれた後昭和31年オーストラリアの特許が与えられ、昭和38年(1963年)同博士によりNATM(New Austrian Tunneling Method )と名づけられた。これに併いコンクリート吹付機の改良、発達も目ざましかった。NATM工法は以後数多くの実績と、理論解析の進展に伴い最も安定した工法として全世界に広がり。山岳トンネルから都市トンネル更には地下発電所の大規模地下空洞の施工に威力を発揮している。
音沢発電所導水路ではこのNATM工法をとり入れ岩質により厚さ8cm乃至15cmのショットクリート及び長さ 2.0m乃至 3.0mのロックボルトが使用された。コンクリート吹付けには乾式(メナディエGM76型)や湿式(極東チャレンジャーPco9-20E)が使われた。
以上述べて来たのは主として大規模水力開発が対象であった。一方昭和48年(1973年)及び54年(1979年) の2度に亘る石油危機がきっかけとなり純国産のクリーンエネルギーである水力が見直され、石油価格の高騰と共に中小水力開発が再び脚光をあびるようになった。これに呼応して関西電力では伊那川第二(21,600kw、昭和61年(1986年))川原樋川(11,400kw、昭和61年(1986年))及び万波(12,400kw、昭和62年(1987年))が開発された。いずれも水路式の発電所で使用水量が小さく(6.4m2 /s、8m2/sec及び5.0m2/s )導水路の工事が工事費工期に大きく影響するので、機械化施工が許容し得る最小断面を採用すると共にNATM工法により地質的可能な限りトンネル壁面を吹付けあるいは素堀とした。この最小断面はずり積機の機種によって幾分異なるが幅、高さ共大略 2.5mであり、無圧トンネルの場合は幌型が多い。導入された機械は2ブーム空圧又は油圧ガントリージャンボ、ロッカーショベルRS-55 、RS-85 、大空 650又はヘグローダー8HR-1 、9?積のシャトルレーン又は3?鋼車等が投入された。コンクリート吹付にはアリバー 280の乾式吹付機(川原樋川)又はアジテーターカーEPCL-306と吹付機PC-08-60M の組合せによる湿式(伊那川第二)等が投入された。
小断面トンネルでは機械化施工可能の限界に近いため距離の長いトンネルでは礪運搬車の入替待避や、ずり処理中の運搬空間を確保するようガントリージャンボの背のび用スペース等のため随所に設計断面より大きい掘削断面を必要とする事が特徴の1つである。
トンネル工事はその掘削が最も重要な要素を占めせん孔、発破、ずり出し(在来工法)のくり返しでありこの作業の進歩、発展は上述のようであるがこれを支える換気、排水、照明も又重要な要素である。
トンネル工事では工事中の換気は、エヤドリルの使用によって得られる新鮮空気と、坑口からの自然換気で間に合せていた。しかし大正時代に入りトンネルの長大化に併い強制換気の必要性が起り種々工夫がこらされた。当初は大型木製フイゴとか坑口近くの川に設けた水車を動かし送気したとかいった単純なものであった。
大正7年に着工された国鉄丹那トンネルでは電力を動力とするアメリカ製の換気機が導入された。以降今日まで色々なタイプの換気機が開発されたが大別して集中方式(送気又は排気を坑口で集中的に行なうもの)と直列方式(送気又は排気を坑内で逐次設置)に2分され、実際の施工に直ってはトンネル断面の施工、施工延長の長短、有害ガスの多発、施工法(発破工法、機械堀、レール式、タイヤ式)等諸施工条件に応じ最適な方法が選定されている。
次ぎに坑内排水設備については、古代より長い歴史を有するが明治19年頃(1886年)にはびわ湖疎水事業の長等山トンネル工事で踏車による排水作業が記録されている。明治から大正にかけて渦巻ポンプは経験によって設計され、英国のラストン、スイスのズルツアー、ドイツのオットー等外国製が多かったが、明治38年(1905年)井口在屋博士が渦巻ポンプの理論を発表し、これに基いた実験用の口径 180φの渦巻ポンプを試作した。この渦巻ポンプはトンネル工事の主役として一時期を画した。ポンプの発達はその原動機の発達に負うところが多く、当初の蒸気機関から蒸気タービンへ更に電動機へと変り渦巻きポンプはこれに歩調を合せて高速化しその利用範囲は急速に拡げられた。大正2年完成した宇治発電所導水路トンネルでは空気動又は電動のポンプが多数動員された。この渦巻ポンプは昭和23年(1948年)水中ポンプが出現するまではトンネル工事における給排水の主役であった。昭和27年(1952年)スウェーデンより水中ポンプが導入され昭和28年(1953年)には国産されその後種々改良が加えられた。これとほぼ時を同じくして、エヤモーターによる水中ポンプが誕生した。この水中ポンプの出現によってトンネル工事の大半の排水は水中ポンプへ切換った。
前にも述べたように宇治発電所導水路トンネル工事で坑内照明として始めたカンテラを使用していたのを後で電灯に切換えられたが、この宇治発電所工事(明治41年(1908年)〜大正2年(1913年))に先立って国鉄笹子トンネル(前述)(明治35年(1902年))で初めて使用された。以来照明は戦後蛍光灯の出現があったものの電灯照明が当然の如く使用されている。
最後にトンネルに於て欠かせないのがグラウトである。特に圧力導水路トンネルでは重要な要素である。
関西電力では大正7年(1918年)に高津尾(5,800kw ),大正13年(1924年)に由良川(2,460kw )、大井(48,000kw)の古い圧力導水路を持った発電所があるがいずれも規模が小さいが、内圧も低い事もありグラウトは施工されていない。圧力導水路が本格化した小牧発電所(72,000kw、昭和5年(1930年))以降圧力導水路の規模(内径、内圧)が大きくなるにつけてグラウトは入念に行われるようになった。圧力トンネルのグラウトは2段階に分けられ、低圧でのてん充グラウト(主としてトンネル天端付近の裏込用でモルタルてん充)と高圧グラウト(周辺岩盤のコンソリデーション)の段階で行なわれた。注入圧力は低圧グラウト3乃至6kg/cm2、高圧グラウトでは対象設計水圧の2倍程度でコンソリデーションの範囲はトンネル内径の2倍程度が標準的である。注入機械は大正初期より昭和30年代後半にかけてはカニフミキサーが低圧用にたて型プランジャー式又は横型ピストン式グラウトポンプが高圧用に使用された。
黒部川第4発電所では設計水圧10乃至15kg/cm2ととび抜けて大きな水圧の大きな導水路であり、その内圧に対して鉄筋コンクリート構造のみでは不充分であるので、地山内へ高圧セメント注入を行なって、巻立コンクリートにプレストレスをかけることとし、その方法として低圧グラウトによるモルタルてん充を注入圧7kg/cm2で行ない引続き、2mピッチで深さ 1.5m乃至3mの高圧注入孔を1リング当り3本又は6本を配置し最低20kg/cm2、最高30kg/cm2の圧力でセメントミルクを注入した。この高圧グラウトには東邦、鉱研及び大和製の注入圧力50kg/cm2のグラウトポンプが使用された。この考え方は三尾発電所(34,000kw、昭和38年(1963年)にも応用されている。
下小鳥発電所(142,000kw 、昭和48年(1973年))の圧力導水路の途中渓谷下を通過する部分に破砕帯があり、この部分の処理に従来用いられた内張鉄管とか巻立コンクリートの増厚とかグラウトにとによる外部プレストレスの導入及び周辺岩盤の改良に代りデンカ CSA膨張性混和材の使用による巻立コンクリート自身にプレストレスを生ぜしめる手法が取り入れられた。
揚水発電所に於ては圧力導水路・放水路共その施工手順は一般水力と変りないが、その目的を水密性の保持におき、奥吉野発電所(1,206,000kw 、昭和53年(1978年))の導水路、放水路では地山の透水係数を1×10-4cm/sec以下におさえるためグラウト後の透水性を10ジオン以下にする事を目的としてコンソリデーショングラウト(高圧)を施工した。最終圧力は従来と同じで設計水圧の2倍を目途とした。
3)ヘッドタンク
3.1)概要
