新入会員紹介

青山尚広(理 物理4年 北海道出身)

・入部当初は、こざっぱりしていておとなしかったせいか「育ちが良さそうなやつ」とまで言われていた彼であるが、1年目正月山行をさかいに、本性を現し始めた。下品な言葉を連発し、足のにおいをまき散らし、燃やし損ねたおならでテント内をかき乱す。3代上のIさんの影響を大いに受けた、我が代のサル筆頭である。

・また、青山と言えば誰もが思い出す事件が2つある。1つは、ボイラー室事件。ある年の追いコンは、大いにあれていた。最初のビール飲み放題に始まり、次はおなじみ「ロティ」のウイスキー。卒業生を始め、皆べろんべろんに酔っぱらい、救急車に乗れた幸せな先輩もいたほどである。それでも、何人かは恒例の3次会を経て「つる」までたどり着き、記憶も定かでない中家路へついたのであるが、その時青山はなんと「ロティ」のビルのボイラー室でビルの人に発見され、病院に送り込まれ、ご丁寧におむつまでされていたのだ。なぜボイラー室。なぜおむつ。いかにも青山、という事件であった。

・そして2つ目は、ロッヂウ*コ事件である。これまたある年の水産移行の直前。移行してしまうMさんを囲んで、ロッヂは大いに盛り上がっていた。ロッヂに眠っていたあやしい酒の数々まで投入され、なぜそこまでやる、というほどの山手線ゲームが繰り広げられた。当然、皆崩れるように眠ってしまったのであるが、朝起きてみるとロッヂの中に点々とウ*コが落ちているではないか!しかもその軌跡をたどると、青山の机、青山のザックの周りに行き着くのである。現場を見たものがいないので、真犯人は未だに定かでないが、どう考えてもあやしいのが、この青山なのである。今なら怒らないから、そっと告白してごらん・・。

・そんな彼であるが、スキーの腕は超一流。入部した時点からスキー一級で、さすが道産子というような滑りを見せてくれた。説明会で隣に座った私の「スキーできるの?」という問いに、「ちょっとね。へへん」とにやけて答えたのが憎たらしい。

・山の実力でも我が代を引っ張ってくれ、84シーズンのL会議長を務めた。話し下手なために、審議が出口のない迷宮に入り込んでしまうこともしばしばであったが、彼の一言はやはり頼りになるものであった。

・山スキーにのめり込むあまり、院試の前日に朝の4時過ぎまで「みねちゃん」で酒を飲み、見事寝つぼって留年を決めた彼であるが、今年は無事に院に合格。一昔前のジャニーズ系のアイドルを思い出させるようなヘアースタイルで、これからも学内OBとして活躍が期待されるところである。

片倉淳平(法学部卒 埼玉出身)

・我が代を見渡した中で、唯一普通っぽい男。山スキー部には似つかわしくない、さわやかな男。どう見ても明るい大学生活を送っていそうな、うらやましい男。それが片倉である。

・片倉という人間を語るに当たって、私は一緒に行った屋久島への山行をはずすわけにはいかない。1年目を無難にこなした彼は、2年目沢として、屋久島を選ぶこととなったのだが、2年目沢、しかも情報のない屋久島への山行は、彼にとって長く、つらく、きびしいものであり、容赦のないものであった。いきなり、沢はじめの白水で落ち、続いて行った札的沢でも落ちかけ、まさかの再札的。そのうえずっとドライバーなのだから、踏んだり蹴ったりである。よく頑張るなあと思ったりもしたが、「もう、やめちゃおうかなあ」というのが口癖なのだから、そんなに立派なものではない。

・そして、ようやく屋久島にたどり着いたのであるが、彼にとって本当の試練は、ここからだったのだ。増水で連日の12時間行動。軽量化のため減らしていった昼飯に耐えられず、こっそり停滞の分の昼飯を食べていた彼の姿は、涙なしでは見られなかった。だんだんと口数の減っていく彼であったが、忘れもしない70メートルの小楊子大滝の巻きの途中でのビバークでは、誰よりも寝心地のいい寝場所をさっさと取り、テントも立てられず飯も作れず、一歩間違えれば滑り落ちてしまいそうな状況の中、あっと言う間にスウスウと寝息をたてていた。そんな図太さも持ち合わせているかと思えば、下山途中、延々と続く道路に嫌気がさして、「もう俺は歩けない!ここで寝ていくから置いてってくれ」と言って、大の字になって子どものようにだだをこねていたのも彼なのである。

・そういえば、彼の車のカセットはすごい。彼の車に乗っていれば、流行りの曲はすべてチェックできるのだ。かたやFMすらついていないため、AMで人生相談なぞを聴かねばならない車があるというのに(Kさん、ごめんなさい)、彼の車はすばらしい。なぜ彼がそんなにがんばるか、それはカラオケ好きだからである。カラオケ嫌いの我が代の面々を無理矢理誘い、一緒にカラオケに行ったが最後、延々と歌い続けるのだ。しかも、それが結構うまいものだから始末が悪い。

・こんな彼も上級生になってからは我が代のまとめ役、陰の支配者として君臨することとなった。一説によると、84シーズンの活動方針や人事は、彼の個人的な根回し、裏工作でおおかた決まってしまっていたという。日本の政治の縮図を見ているかのようであった。

・来年から埼玉県浦和市役所のお役人として働くことが決まり、地元埼玉に帰ることになるのであるが、山スキー部の中では普通っぽかった彼も、一般社会の中に入って見れば所詮山スキー部員。彼のさわやかさがどこまで健闘できるか、それが見物である。

入村貴行(理 生物4年 埼玉出身)

