山とスキーの会活動報告

運営委員長退任挨拶

                             阿部 幹雄

・学内を含めて札幌に残るOBが少ないことが山スキー部にとって好ましいことではないとずっと思ってきた。とりわけ昭和48年に入学した僕の前後の世代というのは人材難といえる。僕らの頃は留年が当たり前だったけれど、今は留年が珍しくなり大学院へ進学する部員が多く、札幌で就職したり内地から帰ってくる例が少しずつ増え始めている。人材難なのか在田さんなど卒業以来、ずっと運営委員会のメンバーであり副部長や部長を務め“孤軍奮闘”、現役、OBの世話をしてきている。その姿を見ていると札幌にいる僕など、何か役に立たなくてはと考え、86年に運営委員になることにした。

・もう一つの理由は故人となられた吉岡義彦氏から徳田昌生氏への部長交代の背景があった。大学クラブの宿命は4年サイクルで部員が入れ替わることにある。一世代4年として一つの遭難の教訓は二、三世代なら伝わっていくが、実際に遭難を経験した世代がいなくなるとその伝承が難しい。北大山岳部をみても10年サイクルで何かしら部員が死ぬような遭難が起きている。旭岳盤の沢で5人が死んでから幸いなことに山スキー部では部員が死亡する事故は起きていないけれど、死んでもおかしくない事故は幾つか起きており、山スキー部にも10年サイクルがあるように感じる。長い時間サイクルで現役を見守り“遭難の芽”を摘み取ることが在札OBの努めの一つと思う。

・山スキー部OBに部長資格者がいないことから吉岡氏が部長を引き受けてくれたのに、山での事故、街での事故の後始末のために頭を下げて回ることばかりが多かった。85年のペテガリ沢事故は怪我こそ軽かったが、このままでは誰か死ぬ深刻な事態だと吉岡氏、在田氏、僕は受け止めた。現役たちは「個人のミス」と単純に考えたようだ。「私が責任をとって部長を辞めれば部員たちも深刻な事態に気がつくでしょう」と吉岡氏は言われたが、思いとどまってもらった。吉岡氏と部員たちは話し合いを積み重ねて部の体勢が立ち直り徳田昌生氏へと部長を引き継がれた。部長就任に当たり徳田氏は「ほかのOBの協力」を求められたので僕は運営委員になることにした。これが理由の二つ目である。

・部長が現役を叱るのは好ましくないし、徳田、在田両氏とも優しい人柄。僕が「叱り役」に徹することにした。厳しいことばかりを部員たちに言い、ミスがあれば叱責した。僕がルームに現れると「ぴーんと空気が張りつめる」と現役には敬遠されたようだ。僕は「柔軟な発想」と「夢を持つこと」を現役たちに望み、議論を活発にするためにわざと現役たちが反発することも言ってきた。OBの言うがままに従うような現役では困るのである。現役は決して事故を起こしてはならず、自分たちで考え自分たちで行動を決めなくてはいけないし、後輩たちに夢を見せる必要がある。

・運営委員になってから携わった主な活動を挙げれば故人となった水谷寛前会長名義の山スキー部資産相続に備えるための公益法人化の検討、古川会長へのバトンタッチ、ピナクルピーク遠征、MT.ローガン遠征、僕がリーダーだった北千島遠征、メラピーク遠征などの支援、無意根小屋改修、シルバーロッジ改修などなど。アマチュア無線機の活用、雪崩ビーコンの全部員携行などは現役支援の具体例だろうか。これらの事業はそのとき、そのときの運営委員長諸氏の指導、そのつど中心となって働いてくれる運営委員や現役部員たちが現れたので、良い成果が得られたと思う。

・一方、クラブに長い歴史がある故に会員の年代の幅が広く、現役とは親子、孫ほどの年の違いが生じる。異なる世代の融和も心がけたつもりだし、スキー部OB会に所属する山班世代との交流も意識した。

・運営委員長在任中の大きな出来事は水谷寛前会長死去とパラダイスヒュッテ再建だった。先生の臨終に立ち会うことができ、葬儀の司会をさせてもらったことは教えを受けた部員として幸せなことだった。僕がパラダイスヒュッテ再建構想を打ち出してから実現まで8年を要したが、これは熟年世代会員の奮闘によって実現したもので、運営委員会は再建期成会事務局のバックアップをしたにすぎない。夢が叶えられ、これもまた幸せなことだった。

・この間、北千島に遊び、崩壊直前のソ連を流離い、新ロシア革命と言われた「8月クーデター」もモスクワで体験、カムチャツカ半島のクリュチェフスカヤ火山とジミナ峰に登頂、国後島の爺々岳にはシーカヤックの旅を楽しみ登頂、二夏をシベリア極北で過ごした。そしてボランティア活動を集大成した「最新雪崩学入門」も刊行でき、濃密で充実した時を過ごしてきた。

・運営委員から運営委員長就任に当たっては「世代交代」を自分のやるべき使命と考えた。人を育てる秘訣は上に立つべき人間が仕事をし過ぎないことだろう。もちろん若い人に、あれこれ言わなくてもきちんきちんと仕事が出来るような“教育”を行い、それなりの人材を育てておくことが肝要ではあるが…。

・運営委員会の顔ぶれは僕の2年後輩の橋村正悟郎君が会計係、高校教師らしい細やかな心配りで補佐役をよく務めてくれた。30歳代の若い委員は黙って仕事をやりこなすタイプの一迫公利君を筆頭に我が家に居候していた吉田美樹君、東京からUターンしてきた辻雅久君、現役とのパイプ役を務めてくれる若手教官の久能弘道君。この4人は現役時代の上級生、下級生という関係なので気心が知れている。そして多くの雑務をこなし、現役ともまだまだ山行を共にする石塚吉浩君、渡部哲也君、北川大輔君という将来が楽しみな若手委員に恵まれていた。

・そろそろ山とスキーの会の表舞台や裏方から立ち去り、僕は僕の自分の仕事に時間を費やしたいと思うのである。人生に残された時間を逆算してみると、自分の仕事を優先させるべき時が来たようだ。幸いなことに人柄温厚、先輩からも後輩からも親しみをかちえている吉田美樹君が後任の委員長を引き受けてくれ、頼もしい若い世代が勢揃いした。すでに新しい体制は動き始め、新しい風が吹き始めたようだ。今まで力を貸してくれた先輩、後輩に心からの感謝を申し上げ、運営委員長を退くことにしたい。