ヘッドタンクは導水路の末端部にあって、水圧鉄管に連結する構造物である。ヘッドタンクの主なる役目は、負荷増に伴う使用水量の増加を補給し、かつ、その場合の水位低下によっても、鉄管路への流入渦を発生させない容量を備えていること、さらに、導水路トンネルが無圧トンネルの場合は、負荷遮断による水位上昇の段波がトンネルへと伝播しても、常に開水路流を保ち、無圧状態を保つための余水吐を、余水路、その減勢工を備えている。付随して水路に流れ込んだ塵芥、土砂、氷雪などを最終的に取り除くスペースと、スクリーンの設置、水圧鉄管路の点検用に断水するための角落し工のスペースを有している。また、ヘッドタンクは、山の屋根や中腹に設けられ、かつ、発電所の上部に設けられることから、設計にあっても、工事にあっても、安全と確実さについて最深の注意がはらわれている。
3.2)ヘッドタンクの設計
開水路流の導水路から水圧鉄管路へ導流する取り付部の開水路流の部分がヘッドタンクと称せられる構造物である。またヘッドタンクは、余水吐の設備を持つか,または,ヘッドタンクに近い上流の開水路の途中に余水吐の設備を有し,さらに,余水路とその減勢工がある。
このため,ヘッドタンクの機能とそのスペ−スは、
イ) 開水路流から管路流にスム−スに変換するための機能とスペ−スを有している。即ち、数台の水車を持つ場合には,一本の開水路から数本の水圧鉄管路へ分岐するための漸拡の導流区間であり,また導水路の線形を曲げ,水圧鉄管路と結ぶ必要のある場合の曲り区間でもある。さらに,水圧鉄管路の呑口に流入渦を発生させないための水路の深さと形状を有している。
ロ)ヘッドタンクの容量は,導水路からの補給がなくても最大使用水量の2〜3分間程度を安全に運転できる有効容量を有している。
ハ)水圧鉄管路への流木・氷雪の流入を防止するためのスクリ−ンを設けるためのスペ−ス,水圧鉄管路の保守・点検のために必要とする角落の設備のスペ−ス,沈砂・排砂のためのスペ−ス等をヘッドタンクは有している。
ニ)導水路トンネルが無圧トンネルの場合は,負荷遮断後に生ずるヘッドタンクの水位上昇を一定内に押さえることによって,常に開水路流の無圧状態に保つための余水吐の設備を有している。
即ち,ヘッドタンクは、水圧鉄管路への流入を支障なく行うための規模を有すると同時に余水吐の機能が十分に生かせる容量を持つ必要がある。
このようなヘッドタンクを設計するためには,タンク内の流れを知るための流線に関する理論と実験について,また余水吐の機能が十分に作動するかどうかは,水圧鉄管路の呑口に生ずる水位上昇(水理学では,この現象を段波と称している)の伝播現象を取り扱う式と余水流量を算定する式,負荷増加時の水位低下を扱う式について記述する必要がある。また,余水吐の設備には,横越流堰,円筒堰となっているものとサイフォンを有するもの,さらに,余水路とその減勢工がある。ここでは,
イ)流線に関する理論と実験
ロ)段波に関する理論と実験
ハ)サイフォン・円筒堰・横越流堰の水理現象の理論と実験
ニ)余水路
ホ)減勢工
についての歴史と当社の設計への対応について以下に記す。
3.2.1)流線に関する理論と実験
形状に拘束されながら流下する流線形状を知る手法は、二次元の非回転流れ理論に数学的手法を応用したHelmholtz (ヘルムホルツ)(1868)とKirchhoff (キルヒホフ)(1845)によって発展する。Helmholtz は、二次元のボルダの出口からの流れに関し、等角写像を用いているが、Kirchhoff は1845年にすでに流出のパターンの研究に湧き出しと吸込みという概念を用いている。Joukowsky (ジュコウスキー)(1910)は翼型の開発に等角写像を用い新しい翼型形状を求め、航空工学に寄与している。また、L.M.MILNE-THOMSON (ミルニ・タムソン)(1955)は、彼の著書の中で等角写像による急拡水路の流れ、オリフィスからの流出、その他の多くの例について紹介している。
わが国においては、室田(1961)は瀬田川から宇治発電所の取水路へ分岐する分岐開口幅の改良工事に伴い理論的に分岐水路付近の二次元流速分布、横断水面形を等角写像により解析し、渦及び死水域を発生させない水路側壁形状を求め,かつ,水理模型実験値と十分な精度で一致することを確かめている。
この手法は、喜撰山発電所(揚水発電所、昭和45年(1970年)運開)の放水口付近の流れが、宇治川から揚水する場合の土砂流入防止のための形状検討にも用いられている。
また、中川・武内(1967)は直線水路の側壁に開口部を設けた場合の二次元非対象流出水束の自由流線の解析に等角写像を用いている。当社においても、新落合発電所(1980年(昭和55年)運開)の設計に当り、中川・武内の誘導にならって、既設水路からの分岐取水の形状を算定すると同時に水理模型実験によって、その手法の有効性を確認し、設計に役立ている。
その他、殿山ダム洪水吐の改良工事において、洪水吐の一部がオリフィス流れとなる場合の検討(1967年(昭和42年))に等角写像を用いた例がある。
等角写像を広範な形状に適用するには限界もあったが、1960年代の後半には、それまで構造力学の分野で用いられて来た有限要素法が、流れの解析の分野においても使用されるに至り、コンピュ−タの発展と共に広範な形状に対する流線の解析を可能とすると同時に流れの可視化を扱う基礎的水理学の研究の重要性を示し始めた。当社においても、有限要素法による流れの解析を御岳P/S ・ 湯川堰堤沈砂池内の流れの調査検討(1979年(昭和54年))に用いており、有限要素法による流れの解析は流体運動解析の新分野となって来ている。
次にヘッドタンクから水圧鉄管への導入部の,開水路流から管路流への遷移領域について記す。この管路への呑口の課題は流入渦発生の防止,流入による損失水頭を減少させるための傾斜管路・垂直管路の形状を設定することにある。一般に,側壁形状はヘッドタンクからの連続導流壁の滑らかな形状を持つ場合が多く問題は少ないが,縦断方向の被り水深の不足,呑口天端勾配の不適当による渦の発生がある。この問題は 節の取水口の呑口形状においても記したように,渦糸の発生に伴う空気の混入限界を物部(1931),Winkel(ウィンケル)(1919)は水深と流出孔径の比が1〜2倍であるとしている。一方、電気事業連合会“水路工作物管理調査要項”(第11回土木部長議会提出資料)では多くの傾斜管路の実績から,被り水深は管径の自乗であるとする経験式を導いている。また通商産業省の水力技術基準(昭和40年)の“水深は水圧管路の2倍以上である”とし,これを満たさぬものについては水理模型実験によって流入渦防止の確認をすることを規定している。またGulliver(ガリバー)(1986)は,傾斜管路・垂直管路の水理模型実験によって必要とする被り水深を管路内のフルード数との関連で示している。傾斜管路呑口の天端勾配の水理模型実験については昭和41年に新日本技術コンサルタントによって韓国清平発電所を扱った例がある。
一方,垂直管の被り水深については物部(1931),Winkel(1919)の研究がある。垂直管形の特殊なものに楕円形を持つ甲斐川発電所(大正14年(1925年)運開)の例がある。
3.2.2)段波に関する理論と実験
Lagrange(ラグランジュ,1788)は、有限深さの水路における無限小高さの孤立波の運動を取り扱い、その伝播速度は重力の加速度と水深の積の平方根に比例することを示した。その後、Bidone(ビドネ,1820)による段波の高さを噴流の衝撃によって表そうとした研究がある。また、Russell (ラッセル,1840)は、船が急激に停止する時に生じる段波速度の現地観測と小規模の実験によって、Lagrangeの式の水深は、どんな断面形の水路に対しても、波頭における水の平均水深を示しているとした。