・何かにつけて気が小さく、細かいことにこだわる傾向があるが、一見したところは「よい子」である。しかし、よく見てみれば単なるオンリーパワーノーブレイン。2代上から続く「元ラガーマン=パワー系」という伝統から外れることなく、体力にものを言わせて山行をこなしていくという、山スキー部オンリーパワー班の一員であった。ラッセル力は馬並、スキーはゴリラ並。まゆ毛は毛虫並で、吹雪の日には村山元首相に様変わりする。エネルギーがありあまっているのか、行動の大半を半そでで過ごし、「あづ〜い」が口癖。そんな彼が我が代の主任であった。

・第84シーズンを振り返ってみて、なんと言っても大きく、重大な出来事と言えば、やはり白水での事故である。真夏の暑いルームに昼間から集まり、出口のない話し合い。それを取り仕切る彼のストレスは大変なものであった。きっと胃の痛い日々が続いたのであろうが、何より目立ったのはそう、髪の毛である。剛毛と言われた彼の髪は日に日に細くなり、時折頭皮が透けて見え、行く末が心配されたほどであった。

・しかし、彼に流れる血は失われていなかった。夏を乗り切り、代交代が終わるやいなや、あっという間に元のバカに戻り、好き放題に活動し出すのである。留年中で時間があるのをいいことに、ほんとに行けるの?というような計画を次々と出し、見るのも面倒くさい細かいレジュメとひそかに隠し持った頑固さで押し進めていく。最後になって日高に目覚め、冬、春と続けて日高を目指した彼は、もうすっかり元のオンリーパワーノーブレイン男であった。

・そんな彼の最大の弱点。それは、腱鞘炎。前回のサッカーワールドカップの興奮さめやらぬ当時のロッジでは、盛大にして過酷なサッカー大会が行われることになった。開催はいつも深夜。しかも試合は一人対一人。もうおわかりだろう。ファミコンである。敗者が深夜に牛丼やハンバーガーを買いに行かされるという容赦のないサッカーリーグ。通称ウシカップ、モスカップと呼ばれるこの戦いに勝つため、彼は練習した。昼間も、早朝も、寝る間も惜しんで練習した。その結果が、腱鞘炎である。まさにバカであった。

・卒部してからの彼は、筋肉がすっかりぜい肉に変わり、おじさん化が進んだように見えるが、やはり今でもバカな血が流れているはずである。来年から北海道の中学教師としてデビューすることになるが、ぜひこの山スキー部のパワーを受け継ぐ生徒を育ててもらいたい。そうすれば、いつまでも山スキー部は安泰だろう。もし山の中で彼を見かけたら、くれぐれも刺激しないように。急に逃げたり立ち向かったりすると、おそわれることもあるので注意が必要である。

三代隆博(理 数学M1年 茨城出身)

・「はい〜」、「三代です」と言うだけで笑いを取れていた、ミヨである。彼ほどこの4年間で変わったものはいないだろう。入部当初の彼は、受験あけの不健康に太った顔で、いつもつらそうな表情をし、話しかけてもほとんどしゃべらない。当時の彼を形容する言葉として、「ミヨリズム」という言葉が生まれ、一時期一世を風靡したこともあった。

・そんな三代の山スキー部人生は、涙なしには語れない、つらく険しいものであった。三代が山スキー部に入ってからの大半は、完遂がなかったのである。特に2年目の1年間は、これでもかと言うほどについてなかった。夏は2年目沢を目指したものの、自らのミスで途中リタイア。正月はSLのまさかのけがでつぶれ、その代替山行では大ハマリ。ウペペの尾根の密林に阻まれもがき苦しんだ後、引き返した彼らを東大雪の山々は覚えていてくれるだろうか。そして今度こそと臨んだ春は、あこがれの本州槍ヶ岳で大雪崩に遭遇し、やっとのことで帰って来た、これまたゴクイものであった。しかもそのころの三代と言えば、ロッヂに帰って来ても一人黙々とパソコンに向かってなにやらあやしいことをやる毎日。飲み会をこよなく嫌い、ロッヂノートに「おまえの酒は飲めん!」というセンセーショナルな文を書き記し、とにかく悶々とした生活を送っていたのである。

・こんな三代には、実は重大な秘密がある。彼の容貌をよく見ればわかるはずである。そう、彼はビジター(異星人)なのだ。当時ロッジで生活をともにした部員からは、数々の目撃証言を得ることができる。夜中に鶏を丸飲みしていた、よく見るといつも5ミリほど宙に浮いていた、ときどき夜空を見ながら泣いていた、寝言で「パペ、ポペ、プペポプペポ」とうるさかった、背中にチャックがあったなど、挙げてみるときりがない。こんなことを原稿に書いていること自体、三代にはお見通しで、今も背中になんだか訳の分からない殺気が・・・・・ギャー。わかった、もう黙っててあげるから、許してくれ。

・こうして見ると三代はただの変な奴でしかないのだが、そのがんばりはすごかった。審議でたたかれ、山行が中止となってしまったりしたこともあった。自分のパーティーが危機に陥ってしまったこともあった。しかしそこであきらめることなく、最後の卒部山行では見事完遂をおさめたのである。少人数の我が代にとって、三代のこのしぶとさは大きな力であった。

・あのミヨリズムにあふれた彼が、追いコンで「パンツいっちょー」と叫びながらブリーフ一枚で楽しそうに走り回るなんて、本当に信じがたいことである。きっとこれからも、そのあやしさにますます磨きをかけ、ひまさを生かしてルームに出現し続けることだろう。

写真:シルバロッジでの語らい

写真:追いコンでのロッジ芸(裸人左から青山、三代、入村)