駄行記

このぺぇーぢは形の無い考えが書いてあります。
割と中身はからっぽなので、心せず読むように。

update 98/09/15


三木清の「人生論ノート」の中に旅についての一節があり、(うろ覚えだ
が)「旅とは日常の休息である。」と書かれていた。然り、私の旅も休息
であろう。
もっとも、「人生論ノート」の中の説明では、旅に出ると日常のルーチン
ワークから離れ、帰ってくると再び始まるのを「休息」と表現していたの
で、これは「休止」に近いものであり、社用による出張も旅である。

私の場合も出発点は同じである。日常の約束事とお休みするのが私の旅。

いつも電車に乗っているから鉄道は使わずに。
バイクに乗っているから、ハンドルは握らない
蒲団で寝ないで道端で寝よう。
晴れたら歩き、雨が降ったら休もう。

そうしたら徒歩旅行となった訳です。別に大きな理由じゃあありません。
ですから、必要に応じて電車等も使うでしょう。別に禁止していません。

それからよく誤解されるのですが、私は旅になにも求めていません。休息
している人間に「修業」「鍛練」「努力」「成長」等は似合いませんね。
もしかしたら日常に戻って何かの機会に生活の栄養になるかもしれません
が、それはまた別のはなしです。それを考えての旅行ではありません。

そんな訳で今日も気楽に歩いています。

歩く
あるマダムにいきなり「歩いていてもやっぱりハイになるんですかぁ〜」
とナゾな事を聞かれたことがある。多分そんな生活をしているのだろう。
少なくとも私は、ハイとは無縁である。足の痛みとだるさ、何時歩けなく
なるかという不安。この身体の感情でハイになれたらナゾであろう。(謎)

ではなぜ? これは説明しても解らない人も多いのだが、敢えて言おう。
歩いていると、幼年時代の遊んでいた追体験が出来るのである。

歩いていると本当に沢山のものを感じる。路上の物や道端の草。遠くの建
造物や刻々と変わる空。天気の昼は自分の影が地面で変形するのも面白い。
風の吹く様や運んでくる匂いと温度。道端で休めば遠くの音も聞えてくる。
そして直ぐ脇を走る自動車の存在感と威圧感。夜の景色もまた良い。

これって子供の時に近所で遊んでいたときの感覚です。皆さんにも有るで
しょう。自転車にも乗らず、本も読まず、ただ鼻歌を歌いながら歩いた時
の楽しさを。あれです。
この感覚が毎日続くのですから、結構幸せです。その上、単なる「郷愁」
ではなく、旅先で受けた刺激は現実です。徒歩旅行とは『大人のままで』、
『知らない土地を』、子供の時の体験に『追加』出来るのです。
と、まぁこういうふうに話しても「でもやっぱり、つまらないでしょ」と
おっしゃる方はいます。仕方ないですね。

「歩き?なんで自転車を使わないの?」
このやうなコトを聞かれる方は結構います(女が多い)。他に「青春18き
っぷ」とかバリエーションが有りますが・・・失礼だし、嫌なものです。
このような方にはこう言っています。

「それもひとつの旅です、しかし、それだけが旅ではありませんから」

これで大体納得してくれますし、気も悪くせずに失言に気付く様です。

観光地
安い費用で旅行した気分になれる効率的な場所のこと。
子供だましと侮ってはいけない。疑わず行くべきだろう。

しかし・・・(もしかしたら続く)


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