Bazin (バサン,1865)は、Russell によって行なわれた実験の大規模な繰り返しではあったが、流れの方向、及び逆方向の段波と、その変形(サージ)を定量的に把握しようとした。St.Venant (サンヴナン,1871)は、段波波頭の不連続面の水塊に運動量方程式をたて、段波の伝播速度を理論的に求めた。その後、段波の変形についてのBoussinesg(ブーシネスク,1872)の理論解、Keulegan(クーリガン,1940)、Patterson (パターソン,1940)は、理想段波は変形後、終局的にはクノイド波に移行することを指摘した。また、Favre (ファーブル,1934)は、段波の変形に関する実験的研究、室田・岩田(1968)は、砕波をともなう分散波の挙動に注目し、段波の分散変形機構、分散波の波高分布、砕波機構を理論的・実験的に考察し、波面曲率の段波変形過程への影響を研究している。
特性曲線法はリーマン(1860)によって定常の二次元流れの音波のパターンの計算に用いられていたが,Massau( マソー,1889) は重力波の図式解法に特性曲線法を用いた。数値解析は,Stoker(ストーカー,1965)による特性曲線法と1960年代後半以後のコンピュータの使用があいまって,不定流の基本式の数値解析を可能とし,まず洪水波形の伝播解析に用いられた。その後,当社の新落合発電所(運開1980年(昭和55年))の建設に当り、落合発電所の取水路に発生する段波の実測及び不定流解析による検討に,高浜原子力発電所の3,4号機増設に伴う取水路に生ずる段波の模型実験(1,2号機)及び不定流解析による検討に,また,制圧機の撤去改造工事に伴う柳河原発電所・蟹寺発電所(1989年(平成1 年)のヘッドタンクに発生する段波解析検討に用いられている。
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3.2.3)サイフォン・円筒堰・横越流堰の水理現象の理論と実験
サイフォン余水吐はヘッドタンクの水位が上昇すると自動的にサイフォン作用を生じ狭いスペースで急速に多量の余水を行う構造となっている。しかしサイフォン余水吐は凍結・その他の事故を起こしがちな欠点もある。サイフォン余水吐のみを持つ発電所に昭和2 年(1927年)運開の柳河原発電所がある。この構造はサイフォン作用を急速に作動させるためにサイフォン管の出口にバケットを持ち管の出口の先端を水面下に没するようにしている。さらにヘッドタンクの水位上昇に伴ってサイフォンの上部に設けた空気孔を水面下に没する高さに配し,かつ,初期に生じる越流水がサイフォン管内を塞ぐように管を曲げることによって管内の空気を連行し管内の気圧を減少させる構造である。柳河原発電所は6個のサイフォン管を有するが空気孔の高さを3種類に変え,その作動に時間差を与え余水路への急増排水を緩和する構造となっている。U.S. Bureau of Reclamationは各部の損失水頭が小さくなるように考慮された標準型低水頭サイフォン余水吐を示している。
越流型の余水吐には横越流堰と円筒堰がある。当社のヘッドタンクに横越流堰を備える発電所は蟹寺発電所(昭和1 年(1926年)運開)をはじめ多数の発電所にある。しかし円筒堰または朝顔型堰を備える発電所はない。
狭い水門や水路の入口における流量は水深の3/2 乗に比例することをGugliel-mini(グリエルミニ)(1690)が仮定してのち堰の流量公式はFrancis (フランシス)(1883),Bazin(バザン)(1898),Rehbock(レボック) (1913),沖(1929)と研究される。
発電所が定常運転中のヘッドタンク内の余水吐は,作動していないのが一般的ではあるが,負荷減少を行うことによって(すなわち使用水量減によって)水位上昇を引き起こし,その後,越流堰からの越流現象となる。取水口近傍や沈砂池内の水路の流れに沿って設けられている越流堰は,取水流量が多ければ常に堰から余水する状態となる。水路に沿って常に横越流している定常状態の水面形の計算式は,De Marchi (デ・マルキ)(1934)が水路内の流れのエネルギー水頭は変化しないという仮定の下に理論的に示したもの,一様でない水路における横越流堰ではForchheimer (フォルヒハイマー)(1930), 伊藤・本間(1933)によるものがある。しかしながらヘッドタンク内の横越流堰が作動するのは使用流量の変化による段波の通過に伴い徐々に水位上昇を生じた後に余剰水の全量を越流することとなる。このため1960代後半からのコンピュータの使用が一般的になってからは水路内の波動の非定常流解析にあわせ同時に横越流現象もシミュレーションされている。
円筒堰は円形の刃形堰の下面ナップ形状を研究したWagner(ワグナー1954) ,中心部の泡立ちの最高点の位置を研究したCamp(キャンプ) & Howe (ホウ)の実験値,Wagner & du Pont(ドゥポン)の流量公式がある。
余水吐,サイフォン,トンネル入口の水理模型実験はカールスルエ工科大学のRehbock (レーボック)(1864-1950) 教授によるもの,アイオワ水理研究所のWoodward(ウッドワード),Nagler(ナグラー),Yarnell (ヤーネル)(1922)の三人による余水吐流量における模型と原型測定の関係の研究がある。
3.2.4)余水路
余水路の構造には、山の斜面に添って流下するタイプと、竪坑によって落下させるタイプがある。また、山の斜面に添って流下するタイプには、コンクリート水路によるものと、鉄管路によるものがある。例としては、
傾斜タイプ:コンクリート水路で、蓋渠、及び、暗渠
柳河原発電所(1927年(昭和2 年)運開)
蟹寺発電所(1926年(昭和1 年)運開)
:コンクリート水路で落差工のあるもの
宇治発電所(1954年(大正2 年)運開)
:鉄管路のもの
御岳発電所(1954年(昭和29年)運開)
伊奈川第二発電所(1986年(昭和61年)運開)
竪坑タイプ:読書第二発電所(大正12年(1937年)運開)、岩中発電所(昭和32年(1957年)運開)
等である。余水路は、高速流によってキャビティションを発生させ、壁の不連続部、管の曲り部への衝撃圧によって摩耗を引き起す。さらに、高速流は、空気を吸い込むため、水深増加と、管路にあっては、負圧現象を招く。この水深増加は、Gumensky(ガメンスキー)(1949),De Lapp (ドゥラップ)(1943)の式が求められる。また、管路の負圧現象に対しては、水理模型実験によって給気管の位置を定め設けている。
3.2.5)減勢工
余水量は、高速流で河川に放出することとなるため、近年のものは減勢工を有しているが、古い発電所ではこの減勢工を有していないものもある。
余水路の流量は、洪水吐の洪水量と異なり、定まっていることから、跳水型の減勢工よりもコンパクトな衝撃型の減勢工が選ばれる事が多い。バッフルによる衝撃型のもの、リターンフローによる流れのエネルギーの衝突型のもの、等がある。
また、竪坑タイプのものは、落下時の衝撃と、ウォータークッションによって減勢させた後に放流させる。減勢工は、水理模型実験によってその効果を確認し、改良が加えられているのが一般的である。
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3.3)施工
ヘッドタンクは、山の尾根や中腹に設けられることが多く、下部は水圧管路、余水路、発電所などの工事が同時施工されるので、他の工事に支障を与えない工法や使用機器が採用されている。一般には、ヘッドタンクは相当な高さの切取りとなることが多いので、のり面保護工や、落石防止柵、豪雪地域では雪崩防止柵等が必要である。
施工方法、施工機械は取付道路の有無によって大きく変わるが、大正末期までは、人力掘削や牛馬での資材搬入、手動ウィンチ等が用いられていたが、次第に機械化施工に移行した。また大正末期までは大部分が石造りであった。
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4)サージタンク
4.1)概要
4.1.1)サージタンクの機能
