石川 正敬
・とにかく行動的でパワフル、それでいてそれを誇示する事は決して無く常に紳士だった。部員を並べてお説教をするという事はなかったので、改まって何かを教わったという記憶は無いが、一緒になって活動される姿を見て色々と学べた事は当時の部員の大きな財産になっているのではないだろうか。
・印象的な事が2つある。一つ目は何でも勇気をもって元気よく、そして楽しくやるということだ。無意根や手稲ハイランドでご一緒するたび、新人だった我々にいつもアドバイスくださるのは”パワー”という言葉だ。調子の良い時は”パワーが入ってるねー”と自分の事の様に喜んでくださり、スランプに陥ると”◯◯君、パワーだよ”と激励された。
・そもそも水谷先生の「スキーの物理学」を信望する理論派であり、自らがそのパワースキーの実践者なのだから、もう少し具体的に指導する事は容易だったと思う。
”パワー”という一言で代弁されていた理由は、細かな技術に固執し過ぎる事なくそれよりも「もっと勇気と自信をもって楽しく滑れ」という事だったんだと僕なりに解釈している。実際、先生の言葉にはそういうあたたかい響きが感じられた。
・うまく滑れずに悩んでいる部員を見つけては”パワーだよ”と声をかけてくださる。先生の楽しく滑っている姿を見ると、自分が悩んだり落ち込んだりすることはつくづくつまらない事だと実感させられた。
・先生と初めてお会いしたのは僕が入学した日、クラスの担任教官としてだった。といっても担任教官として直接指導いただいた事はその日以降はなかった。二度目はGW合宿初日の小屋のストーブ前だ。僕の伯父、石川信義が同じ東大スキー山岳部出身だという事をこの時知った。
・札幌を離れ何年もたってから突然先生から”頼みがある”と電話をいただいたのはそんなご縁があったからだ。東大スキー山岳部の親睦会に先生と伯父の代理で出席してほしいということだった。人見知りの激しい性格上僕に代理が務まる自信もなかったが、恩師の昔の山仲間を見てみたい気持ちもあってその会合に出席させていただいた。
・出席者は10人にも満たず、年配の人ばかり目立ったが山とスキーへの情熱を熱心に語る姿は迫力満点で、圧倒された。この機会は僕にとって非常に刺激となったし、先生の現役時代の様子が何となく解った様な気がした。
・そういえば伯父に札幌までスキーに行った話を聞いた事がある。数人で東京から鈍行列車に乗り込み、まず青森のOBに名簿を頼りに打電し、面識もないその先輩から握り飯を差し入れてもらい、とにかく苦労して恵迪寮に転がり込んだそうだ。先生と伯父では多少は年代に差があるが、当時の環境でスキーに行くのは東京の学生にとって時間的・経済的に大変だった事は先生も変わらなかったと思う。当然、北大スキー部員との技術の差はあったろうが、精神面ではむしろ充実していたのではないかと考えさせられた。
・電話一本で”頼みがある”という言葉だったが逆に”がんばれよ”と言われた気がしてならない。残念乍ら、これが最後にお話した機会となってしまった。
・吉岡先生は、本当にスキーを始めたのは四十を過ぎてからだと言っていた。四十を過ぎて水谷理論に巡り合えたということだ。先生から学んだもう一つの事は、人が何かを始めるのに遅いということは無いということだ。