砂山先輩を偲ぶ

                            佐藤 鉄郎

・平成9年(1997年)6月10日午後9時10分砂山真範先輩(法名 篤実院真日尚居士)は食道癌で逝去された。ここにお冥福をお祈り申し上げる次第です。

・砂山先輩は第43シーズン「昭和28年(1953年)4月〜昭和29年9月」北大スキー部主任をつとめ上げ、昭和30年3月法文学部法律学科を卒業し、その後縁があって日立建機()に定年まで勤められました。いろいろありましたが、学生時代は夏はソフト部、冬はスキー部と1年中太陽の下で、自然一杯の環境で大活躍でした。現在の山スキー部は、昭和3810月1日に独立し発足したものであるから、砂山先輩は8年前に卒業した大先輩なる訳で、若い人にはあまりなじみがなかったかも知れません。

・昭和4312月発行の山スキー部部報を見ると北大スキー部の競技班と山班が分かれた時から、山とスキーの会会員になっているという事は、迷う事なく山とスキーを愛し、自分の後を継いでいくのは山スキー部と決めていたのではないでしょうか。思いおこせば、砂山さんが主任であった第43シーズン頃は、山班部員が数名しかおらず山小屋は空沼、無意根、パラダイスと3箇所あり、とても小屋番、そして管理等出来る状況ではなく、体育会に一部返上し、無意根、パラダイスだけは我々山班でなんとか守り抜いて後輩にバトンタッチしようと頑張ったものでした。昭和2810月下旬、無意根小屋に砂山さんと私2人で薪積みに雲の中を歩き、夕方4時半頃小屋に着きましたが、薪は200m位上流に山になってありました。小屋には燃やす薪はなく、濡れた服装のまま薪を少々運び入れましたが、寒さのためひとりでに歯がカタカタとなる貴重な体験をし2人で”にやあー”と笑ったものでした。それでも風邪はひきませんでした。

・砂山さんは、部の和を団結を大事にされ、そして忍耐強く、又人の面倒をよくみてくれた方でした。昭和4711月、大雪盤の沢雪崩遭難の折は、丁度旭川勤務でいられたので、すぐ現地に赴き遭難者の捜索にあたったのも先輩砂山さんでした。

・平成6年いよいよパラダイス小屋再建が動き出した時は、監査役として役員会にほとんど出席され、再建のバックアップをした事は皆様も御存知の通りです。

・砂山先輩は1月入院され癌におかされた事を知り、一人で悩み、病癌と闘い、種々考えた様です。その一つがパラダイス小屋に何か贈りたいとの事から、現在1階の山頂側の壁にかかっているセイコー社製”夜光時計”である。8月9日から時を刻んでいる。どうぞこの時計を大事にし、時には砂山先輩を思い出し感謝し、身を以って”山とスキーの会”のために尽くした先輩を偲び、我々も先輩の後に続こうと誓おうではないか。それが何よりの供養になるのではないでしょうか。

・最後にあらためて、砂山先輩に合掌し、私達を見守っていて下さいます様お願いしペンを置きます。