地形条件に影響されることなく高落差を得る地点に発電所を設けることを可能としたものの一つに圧力導水路トンネルと圧力放水路トンネルがある。一般に貯水池と発電所を結ぶ導水路トンネルは、ほとんど水平の長い耐圧トンネルと、出来るだけ短い斜路の水圧鉄管の二つの部分からなっている。サージタンクを、水圧鉄管の上端に設け導水路トンネルと結ぶことで、この長い導水路トンネルの圧力を低圧とすることが出来るため、圧力導水路トンネルの建造費を著しく安価なものとした。
サージタンクの機能は、発電停止時に閉鎖弁から水圧管路内を伝播する水撃圧をサージタンクで吸収し、もしサージタンクを設けない場合のサージタンク位置から取水口間の管路への急激で、過大な圧力上昇の伝播を、サージタンクを設けることで緩和することにある。即ち、サージタンクから取水口間の設計水圧を減じ、その強度に適した材質・管厚を管路に採用した経済設計を可能にしている。さらに、サージタンクは、出力の変動の指令や、送電系統の周波数調整変動を修正するために即応答するための流量変動をサージタンクの容量で調整を行う機能を有している。
これらの機能を有するサージタンクは、発電出力の急激な大変化の指令に伴う導水路中の水柱の運動量を吸収するために、サージタンクに大きな水面変動を引き起す。この振幅は、構造的にも経済的にも許容できる範囲であると同時に、その振動は減衰すべきもので、つまりサージタンクは安定なものでなければならない。一方、水圧鉄管内の圧力変動にあっても同じことである。
この出力の急激な大変化の指令、例えば負荷遮断時のサージタンク内の水面の変動と水圧鉄管内の圧力変動の一例として図1.3に全負荷遮断時の水車直上流の圧力上昇の実測記録3)を示した。
この図から圧力上昇は閉鎖弁の作動とほぼ同時に始まり弁がまだ50%程度の閉鎖の段階で293m(水頭表示)の最大水圧を3.67秒後に生じている、この圧力値は(水撃波)+(サージ)であるが、この記録の16秒間のサージングは極めて少ないことから無視してもさしつかえなく、水撃波のみの現象と見ることも出来る。水撃波の波速は 800〜1000m/sec と速い。この16秒間の記録の中で水撃波は閉鎖弁とサージタンク間を約 3.5回往復した後、その圧力は減衰する。一方、1.4は、前図と同時にサージタンクの基部の圧力変動を計測した記録である。このサージングの記録から最上昇高は42.5m、弁の閉鎖開始後の39秒後に生じている。主水槽水位の最上昇高は計算値から67秒後、37.03mの変動となり、約 150秒後には閉鎖開始時の水位に徐々に低下し、その後、さらに下降・上昇を繰り返した後そのサージングは減衰する。以上の記録から水撃波はサージタンクの基部で認められずサージタンクが反射面となっていること、サージタンクの周期は水撃波に比べその周期が長い特徴を有している。
4.1.2)サージタンクの型式
サージタンクの開発は1880年、Leaut'e の単動サージタンクに始まり、サージタンクの上部を下部の水面積を拡大した水室型サージタンク、サージタンクへの流入・流出抵抗を大とし、水槽容量を小とするための制水口サージタンク、Johnson (1915年)による差動サージタンクの開発、Vogt(1920年)、Stucky(1936年)の2つ以上のサージタンクの研究、Crcic (1959年)、高畑(1962年)の空気制動型サージタンクの開発等がある。
単動サージタンクは、上から下まで同じ水平面積をもつタイプであり、ノルウエー Svaelgfos の Rjukan T 発電所が古く、当社では 発電所( 年建造)である。
水室型サージタンクは、貯水池を調整池とした使用をするため、その利用水深が大きい(高水位と低水位の差が大きい)発電所に用いられる。即ち、単動型の上部と、下部の水面積だけを局部的に大きくし、中間部を細かい径とするタイプであり、スイスのLontsch 発電所が古く、当社では 発電所( 年建造)が古い。
また、制水口サージタンクは、水槽の基部に、水圧鉄管路径よりも小さい孔のオリフィスを持つ。このオリフィスの機能は、オリフィスを流量が通過する場合、オリフィスの上面側と下面側に圧力差を生じ、エネルギー損失を引き起す型式である。このため制水口サージタンクは、サージングの減衰性に効果を持ち、単動サージタンクの容量より減少する容量となっている。しかし、オリフィス径が、水圧鉄管路径よりも小さいことから水撃波を水槽へ吸収することが出来ず、水撃波の一部を導水路方向へ透過させ、導水路の設計水圧増に繋る欠点もある。このタイプは、米国の Salimon River発電所、スエーデンのLjunga発電所が古く、当社では 発電所( 年建造)が古い。
差動サージタンクは、水圧鉄管路径と同程度のライザー径を持つため、水撃波を吸収し、ライザー水面を水撃波の反射面として導水路トンネルへの水撃波の透過を防止する。さらに導水路内の水柱の運動量と水圧鉄管路内の水柱の運動量の不釣合の運動量偏差によって引き起されるサージング現象を以下の如き機能によって減衰させる。まずライザー水位と水槽水位の差によるオリフィス通過の流量によるエネルギー消耗によって、また、ライザー径が細いために、ライザー水位をライザー基部の運動量変化に敏感に応答させるために、運動量増にあっては、水槽の高い位置のライザー天端に越流現象を引き起し、ライザー基部の圧力値を高く、かつ長時間に亘って一定に保つために導水路内の水柱の運動量の減衰に効果のある機能となっている。即ち、差動サージタンクは、単動サージタンクと制水口サージタンクの機能を合せ持つ型式であるが、構造的には、他に比べ、やや複雑である。
当社のこのタイプの発電所は、 発電所( 年建造)が古い。空気制動サージンタンクは、サージタンクの天井を密閉し、きわめて小さい空気孔(制気孔という)を設け、この空気孔を出入するときに生じる損失抵抗を利用した空気バネにて、サージングの振幅量を押さえるものである。このタイプは、世界で初めて富山県小矢部川発電所(1965年建造)に実施されているが、当社には、まだこのタイプはない。なお、この原理はFoch(1920年)によって密閉型の空気槽による水撃圧の減衰が研究されている。
二つ以上のサージタンクを有する場合は導水路側に二つ以上有するものと、導水路側と放水路側の上下に持つ場合がある。導水路側に二つ有する場合、一つは中間注入量のための流入槽であって比較的に細い径が用いられる。当社のこのタイプは、 発電所( 年建造)が古い。また発電所が階段状に設けられ、上流側の発電所からの放流水を、そのまま下流側の発電所の導水路に直結する場合は、連絡水槽が設けられる。当社のこのタイプは 川水系の 、 、 、発電所( 年運開)が古い。また、導水路側と放水路側にサージタンクを有する例としては、スエーデンのPorius発電所が古く、当社では 発電所( 年建造)が古い。
4.1.3)設計思想
サージタンクを設けることで、水車閉鎖弁から水圧鉄管路を通り伝播する水撃圧をサージタンクの水面で零に押さえ、導水路トンネル方向への水撃圧の伝播を減圧する機能を保ちつつ、工事費の面からサージタンク・掘削容量を減じ、かつ、どのような運転状態にあっても、サージタンクからの越水を防止することが、当初から今日まで変わらぬ思想である。
この掘削容量を減じる検討は種々のサージタンク型式を生み出すと共にサージタンクの必要性についても再度見直され、導水路サージタンクを設けない新成出発電所(1975年建造)、放水路サージタンクを設けない大河内揚水発電所(1991年建造予定)等を生み出した。
また、サージタンクからの越水防止のために最上昇水位を求める問題は当初からの課題であるが、全負荷瞬間遮断時のサージ量を数学的に初めて取り扱ったのはPrasil(1908年)であり、その後Vogt(1925年)によって制水口サージタンクにも適用され厳密解へと進められる。しかし、定常運転中において、サージタンクの水面振幅量を徐々に増大させる不安定な現象が1908年にHeimbach発電所に発生した。この現象をThoma が研究し、1910年にサージタンクの安定理論を発表した。このThoma の理論の発表によって、定常運転中のサージタンクの水位変動を常に減衰方向に作用させるために必要とする水槽容量の理論式と急激な負荷変化時に発生する大きなサージング量を算定する研究が行われるに至った。
さらに、サージタンクに関する水理模型実験によって、演算値との比較が行われるようになるのはDurand(1921年)、Gibson(1924年)、による相似律の研究に始まり、複雑な形式のサージタンク、あるいはサージタンク列の模型実施に適用される歪模型に関する林による相似則の研究(1959年)、さらに、模型サージタンク内の流況を目視により視察出来る透明プラスチック材料の使用によって水と空気泡との混合、水室内の波動伝播、エアーハンマーの発生等の種々の水理現象が明らかになりだした。このような水理模型実験は中部電力渇恊発電所(1956年運開)が我が国では初めてであり、当社では黒部第4発電所( 年運開)が初めてである。
その後、電力需要の増大に伴い、火力発電所の電力が電力供給のベースとなり始めた19 年代からは、水力発電所の瞬動的な稼動と、急変の出力変動が可能である特性をいかし、電力系統の同波数変動の偏差制御を従来よりも、より有効に運転・発電する方式が取り入れられた。この方式とは、AFC運転、高感度の電気ガバナーを用いたガバナーフリー運転であり、さらに、19 年代の原子力発電所の稼動による夜間の余剰電力を用いた揚水発電所建設に至っては、従来からの負荷変動条件、水理的諸量条件、以外にはガバナー、水車機器特性、GD2 電力系統特性等による影響を含め、より煩雑なものとなった。
一方、サージタンクは、山の屋根の端部に設けられ、サージタンクの上部の一部分を地上に出す場合が多いが、発電所建設地域の環境保全、特に国立公園内にあっては、サージタンクの全体を地下に埋設し、景観を保った黒部川第4発電所(19 年建造)の例もある。
また、サージタンクの構造は、RC、内張管、鋼製によるものが多いが、昭和34年、我が国最初のPC水槽が横浜市水道局によって作られてから、大口径のサージタンクに用いる研究も進められ、当社では 発電所( 年運開)が古い。構造計算に於ても解的荷重による応力計算に始まり、 年には、地震に対する安全率の考え方、 年には、放水路サージチャンバーに発生する繰り返し応力荷重による疲労現象に対する安全率、 年には、地震時の動的応答解析が試みられるようになった。
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4.2)設計
4.2.1)設計理論
サージタンクの機能は、水車弁の閉鎖に伴い発生する水撃波による高圧力の伝播を導水路トンネル方向へ減圧して伝播することである。この水撃波は 800〜1000m/s の伝播速度を持つが、弁の閉鎖後、その圧力値は短時間内に減衰する、しかし、弁の閉鎖に伴い導水路トンネル内の水塊は、慣性力によって、サージタンク内へと流入し、サージタンク内の長周期の長時間に亘る水面変動となる。このため、水撃波の伝播状態・圧力値を求める理論及びサージタンク内の水面変動の最大振幅、振動の減衰性を求める理論がある。
一方、水力発電所の定常運転は、電力系統の周波数を一定に保つ制御運転が行なわれている。このため、周波数の乱れや、当該発電所のサージタンク内のサージングによる出力変動の乱れに応じて、流量弁の開閉装置を自動的に作動せるガバナ装置を有している。この定常運転中の流量弁の作動に起因するサージングの振幅量も常に減衰する振動であるための、いわゆるサージタンクの安定性の設計理論に基づいて、サージタンクは設計されている。以上よりサージタンクに関する設計理論の基本的な事項は、
イ)水撃圧の理論
ロ)サージングの理論
ハ)サージタンクの安定理論
に大別される。
4.2.1.1)水撃圧の理論47),48),49)
水撃圧の理論は、水圧鉄管路内の流体、管路を弾性体とする取り扱いによって、流量変化に基づく圧力波の伝播を解析することであるが、この理論の適用の分類は、大きく五つに分けることが出来る。
イ)サージタンクを設けない場合の基本式の解法
ロ)サージタンクを設けた場合の解法
ハ)共振事故
ニ)揚水発電所の水撃圧現象
ホ)放水路系の水撃圧
等である。
まず、イ)項のサージタンクを設けない場合、即ち、貯水池から直接に水圧鉄管へ導水する場合の閉鎖弁における最大圧力上昇値は、1898年Joukousky50)によって最初に示される。しかし、Joukousky の式は、閉鎖弁から発生する圧力波が反射面(取水口)から再び閉鎖弁に反射するまでの時間内に、弁が全閉鎖を行う場合(急閉鎖)に適用されるものであったが、Allievi(1903)51)により弁の緩閉鎖に対して適用される一般的な理論誘導が初めてなされた。また、Schnyder (1929)52),Bergeron(1932)53) により特性直線法を用いた図式解法が示されている。また、管路の摩擦の影響については、Wood (1937)54), Bergeron(1950)55) ,Orabona(1950)56),Rich (1955)56),林泰造・Ransford (1960)58)等の研究がある。
ロ)サージタンクを設けた場合の解法
単動サージングを設け、Allievi の式を適用した場合の閉鎖弁における最大圧力上昇値は、Calam-Gaden(1926)59)によって近似式が示された。
また、制水口サージタンクに対する近似式は、Jaeger(1933)60) であり、この式は嶋津(1958)61) によって紹介されている。
また、特性直線を制水口を有さない形式のサージタンクについての適用を示したのが、Angus(1939)62),制水口型のサージタンクの場合を示したのがBenini (1950)63)である。また、実験による制水口型サージタンクの水撃圧の研究は、林・服部 (1957)64),嶋・日野 (1958)65)がある。
ハ)共振事故
水圧鉄管路系に複分管、分岐管の形式を持つ場合にしばしば卓越した共振周期のようなものが存在することを初めて実験的に確かめたのは、Camichel,Eydoux,Gariel(1919)66) であり、1934年のLac Blanc-Lac Noirポンプ場の共振現象、Jeager(1939)68) によって研究されたBersimisU発電所、Efestiniog揚水発電所の共振現象が知られるに至った。当社では、奥吉野水力発電所の水圧鉄管路の分岐位置の設計にあっての検討( )68)がある。
ニ)揚水発電所の水撃圧現象69),49)
揚水式発電所としての最初のものは、1892年に運転を開始した。スイスのZurich発電所である。19世紀末より20世紀の初頭にかけて出現した揚水式発電所は、いずれも発電設備と揚水設備を併有し、発電機−水車、電動機−ポンプの2つに分離した設備を有していた。69) その後、1925年ドイツのSchwarzenbach-T発電所には、発電機を逆回転して電動機に共用するポンプ電動機 motor−generator が設けられた。我が国の最初の例の小口川第3発電所( 年運開)は発電用と揚水用の分離型、池尻川発電所( 年運開)及び沼沢沼発電所( 年運開)は、motor-generator の両側にポンプと水車を連結した型が採用されている。その後、水車を逆転し、ポンプとして使用するpump-turbineの形式が採用されたのは、1931年イタリ−Lago Baitone発電所,1934年ドイツBaldeny 発電所であるが、ポンプとして使用中の効率は発電中の効率に比べ著しく劣っていた。
その後、1950年に至り、アメリカAllis Chalmers社の高い効率を持つポンプ水車(フランシス水車)は、ブラジル Pederia,アメリカFlatiron,アメリカHiwasseeの各発電所に採用されたが、我が国でのフランシス水車の採用は、 発電所( 年運開)が初めてであり、当社では讃美発電所( 年運開)、喜撰山発電所( 年運開)が古い。
揚水中にポンプ電動機への動力が遮断されると、ポンプの回転速度が急激に低下し管路に負の水撃圧を生じる。ポンプは動力遮断後もしばらくは、はずみ車の慣性によって回転を続けるが、揚水量は急激に減少しはじめ、まだ、正の回転を続けているにもかかわらず、管路の水はポンプに向けて逆流をはじめる。この逆流を防ぐために、閉塞弁が作動すれば、管路には改めて正の水撃作用を生ずる。49) 即ち、揚水発電所の水撃作用に関与するものは、水路系の規模、ガイドベーンの閉鎖曲線、はずみ車の慣性力、ポンプ水車のガイドベーン開度と回転数の変化に対する流量とトルクの特性等である。さらに、揚水中に動力が遮断し、ガイドベーン開度が閉鎖方向に作動しない場合(この状態をポンプトリップと言う)には、負の回転と逆流量を増大させる。このため、揚水発電所のサージタンクの設計に当っては、逆流量の変動を把握する必要があることから、ポンプ水車のはずみ車を含む水撃圧の計算は不可欠の作業となっている。これらの研究は、O.Schnyder (1929)70),Angus(1937)71),Parmakian(1955)72),Jaeger(1959)73) ,金野 (1957)74)により、特性直線法を用いて行なわれている。
また、ポンプ水車の負荷遮断時の異常水圧変化については、秋元( )75),志満( )76) の研究がある。
また、千秋・秋元( )78) は、ポンプトリップ時の逆転流量の変化を求める近似式を示している。
一方、秋元徳三(19 )77) による水車として使用中の負荷遮断に対する水車特性の影響についての研究も行なわれ、フランシス水車を持つ高落差の発電所の負荷遮断時の水撃圧の計算値は、フランシス水車の水車特性を考慮した計算値が、水車を無視した(たとえばペルトン水車の扱いをした)Allievi の略算式による算定値よりも大となることが知られた。当社では、伊奈川第2発電所( 年運開)の一般水力発電所の設計78) から以後検討されている。
ホ)放水路系の水撃圧
圧力放水路を持つ発電所の負荷遮断時の水撃圧は、放水路側に負の水撃圧を生じることから、負圧を防ぐためにはサージタンクを設置するか、または、水車位置の標高を放水位よりも低くし、この放水位と水車中心標高の差の静水圧内に負の水撃圧を押えることが必要となる。
中山(1982)は、放水路調圧水槽の必要性を水撃圧と水圧脈動の面から研究している。当社では、大河内水力発電所の放水路系の設計検討( )80) により放水路調圧水槽を設けていない。
4.2.1.2)サージングの理論
負荷変化に伴い、サージタンクに生ずるサージングの時間変動を算定する基本式は、導水路の水柱の運動方程式とサージタンク基部における流量の連続方程式、及び負荷変化(または流量変化)の式からなっている。運動方程式は、取水口からサージタンク間の水柱(剛体とした扱い)の慣性力(水塊と流速の加速度項の積)、貯水池水位とサージタンク水位の圧力差、流体の導水路内壁面とのせん断抵抗・その他の抵抗等が釣合うものとして組み立てられている。一方、サージタンク基部における流量の連続式は、導水路方向からの流量、サージタンクへの流量(水面変動量)、水車方向への流量の三つの連続条件から組み立てられている。さらに負荷変動は、水車通過の流量変動値の既知量として与えられる。なお、サージタンクの型式による相違には、サージタンクへの流量を水面変動に変換する式、またオリフィスを持つものにあっては、オリフィス抵抗を表す式が加わる。以上の方程式から、サージタンクの水位変動を解析した歴史と発電方式の変遷に伴う新たな課題を大きく分けると、次の五つの段階に分けることが出来よう。
イ)全負荷遮断の解析
ロ)各種サージタンクのサージングに対する図式解法
ハ)放水路サージタンクのサージング現象
ニ)AFC 運転におけるサージング
ホ)揚水発電所におけるサージング
等である。
イ)全負荷遮断の解析
全負荷遮断に伴うサージングの時間変動を求める数学的な解法は、1908年Prasilによって発表された。Prasilによる解法は、差分型の試算法によるものであり、今日の電算機による数値シミュレーションの基本となるものである。(つぎFD紛失)
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4.2.1.3)サージタンクの安定理論
定常運転中にサージタンクの水面変動の振幅が増大する不安定なサージタンクの例として、1908年に起きたHeimbach(ハイムバッハ)水力発電所が良く知られている。D.Thoma は、この発電所の例から1910年にサージタンクの安定性に関する論文を発表した。Thoma は、その誘導に当って次の仮定を採用している。48),32)
a)水車の調速機は出力一定に調速される。
b)サージタンクの水面振動は微小である。
c)水車の効率は一定である。
d)管路内における圧力損失は無視され得る。
e)トンネル内の速度水頭は無視され得る。
f)調速機は非常に敏感であり即応答する。
g)対象の発電所は独立しており、他の発電所と相互に連結していない。
Thoma は、この仮定の下に単動型サージタンク(Simple Surge Tank )の水面振動の安定条件式を組み立てた。Thoma が導入した現象は、貯水池から調圧水槽管の水柱の運動に管路及び水柱を剛体として扱う運動方程式、調圧水槽における流量の連続方程式、水車位置における調速方程式に
[使用水量(Q)]・[有効落差(H)]=[一定]
等を用い、単動サージタンクの安定に必要な最小限の断面積を誘導した。なお、ここでの調速方程式 Q・H=[一定]の条件は、水車の回転数の変化に応じてガイドベーンの開度を調節して回転数を一定に保とうとする調速機の理想状態を表わしたものである。また、これら三式(運動方程式、連続方程式、調速方程式)の現象は、振動現象に次のように関与する。もし何らかの原因によってH が下がれば、Q・H を一定に保つためにQ を増加さすためにガイドベーンの開度を開く、これによりQ は増すが結局サージタンクの水位低下は、導水路の抵抗によってスムースに流量の増域に追従出来ない導水路内の水柱を徐々に加速させるが、しかし、この流量と使用水量(Q) はバランスしないためにこの差をサージタンクへ補給し水位を変動させる。
以上の三式をまとめると、三階の微分方程式が得られるが、この振動系が安定であるため(振動が減衰する)には、数学的に各階の係数が正であり、かつ、Routh-Hurwitz( ) の安定条件を満す水槽水面積を設定することが、サージタンクの必要条件となっている。
このThoma の理論は、その後、多くの研究者によって種々の現象による補正を加えられながらも、その考え方はサージタンクの設計の基本となり今日まで受け継がれてきた。それらの補正個所は、水車の効率の変化の影響、水槽の基部の流れの速度水頭の影響、水面の大振幅時の影響、水圧鉄管路の流れの摩擦損失水頭の影響、他の水力発電所と共に送電系統で結ばれているときの影響等であり、また、各種のサージタンク型式に対するものである。
しかし、ここで用いられた出力一定の調速方程式(Q・H=Const.またはη・Q・H=Const.)は、流量が変動すれば即座に有効落差を変動させる理想的な調速機であるが、実際の調速機は回転数が一定となる如くガイドベーン(水車への放出弁)を作動させ、その応答には時間的な遅れがある。さらに回転数は送電系統の周波数変化、回転体の慣性力とも関連しており前述のThoma の理論式の誘導条件とは異なる。この調速機を含むものは村瀬・辻(19 )の研究がある。また、Thoma は水圧鉄管路の慣性を扱っていないが、本間・林(1950),Evangelisti(1955) ,鶴巻(1989)等は、水圧鉄管路の水柱,調速機,はずみ車,他発電所との出力比を含む安定条件式を示している。
一方、調速機(Governor)・水車の研究者、Gaden 及び Almeras等29) は、サージタンクを設けない場合の安定条件について、1948年に水圧鉄管路・調速機・水車を取り入れた安定条件の研究を発表している。この場合、水圧鉄管路内の水柱の運動には管路及び水柱を剛体として扱う運動方程式を、調速機には機械ガバナを、水車には回転体の慣性方程式等を取り入れた安定条件を検討し、これらの各振動系を総括した系が安定であるためのガバナの定数を設定する条件式を求めている。
以上は、Routh-Hurwitz の数学的条件に理論展開するものであるが、実験による検討、数値シミュレーションによる検討等の方法による研究もある。
これらのことから安定条件を大別すると、
イ)サージタンクを有し、出力一定運転の下における理論
ロ)サージタンクを有し、水圧管路水流の慣性を含め、出力一定運転の下における理論
ハ)サージタンクを有し、水圧管路水流の慣性を含め、調速機を含む理論
ニ)実験または数値シミュレーションによるサージタンクの安定性の検討
ホ)サージタンクを有さない場合の研究
等がある。
イ)サージタンクを有し、出力一定運転の下における理論
Thoma の理論の改良の一つである「サージタンク基部の速度水頭の影響」を含む安定理論の研究は、Calame-Gaden(1927), C.Jaeger(1943,1956,1959),L.Escande(1952), A.Gaedel(1956) 等31.47)によって行われている。Calame-Gadenは、Thoma と同様の計算に当ってサージタンク基部の速度水頭、取水口部の損失水頭をThoma による必要最小水槽面積の算出式の損失水頭に含めてもよいとしている。しかし、速度水頭を有効落差H から差し引く必要はないともしている。これによってThoma による必要最小断面積(FTh) を縮小することが出来ることを示している。しかし、水槽の水深が浅い場合の水面は上下動し、速度水頭の効果は不明確であるとも述べている。
「水車効率の影響」に関する安定理論の研究は、Calame-Gaden(1927)29.31),林泰造(1950)34), A.Gardel(1957)29)の研究がある。Calame-Gadenは、サージタンクの安定断面積の設定に当り水車効率が負荷だけの関数であり、負荷は流量の関数であると仮定してThoma の式を修正している。一方、林は水車効率を水頭と流量の関数であるとして修正を加え、かつ出力変化に対する水車効率の変化率は、効率曲線の特性と、出力によってその値を正、または、負を取り得ることを示し、負の場合には、Thoma による安定断面積より大の水槽面積が必要にあることを示した。
「他発電所との並列運転の影響」の安定理論の研究は、McQueen(1933)35),Stein (1947)29.31),Calame-Gaden(1927)29.31),Evangelisti (1950)6),本間・林 (1950)33),鬼頭(1955)40) 等がある。
「大きな振動」の影響については、Schuller(1936)6)によって取りあげられ、C.Jaeger (1943)29.47.31),A.W.Marris(1959)29.47),H.M.Paynter(1953)47)によって研究されている。
「制水口サージタンク」の安定理論は、Thoma-Schuller30), Vogt6), Escande(1951)6),Zienkiewicz (1956)6)により研究されている。
「差動サージタンク」はZienkiewicz (1956)6).38)により研究されている。
「二つ以上のサージタンクを有する場合」の安定理論はEscande(1953)36.47),Huron(1953)36),Evangelisti (1955)6),Zienkiewicz (1956)6),Jaeger(1958)37) 等によるものがある。
ロ)サージタンクを有し、水圧鉄管水流の慣性を含め出力一定運転の下における理論
R.A.Sutherlandは「供給系のエネルギーが負荷のわずかな増加で減少するということを補償するために、位置エネルギーの損失は隧道内の運動エネルギーの増加を超えていかなければならない」という考えに基づいても、Thoma の条件式が得られることを示したが、Evangelisti (1950)はこの考え方を水圧管路長にも適用し、水圧管路を含む安定条件式を示している。
ハ)サージタンクを有し、水圧管路水流の慣性を含め、調速機を含む理論
本間・林(1950)33) は、導水路及び水圧管内の運動に剛体式を、水車発電機に回転体の慣性方程式を、また慣性能率には、並列運転の全ての発電機の合計値を用い、ガバナには一次遅れの式を用い 4階の特性方程式を導いている。
Evangelisti (1955)は、加速度ガバナ(機械式)とフィードバック型の機械式ガバナを導入している。鶴巻(1989)は、高階のガバナを導入し、長大な水圧鉄管路を含む安定条件式を扱うとともに、送電系統の周波数の乱れに応答する振幅量についても導いている。
ニ)実験または数値シミュレーションによる研究
「サージングの追跡計算による安全性の検討」は、当初、Frank(1942)6.47),Jaeger(1943)6),Evangelisti (1951)6)等によって、図式計算が行われた。その後、アナグロコンピューターの使用により、H.M.Paynter(1952)47)はサージタンクの強制振動をシミュレーションし、是枝 (1967)44)は、AFC 運転中の安定性を、出力一定の条件、水圧管路を剛体としてシミュレーションによって検討している。また、是枝・丸岡(1972)39) は、放水路系のサージタンクの安定性を調速機、水車・発電機の回転体の慣性方程式、電力系統の影響を含めたシミュレーションによって検討を加えている。安藤(1972)46) は、導水路サージタンクと放水路サージタンクを含む系の安定性を出力一定の条件の下にシミュレーションしている。しかし、服部・森田・岡村・日出・池田 (1979)18)は、水圧管路を弾性体として扱い、PID ガバナに正弦波形の周波数変動を入力し、ガバナの応答に伴う各機構の作動状態をシミュレーションしている。
また、「実験によるサージタンクの安定性の研究」は、Scimemi (1947,1948) 31.47)により、Pelos, Fadalto, Partidorの各発電所で行われ、Thoma の必要最小面積の0.71, 0.66, 0.49倍であっても安定を保つ他の要因があることを示した。なお、これらの発電所の水車効率の出力変化に対する比率は正であった。47) また、J.Chevalier・M.Hug(1957)47)は、Cordeac 発電所の実験を行い、サージングが正弦波形のとき、ガバナに遅れが常に生じることを示した。さらに、Hug は、ガバナのデッド・バンドの影響について微分解析機で検討している。また、Guenod・Gardel によるOelberg 発電所の試験から、電気的フィードバック形式が、サージを安定にすることが出来ることを示した。
一方、模型実験では、Gardel・Bonnard(1954)47) によるサージタンクの実験、林 (1965)89)による導水路サージタンクと放水路サージタンクを持つ水路系の出力一定の模型実験、McCaig・Jonker(1957)47,29) による電気ガバナ付きサージタンクの模型実験がある。
次に「サージングの減衰性に関する理論展開」は、Jaeger(1943)29), Gardel (1957)29) の研究がある。また系統周波数の制御として流量が正弦曲線で変化する場合の共振の研究は、佐野(1961)69) がある。AFC 運転時の最上昇水位を佐野・臼井(1964)66),67) はアナグロコンピューターでシミュレーションしている。また、村瀬(1965)45) はAFC 発電所サージタンクの水位変動に対し、統計学的研究をしている。
ホ)サージタンクを有さない場合の研究
サージタンクを有さない振動系の安定性の研究は、主に調速機の関係者によって行われている。安定性の理論展開の研究に扱われている系は、水圧管路、水車・発電機の回転体、調速機である。水圧管に剛体水柱を適用し、調速機にダッシュポット型を扱っているのは、Almeras(1947)29),Garden(1948)29),51), Stein(1948)28), Paynter(1955)28), Hovey(1962)27,28,48), Chaudhry(1970)20)である。また水圧管の水柱は同様に剛体の扱いであるが、調速機にPID ガバナを採用しているのは、萩原・横田・合田・郡(1976)93),19), Howe(1981)27)である。
次に水圧管を弾性体とする扱いの研究は、Jimenez・Chaudhry (1987)28)が、ダッシュポット型ガバナを、Clifton(1987)23)がPIガバナを、Zongshu・Chengang・Wenyuan (1986)21)は、PID ガバナを扱っている。一方、シミュレーションによりSanathanan(1986)22) は、二重制御PIガバナの安定性を水圧管に剛体水柱を適用している。水圧管に関する模型実験には中山(1982)65) による水撃圧と水圧脈動の研究がある。また、水圧管を弾性体として取り扱う必要のある限界に関しては、Evangelisti(1947)28),Payter(1953,1954)28), Quazza(1970)28), Jimenez・Chaudhry(1987)28), Clifton(1987)23), Zongshu・Chengang・Weyuan(1986)21) 等の研究がある。
当社においても新成出P/S(19 年運開) ,新椿原P/S(19 年運開) の水路系の設計に当り、サージタンクの設置の有無による安定条件を満し、かつ、負荷の応答速度の検討を行い、新成出P/S にはサージタンクを設けず、一方、新椿原P/S にはサージタンクを設けることを行っている。
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4.2.2)構造に関する設計理論
(この部分FD紛失)
4.2.2.2) 内圧外圧に対する安定性
前述の如く、大半のサージタンクは地下式であり、地上式の鉄鋼構造物は比較的構造系がはっきりしているし、水室式についてはその規模がおおよそ圧力導水路と類似しており更に構造系も同様なので、ここでは単働、差働及び制水口式の大きな内径を有する円筒構造物について記述する。
古いサージタンクの構造設計記録がないので明らかではないが、タンク内水位上昇に併う静水圧によるフープテンションをリング状の鉄筋で負担させるという考え方が、至極妥当と考えられる。
第二次世界大戦後昭和27年(1952年)の電力再編成で関西電力が誕生し、その社運を賭して建設した丸山発電所(昭和29年(1954年)完成、125MW )のサージタンクはタンク内径が19m あり、水位上昇も大きい(タンク底から約27m )ので、二方向版として設計された。即ち水槽下端を固定端とする固定梁とリングアクションの2成分に分け、設計水圧をこの2成分でもたせる構造系が考えられた。但し次の條件が与えられた。
(G) 基礎岩盤の影響は考慮しない。
(H) 地山の抵抗力は考慮しない。
(I) 水槽には縦の伸縮継手は設けない構造とする。
更に施工上或は温度収縮に依って生ずる巻立コンクリートと岩盤との間に生ずる空隙は入念なグラウトにより填充されたと考えたので、外圧に対しては考慮していない。
この設計思想は丸山以後の各発電所に踏襲されたが、昭和46年(1971年)完成た新丸山発電所(63MW)ではサージタンクは上部に矩形断面を有する水室を持った制水口型であり、サージシャフトの設計には上下両端を固定した円筒シェルとして構造設計が行なわれた。設計荷重としてはタンク内水位上昇による静水圧のみを対象としている事、及び断面力の算定には周囲の岩盤には期待していない事は、前述の丸山と同様である。
昭和49年(1974年)完成した下小鳥発電所(142MW )のサージタンクは地上に露出した円筒形上部水室を有する水室形であり、内水圧荷重のみならず温度変化、内外面温度差、乾燥収縮に加えて風荷重、地震荷重をも設計対象となるので、従来のような下端固定のシェル理論では、その固定端できわめて大きな軸力(円周方向力)を生じ、ほとんど設計が不可能となるため底部床版も円筒シェルの一部と考え、側壁はその下端部で半径方向に変位するとして構造解析が行なわれた。なお下小鳥では、下部水室、及び上下部竪坑を内張鉄管式としたため、設計外圧として、ダム満水位からの静水圧が設計外圧として考慮された。
喜撰山をはじめとする大規模揚水発電所ではその使用水量の大きなこと、揚水発電所の運転特性から導水路及び放水路の端末に大容量のサージタンクを必要とする。但し、施設設備によりどちらか一方を省略する場合があり、喜撰山発電所は放水路サージタンクのみ、奥吉野発電所は導水路サージタンクを有している。いずれの場合も大容量のサージタンクには水室式が採用された。
喜撰山では全地下式で、上部水室はアーチの天井を有する矩形で、下部水室はない。奥多々良木、奥吉野では、地形條件により上部水室を矩形とし、地上露出形(奥多々良木導水路、奥吉野導水路サージタンク)やアーチ型天井の全地下式(奥多々良木導水路、奥吉野導水路サージタンク)と使い分けられているが、下部水室はいずれも円形断面の水平坑が採用されている。構造設計竪坑水平坑とも導水路、放水路の設計條件を踏襲している。
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4.3)施工
前述したように、サージタンクは一部の地上式(雄神発電所の鋼製サージタンク、新椿原発電所のR.C.差働サージタンクetc.)や、地下水室式(黒部川第四、下小鳥、奥多々良木発電所等)を除けば、内径の大きい地下円筒構造物で、その上端は明りとなっているものが大部分である。従って、大規模な竪坑の施工について述べる事とする。
我国において大規模な竪坑が施工されたのは、明治20年(1887年)に完成した琵琶湖疎水工事の長等山トンネル施工に設置された2 本の作業用竪坑である。このうち1 本は煉瓦巻楕円形で長径3.2m(10尺5 寸)、短径2.7m(9 尺)、高さ45m (150 尺)で他の1 本は換気用で、内径1.2m(4 尺)角、深さ21m (69尺)である。両竪坑共上から手堀で切下がり、大きい方は256 日、小さい方は38日で完成した。
その前後、竪坑掘削は鉱山や各種のトンネルで施工されたが、いずれも手掘り手積みで昭和26年に別子鉱山でグラブバケットが使用される迄続いた。ずり巻上は明治30年頃まで人力や馬力で行なわれ、それ以降上記エンジンとなり、大正に入って電動化された。
このように竪坑掘削の機械化施工は、導水路トンネルと異なりそのテンポは非常にゆるやかで、サージタンクの竪坑掘削も長年の間、上から1.5m乃至2.5m角の導坑竪坑掘削→所定断面への上からの切拡げ→仮巻コンクリート(厚さ0.5m〜1.0m)→本巻コンクリートといった一つのパターンが長い間踏襲された。
昭和30年以降穿孔機械では、シャフトジャンボや小型で簡易なアンブレラジャンボが開発され、鉱山で使用されたが、水力発電所のサージタンクには導入されなかった。
上記の上からの竪坑導坑切下りは、ずり出しに長時間を要する所から、ずり出しに重力を利用する下からの切上りが、読書第二発電所(70MW,昭和35年(1960年)完成)で試みられた。これは水槽下部導水路部分に掘削した導坑に担を組み、これより水槽天端に向って3.3m×2.0m、高さ50.75mの竪坑をほぼ水槽中心位置に掘削した。1 日の進行はほぼ1m、最大2.4mと記録されている。これと同じ工法は、新丸山発電所(63MW,昭和46年(1971年)完成)でも用いられている。
一方、坑道切上り用に昭和34年(1959年)スウェーデンでアリマッククライマーが開発され、新黒部川第二発電所(74.2MW,昭和41年(1966年